リアホナ2012年4月号 日本へのメッセージ 教会の救援は霊的なものです

◉ 日本へのメッセージ 教会の救援は霊的なものです

─ダリン・H・オークス長老,ドナルド・L・ホールストロム長老の日本訪問

2012年2月24日,十二使徒定員会のダリン・H・オークス長老ご夫妻が仙台ステークセンターを訪れ,一般会員との集会に臨みました。かつてアジア北地域会長を務めた七十人会長会のドナルド・L・ホールストロム長老ご夫妻と,地域会長会の青柳弘一長老ご夫妻が同行し,ともに壇上に立ちます。(本誌ローカルページ1,参照)東日本大震災から1年,日本の聖徒に向けて語られたメッセージを要約してお伝えします。(編集室)

ホールストロム長老──福音の喜びを土台とする

ホールストロム長老は,1世,2世,3世,4世の教会員にそれぞれ手を挙げるよう聴衆に呼びかけた。1世には多くの手が,4世にもわずかながら小さな手が挙がった。これから4世,5世,6世の会員も増えてくるに違いない,とホールストロム長老は未来を見据えてこう語った。

「1世の皆さんは開拓者です。開拓者とは次に来る人々のために新たな道を切り開く人々です。2世,3世,4世の会員がいるということは1世が忠実でいたからです。皆さんは次のすべての世代のための責任を担っておられます。皆さんが強く確固としておられることで次に来る世代に福音が伝わっていくわけです。」決して容易なことではないが,これが神の計画の一部である,とホールストロム長老は証する。

「この計画の中には喜びもありますし,反対のものもあります。」人が存在するのは喜びを得るためである,また,すべての事物には反対のものがある(2ニーファイ2:11,15,25参照)。「その両方が真実です。それは,反対のものがなければ喜びをほんとうに知ることはできないからです。また反対の力があることでわたしたちは精錬されて神様のようになることができます。」そしてホールストロム長老は,リーハイの命の木の示現を引用する。「そして,一本の木が見えたが,その実は人を幸せにする好ましいものであった。そこで,行ってその木の実を食べると,それは,今までに味わったどんな実よりもずっと甘いことが分かった。またその木の実は白く,今までに見たどんな白いものにも勝って白かった。そしてその木の実を食べると,わたしの心は非常に大きな喜びに満たされた。それでわたしは,家族にも食べてほしいと思い始めた。」(1 ニーファイ8 :10 −12 )

「ほかの人,家族に分かち合いたいという望みが出てくるほど,この福音のおいしい実を食べていただきたいと思います。時々,この教会の会員としてわたしたちはストレスを感じることがあります。しかし福音の喜びを感じてほしいと思います」とホールストロム長老は続ける。「人間関係の問題にではなく,永遠の事柄に焦点を当ててください。わたしたち一人一人のための神様の計画の喜び。そして救い主,贖い主であるイエス・キリストについての知識の喜び。わたしたちの土台にもし,これらのことがあれば,逆境のときにわたしたちはそれに頼ることができます。例えば自然災害,家族の中の問題,経済的な問題,ほかの教会員との間で起きた問題……どんな問題があっても,イエス・キリストの福音の喜びという土台にわたしたちは頼りましょう。」

オークス長老─苦難を聖別し益とする

「世界中で最もすばらしい人々は末日聖徒です。完全ではありません。時折お互いに衝突することも,戒めをうまく守れないこともあります。でも悔い改める方法が与えられています。末日聖徒がすばらしい人々であると言うのは,彼らがこの狭い道に沿って歩こうと努力をしているからです。」オークス長老は会場の聴衆と,ウェブキャストで結ばれた地域で視聴している会員たち一人一人に愛を伝えて話し始めた。

「わたしは今晩話されたすばらしいお話に同意します。それはこの地震や津波という苦難の後に祝福がやってくるということです。わたしはこのことを自分の家族の中で経験しました。」オークス長老は自身の家族について語った。オークス長老が8歳になる前に父親が亡くなり,母親は再婚することなく,3人の子供を独りで育てなければならなかった。「わたしたちの家族にとって父が亡くなったというのは津波と同じように悲惨な出来事でした。たくさんの人に被害があったわけではありません。でもわたしたちにとっては家を失うより,父親を失う方が被害が大きかったのです。」オークス長老の母親は教師として働いて一家を支え,ステーク扶助協会の会長を務め,中央若い女性の理事会にも召された。地域社会においてはユタ州プロボ市の市議会の一員に選ばれた。

オークス長老は,母親が好きだった聖句として,第2ニーファイ第2章1−2節を引用する。「これは父リーハイが息子ヤコブに述べた教えです。1節に,『あなたは,幼いとき,あなたの兄たちが乱暴なためにひどい苦難を味わい,つらい思いをした。』これはつまり父親が息子に対して,あなたは自然災害によって家や仕事を失ったと言っているようなものです。皆さんはひどい苦難を味わい,つらい思いをしました。そして,2節が母の好きな聖句です。『神はあなたの苦難を聖別して,あなたの益としてくださる。』

