リアホナ2013年4月号  ◉ 東日本大震災から2 年 フクシマの聖徒たちの信仰

◉ 東日本大震災から2 年 フクシマの聖徒たちの信仰

─見えない災害の中で生活する─仙台ステーク福島ワードの兄弟姉妹

東日本大震災から2年の節目を翌日に控えた2013年3月10日の安息日,アジア北地域のマイケル・T・リングウッド会長は福島ワードを訪問した。「今朝ここにいることを光栄に思います。今日,心の中で皆さんのために祈りつつ参りました。」リングウッド会長は地域会長会から福島の聖徒たちへの愛を伝える。この時期,地域会長会では震災に遭った各ユニットを訪問して愛と励ましを伝えるべく割り当てがなされていた。「そしてわたしはここ(福島ワード)にいます。(今日,)福島以外に訪問したかった地はありません。」

続けてリングウッド会長は奇跡について話す。奇跡というと,イエス・キリストがガリラヤ湖の上を歩かれたり,嵐を叱って鎮められたりといった大きなことを思い起こすかもしれない。「しかし,わたしにとって奇跡とは,日常的な現れのことが多いのです。奇跡とは時として,ただ神様がわたしたちを愛しておられると御霊によって知るだけのことかもしれません。」

福島ワードの早川秀輝兄弟は,福島県双葉郡富岡町に生家があり,そこに母親の愛子姉妹が住んでいた。伴侶の早川よし子姉妹は義母の介護のためこの家に住み,早川兄弟は,福島市内の自宅と富岡町の生家を行き来する生活だった。彼にとってこの地は故郷である。山林,田畑もあり,定年退職後,かつて習得した養蜂の技術で約30万匹のミツバチを飼育していた。そしてエデンの園のような理想の森林を造るため,日本の樹木1,000種類を目標に600種類まで植林を終えていた。その森は,福島第1原発の南,約10kmの地点にある。

小さな奇跡の連続

早川兄弟の生家はJR富岡駅から200m,海岸線からわずか500m,海抜3mの場所にある。本来なら,母親とよし子姉妹は津波と原発の災害に至近距離で遭っていたはずだった。ところが─「たくさんの奇跡を目にすることができました。ほんとうに考えられないことが次々と起こるんですね」と早川兄弟は振り返る。

まず,母親の愛子姉妹は認知症のため,大熊町の介護老人保健施設に2010年3月から入所していた。よし子姉妹は,2010年に受けた手術の術後検診を受けるため,震災前日の3月10日に福島市内の自宅へ戻っていた。そのとき富岡町の生家は,区画整理事業のため一部を取り壊すことになっており,家の前,未整理地区との境目に鉄パイプの柵が張り巡らされていた。また数か月前,早川家が経営しているアパートの火災保険が満期となったとき,親戚の保険代理店の社長が来て, 「ノルマだから地震保険に入ってほしい」と頼まれたので加入していた。

2011年3月11日,早川兄弟がよし子姉妹とともに病院から帰宅したとき,震度5強の激しい揺れが来た。間もなく富岡町に押し寄せた10mの津波はJR富岡駅を跡形もなく押し流す。早川家経営のアパートも,流されてきた車や丸太などで大きく破壊された。近隣の住宅では2階建ての1階部分が津波で筒抜けとなっていた。しかし早川兄弟の生家は,家の前の鉄パイプの柵ががれきの防護壁となり,押し寄せた津波も弱まって床上浸水15cmだけの被害にとどまる。母親の愛子姉妹の介護施設には津波の被害はなかった。

こうしたことは後になって分かったことで,地震の直後は固定電話も携帯も通じない。早川兄弟はテレビとラジオで情報を集めながら状況を見守る。長女の智子姉妹は2010年10月から産休で仕事を休んでおり,12月には双子の男の子を出産していた。智子姉妹と子供たちは14日(午前11時に3号機が爆発)に喜多方市の夫の実家に移動を済ませる。15日早朝の4号機の爆発を知った早川兄弟は,長男の伴侶愛香姉妹(当時妊娠3 か月)と,6 歳と4 歳の孫,早川兄弟姉妹の5人で,先に智子姉妹が行った娘婿の実家に避難した。その夕方,福島市内では一時,24マイクロシーベルト/毎時の放射線量を記録していた。

