リアホナ2011年11月号 語り継ぐ、東日本大震災④

語り継ぐ、東日本大震災④

どんな困難が起こったとしても,御霊に従うことの大切さを学びました   

仙台ステーク石巻支部 大沼ご家族

「 駐車場に車を止め,店内に入り飲み物を手に取ろうとした瞬間,どんと地面を突き上げるような衝撃とともに,あちこちから商品の落下する音が聞こえ,店の窓ガラスが大きく揺れました。『急いで買い物を済ませなきゃ』と思っていました,そんな状況じゃないのに……。」仙台ステーク石巻支部の大沼覚支部会長は,3月11日午後2時46分のその瞬間を振り返る。

「早く外に出てください!」店員が大声で叫び,客を誘導する。大沼兄弟は出口に向かって走った。「揺れが激しくてまっすぐ走れませんでした。立っていられずにひざをつき,急いで家の子供たちに電話しました。だれも出ません。『お願いだから,電話に出て!』そう叫んでいました。揺れが少し収まってきたように感じたのもつかの間,またどん!と突き上げるような衝撃,大きく揺れ出しました。駐車場のアスファルトが海原のように波打ち,地面が回っているような,何とも表現し難い感覚です。

『神様,子供たちをお守りください! イエス様,わたしたちを助けてください!』その場にひざまずいて何度も何度も叫び求めました。2度,3度と電話しましたが,だれも出ませんでした。どれくらいの長さの揺れだったのでしょう,ひどく長く感じました。8人乗りのファミリーワゴンが上下にバウンドしていました。怖かった。」

大沼兄弟はコンビニエンスストアの店長として働くかたわら,石巻赤十字病院で救急外来の事務の仕事をしている。この日は病院の当直明けで午後2時近くまで眠っていた。地元の信用金庫で働く伴侶の美津子姉妹の勤務が午後3時に終わるので ,姉妹を車で迎えに行くついでに買い物を済ませようとした矢先のことだった。

「『子供たちの安否を確認してから迎えに行く。待ってて。』妻にメールするとすぐ,『分かった』と返信がありました。」駐車場を出て自宅へ向かっていると,あちこちでブロック塀が崩壊している。そのとき,町中に大津波警報が鳴り響いた。「津波到達までどれくらい余裕があるのだろうか,アパートまで水は来るのだろうか。そんなことを考えながら,『主よ,わたしたちをお助けください』と何度も何度も心の中で祈っていました。」

アパートの敷地へ乗り入れると,大家さんとアパートの住人たちが外に出ていた。23歳の長男,小学5年生の二男,三男の子供たち全員がそこにいた。

「『みんな無事だった?』そう言って子供たちを抱き寄せました。三男の顔が青白く不安そうでした。『さぁ,ママを迎えに行くよ,早く車に乗って!』わたしは子供たちを車に乗せ,アパートを後にしました。」

石巻街道(国道398号線〜45号線)に出ると,すでに渋滞していた。のろのろ運転で西へ向かう中,大津波警報が鳴り響く。何台もの車がUターンして逆方向へ進んで行った。

「徐々に車が進んで行くにつれ,不安がどんどん募ってきました。しばらくして,『これ以上進んではいけない!』と心の中で警鐘が鳴り始めました。わたしはそれが御霊だと認識していました。─『パパは今,御霊を感じていて,これ以上進んじゃいけないって感じている。みんなはどうしたい?』そう子供たちに尋ねると,『ママを迎えに行く!』と返ってきました。わたしも同じ気持ちでした。とりあえず進めるところまで進もうと思いました。」

石巻街道は1キロほど先で川沿いの道になる。津波は川を逆流してくるだろうか,このまま進んで大丈夫だろうか。考えれば考えるほど御霊が,「それ以上進んではいけない!」と警鐘を鳴らした。

そのとき,大沼兄弟の車が向かっていた東松島市方面から国道を,自転車に乗った青い作業服の男性がやって来た。「津波が来てるぞ! 戻れ!」そう叫びながら東の石巻市の方へ通り過ぎて行った。

「その言葉を聞いて,彼を天使だと思いました。天使が最後の警告に来てくれたのだと。彼の言葉に従わなければ,きっと主はわたしたちを助けてくださらないと感じ,子供たちに話しました。

『ママを迎えに行くのはあきらめるから。ママはきっと大丈夫。お仕事の人たちと一緒に逃げるはずだから。』

『嫌だ,ママを迎えに行く!』

『ごめん,パパは御霊に従うから。あの自転車のおじさんは天使なんだよ,天使の言葉に従わないと……ママはイエス様が助けてくださるから大丈夫だよ。』

……『分かった。』

ミラー越しに,子供たちが泣いているのが見えました。」

前方右側にパチンコ店があり,その奥に2階建ての石巻運転免許センターが見える。水はすでに道を覆い始めていた。

「わたしは,車をパチンコ店に止めて,免許センターに避難するよう御霊の促しを受けました。『何で?』……水位が徐々に上がってきているのを見たわたしは,御霊の促しを無視して免許センターの駐車場に車を乗り入れました。車を降りると水がくるぶし近くまであります。免許センターの人が玄関口に立っていて,『急いで中に入って!』と誘導してくれました。わたしたちはばしゃばしゃと水音を立てながら避難しました。免許センターの1階は駐車場から5段くらい階段を上がったところにあります。2階の窓から外を眺めると,あたりはすでに海と化していました。」

御霊に従っていれば必ず救われる

そのころ美津子姉妹は,職場の信用金庫裏のお客様駐車場にいた。「わたしは家族のところに行きたいと思いました。」そのとき,駐車場のわきの道を,青い作業服を着た年配の男性が自転車でやって来た。「水,水,津波の水来てるから!」と叫び, 表道路の方を指さして走り去った。美津子姉妹と同僚がそちらを見に行くと,大人のひざくらいまで水が来ている。あわてて職場の車に乗り合わせ,皆で6キロほど西の山手にある鷹来の森運動公園へと向かった。

