リアホナ2012年8月号  真の成長のために➄

真の成長のために➄

    七十人 青柳弘一長老

人が御霊を感じられるよう仕える

一つの重要なポイントは,人を愛するなら,神様が人に与えられている選択の自由(Agency)というものをわたしたちは皆,尊重しなければならないということです。自分で考えて自分で選択する,決める,行動する。こういう意志を神様が人に与えられた大きな目的の一つは,神様の救いの計画の中にあります。わたしたちがそこで目標とする「永遠の命」,また「昇栄」を得るために大切なことは,だれかが自分を永遠の命に救ってくれる,またはだれかが自分たち家族を昇栄させてくれるというものではない,と理解することです。救いは個人の事柄(individual matter)であり,昇栄は家族の事柄(family matter)である,と十二使徒のネルソン長老が言われています。※1

選択の自由─個人の救いの鍵

救い(Salvation)とは,違う言い方をすると永遠の命です。もう少し的確に言えば,日の栄えの栄光を受けてその王国に入ることです。これは,わたしたち個人の選びと行いによって決まってくるものです。自分の意志で,自分も主に従って救われたいと願って,主の道に従っていくときに,わたしたちは永遠の命を得ることができる。これは自分が決める問題なんですね。人が決めてくれるわけではないんです。昇栄もまったく同じで,どこかほかの家族がわたしたちの家族を救ってくれるわけではない。自分と伴侶と子供が自分たちの家族の昇栄を成し遂げる,それは自分たちの意志によって決めることになるんですね。

ヒラマン書第14章30節では,滅びるのは自分の意志,自分の選びだよ,と言っていますね。逆に言うなら,永遠の命を得るのはあなたの選びであり,あなたの決意です。自分を救うのか,または滅びに向かわせるのか,すべては自分の選び次第です。そこを,教会員の一人一人,特に両親の皆さんが深く理解する必要があります。子供にもやはり選択の自由─自分で物事を選んで自分で決めていくという,神様が与えられた権利があります。この子供をどうやって神様の方に向かわせることができるか。基本的には,その子が選択の自由を使って神様を選べるように助けるのがわたしたち親の責任ですね。

それは親が自分の子供を言いなりに従わせることではない。福音を教えて,親の言うとおりにしなさいと命令したり,ああしなさいこうしなさいと指示したりすることではないと思います。もしそうしたら,ずっと押さえ付けられてきたものが,青少年になったあるときに爆発して,神様とまったく逆の方向に行ってしまうこともあります。

子供でも大人でも,どうやって自分で神様を選ぶことができるのでしょうか。それは,御霊を感じたそのときに,自分の意志を使い,自分も神様に従おうと思って,神様の道を選ぶんですね。ですから親にできることは,子供が御霊を感じられるように助けることだと思います。それにはやはり,福音の原則を教えなければいけない。

御霊を招く鍵─愛して仕える

ただ,問題はですね,どんなにいいことを話しても,お子さんが心を開いていないと御霊は働かない,御霊を感じられないということです。御霊を感じられるように,その子が心を開くように助ける必要があるわけです。心を開く方法はやはり愛しかない。愛が人の心を開きます。

愛の示し方というのはいろいろあります。あなたを愛しているよ,という率直な言い方もあるでしょう。あなたがこの家に生まれてきたことをわたしたちはほんとうに感謝している,あなたがわたしの子供になってくれたことをほんとうに喜んでいるよ,そういう言い方もあるでしょう。子供の良いところを見つけて褒める,賛辞を贈る,そして子供の言うことによく耳を傾ける。親が一方的にしゃべるのではなく,子供に話させる。そういう質問の仕方がありますね。質問を通して子供の気持ちをよく汲み取って,子供の興味,関心のあるところを見つけ出す。そうすると,その子の関心に合った福音のテーマというのが必ず見つかると思うんですね。

覚えておきなさい。わたしの同胞よ,覚えておきなさい。

滅びる者は自分で滅び,罪悪を行う者は自分でそれを行うのである。

なぜなら,あなたがたは自由であり,

あなたがたは随意に行動することを許されているからである。

見よ,神はあなたがたに知識を与えて,あなたがたを自由にしてくださったからである。

(ヒラマン書 14:30)

人の選択の自由を尊重する

その福音の原則を教えて,その原則に関する聖文を一緒に読む。その原則に関する霊的な経験談─自分の経験があれば自分の経験を,なければ大管長会,十二使徒会,昔の預言者が語った言葉を引用して霊的な経験談を話す。自分の証を加える。一緒に祈る。そして,必要であればその原則のテーマに関係する賛美歌を一緒に歌う……といったことが,御霊を感じるためには非常に効果的な方法だと思います。(『リアホナ』2012年1月号ローカルページ,4参照)