早川家の被害が最小限に押さえられ, 幼い孫たちを速やかに避難させられたのは奇跡だった,と早川兄弟は受け止めている。そしていつの日か,子孫のためにも富岡町の「エデンの森」を作り上げることを,早川兄弟は諦めてはいない。

幼い子供たちの負担

福島ワードの辺見妙子姉妹は,2009年4月から福島市でNPO法人 青空保育「たけの子」を運営している。その名のとおり,自然の中での遊びを通して子供の感性をはぐくむ保育園である。

あの日,降り注いだ放射性物質のため福島市での外遊びはできなくなった。当初の理念に基づく保育は継続できるのか,辺見姉妹は悩みながら,放射能測定器で福島市周辺の線量の低い場所を探し歩く。福島市内では行政の対応として,幼・保育園の園庭については認可園,認可外とも除染が済まされている。「それでも完全に取り切れていない部分については,お母さん方がペットボトルに水を入れその場所に敷き詰めています。水は放射線を遮蔽しますから。そのようにしてでもお母さん方は,『子供を守りたい』と頑張っているんです」と辺見姉妹は話す。測定の結果,雨で放射性物質が流されやすいコンクリート上では低線量の所もあるが,園児を遊ばせたい森林ではまったくだめと分かった。

辺見姉妹は,放射線の影響のない山形県米沢市(福島市から車で1時間あまり)に場所を借り,2011年10月からサテライト保育を始める。毎朝,園児を園バスに乗せ,米沢市へ連れて行き,夕方にはまた福島市内に戻って来る。「10月にもかかわらず, (米沢で)子供たちは川遊びを始めたんです。夏を取り戻そうとしているんですね。結局11月まで続けていました。」

以前,園児を米沢市に連れて行ったとき,汗をかく暑さにもかかわらず子供たちは長袖シャツを脱ぐことなく,マスクも絶対に離さなかった。辺見姉妹が「ここは大丈夫だから」と言っても離さない。「子供に負わせた心の傷は深いんだなぁ,と思いました。」

「6歳の男の子は,『60年経ったら,またみんなと小鳥の森に行ける』って言うんです。だれも教えていないけど……」話しながら辺見姉妹は涙で言葉を詰まらせる。「どれだけ子供の心に負担がかかっていたのかなぁ。たけの子園では笑ったり遊んだりしていても,普段の生活の中では傷ついたり悩んだりしているんだなぁ,って思いました。だからわたしたちは,『楽しかった』と言える幼児期を過ごせるように,このサテライト保育を続けているんです。」

しかしながら,これを継続するにはかなり大きな努力が必要となる。園バスを運行してくれるドライバーの雇用や経費といった経営上の問題もある。わざわざ米沢まで連れて行くことに理解のない人もいる。「通常の保育もしなければならないですよね。自分では経営で頭の中がいっぱいで回りきれなくて,スタッフや保護者からは『忙しくても,もっと子供に配慮して』って言われて。」折しも,園がNPO法人格を申請する時期で,多忙を極めた辺見姉妹に心の余裕はなかった。そんなとき,「いままで一緒にやってきたスタッフが辞めるって,子供も辞めるって言われて,頭の中が真っ白になりました。」─放射線への不安,子供を守りたいとの気持ち─様々な思いがせめぎあっていた。「だれに言っても分かってくれない,相談することもできない。」

追いつめられた辺見姉妹は,フェイスブックを通じて交流のあった東北担当の地域七十人の西原里志長老にメールを打つ。「『どうしたら良いか分かりません』って……午前2時ごろに目が覚めたら,返信を下さっていたので,それにまた長いメールを打って。最終的に『自分で祈ってみます』と答えを出しました。……(明け方近くに)落ち着いてきて,『やっぱり(サテライト保育を)続けていこう』と決意しました。」

その日,以前から資金援助の話のあった他のキリスト教団体から,約束の倍の金額を援助してもらえることが決まる。その話の最中に西原長老から電話がかかってきた。かねてよりの申請が許可され,教会の人道支援の基金からかなりの額の援助が下りることになった,と。行き詰まりかけていたサテライト保育は息を吹き返した。

