リアホナ2011年10月号 特集 子供たちに何が起こっていたのか 2011

特集◉子供たちに何が起こっていたのか 2011

この夏,日本で初めて開催されたefy京都セッション(8月8~13日)と東京セッション(8月22~27日)。参加した約1,400人の青少年が帰宅したとき,家庭で,教会の証会で,彼らの変化に目を見張った親御さんや指導者の数は決して少なくない。京都セッションの会場入口には「関係者以外立入禁止」と記されていた。この会場内でいったい何が起こっていたのだろうか? ──小誌記者が報告する。

文 ◉ 野中美治(リアホナスタッフライター)

京都セッション,ある女の子の場合……

1日目(8月8日)柏木有沙姉妹は少し緊張した表情で一緒に来たステークの仲間といすに座っていた。efyにはどんな気持ちで来たのか尋ねると,「最初は行きたいと思いました。でも途中から不安で行きたくないって思いだして……。でも行けばみんな(ワードの友達)もいるし。」期待よりも不安と戸惑いの方が大きいのが見て取れる。彼女には,これから顔見知りと別れて全国各地から来た初対面のユースたちとカンパニー※を作り,彼らとともにやはり初めて会う二人のユースカウンセラーと過ごす6日間が待っている。

2日目(8月9日)60のカンパニーが6か所のクラスに分かれてのレッスンの1日目,有沙姉妹はいちばん前の席に座っていた。彼女が受けるのは「決心するのは今」と「最高の宣教師になる」「キリストのもたらす救いと贖いの力にあずかる」だ。二つのレッスンが終わり昼食の時間,ホールの片隅で有沙姉妹は一人のカウンセラーの前で泣いていた。彼女が何か言う度にカウンセラーが優しくうなずいている。クラスが始まる時間になると,カウンセラーは下を向いて涙をぬぐう彼女の肩に手を置きそっと抱き締めて部屋に戻るよう促した。

最後のクラスが終わり次のプログラムへの移動が始まる中,有沙姉妹に先ほどの涙の理由を聞いてみた。「だんだん楽しくなってきたけれどやっぱり帰りたい帰りたいって思って。慣れないから知らない人ばっかりで合わないっていうか,普通の友達とは違うから気を遣っちゃうし帰りたいって思って涙が出てきました……。」

初日から続く不安や違和感を抱えてのレッスンが彼女の心に何か残しただろうか。尋ねると,思いがけない言葉が返ってきた。「もうめっちゃ御霊を感じました。……西原(里志)長老の御霊の話で。」

西原長老はクラスでまず,「efyに来る以前で,皆さんが最後に御霊を感じたのはいつですか?」と問いかけた。青少年たちに戸惑いが広がる。「それでは御霊とは何でしょうか?」─青少年たちが口々に答える。「心が温かくなること」「涙が出ること」……西原長老はそれらの答えにことごとく,「はい,それは御霊の働きの一部です」と答える。そして,教会では頻繁に使われながらも明快に定義されていない「御霊」とは何かを解き明かしていく。「広義には,神会の影響力。狭義には,聖霊の影響力が御霊です。……ですから花を見て美しいと感じる,それも御霊の一部です。赤ちゃんの顔を見て温かい気持ちがする,それも御霊の一部です。」

有沙姉妹はこう語る。「自分は改宗者で中学3年生のときにバプテスマを受けて,教会が大好きでずっと行っていたんですけれど,最近ちょっと教会から離れているというかセミナリーにも行けてなくて……。福音が嫌いとかじゃなくて教会の人と合わないのかなと思って。自分は正直,家でいる自分と学校でいる自分,教会でいる自分というのが(別々に)あるから,そんなのでいいのかなって。そんな中で皆に『有沙ちゃんは信仰も強いし』とか言われてプレッシャーで押しつぶされそうになるから(教会から遠のいた)……。」有沙姉妹はここ3か月ほど教会に行かないままef yに参加した。「そんな中で, (西原長老に)だれでも御霊を感じることができるって聞いて,こうしている今も御霊を受けているんだよって言われたときに,こんな自分でも御霊を受け入れているんだって感じてすごい温かい気持ちになりました。」

彼女が「信仰が強い」と言われるほど教会が好きで活発に通っていたのには理由がある。

バプテスマを受ける前の柏木家は「家族がばらばらで毎日毎日けんかばかりで,分裂するんじゃないかっていうくらい。ほんとうに嫌で。」有沙姉妹は自分のことを「改宗者」と表現したが実はお母さんは教会員だ。お母さんはフィリピン人で彼女の家族全員が熱心な教会員である。21歳のとき日本に単身でやって来て,数年後に会員ではない男性と結婚し有沙姉妹たちをもうけた。有沙姉妹は4人姉妹。まだバプテスマを受けていない19歳の姉と,一緒にefyに来ている15歳の妹,その下に12歳の妹がいる。柏木家は母子でフィリピンに戻って生活した時期がある。「6歳までフィリピンに住んでいました。そのときは教会に行っていて,教会に行っていたなっていう記憶はあるけれど福音が何かは覚えていません。」フィリピンで5年生活して再び日本に来た有沙姉妹たちは,それと同時に教会に行かなくなった。崩壊寸前の柏木家に再び福音をもたらしたのは宣教師だ。フィリピンに住むお母さんの家族がフェローシップした。「宣教師に会って聖句を教えてもらったんです。アルマ書の37章36節,『また,あなたの必要とするあらゆる助けを神に叫び求めなさい。……』お祈りについてなんですけれど,何も知らなかったけどその聖句を教えてもらったときに涙が出てきて,それを毎日毎日毎日読んでいたんですよ。そこしか知らないからその部分だけ。受験とかもあって大変で,受験会場にも(モルモン書を)持っていってずっとそれ(アルマ37:36)を読んで,そのときは御霊とかよく分からなかったけれど,今になって,御霊を感じることができてたかなって思います。」有沙姉妹も妹たちも「みんながつらい思いをしていたので」バプテスマを受けたと有沙姉妹は言う。福音が訪れたことによって家庭は,「何も争いごともないしびっくりするくらい変わって。もうほんとうにすごいと思いました教会が。」だから彼女は教会が大好きだった。

