リアホナ2011年6月号  News Box 一人ごとに贈られる主の愛と贖あがない

News Box 一人ごとに贈られる主の愛と贖あがない

──2011年2月,十二使徒のホランド長老が日本に残したメッセージ

4月号ローカルページ(4ページ)で予告したように,2 011年2月,東京と名古屋で開催されたディボーショナルにおける,七十人会長会のロナルド・A・ラズバンド長老,十二使徒定員会のジェフリー・R・ホランド長老のメッセージの抜粋を掲載します。ホランド長老は,一人一人に注がれた主の愛を思い起こすよう日本の聖徒に語りかけました。(編集室)

2月15日 東京 武蔵野ステークセンター

ラズバンド長老はこう切り出した。「今夜は……歴史的な夜です。七十人のうちの7人がここに集っているからです。」そして会場にいる3人の地域会長会と3人の地域七十人を改めて会衆に紹介し,七十人会長会の会長として,十二使徒の指導の下で彼らが地元の聖徒たちに仕えていることを誇りに思う,とたたえた。

「教義的に言って,七十人はイエス・キリストの福音の回復の一部です」とラズバンド長老は説き,主が七十人を組織された聖句を引用する。「……主は別に七十二人を選び,行こうとしておられたすべての町や村へ,ふたりずつ先におつかわしになった。」(ルカ10:1)「またあなたがたは,使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられたものであって,キリスト・イエスご自身が隅のかしら石である。」(エペソ2:20)ラズバンド長老は,聖書に記されたと同じ七十人,使徒,預言者が今日この場にいること,そしてホランド長老がその預言者の一人であり主の声を知る使徒であることを証した。

人は一人ごとに救われる

今晩伝えたいメッセージはこれです,とホランド長老は東京の集会で告げた。それは「神が,皆さん一人一人を名前で御存じだということです。……この教会において名前はとても大切な意味を持っています。……それはこの教義に基づいています。わたしたちはワードごと,ステークごとに救われるのではなく,家族単位で救いを受けるのでもありません。一人一人が救いを受けていくのです。」ホランド長老は,「人の価値が神の目に大いなるものである」(教義と聖約18:10)ことの理由を解き明かしていく。

1820年代の宣教師であるイリエーザ・ミラーとアルフィエス・ギファーは,20か月の伝道期間を通じてたった二人しかバプテスマを施さなかった。その二人とはブリガム・ヤングとヒーバー・C・キンボールだった。

モルモン書に登場する預言者アビナダイは,同僚もなく独りでノア王と祭司たちに宣べ伝えたが聞き入れられず,成果なく殺されてしまう。ただ,アルマという若者たった一人の改心を除いては。

「最終的にはわたしたち一人一人に責任があるのです。わたしたちの言葉と行いが神によって問われます。一人しかいないけれど,わたしはここにいる,と言ったことでわたしたちの歴史は変わっていったのです。学校で,職場で,政府の中でたった一人の末日聖徒かもしれません。でも福音の物語はそのような人々によって書かれてきました。」

人々はブリガムとヒーバーをたたえるが,今やイリエーザとアルフィエスを知る人はほとんどいない。またアルマとその家族の長大な物語に比べて,アビナダイがモルモン書に登場するのはわずか7ページ(英文)にすぎない。しかし,アビナダイなくしてアルマはなく,イリエーザとアルフィエスなくしてブリガムとヒーバーはいなかった。

ホランド長老は御霊に感じて涙ながらに語る。「皆さんは,なぜ神が皆さん一人一人を愛しておられるかを理解されたでしょうか。福音の物語というのは,皆さんによって,わたしによって,一人一人によって,時の初めから時の終わりまで記録されていくのです。」

ホランド長老は使徒として証する。「キリストが,わたしたち一人一人の罪と苦しみをゲツセマネの園とカルバリにおいて負われたことをわたしは知っています。……全員が一斉に救われているのではありません。名前ごとに,顔ごとに,わたしたちの犯す間違いごとに,わたしたちは救われているのです。わたしには理解できない方法で,神はそれを個人個人になされたのです。人に価値があるというのはそのような理由です。わたしたち中央幹部が皆さんのことを気にかけているのはそのためです。皆さんの顔を見て,皆さんに触れてキスをして愛を示したいのはそのためなのです。そしてわたしたちは日本にいるすべての人にこの教義を知ってほしいと思っています。彼らに無限の価値があるということを。……イエス・キリストの贖い,その宇宙で最も大切な贈り物が,皆さん独りに,その名前に対して与えられたのです。どうぞ与えられた贈り物を受け取ることができますように。そして贈り物とその贈り主を拒むことがありませんように。」