「車の中から兄弟へ電話しました。やっとつながった携帯電話で,『今,免許センターにいるからこっちは大丈夫,子供たちも皆いるから。お互い,何日後に会えるか分からないけど,とにかく自分たちの安全だけを考えて』と兄弟に言われました。」

その夜,美津子姉妹は同僚たちと車の中で一晩を過ごした。ラジオからは不安と恐怖をあおるような情報ばかりが流れてくる。「仙台の荒浜で100体以上の遺体が発見された」「南三陸町や女川町が壊滅的被害」「津波の第二波,第三波に注意。満潮時を迎えると今いる所が安全とは限らない,3階,4階以上の所にいるように」……「家族がいる運転免許センターは2階までのはずだったと思い,不安になりました」と美津子姉妹。

そのとき,ふいに慰めがやってくる。震災のちょうど前の晩,大沼ご夫妻は互いの祝福文を読み返していた。そして姉妹の祝福文に,どんな最悪な状況が起こったとしても,御霊に従っていれば必ず救われる,といった意味のことが書かれているのに気づく。これまで何回も読んでいたのに,そこに注意したことはなかった。「そのときに,すごく御霊を感じて。『こんなにすばらしい祝福文ってすごいよ』と兄弟が言ってくれたのを思い出しました。すべて大丈夫だと知り,平安が訪れました。」

免許センターの2階で大沼兄弟も同じことを思い返していた。「ラジオに耳を傾けながら,これからどうしようかと考えました。子供たちは不安そうな顔をしてわたしにしがみついていました。『ぼくたちは大丈夫? ここは大丈夫?』……確かに1階フロアには水が入り込み,徐々に水位が上がってきていました。わたしも『ほんとうに大丈夫だろうか』と思いました。でもその度に,『主が守ってくださるから大丈夫』という気持ちがわき起こってきました。『ママの祝福文に君たちのことが書かれていて,必ず守られるよ。御霊に従っていれば大丈夫』と伝えると,子供たちは安心したようでした。」

免許センターには近所の整形外科医院から,入院患者と病院のスタッフが合わせて50人ほど避難しており,彼らから一般の避難者にも温かい食事や毛布が提供された。子供たちがいたので敷き布団まで提供された。「わたしは御霊が,ここに避難するように導いてくれたことを改めて確信し,主に感謝しました。」

翌朝,窓の外を見ると,車のタイヤの上部あたりまで水が引いていた。避難していた一人の男性が,「パチンコ屋の駐車場に止めれば,車は助かったかもしれないなぁ」とつぶやいた。水が来るまで分からなかったが,確かにパチンコ店の駐車場は少し高くなっているようで,すでに水が引いていた。大沼兄弟の車であれば,水でタイヤが隠れる程度で済んだだろう。「昨日,パチンコ店に車を止めるよう御霊に促されたのはこのためか,と思いました。」

1時間ほどして,警察官が免許センターへやって来た。ここは避難所に指定されていないので物資の配給はない,近くにある高校に避難するように,と告げて去った。

駐車場を見ると水位が若干,下がったようだ。すでにボンネットを上げてエンジンを乾かそうとしている車が何台もあった。しかし,どの車もエンジンはかからないようだった。大沼兄弟も車に向かい,エンジンがかかるかどうか確かめた。シート脇の水の跡で,70から80センチくらいまで水没したと思われた。

「2,3度鍵を回すと,エンジンがかかりました。幸いシートは濡れておらず,主が,小さな子供がいるわたしたち家族を憐れんでくださっている,と感じました。」

子供たちを抱きかかえて車に乗せ,美津子姉妹のいる所へ向かう。石巻街道へ出ると,道路にはほとんど水がなかった。道路から川へ水が流れ落ち,何台もの車が川に沈んでいた。

「あと10分遅れていたら,わたしたちも津波にのみ込まれていたかもしれない。わたしは子供たちとともに感謝の祈りをささげました。妻と再会したとき,たった一晩,離れ離れになっただけだったのに,安心して涙が出てきました。」

免許センターで警察官に告げられた高校の避難所へ向けて車を出発させた。

「途中,わたしたちは御霊の促しを受け,別の中学校に避難することにしました。その理由は後に分かることになります。そこでわたしたちは友人と再会し,避難した教室のリーダーとなり,たくさんの奉仕をすることができました。

わたしたちはその中学校の近くにあるショッピングセンターの駐車場に車を止め,その学校へ避難しました。

そこで,わたしたちの車は役目を終えました。車はそこから二度と動くことはありませんでした……。

これは,わたしたちにとって貴重な経験となりました。終始,確かに主の助けがありました。御霊の導きに従うなら,わたしたちは常に安全な所にいられることを改めて確認できました。

わたしたちの車はトヨタのノアでした。ノアの箱船のように,家族を安全な場所まで導き,そこで役目を終えました。……ほかの車が動かない中,わたしたちの車だけ動いたのは奇跡としか言いようがありません。ただ,もしわたしが完全に御霊に従うことができたなら,その車は今も動いていたのだと思います。

御霊に従うことの大切さを改めて学びました。人にとって理解できないことであっても,主には理由が分かっていること。だからわたしたちは,理由が分からなくても,ただ御霊に従うことが大切だということ。─『わたしたちが自分の行えることをすべて行った後に,神の恵みによって救われる。』(2ニーファイ25:23)『神を信頼すればするほど,あなたはそれだけ試練や災難や苦難から救い出され〔る〕。』(アルマ38:5)

これらが真実であると知っています。」◆