3日目(8月10日)2日目と同様に3つのクラスがあった。有沙姉妹は,広島で病院を営んでいる桐林慶兄弟のレッスン「祈りは聞き届けられる。末日聖徒の医師の半生」の中で桐林千和姉妹がされた証に心を動かされたという。桐林姉妹はご自分の家を開放し,子供を通じて知り合ったお母さんたちを対象に定期的に料理教室を開催しておられ,そこでの経験と得た証について話した。「子供の学校のお母さんたちにも悩みがあって, (桐林姉妹が)教会に行っていることを知らないお母さんたちばかりの中で(彼女たちのために)祈るようにという啓示を受けたと言われて,『いろいろなお母さんの悩みがありますがどうか祝福してください』ってお祈りしたって聞いてすごいなぁと思いました」と有沙姉妹。桐林姉妹の証を聞くことで,教会員の前とそうでない友達の前とでは行動が違うという彼女に何か変化はあるかと尋ねてみた。「(心が)変わりました。友達は自分が教会員っていうことは知っているけれど,今までお弁当の時間とかも別にお祈りとかは(していなくて)……みんな食べているから食べちゃうみたいな。教会員らしいことはできなくて。教会の子の前だとできるけれど一般の子になると,口では『(教会に)行っているんだ』って言っても行動で示すことができなくて。行動に示すことによって周りの人がもしかしたら少しでも御霊を受けるかもしれないし,福音を伝えられたらって思っています。」─青少年たちは大なり小なり何らかの葛藤を抱えてefyにやって来る。その悩みにこたえるヒントがefyのあちこちに散りばめられている。それを感じ取るのも御霊の働きの一部なのだろう。有沙姉妹もまた,心の中にある問題を正面から受け止め,それを乗り越える方法をつかみ取ろうとしている。「(カンパニーでの)友達関係もうまくいって楽しくなりました。」笑顔で話す有沙姉妹の表情は初日とも2日目とも少し違う。肩の力が抜け,穏やかな安心感が漂っている。

4日目(8月11日)この日は朝の福音学習の後,若い女性ディボーショナル(敬虔な集会)が行われた。「いちばん心に残ったのは映像とカウンセラーの証です。」ビデオ・プレゼンテーションでは『大切な人たち』という歌に載せてたくさんの家族の写真が映し出された。「お母さんを思い出し,自分は教会に行っていないしすごく悲しい思いをさせているなって感じて涙が出てきました。たまに口で強く言ってお母さんに嫌な思いをさせているし,たくさん愛してくれているのに感謝の気持ちを伝えられない自分がすごく小さいなって思って,ちゃんと愛を伝えなきゃって思いました。」

証をしたカウンセラーは馬場享恵姉妹。主への愛を語り,efyに集う姉妹たちや彼らの愛する家族や友達,隣人のだれ一人欠けることなく主のもとに戻れることを願っていると証した。「『一人も欠けたくない』って言ったときにすごい御霊を感じました。」「若い女性って普通の学校とかの友達とは違って,教会の標準をちゃんと守ってるからすばらしいっていうか,皆すごいけれど自分はだめだ……って思っちゃうから。でも今日,もっと自分も頑張れる気がして。みんないるから励みになるし。」

5日目(8月12日)最終日。『若人の強さのために』の各項目をテーマ別に学ぶ時間で有沙姉妹は,「友達」と「人々への奉仕」のグループに参加する。「奉仕の話がよかったです。(カウンセラーのレッスンから)こんな自分でもほんとうに日々の小さな奉仕を積み重ねれば自分の周りも変わってくれるんだって思って。教会の教えは良い教えだから皆に伝えたいけれど,言ってもよく分からないって言われたりするから……。」

      3日目に,教会員であることを友達の前で行動で示すことの大切さを学び,この日は小さな奉仕が人の心を変えることを知った。

一日が終わったとき,「『家に持ち帰ろう』とカンパニーディボーショナルがよかったです」と振り返る有沙姉妹。カンパニーディボーショナルではそれぞれのカンパニーのユースカウンセラーによって集会が持たれ,どこのカンパニーでも小さな証会になっていた。          4日目の証会で有沙姉妹は壇上に立たなかったが,このときカンパニーの皆の前に立って証した。「2年半前にバプテスマを受けて,3か月前から教会に行きたくないって思ってて,efyにも行きたくなくて。(西原長老のクラスで)いちばん最後に御霊を感じたのはいつですかと聞かれたときに,自分はいつ御霊を最後に感じたのかも分からなくてすごい悲しい気持ちになって。でもそのときに話を聞いて涙が出てきて『これって御霊を感じてるんだな』って思っていい気持ちになることができました。」

efyを終えるとき,青少年たちはそれぞれ自分で考えた決意を家に持ち帰る。「『皆の模範になる』と書きました。周りにいる人みんなの。」家に帰ったら遠ざかり始めていた教会に行くようになるだろうか,と彼女に問いかけると,「絶対になりますね。ほんとうに。」

efyを終えて数日後,有沙姉妹から来たメールには「帰ってお母さんの笑顔が見れたのがいちばんうれしかったです」と記されていた。◆

※カンパニー:男の子10人前後のグループと女の子10人前後のグループを合わせて一つのカンパニーと呼ばれるefyでの基本単位ができる。女の子,男の子の各グループごとに一人以上の同性のユースカウンセラーが付き,一人一人の青少年を見守る。このカンパニーがefyの1週間,家族のように行動を共にすることになる