「崖っぷちでギリギリに立っているこのときに神様から, 『続けなさい』って言われているんだなぁと強く感じました。」

辺見姉妹の挑戦は今後も続いていく。

聖霊の賜たま物ものに頼って

3月12日,1号機が水素爆発したとテレビで報道された。「政府の発表では,『ただちに健康に影響が出る状況ではありません』と言っていたけど,今でないならば,後で影響が出るんだろうか……なんて話し合っていました。」そう髙橋由美子姉妹は振り返る。事故当初の対策としては,「窓を開けない,洗濯物を外に干さない,外出の場合は帽子,マスク,コートを着用し帰宅前に払い落とす,とかでしたね。当時中3の息子と中1の娘は,1か月は外に出なかった。よほど怖かったんでしょうね。」

「一般家庭でも食料の貯蔵はやっていたようですが,水の貯蔵はなかったようで,『お米が炊けない』と娘の友達の家から聞こえてきました。給水車が役所の支所などで水を配っていたんですが,当時は放射線量がとても高くて,その中を息子の同級生などが,マスクを着けたり着けなかったりで何時間も待って並んでいました。少ないながらも自宅に水があったので,うちはそれは避けられたなぁ,神様の戒めによって守られたなぁ,と思いました。」

「当然のことながら,教会内でも話題と言えば放射線の話で,『あの医師は楽観的すぎるから信用してはいけない』『大学教授の判断なので大丈夫』などという暗中模索が続いていたんです。でも,わたしは,教会の指導者が『福音の教義と戒めを守っていたなら,たとえ何があっても大丈夫です』と言われ,それを祈って主に尋ねると不安はありませんでした。洗濯物の外干しも解禁後はばんばん干して,よく払って取り入れてました。子供たちからは楽観的すぎる(笑)と言われましたけど。」髙橋姉妹はそう明るく話す。

かつて,教会員が原発災害にどう対処するべきか,教会の公式な見解を尋ねられた西原里志長老はこう答えた。「教会はどうしろという指示は出しません。それぞれの家庭,それぞれ個人で祈ってください。神様と直接相談をして,(避難するか,とどまるか)どうするかを決めるのは皆さん一人一人です。」髙橋姉妹は, 「だから常に一人一人が御霊を受けられるように備えておく必要があるんだなあ,とすごく感じました」と話す。

教会員は「聖霊の賜物」を受けている。例えば教会はモルモン書が真実であると公式に宣言しているが,指導者の言葉を鵜呑みにするのではなく,それが正しいかどうかを個人として深く考え,直接,主に尋ね,聖霊を通して導きを受けることができる。福島の聖徒たちは,確かなことが分からない不安な状況下で,聖霊の賜物をしばしば活用する必要に迫られた。

髙橋姉妹は続ける。「基本的にわたしたちは聖餐のパンと水を毎週取っていれば,必要な御霊の導きを受けられるという約束があるじゃないですか。だから,できる限り戒めを守り,聖餐を受けていれば,大きな間違い,判断ミスはないだろう,と。避難勧告が出なければ,福島で,ここでやっていこうって思いました。後は,どんなときも前向きに生活しようと家族で決めていました。地元産の野菜は積極的に買うようにしています。きちんと放射能測定検査を受けて問題ないと言っているわけですから。」

不安がないわけではない。「ところどころホットスポットもあるんです,特に森林や山には。公園などでは,除染の後は確かに線量は低くなっています。街路樹なども除染のために切られていますし。(除染も)もっと早ければよいのだけど,などとも思います。(廃炉まで,あるいは空間線量が逓減するまで)何十年単位ですから。新聞にも『今すぐどうこうはないけれど,絶えず注意はしなければならないでしょう』と書いてありました。その都度情報を手に入れて,祈りながら考えていくしかないでしょうね。自分では苦しくて苦しくてどうしようもできないようなとき,やはり頼れるところはお祈りなんです。そして,基本的な約束(聖餐を受けるなど)を信じる,それをすごく大切にしたいと思います。」

