リアホナ2011年9月号  福祉のABC 14

福祉のABC 14

(教会福祉部)

必要なものと欲しいもの

わたしたちは豊かな時代に生きています。1834年,主はジョセフ・スミスに「地は満ちており,十分にあり余っているからである」と言われました(教義と聖約104:17)。確かに主は,わたしたちに必要なものをすべて与えてくださっています。それと同時に主は,人の性質もよく理解しておられます。ジョセフを通してパートリッジビショップに与えられた啓示の中で,主は「この民に対して彼らの受取分を,各人の家族に応じて,また各人の事情と入り用と必要に応じて,平等に指定しなさい」とおっしゃいました(教義と聖約51:3)。何が必要で何が欲しいのかは人によって異なることを主は御存じでした。そして,そのためにわたしたちは,ほかの人が自分より多く持っているとうらやましく感じることがあるのです。欲しいものを手に入れたくて,子供はよくこう叫びます。「でもママ,みんな持ってるよ。」世の中では,ただ欲しいだけのものとほんとうに必要なものを区別するのが非常に難しく,両者を取り違えてしまうことがあります。

物質的な必要

L・トム・ペリー長老はヘンリー・デビッド・ソローの著書に言及して,わたしたちに絶対に必要なものを再確認しています。ペリー長老が指摘した順に挙げると,それは1)食物,2)衣服,3)家,4)燃料です。(「簡素に行わせなさい」『リアホナ』2008年11月号参照)この話の表題に「簡素」という言葉が使われていることに注意するとよいでしょう。あまりに多くの人が生活を複雑にしすぎていて,古今の預言者の勧めのとおり収入の範囲内で生活して負債を避けることが難しくなっています。大きな家,たくさんの電化製品,ぜいたくな車,列車や飛行機の快適なシート,携帯電話やスマートフォン,大画面テレビ,携帯音楽機器,インターネット,ポケットwi-fi(ワイファイ),数え切れないほどのブランドの服やアクセサリーを持っています。持ち物はまだまだあります。しかし,実際にこの地上で生活するためには,実は,食物と衣服,家,燃料だけあればいいのです。

預言者の勧告

質素に暮らしている人もいます。この世で豪奢な生活ができるにもかかわらずそれをしないでシンプルに生きている人もいるのです。しかし,正しい選択がなかなかできない場合が年配の人にも若い人にもあることを預言者は知っています。トーマス・S ・モンソン大管長は,「『昨日の贅沢品は今日の必需品』などという格言めいた言葉で言い訳するのはやめましょう。不必要なものが必需品になることなどあり得ません」と勧告し(「変化の時代にあって変わらぬ真理」『リアホナ』2005年5月号),若い人たちに向けてこう言いました。「今日多くの新婚夫婦が,何台もの車を持ちたがり,両親が一生働いて手に入れたような邸宅に住みたがります。そして,夫婦の給料の合計を基にした長期ローンを組むのです。事情が変わってからでは遅すぎます。妻が出産したり,家族のだれかが病気になったり,失業したり,自然災害に遭ったりすると,そのような返済計画は,すぐに立ち行かなくなってしまいます。」(同上)

最低限の物質的必要を満たせないときにできること

人は病気や失業,不慮の事故,自然災害,ずさんな財政管理などのために,自力で生活できなくなる場合があります。そのような人を援助できるように,主はその知恵によりご自分の預言者を通して教会を備えてこられました。2011年は,教会福祉プログラム創設75周年です。青年デビッド・O・マッケイ長老は,伝道中に出会ったある女性の様子と彼女が口にした言葉について深く考え,「〔彼女は〕物質的な援助を必要としていましたが,わたしの知るかぎり……それができる組織が」ないことに気づきました(「福祉という聖めの業」『リアホナ』2011年5月号でH・デビッド・バートンビショップが引用)。

過去75年間,教会は,断食献金その他の寄付によって,マッケイ長老が出会ったこの女性のような人を助ける力を養ってきました。全世界のビショップと支部会長を通して,こうした神聖な基金は,助けを必要とする人に生活必需品を提供するために使われています。この援助は,彼らが自立し,外部の援助なしでやっていけるようになるまで続きます。生き方を変える必要に迫られる人もいるかもしれません。援助を受ける人が謙遜であれば,ビショップから言われなくとも自分たちのなすべきことが分かることでしょう。自分の望んでいるものが現実に必要なものなのか,それともただ欲しいだけのものなのかは,聖霊を通して知ることができるでしょう。ビショップとワード評議会は協力して,ほんとうに困っている人に愛をもって手を差し伸べます。◆