京都セッション,ある男の子の場合……

2日目(8月9日)一人の少年の姿が目に飛び込んできた。一文字に結んだ唇とまっすぐにこちらを見る目が意志の強さをうかがわせる。少し冷めた表情から,望んで来たのではないことが見て取れる。午前中にあった二つのクラスの感想を尋ねると「疲れますね。長いっすよ。」と率直な返事が返ってきた。興味を引かれるものがあったかという問いに「ありましたよ。(講師も内容も)忘れちゃったんですけど,まぁ忘れたら意味がないけど。でもおもしろかったです。」飾ることなく正直な気持ちを口にする。宇城勇翔兄弟,高校2年生の17歳だ。4人きょうだいの3番目で二人の兄と一人の妹がいる6人家族。教会に活発なご両親のもと,彼は聖約の子として生まれた。efyに来たのはお母さんと約束したため。「半強制的。普段教会を休むことがあるんですよ。それで夏のefyには出てよと5月くらいに言われていて『,あぁいいよ』って気軽に言ったんです。何とかなるだろうと思って。そうしたら『申し込みしているから休めないよ』って。」望んで来たわけではないけれど,「でもまぁ面倒くさいこともありますけどそこまで苦じゃないですよ。楽しむようにします。自分で楽しまなきゃだめだ。」勇翔兄弟はそう言って自分のカンパニーに戻って行った。

5:22p.m. 2日目の終わりの会場は旅館に帰る順番を待つユースたちがカンパニーごとに集まっておしゃべりしたり笑い合う声でざわめいていた。打ち解けてきたのか初日とは違いみんな笑顔だ。ユースカウンセラーは担当のユースに声をかけカンパニーをまとめており,壇上ではビルディングカウンセラー*が会場を出るカンパニーの番号を読み上げている。そんなにぎやかさの中で勇翔兄弟に一日の感想を聞いた。「長かっ……た。一言で言うと。それと,いろんな人の話が聞けて,今までの自分を見詰め直す経験ができました。普段からの生活,例えば,全然祈ったり何もしてないですよ。これから祈ろうかなと思いましたよ。感動しましたよ,話を聞いて。」この日,勇翔兄弟は3つのレッスン─井上龍一会長の「神殿・結婚への備え」吹田栄二・紀代美会長夫妻の「最高の友達になる」西原喬志兄弟の「最高の宣教師になる」─を受けた。彼の口からだれの話のどこが心に響いたのかを聞くことはできなかった。冗談とも取れるような明るい返答の後に彼は「俺,うそは言いませんから」と少し真顔になって付け加えた。

3日目(8月10日)2日目の夜,勇翔兄弟は自分の言葉どおり旅館で祈っていた。「(昨日)だれに言われたか忘れちゃったけど声に出して祈ってと言われました※。声には出してないですけどね,昨日は。」勇翔兄弟は中学1年くらいから教会に行かなくなった。お祈りもしなくなった。祈らない理由は「ただ単に面倒くさかったから。家族で祈るときはとりあえず一緒にいましたけど,個人で寝る前とかやってなくて。」長い間教会に行かず,祈りもしていない少年が,特に好んで来たわけでもない場所で初めて会う指導者からの幾つかの話を聞いただけで祈ろうと思うのだろうか? すると勇翔兄弟が話し始めた。「最近,結構すごいことがあったんです。人生が変わるくらいのことが。」「5月くらいに久しぶりに祈ったんです。もうほんとうにガチで。」(※ガチ:真剣に,まじめに,などの意)今年の5月,お母さんにefyを勧められた後のことだった。第三者に誤解され,怒りを買い,危害を加えられるかもしれないという,自分の力ではどうしようもない出来事に勇翔兄弟は遭遇した。「こういう困ったときだけ祈ってもだめだなと思ったんですけど。まぁそれは仕方がない,祈ってなかったんだから。でも祈ったら事がうまく進んだんです。それで何なのかなって思いました。普通に毎週教会に行っていてそうなったなら別にそんな思わないじゃないですか。 でも行ってなくて,でも本気で真剣に祈ったらうまくいって,教会に行っているから力貸してくれるとかじゃなくて,行っていなくても本気になったときにはちゃんと貸してくれるんだなって。だからちょっと(教会に)行こうかなって。神様の存在を感じましたよ。」これを境に勇翔兄弟は教会に足を運ぶようになった。

しかしアルマの息子アルマのような衝撃的な変化をしたわけではない。だから勇翔兄弟はefyに来ても友達はできないと思っていた。「(efyに参加する人は)普段一緒にいる人たちとは全然違うから絶対に話が合わないと決めつけていたんですよ。でも2日目くらいに同じメンバーの子が話しかけてきて仲良くなりました。」親しくなった同じカンパニーの兄弟とは恋愛の話,教会の話,雑談の中でお互いに心の内を分かち合った。

この日も45分のクラスが3つあった。勇翔兄弟が受けたのは田代浩三長老の「あなたの価値」,末石ロドニー・ゆかり会長夫妻の「あなたは愛されています」,恩田豊・典子夫妻の「証を得る方法,証を認識する方法─実はあなたはすでに証を持っている」。2日目と同じように勇翔兄弟はメモを取るでもなく流すように話を聞いた。「最後の話がよかったですね。」