安心と安全は違います

福島ワードの奈良安規ビショップは,ワードの会員をこう気遣う。「会員の方々は,信仰の部分とはまったく別に(放射線の影響について)いろいろな考え方があります。福島は,宮城や岩手と違って目に見える被害ではないんです。建物もほとんど壊れていない,普通に車も走っています。けれども放射線は目に見えないわけですから。空間線量的には恐らく0.4〜0.5μSv/h※ で恐らく(今後何年も)ずっと行くんじゃないでしょうか。要は,安心か安全かの,不安の部分なんですよ。

安心と安全は違います。例えば,幾ら国や行政が,(年間)1mSv(ミリシーベルト)以下は安全です,と言っても,安心というのは一人一人皆違いますからね。安心はその人の問題だから,0.1mSvでも心配な人がいるかもしれません。1mSvでも安心な人がいるかもしれません。だからその人たちのことは尊重しないといけないと思うんですね。たとえ0.1でも心配だと思う人があれば,それは安心じゃないんです。じゃあその人たちを少しでも安心させるには,もう,励ますよりほかないんですね。」

奈良ビショップを支える伴侶の淳子姉妹もこう言い添える。「放射線を神様の力以上に怖がっていることが怖かった,この土地が放射線でだめになっていくと思われることがいちばんつらかった……わたしは避難する必要はないと思いました。神様を信頼しています。(それについて)ワードの皆さんの考えは一人一人違っていました。けれども,何が正しいかというよりも,意見の違う人々がお互いにどう思っているかしっかりと耳を傾けることがいちばん大切だったんだなと,後になって気がつきました。(そうでないと)判断がつかない状況の中で不安なのに,(さらに)理解してもらえないというお気持ちになるので……。皆さんに耳を傾けること,愛することがいちばん大切なんだと分かりました。皆さんの援助から支援の方法を学んだりもしました。今,祈ってもらうこと,霊的に支え,見守ってもらうことが大きかったんだなぁ,って思います。」

霊的な支援については奈良ビショップも改めて感謝を表す。「地域会長会の方々も来られました,地域七十人の方々も来られました,西原長老も何回も来られました。ステーク会長も来られました……預言者の言葉を引用して,会員の方々をほんとうに励まして,『信仰をもって頑張りましょう,大丈夫,主は助けてくださいますよ』っていう証を何度もして帰られました。教会は,福島を決して忘れていないんだと,そういう希望を……(涙),持たせてくださいました。物質的なものはもう大丈夫なので,会員の方々が安心できるよう,霊的な意味での支援をもって,年に1回でも訪問していただければと願っています。

(原発災害は)まだ,終息していません。今は落ち着いてますけど,どうなるのか結論が見えないですね。」現在の工程表によると廃炉まで30年から40年かかるという。40年後には社会はほとんど世代交代していることだろう。「多分,わたしたちは(災害の)結果は分からないんですよ。でも,主がわたしたちを見守っている,という証をどれくらいの人たちが多く持てるかで,違ってくると思うんです。ここに今いる人たちは,ここで生活していくんだ,ということを決意して,じゃあ今,どうしてやっていこうか,というふうに皆,思っているんじゃないでしょうか。結果がどうであれ,前向きに,『主にあって死ぬ者は幸いである』……もう,主を頼るしかないんですね。」

この土地に生きる

あえて福島に生きることを選ぶ若い人もいる。伊藤慶子姉妹は震災当時,福岡伝道部の専任宣教師だった。宣教師なのでマスメディアに接することはなく,人づてに東日本大震災のことを聞かされた。「それまでは普通に,福島出身です,と言っていたのですが,震災後は福島ということへの周りの人の反応が変わりました」と伊藤姉妹は話す。それはいわゆる差別を受けるというようなことではなく,強いて言えば,福島という場所を,特別な意味を持つ土地であると人々が感じるようになったかのような変化だった。しかし伊藤姉妹にとっての福島は伝道前と何も変わっていない。震災時に福島にいなかったので,被災地という実感はないという。2011年12月に帰還した伊藤姉妹は福島の実家に戻り,今は短大で保育を学んで,この故郷で暮らしていこうとしている。