わたしが若い男性だったときに,母はこう言いました。『あなたのお父さんが亡くなったのはわたしたちにとってとても悲惨な出来事だったのよ,でもわたしは主がそれを聖別してわたしの益としてくださったことを知っているの。あなたのお父さんが生きていたら,わたしは裕福な医者の奥さんとして生きることができて,自分の才能を伸ばすようにチャレンジを受けることはなかったと思う。でもあなたのお父さんが亡くなったから,わたしは自分の仕事をする必要があった。家族の中ではリーダーを務める必要があった。そして地域社会の中では奉仕をするように求められたの。』……これはつまり,苦難だと思えることを通してそれが益と変わったことをよく表しています。……皆さんの苦難を主が益としてくださるように,その方法を皆さんは見つけてください。それは永遠の原則だから

です。」

オークス長老は,24年前,アルゼンチンで伝道していた一組の姉妹宣教師が,夜間に治安の悪い地域を歩かなければならなかったとき,2匹の犬が現れて彼女たちを護衛したというエピソードを紹介した。

「主が,その犬を遣わして彼女たちを守ってくださったのだと。……これはつまり,天のお父様がわたしたちを愛して気にかけていてくださることを表しています。主はすべての被害からわたしたちを守ってくださるわけではありません。地震を止めるため,津波をとどめるために御腕を差し伸べられたわけではありません。世界中では多くの自然災害が起きています。……主はそれを止められません。その代わりに人々を強められます。そして世界中の人々が自分の同胞の教会員たちに救援物資を送るように助けてくださいます。この津波の災害のときもそうでした。

ただ,天のお父様が与えられる救済とはそれだけではありません。末日聖徒イエス・キリスト教会が皆さんにお渡しできる救援というのは,この世の物質的なものではなく,霊的なものです。」

イエス・キリストに近くあること

オークス長老は,「(教会に)活発でいるとはどういう意味でしょうか」と聴衆に問いかける。─「まず,それがどういう意味ではな い かについてお話します。それはただ教会に来ることではありません。教会が存在するのはこの福音のメッセージを世界に伝えるためです。それは宣教師たちの働きを通して,また神殿の働きを通して伝えられます。また教会はわたしたちにお互いに仕え合う機会を提供してくれます。皆さんが教会の召しの中で行うようにです。でも,それだけでは十分ではないのです。教会に活発でいるというのは,ただ,教会に出席するということとは異なることです。

世界の状況の中では,教会に一度も集わずとも活発でいることができます。わたしが今まで聞いた霊的なお話の中で,ある軍務についている男性の話があります。彼は教会に集うことのできない遠くの地域に派遣されていましたが,その信仰は強められていました。彼は危険に直面していましたので,イエス・キリストにさらに近づくことができたのです。

わたしたちが教会に活発でいるというときに,それこそがまさに重要な部分なのです。わたしたちが兄弟姉妹にお伝えしているのはこういうことです。イエス・キリストに近くあってください。イエスは皆さんの救い主です。皆さんを御存じです。皆さんを愛しておられます。神が皆さんに用意しておられる選りすぐりの祝福を皆さんに得てほしいと望んでおられます。活発でいなさいというのはそういうことなのです。神が命じておられることを行うときに,わたしたちは主に近づくことができます。聖霊を通して主の御声を聞くことができます。

主がわたしたちの心に語りかけられる平安を感じることができます。そして歩んでいる道が,天のお父様と,そして昇栄への道へと続いていると理解することができます。お互いに仕え合うときにそれができますし,教会の召しの中でもできます。それ以外にもわたしたちは,職場の中で,近隣の中で,奉仕をすることができます。ヘルピングハンズで津波被災地の支援をした人々も教会の中にいたわけではありません。彼らの同胞に仕えることを通して神に仕えていたのです。奉仕をすることで彼らは神に近づくことができます。

しかし,わたしたちが教会に集う必要がある理由があります。それは聖餐を取るためです。わたしたちに主は,毎週日曜日に教会に出席して聖餐を取るように命じられました。それはただ単にパンと水を取るだけではありません。救い主を思い起こし,主に仕えるというわたしたちの約束を新たにするためです。主をいつも覚えて,主の戒めを守ると,それによってわたしたちは約束を受けます。その約束とは常に御霊を受けられるということです。わたしたちが毎週教会に集うのはそのような理由があるからです。そうすることでわたしたちがイエス・キリストに近くあることができます。その約束には,わたしたちの人生を導くための主の御声が聞けるということが含まれています。教会に活発でいなさいと言うときに,わたしたちはつまりイエス・キリストに近くありなさいと言っています。そしてそのための幾つかの方法の中で最も大切なのは,聖餐を頂くということです。」

神はすべての子供たちを愛する

「主の僕としてわたしは皆さんを愛しています。津波のときにもそうしたように,今もわたしは皆さんのことを祈っています。オークス姉妹とわたしはこの地区にいる人々のために祈りました。すべての宣教師が安全であるように,すべての会員たちが安全であるように祈りました。そして主がその多くの祈りを奇跡的な方法でかなえてくださいました。先日わたしたちは被災地を訪れました。ほんとうに悲惨で,家や土地などが失われていました。それでも神が愛しておられるのは人なのです。資産や財産ではありません。ですから多くの人が守られました。そしてその命を失った人々は,救いの機会を失ったわけではないのです。なぜならこの完全な福音というのは,わたしたちが人生を終えた後でも救いの道を説いているからです。それは霊界においては霊界の宣教師たちの働きであり,また神殿の働きでもあります。これは真実の原則です。わたしはそれをすべて可能にしてくださるイエス・キリストについて証をします。」オークス長老は主の使徒として日本の聖徒たちに天の祝福を招き,語られたことの真実性を証して締めくくった。◆