恩田兄弟は,証を認識するため,聖霊が思いと心に働きかけてくれる(教義と聖約8:2−3),「大切なことは目に見えないことが多い」という話をされた。その導入として,相手の目を見て“あなたを愛している,あなたと友達になりたい”という気持ちを伝える活動をした。「自分が思っていることが相手に伝わる,思っているだけでも相手に伝わる。何を思っているかも何気なく伝わるって。そうかもしれないなと思いました。(相手を)嫌なふうに思っていたらその人に善いことをしても分かりますからね,本心じゃないなって。」彼は今まで心を向けたことのなかった“考え方”を受け入れながら話を聞いている。「(efyに来て)よかったと思いますよ。いろんな人の話が聞けて,いろんな考え方があるんだなって。いつもは自分の考えや思っていることが一番じゃないですか。でも違う見方があるんだなって思いました。一つだけじゃなくていろいろあるんだなって。」

午後からはバナー(カンパニーの旗)制作とゲーム。中学のころに始めたキックボクシングに今は週3回ほど通っているというスポーツ少年の勇翔兄弟。会場を走り回るゲームに参加したのかと思いきや「運動は好きなんですけれど走るのだけ嫌いなんです。疲れるのは嫌い。キックボクシングも疲れるけれど走るのとは違います」と言ってバナーを掲げた応援に回っていた。この応援はコンテストにもなっていて,それぞれのカンパニーで趣向を凝らしたジェスチャー付きだ。「恥ずかしいっすよね。あんなの。でも(仲間に入って)ちゃんとやんないといけないんでね。いちおう形はやるっていう。」1日が終わって「疲れましたね。一日が長いっすね。詰め込みじゃないですか,朝6時半に起きてずっと予定が続いていて。でも充実した1日でした。」初めて会ったときと雰囲気は変わらない勇翔兄弟だが,福音を学び,仲間の輪に自分から加わり協力しようとしている。

4日目(8月11日)この日は若い男性と若い女性別のディボーショナルが午前中に行われた。勇翔兄弟は「証を聞いて感動しました。伝道をどうしようかという話で,彼(話者)の中で伝道ってそんなにでかいんだなって思いました。」伝道についてどう思っている?「伝道はまったく考えていないです。今の自分に伝道に行く資格はあるのかな。はてさて。資格はないと思います。」教会のことも神様のことも「信じているし祈っているけれど日ごろの行いが良くないんで。良くないって分かってますよ。自覚しています。」人の話や思いを取り込み,自分自身の心や行動と照らし合わせ,自分を見詰めようとしているようだ。3日目の“自分とは違う考え方がある”という気づきがここでも生きていた。

午後からはユース全員が最も楽しみにしていたであろう「バラエティーショー」と「音楽プログラム」が組まれており,最後に「証会」があった。まずカンパニーごとに集まって証を書き,その場で小さな証会を開き,後半は希望者が壇上に上がって証をした。皆が証を書いている時間,勇翔兄弟はペンも持たずにじっと座っている。書き終わったのかとの問うと,「書いてないです。頭の中に全部あります。」証は?「しないですよ」とそっけなく答える。しかしその数分後,彼はカンパニーの輪の中に立ち,証をしていた。それは3日目に話してくれた祈りの経験から来る証だった。「(神様は)教会に行っている完璧な人だけを助けてくれるってわけじゃなくて,不完全な人でも助けてくれる。すごいと思ってすっかり気持ちが変わりました。これからも教会,頑張って毎週行こうかなと思います。」学んだことに対しての感想など,彼の言葉は断片的でそれによって生じた変化が見えにくい。証をするときも,興奮したり涙したり,多くのユースが口にした「愛しています」や「感謝します」を言うこともなく淡々としている。しかし油が1滴1滴たまるように彼の心には主の教えと愛が蓄えられているのが見て取れた。

5日目(8月12日)プログラム最終日,午前中にあった「若人の強さのために」は10数か所に分かれての集会だった。それぞれに配られた紙に書かれている二つのテーマについて学ぶ。勇翔兄弟は“身体の健康”と“選択の自由と責任”と書かれた紙切れを見ながら「どっちも興味ないっすね」とあっさり。午後には奉仕活動やダンスがあり,この4日間の中では少しゆっくりとした時間が流れた。最後の時間はカンパニーごとの霊的な時間で,小さな証会が目立つ。フィナーレは,1週間のefyを支えたカウンセラー全員と後方支援スタッフ全員が舞台に上がり,efyメドレーを歌って別れを惜しんだ。

最終日の感想は,「やっと慣れてきた,みんなと仲良くなってきたときだったのですごい楽しかったのもあるし,ちょっともったいないなっていうのもあります。もっと積極的に楽しめばよかったなぁと。楽しかったです。最後すげえなぁと思いました。みんなの気持ちが一つになったという感じがしたんで。教会員ならではのものじゃないですか。一般人がこういうふうには絶対にならない。正直すげえなぁって。しかも1,000人近くの人が。教会っていいなって思いました。温かいなって。」

神様に祈り求めることになった出来事とefyの経験は勇翔兄弟にとってどのようなものであったのかを尋ねると,戸惑いながら言葉を探した。「いろいろな人の話,証,レッスンを聞いて今まで自分が考えていたもの(福音)とはもっと違う考え方があって。自分は,これが福音だ,これでもう正しいと思っていて。でも皆それぞれ違った考え方があって。でも最後にたどり着くところは同じ。イエス様,神様がいて……分かりますか?」勇翔兄弟の中で,福音についての固定観念が揺らいでいる。しかし同時に,福音は一つであることを彼はしっかり認識し,その道を皆とともに歩んでいることを自覚している。

「家に持ち帰ろう」でした決意は? 「普通のことですよ。毎週教会に行くっていう。そこから始めていこうかなと思って。最初にもっと毎日聖典を読むとか難しいことをしたら,できないですよ,自分。最初はできるところからやっていこうかなって。」勇翔兄弟は少し恥ずかしげに笑いながら明るく答えた。◆

*ビルディングカウンセラー:ユースカウンセラーを支援・バックアップし,プログラム全体の進行を掌握する実行委員会的な立場のカウンセラー

多 彩なプログラムが用意されている一方で,efyを機能させるもう一つの鍵がある。それは“カンパニー”※というシステム。男の子と女の子のグループ,それに男女のユースカウンセラーで構成され,1週間を家族のようにともに過ごす中で,ユースの心にどんな化学反応が起きていたのだろうか?

