リアホナ2012年6月号 真の成長のために④

真の成長のために④

  七十人 青柳弘一長老

羊を愛し, 羊を養う

この(福音の)教えと勧告というのはすべて,父なる神様とイエス・キリスト御二方の愛から来ているものですよね。ですからこの慈愛をわたしたち指導者は皆,身に付ける必要があります。

いちばん重要なのは,彼ら(主から託されている囲いの中の羊)が,主とあなたから愛されていると感じることです。感謝され,称賛されることによって,自分の存在価値を自分でいつも確認できることです。そして,御霊の導きを彼らがいつも感じられることです。……ここに最も大きな焦点が当てられるべきだと思うのです。

そのために定員会として,あるいは扶助協会として「どうやって羊を養うのか?」を第一に考える必要があります。─羊はほんとうに千差万別,最近バプテスマを受けた人から,もう40年50年の信仰を持っている人もいます─まず第一に,羊の一人一人に何が必要か,次にキリストによって永遠の命に救われるのにどういう儀式と助けが必要なのかを考えなければなりません。衣食住,教育,財政,情緒面,そして信仰面,霊的な力を得られるように助ける。

一人一人の羊をほんとうに愛する必要がありますね。御霊の導きによってこういう根本的なところを考え,彼らの必要に基づいてプログラムや組織を計画し,皆で分担し合って羊を養っていくことが必要です。

ところがわたしの経験を反省すると,例えば,長老定員会の会長の召しをわたしがかつて受けたときにまず何を考えたかというと,組織とプログラムを最初に考えました。顧問にだれを持ってくるのか,教師にだれを持ってくるのか,そして,どのホームティーチャーにだれを割り当てるのか。こういう組織(作り)から入っていったのです。それは「真珠と宝石箱」※ 2 のたとえからすると箱の部分になります。そして,ホームティーチングの報告を受けて,それをレポートするだけの作業にとどまり,何か形だけのものをやってきたような気がします。これはちょっと順序が違うのです。

また,わたしたちは今までに時々,指導の中でともすると権威を使ってしまうことがありました。「自分はステーク会長だから,自分はビショップだから,わたしの言うことを聞きなさい」と。でも権威というのはサタンに対して使うもので,愛とはまったく逆のことです。(教義と聖約121:39−42参照)

教会の中では長い間,義務感と責任感で一所懸命に召しを果たしてきた傾向が強かったように思います。指導者の,ビショップの指示だから,「ほんとうは嫌だけれども,しょうがないやるか」と。こういう思い

でやっているとどうなるかというと,疲れてしまうんですね。だから責任を果たせても喜びを感じないんです。愛も十分感じていないし,御霊も感じていない。ここに大きな問題点がありますね。

会員も含めて人々が,「責任を果たそう,一所懸命主の業をなそう」と決意するときは,指導者の言葉によってそうするわけではないんです。「自分自身が御霊を感じて,自分で行おうと決心する。」御霊を感じて自分で決心しなければ,人は責任を自分から喜んでしようとはしないんですね。これが自由意志の原則なのです。(教義と聖約58:27−28参照)

キリストのような指導性のいちばん重要なポイントは,羊,すなわち人々が御霊を感じられるように助けること。御霊を感じて,自分自身の自由意志によって,自分が変わろうという決心をする。これが非常に重要な鍵だと思います。ですから,わたしたちの責任とは,教義と聖約第50章13節から14節にあるように,主の御霊,聖霊によって(福音の原則を)宣べ伝えること,また人々が聖霊によって,変わる決心をする(のを助ける)こと。そのために指導者は召されているわけです。

では,どのように助けたら,人々が御霊を感じられるのでしょうか。(以下次号)◆

……イエスはシモン・ペテロに言われた,

「ヨハネの子シモンよ,あなたはこの人たちが愛する以上に,わたしを愛するか」。

ペテロは言った,

「主よ,そうです。わたしがあなたを愛することは,あなたがご存じです」。

イエスは彼に

「わたしの小羊を養いなさい」と言われた。……

イエスは三度目に言われた,

「ヨハネの子シモンよ,わたしを愛するか」。

ペテロは「わたしを愛するか」と三度も言われたので,

心をいためてイエスに言った,

「主よ,あなたはすべてをご存じです。

わたしがあなたを愛していることは,おわかりになっています」。

イエスは彼に言われた,

「わたしの羊を養いなさい。〔」〕(ヨハネによる福音書 21:15−17)

それゆえ,主 なる わたし はあなたがた に こう 尋ねる。

すなわち,

「何の ため に あなたがた は聖任 された の か。」

御霊,すなわち真理 を 教える ため に 遣わされた慰め主 に よって,

わたし の 福音 を 宣のべ 伝える ため で ある。(教義と聖約 50:13−14)