愛を示して,心を開くことができるように助けて,御霊を感じられるように助ける。こういうことができれば,その子は御霊を感じることができて,自分の自由意志を使って,自分もその福音の原則に従いたいという決意ができると思いますね。ただ,これは理論的なことなので,このとおりに行くかどうかというのはケースバイケースで分かりません。

ただし,わたしたちは,子供と話す前に自分自身が神様によく助けを求める必要があります。「この子と腹を割って話すことができるように,この子がわたしたちの愛を感じられるように,また御霊を感じられるように助けてください」といった断食と祈りが必要かもしれません。そういう努力を通して子供の自由意志を尊重し,その子が自分で御霊を感じて自分の意志で選択するように助けてあげる,ということです。

これを理解していると,わたしたち指導者としても会員と接するとき,一人一人を非常に大切にすることができると思うのです。人を大切にするということは,その人に愛を示すということです。愛についてのイエス・キリストの模範に倣うことになりますね。キリストは,自分の命を犠牲にして愛を示してくださった,それほど自分を犠牲にして─犠牲にするという言い方が正しいかどうか分かりませんが─その人のために,子供のために時間を使い,心を遣い,そして考え,体力を使い……そういうものを使って相手に自分自身をささげていくこと,これが人に仕えるということだと思いますね。

例えば子供が誤ったとき,「あなたのやってることは間違ってるよ,何でこんなことしたの! だめだよこんなことしちゃ!……」こう親が決めつけて,怒ることだけはするんですけれど,その理由が子供にまったく教えられていないのです。

そのときに原則を教えられ,そこに御霊を感じることができたら,子供たちは自分から悪いことをやめます。子供が選択の自由を使って悪いことをしないと決心するのでなければ,その子はほんとうの意味での良い選びができないんですね。でもそれをするのは,時間もかかるし手間もかかるし労力も必要なんですよ。その時間と手間と労力をかけることが,子供の選択の自由を尊重することであり,子供を愛して仕えることになるんです。けれども,日本人の生活の中では,それを親が十分に理解していない。ですから結論だけ言って,途中を省いてしまって,「親の言うことを聞きなさい!」……これがいけないんですね。わたしも往々にしてそうしてきた経験があるので,大きなことは言えないんですけれど。

御霊を招く原則の実際

ただ,福音の中ではそれがごく当然のことだと思います。わたしはアメリカの教会員の家庭で子供たちを育てるのをいろいろな機会に見てきました。小さいときから選択の自由をものすごく尊重しているんですよ。例えば,親が子供を教え諭すときに,言い聞かせる,よく説得する,ということをするんですね。

ちゃんと座らせてね,「あなたはなぜこれをしたの? どういう思いでしたの? これは良いことだと思う?」……もう時間をかけて一つ一つ心に理解させるように話しかけて,自分でそれを分からせる。「神様はこのことについて何て言っているの?初等協会でこの間何を習ったの?」一つ一つ思い起こさせて。そして御霊によって理解できるように,聖典を開いて,「この聖句にこう書いてあるでしょ。あなたはどっちが正しいと思う?」……そこまですると,やっぱり子供は良い方を選びますよ。そして,その子を抱いてね,「あなたを愛してるよ,あなたはわたしにとってかけがえのない神様の子供で,あなたがわたしたちの家に来てくれたことを喜んでいるよ,わたしたちはあなたの親になれてほんとうにうれしいよ……」と,すごく愛を示すんです。

それぞれの子育ての中でこういうことができたら理想的だなと思います。教会の中で理想というのはそれに向かって進むビジョンです。わたしたちは,そんなことは理想的だよと言って片付けられないところがありますね。わたしたちはすべての面で理想に向かって進んでいるわけですから。

その理想に向かって進む中で,親もわたしたち指導者も皆そうですが,不完全な弱い人間ですから,自分たちの力では完璧にできないところがあります。そこに,キリストの贖いの力を受ける必要がありますね。

……それは,わたしたちが自分の行えることをすべて行った後に

神の恵みによって救われることを知っているからである。(ニーファイ第二書 25:23)

すべての日常生活の中で,わたしたちには完全にはできないけれども,そういう理想,ビジョンに向かって進もうと努力するとき,わたしたちのできることを行った後に,祈り,主に頼るならば,主はわたしたちのできない部分を補ってくださる。これが大きな贖いの力の一つだと思いますね。これがもし理解できていたら,もっともっと対処の仕方はある,子供との心も通わせられると思いますね。

愛が御霊を招くという原則は,親子の関係であっても,定員会や扶助協会での関係であっても,教会員でない友人や求道者との関係であってもまったく同じです。その場が子育て,ホームティーチングや家庭訪問,伝道,と変わるだけです。◆