東京セッションでは30あるカンパニーのうちの一つ,高校2年生と3年生で構成されている「28カンパニー」を追う。efyは中学3年生から大学1年生まで年齢に幅があり,初めて会う相手でもあることからカンパニーは近い年齢で分けられている。東京セッションでは参加者のかなりの数が外国人なので英語のカンパニーも4つある。efyはアメリカではすでに約40年の歴史があり,そのせいか外国人カンパニーにはリラックスした雰囲気が漂う。その影響を受けてか日本人のユースたちも京都ほどの緊張感がない。関東地方のユースが大半を占めるため,同じユニットではないにしても顔見知りが多いということもあるだろう。顔合わせの後,全カンパニーが集結して行われたオリエンテーションの,初日とは思えない盛り上がりぶりには指導者も仰天した。

1日目( 8月22日)7:30p.m.─「教会なんてくそくらえと思ってる。」カンパニーごとの家庭の夕べで強烈な一言に遭遇した。そう言い放ったのは聖音姉妹(さーちゃん)だ。見るからに不機嫌そうで「好きで来たわけじゃない。ここは自分の居場所じゃない」と厳しく光る目が主張している。初対面で会話らしい会話もまだ交わしていない仲間からの発言にユースたちは返す言葉がない。ふと見ると,さーちゃんと同じくらいの拒否を無言のまま全身で表している少年がいた。翔兄弟(かける)だ。石のように動かずうつむいて顔を上げない。しかし会を進行しているカウンセラーの田渕拓人兄弟はさーちゃんの言葉やかけるの様子が目にも耳にも入っていないかのように平然と穏やかに話を進め,さーちゃんに司会を頼んでいる。少し重苦しい空気を和らげたのは允総兄弟(ノブ)だ。カンパニーの目標に「楽しく親交を深めて証を得よう」を提案した。くるくるとした目でにこやかに話す。「それいいね。」だれかが賛成しほかのユースも同意して目標が決まった。それぞれのカンパニーがテーマと目標を決めてefyは始まる。同時に,ユース一人一人も目標を決める。それはこの1週間,efy会場で,カンパニー内で実践するよう求められる。カウンセラーに引率されて宿舎に帰る彼らを見送りながら思った。efyという場で目標を行動に移してみる経験は彼らをどう変えるのだろう。このカンパニーの5日後はどうなっているのだろうか。

2日目( 8月23日) 28カンパニーは男の子7人女の子7人の14人,それに3人のユースカウンセラーで作られている。1日たって気心が知れてきたのか,前からの知り合いかな? と思うほど親しげに会話する姿が見られるようになる。28カンパニーの中でも活発で社交的に見える美穂姉妹(みほちゃん)が「わたし人見知りで,友達できないかと思ったけれど,できたから楽しい」と2日目の心境を話してくれた。彼女と同じようにほとんどのユースが独りであることに寂しさを感じ,親しい友達ができるかどうか不安に思っている。親しくなるのは夜の時間とクラスや活動の合間の少ない休み時間だ。福音のレッスンやお話は霊的な面に大いに働きかけるが,わずかな時間にはぐくむ友情はそれに勝るとも劣らない影響を個人・カンパニーに与える。

みほちゃんは教会員にしては少し派手なスタイルを好む少女だ。「よく外見ギャルと言われるけれど,中身は違うんだよって言いたくて,教会員の前ではいい子でいるように意識してきた」と言う。efyでも「人見知りな性格を隠して,ひたすら笑って過ごす自分,懐いている振りをして全然懐いてない自分が嫌だった。」そこで彼女は,今の自分を脱ぎ捨てるために強硬手段に出る。「(自分の)素を出すためにいろいろとはっきり発言したりきついことを言ったりして『どんな反応するのかな』って(カンパニーの)みんなを試しました。特にカウンセラーはどんな反応するのか好奇心だけで試したみたいな。」─efyは常にカンパニーごとにまとまって行動するのが決まりだ。そんな中でみほちゃんは単独行動をすることがしばしばあった。それが彼女なりのテストであったことを3人のカウンセラーは知らない。しかし彼ら3人は常に愛をもって彼女に接し,カウンセラーの赤池基美姉妹は時にカンパニーを外れてみほちゃんに付き合い,思いやりを示し続けた。その愛を感じて彼女はほんとうに心を開く。

「結局,カウンセラーはいつでも,否定もせずに笑いながら励ましてくれて,毎日毎日愛を感じて涙が出ている自分に気がつきました。それからはほんとうに喜びに満たされてすごく楽しかったです。カンパニーのみんなが初日よりすごく大切になって,心から大好きになって,それと同時に家族への愛を学びました。」

みほちゃんは友情についての感謝と証を最終日に述べている。「28カンパニー,ほんとうに愛しています。わたしは28カンパニーのみんなにまた会いたいから,昇栄したときに絶対に会いたいから神殿結婚します。もしできなくても伝道に出ます。みんなに感謝しています。ありがとう」と涙をこぼした。

ユースの心は純粋だ。心からの言葉や行動には敏感に反応する。彼らが心を閉ざすとしたら,それは彼らの問題ではなく,彼らを取り巻くものの姿勢に問題があると言っても過言ではない。それほどに彼らは素直で誠実な愛を感じ取れる特質を持っている。