2月19日 名古屋 名古屋市公会堂

ホランド長老は名古屋での一般会員とのディボーショナルにおいて,「聖典の中でもっとも栄えある日の記述」としてモルモン書から,古代アメリカ大陸を訪れたイエス・キリストについて話した。主は群衆の一人一人を,主の傷跡に触れて証人となるように招き,権能を授け,教えを説いた後,また明日の朝戻って来ると告げていったん群衆のもとを去ろうとした。─「そして何かが起こります。これが今晩の皆さんへのメッセージの要点です」とホランド長老は告げ,引用する。「さて,イエスはこのように言うと,もう一度群衆を見回して,彼らが涙を流しながら,もうしばらくとどまっていてほしいと願うかのように,イエスをじっと見詰めているのを御覧になった。」(3ニーファイ17:5)

「彼らは言葉にしませんでした。謙遜で自分が受けていることだけに感謝していました。人々は主にさらに多くは願いませんでした。でも言葉ではなく,目と涙がその願いを物語っていました。─もう少しそばにいてください。わたしたちのもとを離れないでください。何百年も待っていたのですから。先祖は忠実に信仰をもって,いつこの日が来るかと期待しながら死んでいきました。今,その時が来たので,もっと長く一緒にいてください,と願いました。

主はほかにもすることがありました。主は他の10部族を訪れるよう御父に命じられていました。しかし,彼らの涙にこたえるために,それを延ばされたのです。」

ホランド長老は,この日に主がニーファイ人のもとを去る前にされた3つのことを挙げ,それに伴う3つの約束を強調した。

主は愛と憐れみを注がれる

第1に,病気の人,体の不自由な人をご自身のところへ連れて来させて癒した(3ニーファイ17:6−10参照)。「すべての問題を持っている人々がやって来ました。ほとんどの人が問題を抱えています。……わたしたちの時代にはそれは肉体的な障がいよりももっと霊的なものかもしれません。─第一の約束は,わたしたちが主にそばにいてほしい,御霊を受けたいと心から願うのならば,主はわたしたちを哀れんでくださるということです。それは主の,なすべきことすら延ばして祝福を与えるためにとどまってくださるほどの愛と憐れみです。今晩のわたしの約束はそれです。皆さんが天の前に涙を流しながら求めるならば,主の愛と憐れみは皆さんのうえに注がれます。重荷は抱えられ,悲しみは取り去られます。闇夜から,難しい問題の森から出る道が見つかるでしょう。」

主は子供たちを守られる

第2に,主は幼い子供たちを連れて来させた(3ニーファイ17:11−25参照)。─「モルモン書の中で最もすばらしいところだと個人的に感じています」とホランド長老は言う。主は子供たち一人一人を抱いて祝福し,涙を流された。天が開け,天使が降りて来て子供たちを取り囲んだ。

「これが皆さんへの2番目の約束です。神は子供たちを,いつも,常に,必ず,祝福されるということです。

両親でいることは大変なことです。わたしたちは邪悪な難しい時代に生きています。誘惑や問題やチャレンジがすべての家族にあります。しかし,キリストはいつも,子供たちに手を差し伸べる方法を見いだし,いつも子供たちを愛し,子供たちのそばにいたいと思っておられます。何歳であろうともわたしたちは皆,神様の子供です。主はわたしたち全員を愛しておられ,とりわけ子供たちや青少年を愛しておられます。……この物語は皆さんのためにあります。子供たちを育てるとき,教会の様々な組織が助けてくれますが,何よりも主が助けてくれます。そして天使たちが降りて来て子供たちを守ってくれるのです。わたしたちは彼らを守るために最善を尽くす必要があります。」

聖餐を通して常にともにおられる

第3の,主がニーファイ人のもとを去る前に行われた最後のレッスン─ それは彼らに聖餐の儀式を教えることだった(3ニーファイ18章参照)。主は霊的にも肉体的にもわたしたちのために血を流して死に,墓を超越して復活された。主は肉体と霊の問題二つながらを克服し乗り越えられた。わたしたちもそうなるだろう。「あなたの悲しみ,寂しさ,一日の問題,聖餐を受けるときにわたしたちはそれらの問題をすべて乗り越えるのです。それこそが, 御子の御霊がいつもわたしたちとともにある,ということの意味です。ですからわたしたちもニーファイ人も,もう心配する必要はありませんでした。主は帰られるときに,その小さなパンの一切れを,そして小さなカップの水を残していかれたのです。主が永遠に皆さんとともにおられることをそれらは示しているのです。悪いときも良いときも,つらいときも喜びのときも,平安なときも困難なときも,主はともにいてわたしたちを死と絶望から救い,救助してくださるのです。」

最後にホランド長老は使徒として,福音が神の真理であり,イエスがキリストであるという,古代のすべての預言者と同等の証を,会場にいる老若男女すべての人へ祝福とともに結び固めた。◆