また,福島ワードでは震災を境に専任宣教師が引き揚げ,長く宣教師不在の時期が続いた。(現在は仙台伝道本部から隔週で宣教師が福島ワードに通って来るという。)そんな時期に福島ワードでバプテスマを受けたのが中国出身の呂春和姉妹である。2010年の夏に日本人のご主人を病気で亡くし,その年の10月ごろ宣教師と出会った。「『わたし言葉違うよ。それでも大丈夫?』と聞くと長老は『大丈夫ですよ』と返し,教会行くことうれしくなった。」呂姉妹はまだ不慣れな日本語で振り返る。2011年3月,宣教師とともに彼女の誕生日を祝った3日後に震災に遭う。その後中国へ一時帰国していた呂姉妹は福島へ戻り,2011年10月に福島ワードでバプテスマを受けた。「家族みんなで3人,とても良い家族でした。今,主人いなくなりました。でも,教会で神様の子供,みんなと会えて幸せ。みんな愛し合っている。それからわたし,元気になりました。これわたし,証しました。」そして,「もう一つの証は,毎日モルモン書(中国語)読んでます。2回目。これからは何も心配がないので,幸せ。神様のチェンメ(戒め),リィホァ(律法)あるから大丈夫,幸せになれる。これは神様との約束。約束ないとだめですから。」彼女は毎月の証会で「会員の皆さん戒めを守ることが大切,神様のところに戻るために,幸せになるために頑張ります」と証している。

幸せとは何でしょうか?

2013年3月10日の3時間プログラムの後,福島ワードではリングウッド会長を迎えて短いディボーショナルが開かれた。リングウッド会長は壇上からこう語りかける─

「幸せとは何でしょうか。

わたしたちにはこのような(思考)パターンがあります。『もっと多くの収入を得られたら幸せになれる』『大学を卒業できたら……』『子供が生まれたら……』『仕事で昇進したら……』『10 キロやせたら……』つまり,何● か● が● 起● き● た● ら● 幸せになれる,と言うんです。ある人は,高級車を買えばそれがいい刺激になると考え,それに対する反応が幸せだと勘違いします。しかし,幸せとは何かの刺激に対する反応ではありません。幸せは刺激そのものです。わたしたちが自分で見つけるべきものなのです。幸せとは人生の旅の一部であるべきです。何かが来るのを待って幸せになるのを後回しにするのではないのです。

ある記者は, 『幸せは至る所にある。時々それを見つけるために見渡す必要があるだけだ』と結論づけました。またリンカーン大統領は,『ほとんどの人が,自分で決めただけ幸せになっている』と言いました。

つまり幸せとはわたしたちの姿勢なのです。ただ,周りを見渡して,どれだけ祝福があるか,今の生活の中でうまくいっていることに焦点を当て,数え上げるだけです。

大事なのは,わたしたちがだれなのか知ることです。天の御父に愛されている息子娘です。そして,主がわたしたちに何を望んでおられるか知ることです。そのために聖文があります。神は,互いに愛し合うように,そして,神を選ぶように望んでおられます(モーセ7:33)。これが幸せをもたらします。互いに愛し合う能力が幸せをもたらします。また神に従うことを選ぶときにわたしたちは安心を得られます。義にかなうことは幸せです。幸せになりたいなら,ただ神に従うことです。良いことに焦点を当て,与えられた恵みを数え上げることです。また互いに愛の手を差し伸べ合うことです。そして人生の旅を楽しみます。やがて,幸せは周りの人にも伝わっていくのです。」

リングウッド会長はこの日,天の御父のもとに帰るという「Cause」(大義,大きな目的,人の存在理由)からいつも人生を見るように,またどのような環境にあっても自ら幸せになるように,と聖徒たちを励まして,福島を後にした。◆

※「国際放射線防護委員会(ICRP)2007年勧告」によると,個人の生涯累積被曝量が100mSv(ミリシーベルト)に達したとき発がんリスクが0.5%高まる(確率的影響)。つまり,低線量を長期にわたって累積100mSv被曝した人1,000人中5人が発がんする可能性がある。(単純計算で,累積50mSvでは0.25%高まる。従って,個人の生涯被曝量はできるだけ低く抑えるのが望ましいとされる。)1mSvは1000μSv(マイクロシーベルト)