かけるの場合も同じだった。彼は何も話そうとせず,初日の家庭の夕べでは逃げ出してしまった。「家にいるときがいちばん安心できる。」聞き取れないくらい小さな声でぽつぽつと話す。「efyには来たくなかった」と言う彼は変われるのだろうか。

初日にクラスでのレッスンで聖典を使ってもかけるは手に取ろうとしなかった。顔を机に伏せて身動きしないクラスもあった。感想を聞いても「つまらない。」カンパニーの仲間はどうか?「楽しくない。」しかしカウンセラーも仲間もそんな彼に注意をしたりきちんとさせようとはしない。カウンセラーたちは常に笑顔で語りかけ彼の肩を抱いた。彼の態度がどうあろうとも姿勢は変わらなかった。2日目,かけるは3つのクラスのすべての時間顔を上げていた。聖典を使えば手に取って開き読んでいた。何がそうさせたのか。彼自身にも分かっていないかもしれない。かけるの変化はとてもゆっくりとしたものであったが着実だった。2日目に田渕兄弟は「確実に変化している。このまま続けば笑顔が見れるかも」と思った。3日目には「笑顔を見れた! 交わってくれるようになったし会話も増えてきた」と喜んでいる。そして最後の2日間は仲間3,4人とともに,寝る間も惜しんで仲良く話すかけるを見ることになる。この変化を田渕兄弟はこう記している。「1が100になるのはすばらしいけれど,0が1になるのも同じようにすばらしい!」

3日目(8月24日) 午後からのバナー作りと応援のための振り付けは役割分担して短い時間を有効に活用した。バナー作りは絵を描くのが好きなさーちゃんを中心にして,efyのテーマ写真になっている両手の中に盛られた土に咲いている植物の芽を発展させて花が咲いている絵にすることにした。一方,応援の振り付けは洋楽や日本のはやりの歌を使うカンパニーが多い中,バナーの花をイメージした童謡『チューリップ』で演技することにする。「チューリップの花が」と歌うところを「証の花が」と歌い,「赤・白・黄色」の部分は「信仰・希望・慈愛」とした。短い時間にせき立てられながらも協力し合って一つのものを作り上げることで,それぞれの距離がぐっと縮まったようだ。

特にもの静かで口数が少なく見えた耕兄弟(こうくん)は,これを境に別人のように皆と話すようになる。周りは彼が変わったと驚いたが,ほんとうの彼は饒舌で楽しい少年。親しくなるまでに時間が必要なだけだ。「最初はなかなか大変なんです。でもそういう中でわたしが元気に話せるようになったということは,カンパニーのみんなと早く打ち解けることができたということです」と彼は言う。

咲希姉妹(さきちゃん)も形は違うがこうくんと同じだ。「わたしはこのefyに参加するのを楽しみにしていました。友達をいっぱい作りたいと思っていて,京都に行った子からもいろんなことを聞いてすごい楽しみにしていました。でも28カンパニーの人たちと会ったときに自分の心の中にマイナス志向な気持ちが芽生えて,わたしなんかが仲良くできるんだろうかって。」自分でも思いがけない人見知り。彼女は最初から笑顔だったがずっと自分の心と闘っていた。そして最後には皆に心を開き愛を感じるようになる。「いろんなクラスを受けてきて,『試練があっても祈りは聞き届けられて,イエス様の贖いによって乗り越えられるよ』と聞いてefy中に何度も祈りました。そうしたら最終日にはこんなに仲良くなって,別れたくなくて,一人一人を愛していて。それがイエス様が隣にいる力で,御霊によってイエス様のように人を愛せることを感じました。」

若い女性と男性とに分かれて行われたディボーショナルで,女の子たちは「神殿で結婚したい」と神殿結婚に憧れを抱き盛り上がった。「アメリカの庭で結婚したい」スライドで映し出された写真の様子が「ラブラブでいい感じ」など10代の女の子らしい発言が続出する。そして少しまじめな顔をして「神殿結婚は何か雰囲気が違う。特別な感じ」「永遠。結ばれたって感じ」と口々に言う。

この時点でさーちゃんは首をかしげ,皆が御霊を受けたと興奮していても,「御霊っていまいち分からないんだよね。」─しかしこの夜,彼女に大きな変化が起こる。

その手助けをしたのは里辺花姉妹(りべちゃん)だ。さーちゃんは8人きょうだいの長女で,10歳のときに父親を病気で亡くしていた。この日の最後の集会の後,さーちゃんはりべちゃんに「教会の教えを信じることができない」と告白する。りべちゃんは彼女のために祈った。

夜中に部屋を抜け出して友達の部屋に行こうとしたりべちゃんは,廊下でばったりさーちゃんに出会う。「わたしは彼女とゆっくり話さなければならないと心のどこかで感じ,自然に彼女の部屋に入って行きました。」二人で話していて,「さーちゃんや彼女の家族の一人一人がどれだけお父さんを愛していたか,またどれだけ神様がこの家族を愛しておられるか,すごく伝わってきて涙が止まりませんでした。そしてわたしは,またお父さんと会えること,お父さんがあなたを待っているということ,神様が用意してくださった道が確かに正しいことを証しました。お互いに涙が止めどなく出てきて,確かにそこにはたくさんの御霊がありました。神様の愛がありました。それを全身で感じました」と,りべちゃんは振り返る。さーちゃんは,今までだれにも言えなかった,自分の家族に起きた出来事やその後の思いなどの特別な経験を仲間に話すことによって「心にかかっていた霧がすっかり晴れました」と言う。「里辺花ちゃんに話したときにはほんとうに涙が止まりませんでした。そのとき賛美歌の話をしたんです。『家族は永遠に』この賛美歌はわたしが物心ついたときにはすでに大好きな曲でした。それを父の葬儀のときに選んでから悲しくてずっと歌えなくなっていたんですけれど,それもやっと歌えるようになりました。」「今では御霊を素直に感じられることがうれしいです。里辺花ちゃんに『さーちゃんはもう少し素直になろうね』って言われたんです。ほんとうに今まではたくさんのことが邪魔をしていたけれど,efyでそれが外れた気分です。目の前がとても明るく見える!」

