リアホナ2012年2月号  福祉のABC 17

福祉のABC 17 

 (教会福祉部)

静かな奉仕

2011年,わたしたちは年間を通して教会福祉プログラム75周年記念を祝ってきました。この霊感を受けたプログラムについてヘンリー・B・アイリング管長はこう述べています。

「主がわたしたちに勧め,命じておられるのは,助けの必要な人を鼓舞するという主の業に参加することです。」(「善を行う機会」『リアホナ』2011年5月号)預言者からのこの勧告と地域会長会からのチャレンジに応じて,アジア北地域に住む何千人という教会員が,個人で,地元の小さなグループで,ステークで,また複数のステークで,静かな奉仕の業を行いました。状況を改善したくても自力では成し遂げられず,人を雇う費用もない人々を援助したのです。その奉仕の一部は記録され,全世界に紹介されることもありました。天ではこのような奉仕のすべてが記録されています。奉仕の一つ一つが行われるとき,受ける人々の,そして行う人々の心に平和,希望,勇気,キリストの愛などほかにも多くの徳が宿ります。

静かな奉仕の業を受ける人々とは

大多数の人が,もしどちらがよいかと聞かれれば,奉仕は受けるよりも提供する方がよいと答えるのは興味深いことです。これは善いことを行い,救い主に従いたいという決意を表しますが,注意を怠ると高慢の兆候にもなりかねません。アイリング管長は最近3人の子供が自宅に食物を届けてくれたときの経験を分かち合いました。アイリング管長は,助けが必要なことを子供たちの両親が知っていたと語っています。大管長会の一員がだれかの助けを必要とすることなどないと勘違いする人がいるかもしれません。しかし神の子はだれでも,助けの必要な状況に陥ることがあります。それは生活の一部なのです。そのためにわたしたちは重荷を負い合い,悲しむ者とともに悲しみ,慰めの要る者を慰めるという聖約を交わしたのです(モーサヤ18:8-10参照)。

イエス・キリストでさえ人々の親切な行いを歓迎なさいました。聖典には,イエスが井戸端で休んでおられる間,弟子たちが食物を調達しに出かけたことが記されています。また一人の女性が香油でイエスの足を洗ったこと,ゲツセマネの園で祈っておられるとき天使が慰めたことが記されています。また救い主がある人に食事を提供するようにお求めになったことが記されています。アイリング管長や救い主のように,わたしたちも助けが必要になるときがあるでしょう。わたしたちが,必要な助けを謙虚に,時には自ら求めることができるように,そして「いつも喜び,すべてのことについて感謝〔する〕」ことを忘れることのないように願っています(教義と聖約98:1)。

静かな奉仕─なぜ,どのように,何を

アイリング管長はこう述べました。「物質的に困っている人々を助ける主の方法には,いつも,愛に基づいて,自分自身と自分の持っているものを神と神の業のために奉献する人が求められます。」この言葉から,物質的に困っている人々を助けるとき,なぜ,どのようにして,そして何をすればよいのかを学ぶことができます。

アイリング管長の話から最初に学ぶ教えは,すべてのことは「愛に基づいて」なされなければならないことです。わたしたちの行う奉仕が,自己満足や私欲のため,または身勝手な動機からであってはなりません。イエス・キリストへの,また助ける人々への純粋な愛に基づいて行われるべきです。ニーファイを通してわたしたちは「人は皆,慈愛すなわち愛を持つようにとの戒めを与えられた」のです(2ニーファイ26:30)。

次に,わたしたちは自分自身を常に備えていなければならないことが分かります。アイリング管長はこう語りました。わたしたちは「自分自身と自分の持っているものを……奉献」します。つまり,授かった物質的な恵みと霊的な祝福を賢く使う必要があるということです。マリオン・G・ロムニー管長は述べました。「何も持っていなければ,どうして与えることができるでしょうか。食糧棚が空では飢えた人に食物を施すことはできません。財布が空ではお金に困っている人を援助することはできません。心が飢え渇いていては,人を理解し支えることはできません。学んでいなければ,教えることはできません。そして何よりも大切なことは,霊的に弱くては,霊的な導きを与えることはできないということです。」(「日の光栄に至る自立の本質」『聖徒の道』1983年1月号,169)

最後に,アイリング管長は,神に仕え,神の業を行うことに集中する必要があることを教えました。これは,静かな奉仕を行うとき,主がここにいたらなされるであろう方法で奉仕することを意味しています。ジョセフ・スミスに主はこう語られました。「万物はわたしのものであるから,わたしが意図しているのは,聖徒たちに必要なものを与えることである。」それに加えて「しかしそれは,わたし自身の方法で行われなければならない」と語られました(教義と聖約104:15-16)。

結論

静かな奉仕は真の愛に根ざしており, 人知れず周りの人にする親切な行いです。 与える側と受ける側双方の人格を築くことのできる方法であり,人の心の奥深くに眠っている最も優れたものをすべて解き放つ方法です。(J・ルーベン・クラーク・ジュニア,ステーク会長のための特別集会,1936年10月2日参照)◆