リアホナ2012年1月号  福祉のABC 16

福祉のABC 16

               (教会福祉部)

祈り

天の御父はわたしたちを地上に送るときに,わたしたちがこの世においても永遠にわたっても実りある人生を送れるよう,必要なものをすべて与えてくださいました。天の御父はこの世を造り,骨肉の体と選択の自由をわたしたちに与え,ついには独り子であられる救い主イエス・キリストを通してわたしたちが弱さと背きを克服できるよう道を備えてくださいました。さらには,わたしたちが寂しい思いをしないよう,神と常にやり取りをする手段を与えてくださいました。この手段には登録も利用料も充電も必要がなく,アンテナの不調のために交信が途絶えることもありません。ここで言う手段とは,「祈り」です。

祈りの基本原則

アルマはゾーラム人の貧しい人々に向けて,預言者ゼノスの言葉を引用して祈りについて教えました。そこから最初に学べる大切な点は,敵のために祈るべきだということです。次に,どこでも祈れることを学ぶことができます。仕事場でも,家庭でも,独りきりのときにも大勢の中にあっても祈ることができるのです。さらに,自分の状態や状況にかかわらず祈れることを学ぶことができます(アルマ33:3-10参照)。

物質的な必要のために祈る

アミュレクはアルマの教えに付け加えています。アミュレクは,畑の収穫が豊かであり家畜が増えるように神に叫び求めるよう招きました。これをわたしたちに当てはめると,仕事がうまくいき家族が生活に必要なものを手に入れることができるよう祈るということです(アルマ34:20-26参照)。アミュレクはこの祈りに関する説教を次のように結んでいます。「あなたがたの幸いと,あなたがたの周りの人々の幸いを気遣う気持ちを心に満たし,それが絶えず主への祈りになるようにしなさい。」(アルマ34 :27 )

世界の多くの地域には,今も基本的な必要を満たすのに苦労している人々がいます。現代の指導者は個人的な経験を総大会で話しています。J・デビン・コ-ニッシュ長老は研修医時代の経験について語りました。ある日,家に自転車を走らせていた長老は,くたくたに疲れ,気持ちがくじけそうになっていました。フライドチキンを食べて元気になりたいと思い,25セントを求めて熱烈に祈りました。この祈りは一見ささいなことのように思えますが,愛に満ちた神はこれを乏しい人のつつましい願いとして受け止められました。コーニッシュ長老は次のように話を締めくくっています。「フライドチキンの店の真向かいで,道端に25セント硬貨があったのです。感謝と安堵の気持ちでそれを拾い上げるとわたしはフライドチキンを買い,最後の一口までよく味わい,幸せな気分で家に帰りました。」(「祈る特権」『リアホナ』2011年11月号,101)

トーマス・S・モンソン大管長は,稼いだ5ドル札をなくしてしまった12歳のころの経験について話しました。あらゆる所を探した末に,ズボンのポケットにお札を入れたまま洗濯業者に送ってしまったことに気づきました。多くの人にとっては大した損失ではないでしょう。しかし,この若い少年にとって,このお金はとても大切なものでした。モンソン大管長は,このお金が戻って来るよう祈ったことについて話した後,次のように語りました。「わたしは震える手をポケットに入れました。最初何も見つからなかったので,すべてを失ってしまったと思いました。でも次の瞬間,ぬれた5ドル札が指に触れたのです。それをポケットから取り出すと,深い安堵の気持ちに包まれました。心から,感謝の祈りを天の御父にささげました。御父がわたしの祈りにこたえてくださったことが分かったからです。」(「聖なる地に立つ」『リアホナ』2011年11月号,84)

霊的な必要のために祈る

聖典には,霊的な賜物を熱心に祈り求める人々の模範がたくさん出てきます。エノスは「罪の赦し」を受けられるよう祈りました(エノス1:2)。アルマは息子が「真理の知識に導かれるように」祈りました(モーサヤ27:14)。息子アルマは後に,息子ヒラマンのために憐れみを願い求めたことについて語っています。(アルマ37:12-20参照)キリストが復活の後アメリカ大陸を訪れたときに,人々は最も望んでいるものを,すなわち「聖霊が授けられるようにと望んで」祈り求めたと教えられています(3ニーファイ19:9)。実際,わたしたちは「しばしば集まって,神を知らない者たちの幸いのためにともに断食し, 熱烈に祈るように」招かれています(アルマ6:6)。

祈ることができ,愛にあふれた天の御父に祈りを聞いていただけるわたしたちはなんと祝福されていることでしょう。「大いに断食し,大いに祈り,非常に大きな喜びをもって神を礼拝」することを忘れずに(アルマ45:1),このすばらしい交信の手段を日々活用しようではありませんか。◆