だれも知らないところでユース同士が助け合い,証を述べ合って向上している。一人が成長すればカンパニーそのものも高められる。そして強いカンパニーならだれかが落ち込んでも救い上げることができることを二人の行動が示している。このときからさーちゃんは,持ち前の素直さや朗らかさを表に出すようになる。

この日最後のプログラムの時間,ふと見るとノブと田渕兄弟が隅の方に座って何やらまじめな雰囲気で話をしている。いつも笑顔のノブが涙を流している。隣に座りもう一度話してくれるようにと頼んだ。「ぼくは部活をやってたんですよ。8月の最初の方まで。10月に大会があってそれまでやろうと思っていたんですけど,8月の最初に先生に怒られて。理不尽な理由で……。『やめろ』って言われて。1週間くらい休んで頑張ろうと思って行ったんですけどそれでも『来なくていいよ』って言われてつらくて。お祈りしたんです。」途中で言葉に詰まりあふれる涙をぬぐう。「サッカーが続けたいって祈ったんですけど,何回祈っても返ってくるのは『やめた方がいい』という答えでした。それでやめることにしてefyに来たんですよ。」 ノブは「昨日大島(賢)兄弟のレッスンで,最後に『主はこんなに不完全なわたしたちでも愛してくださっている』と言われたのを聞いて,心が温かくなって涙が出て来て,やめてよかったんだなって思えました。efyに来れてよかったなって。」涙で顔がくしゃくしゃだ。初日から笑顔で楽天的でカンパニーを引っ張れる存在だと思っていた少年は,失意と苦悩の中で参加していた。彼の証を聞いて田渕兄弟は静かに「(ノブが)efyに来てくれたからわたしはノブに会えてほんとうに感謝しています。こういう経験を聞くときがいちばんうれしいんですよ」と語りかけた。ノブは笑顔と涙が入り交じった顔をしながら何度もうなずいている。この夜二人は長い時間話をし,ほかの仲間たちはもう一人のカウンセラー古川皓兄弟と一緒に別の部屋で話しながらノブを案じ戻って来るのを待っていた。12時ごろ戻って来た彼を仲間は笑顔で迎え入れ,ノブは心の内を話し始める。efyに来たくなかったこと,恥ずかしがり屋で初対面の人と話すのが苦手なこと,女の子と話しているときもほんとうは無理をしていること……「この夜,ノブが自分の心を明かしたおかげで皆の距離が一気に近くなりました」と古川兄弟は言う。

ノブの証を聞きながら右手に目を向けると,かけるが独りで座っていた。田渕兄弟も彼に気がつき「かける,こっちにおいで」と声をかけるとかけるは素直に近寄って来る。特に何かを話すでもなく田渕兄弟はかけるの肩をもみ始めた。「あんな若者に肩もみして気持ちいいのかな?」と見ていると光慈朗兄弟(コウちゃん)が記者の肩をちょこんとつついてきた。2度3度とつつく。「あれ,そこ痛いよ」と言いながら彼の顔を見た。すると後ろに回って肩をもんでくれた。

コウちゃんは意思の疎通を図るのが少し苦手な少年だ。言葉が上手く出てこない。efyの感想を尋ねても単語で答えるくらいで何がどんなふうにあったのかを表現できずにいる。しかし相手の様子を見て何が必要かを感じ取りそれを行おうとする優しさがある。コウちゃんにはこんなエピソードがある。4日目の夜,彼は徳行兄弟( ベーのり)とカウンセラーの古川兄弟とおしゃべりをしていた。時々抜け出したり話に加わったりしていたが,べーのりが聖典を使っている最中にそれを取ろうとした。「コウちゃん,だめだよ」と止められた彼は,べーのりが読み終わるのを待って聖典を手にする。それから1時間ほど,ほかの仲間も集まっていろいろなことを話したが,その間コウちゃんは黙々と聖典を1ページずつめくり続けた。「その聖典はまだ新しかったので,ページ同士がくっついていてめくりにくいのを見たコウちゃんは,読みやすくなるように剥がしていたんです」と古川兄弟。「彼は普通に会話するのが少し難しい子でしたが,彼の優しさは皆に伝わりました。」

田渕兄弟の始めた肩もみはどんどん広がって28カンパニーの男の子全員がつながる「肩もみ列車」のようになった。どの子もおもしろがって駆けつけて来た。最後に来た二人は後ろに並ぶことができず,先頭のかけるの前に座り彼に肩をもませた。やっていることは単純だけれど,全員が笑顔で,大切な一致の姿を見るひとときとなった。

efyのちょうど中間のこの日は,多くのユースが心を開く要のような一日だった。仁実姉妹(ひーこ)が心を明かしてくれたものこの日だ。「部活が忙しくて日曜日も練習があって,副部長だし大会近かったからなかなか休めなくて,1か月くらい教会に行けてなかったじゃんね。そうしたら日曜日に花火大会があって。」日曜日に教会に集っていたときにはなかった誘惑。「その夜に節電で土日出勤になっている人たちのために開かれている夜の聖餐会ってのがあってそっちに行ったじゃんね! そこでほんとうに教会に行くことが大切ってめっちゃ分かって,いつも神様に助けられていたんだなって改めて分かって感謝したいって思った。そんでこれから毎週ちゃんと教会に行こうって思ったんだ。」彼女は最後のカンパニーでの証で「部活をやめてでも教会に行きたい」と泣きながら話すが,みんなで雑談するときにも教会の大切さをしばしば口にするようになる。

彼ら一人一人が自分らしくあることでカンパニーそのものの雰囲気がさらによくなっていく。一人の変化がカンパニー全体を動かすのだ。

4日目(8月25日) 4日目になろうというのに28カンパニーはなかなか兄弟と姉妹が親しく交われない。姉妹たちは「もっと彼らから話しかけてほしい」と言う。今時の子にしては「話しかけるのは男の子から」というところがほほえましい。一方男の子の方はと言うと,やけにシャイな子がそろっているようで一向に話しかけようとしない。男の子同士,女の子同士ではすっかり打ち解けた様子で楽しそうなのだが,移動のときに男女で腕を組む姿は相変わらずぎこちなく会話もほとんどない。食事のときもなぜか男女きれいに二つに分かれて座っている。この日の昼食はカウンセラーが工夫して両横は異性で正面は同性という形に座らせた。それが功を奏したのか異性と話す姿が目立った。落ち着いた風貌の豊治兄弟(つっきー)は,食事の度に全員に水のお代わりはいらないかと聞いていた。つっきーのefyでの目標は「一日一善」。男子校で女の子と話すのが苦手な彼が一人一人に心を配る姿が印象的だった。

この日のメインは証会だ。28カンパニーの子供たちの多くが証をした。壇上に立てなかった子もいたが部屋に帰ってからの証会で涙ながらに証した。証会では多くのユースがこぞって証するので一人の時間がとても短い。そのためかカンパニーごとのあらゆる集まりで小さな証会が自然と開かれる。

教会員の3世として生を受けた佑佳姉妹(ゆかちゃん)は,最終日の証会で自分の抱える問題について口を開いた。家族はもとより祖父母,親戚も活発な教会員一族。「わたしは気づいたら教会に行っていて教会に行くのが当たり前で。自分から教会に行くことはなくて,家族が行くから行くって感じでした。」友達が証をしているのを見て「自分の証とか信仰が弱い」と悩んでおり「efyに来て霊的に成長したい」と思っていた。しかしこの日まで何の変化もないまま過ごし,「もう霊的に成長できないかもしれない」と思う。そんなとき「聖歌隊の練習があって音楽プログラムで聖歌隊として歌いました。そのときに教会が真実だなってすごい感じて,賛美歌ってすごい力があるなって思って,今までの自分の悩みが全部なくなってほんとうに来てよかったなって思いました。」彼女のように家族の信仰によって教会に来ている青少年は多い。そして自分に証はあるのか,信仰はあるのかと悩む日が来る。口にはしなくてもゆかちゃんと同じような思いを持った子が仲間の中にいたに違いない。

28カンパニーの中に一人だけ改宗者がいた。るりは姉妹(るりはちゃん)だ。中学3年生のときに母親と一緒にバプテスマを受けた。彼女は家庭の事情で教会に行けない日々を送っていた。そのままefyに来て,「すごい不安でどうしたらいいか分かんない」と思っていた。 しかし28カンパニーと出会い,「教会に行けない状態でも,何とかして行こう」という気持ちになった。聖典学習や祈りの習慣もなく,「自分はだめだな」と思っていたが,「この1週間,毎日聖典と触れ合って読んだり,お祈りしたり,経験を分かち合ってほんとうに御霊を感じてすばらしい気持ちをいっぱい」感じた,と証した。形は違えど,2世であろうと改宗者であろうと試しは来る。efyは立場の違う者同士が理解し合う場でもあった。

5日目(8月26日) この日は家に帰るための準備をする日で,これまでの4日間張り詰めていた気持ちを少し和らげることのできる一日だ。

奉仕の時間は笑いであふれた。活動を終えた残りの時間は全員で輪になって過ごした。バラエティショーに出場した和貴兄弟(かずき)が得意のボイスパーカッションで低い音を出すと,べーのりがそれに合わせてドラムをたたくまねをする。ほんとうに演奏しているかのような真剣すぎる表情にみんなが笑った。この集会の後のカンパニーでの証会のときも,「みんなが仲間のために泣いている姿を見るとすばらしいですね。ほんとうに。みんな笑顔を見せましょうよ。スマイルですよ。スマイル。」べーのりは皆に元気を与えようとおどけて見せた。泣いていた子も彼につられて笑い出す。「ぼくは700分の1なんですよね。efy全体で数えると,千葉ステークからぼく一人しか来ていなくて。みんな友達いるのにぼくは独りで『つまんねえ。むっちゃつまんねえ』って。でも28カンパニーに入ってこんなにいい仲間に会えるとは思いませんでした。700分の14ですよ。ぼくにとっては50分の1ですよ。」しんみりと感謝を述べていると思いきや「センキューソーマッチアイラブユー!」と叫んで「なぜそこだけ英語」と大笑いさせた。

集会の終わりに会場全体で『シオンの娘』と『ニーファイのように』(ef y メドレー)の合唱。肩を組み左右に揺れながら最後の歌をかみ締めた。これで終わりだ。皆の目から涙がこぼれ抱き合った。

京都セッション60カンパニー,東京セッション30カンパニーの夏は終わった。カンパニーの数だけ,青少年の数だけ,一つとして同じではない出会いと証,友情が紡つむがれた。田渕兄弟は「この14人がそろって会うことはもうないと思う」と言った。そうかもしれない。しかしどこにいても何をしていても彼らはいつまでも28カンパニーの仲間でいるに違いない。◆