リアホナ2011年7月号 ファミリー・ティップス2

ファミリー・ティップス2

(LDSファミリーサービス)

すべての子供たちは神様の子供です─里親制度から見る家族の風景

「 一星という名前は一番星という意味もあるし,聖典で(イエス・キリストの生誕のとき東方の三博士たちが)星に導かれてやって来た,というところから『目印になって』という願いを込めて付けたのですが,ほんとうにそのとおりになったなという思いがあります。一星が来たことによって何人もの子供たちが集められたわけだから,目印の星になっているなって。」そう語る中村哲朗兄弟と幸子姉妹のもとに,生まれて間もない一星くんが養子としてやって来たのは7年前。一星くんのことを「目印になった」と表現したのは,彼が中村家に来たことをきっかけに,大分ワードに里親の輪が大きく広がったからだ。

現在,熊本ステーク大分ワードには中村家を含めて6組の里親がいる。活発に集っている家族の約4割といえばその多さが実感できるだろうか。

子供と家族を築きたい

中村ご夫妻には実子がいない。結婚後何年待っても子供を授からないため夫婦で病院に行って検査を受け,医師から子供を持つことは不可能であると告げられた。「本来であればそこから夫婦だけの人生が選べたかもしれないけれど,わたしたちには家庭の中に子供がいないというイメージがどうしてもわかなくて……。家庭には子供がいて当たり前だろうと思っていました」と幸子姉妹は言う。不妊の宣告を受けてからの1年は,二人で祈り,神殿に何度も足を運んで主に頼り助けを請い求めながらも,子供が与えられないと苦悩する日々だった。「最初は神様を恨むというか,どうしてこんなことが起こるのだろう? どうしてわたしたちに,なぜですか? という気持ちが強かったです」と哲朗兄弟は当時を振り返る。そんなときに,幸子姉妹の茨城に住む友人が,子供を引き取って育てていることを耳にし,初めて里子や養子について考えるようになる。「それまでは人の子供を預かって育てるなんてまったく頭にありませんでした。こういう境遇に置かれて,わたしたちは子供に恵まれなかったけれど,親に恵まれない子供たちがいるということに初めて焦点が合いました。」

「養子を迎えよう。」二人がそう思ってから1年後に県を通じて一星くんが,その4年後には教会の福祉プログラムを通じて女の子が中村家にやって来る。女の子には「日向」と名づけた。

国の制度では,養子縁組をするに当たって夫婦はいったん里親になる必要がある。里親として子供を預かり,その間に必要な裁判や諸手続きを行う。それは子供を手放す家庭が子供と絶縁する決意を固める時間でもある。「里親登録をしないと養子縁組が進んでいかないというのが,(わたしたちと)里親制度との(最初の)かかわりです。わたしたちは里親(になること)を望んでいたわけではありません。養子を迎えることが前提にありました。家族として子供が欲しかったんです。」─そうは言うものの,中村夫妻は一星くんの後,日向ちゃんを迎えるまでに6人の乳幼児を里子として短期間預かっている。その姿が大分ワードの里親ブームに火をつけた。

実子を5人持つ内田夫妻は今年6歳になる女の子を生まれた直後から預かっている。内田姉妹は養護施設で働きたいと思っていた大学生のころに里親制度を知った。「教会で家族の大切さなどを学んでいたので,里親制度を知ったときに,施設では受けられない多くのものが里親のところでなら受けられるのではないかと感じて,将来里親をやってみたいと思いました。」子供たちが巣立って夫婦二人になったら里子をと思っていた内田姉妹だが,短期間で里子を預かる中村家を見て,「短期なら(今の)わたしにもできるんじゃないかなという思いを持ちました。」

「わたしたちは不妊だったんです。夫婦二人では寂しい,この世で家族を築きたいという気持ちが大きかったので養子を迎えようという話をしました。そうしているうちに子供(実子)を授かって,そのことを忘れていました」という渡辺夫妻は,現在7歳になる女の子を2歳のときから預かっている。わが子が大きくなり,ある程度手がかからなくなったときに不妊で悩んでいたころの気持ちを思い出し,「あのときの気持ちは何だったのかな? わたしたちを待っている子供たちがいるのかもしれないという気持ちになったんです。そのときに,内田姉妹が里親をしていると聞いて,わたしたちにもできるのではないかと思いました。」

この2家族の姿を見て帆足家族が,続いて三浦家族が里親になった。そして里親登録して間もない佐藤家族は今,生まれたばかりの赤ちゃんを預かっている。中村家族にとって里親をすることは,家庭を築くのに不可欠な,子供を迎えるための1ステップだったが,それが大分ワードで枝葉を伸ばし広がりを見せている。幸子姉妹はこう振り返る。「一星と日向の間に短期で預かった子供を連れて教会に行きました。それをみんなが見て『え~,そんなことができるの?じゃあわたしもやってみようかな』という気持ちになりました。佐藤由香理姉妹がそんなタイプです。短い期間赤ちゃんを預かれるんだという。いろいろな姉妹たちからやってみようという声を聞きました。独身の姉妹からもやってみたいという声を聞いたりして,(里親制度を)宣伝できたかなって思います。」

里親としての覚悟

しかし,中村ご夫妻には里親と里子の関係について戸惑いがある。「わたしたちは養子縁組を望んでいたし,それで精いっぱいだなという気持ちがあります。里親になるようにはまだ(人間が)できていません。」大分ワードに来ている里子たちは里親の下にいる期間がはっきりしていない。18歳までいるかもしれないし,明日連れて行かれるかもしれない。中村夫妻はそんな爆弾を抱えたような生活は自分たちにはできない,と言う。

里子の親は実親である。里親はあくまでも預かっているだけだ。今日返してくれと言われたらどれほどのつながりがあっても引き止めることはできない。これについて,「割り切れと言ったら難しいのかもしれないけれど,その覚悟がないと(里子を迎えるのは)難しいと思います。うちも短期で何人か預かったことがありますけれど,預かっている子供,という気持ちで接しています。それでも帰って行くときは涙が出ますし,元気かな,どうしているかなと思います」と言う渡辺姉妹の言葉に内田姉妹も深くうなずいた。内田姉妹が預かっている女の子は当初の予定では預かる期間が半年だった。それが1年になり2年,3年と長引く中で,お母さんとの面会がなくなり,ついには18歳まで世話ができるかという打診が児童相談所から来た。「そうなってきたら返さなくていいような気持ちになり始め,里親をしている,里子だという感覚を忘れてきてしまって。でもつい最近,小学校入学で引き取りたいという(実母の)意向が強いと聞かされました。引いていた一線がなくなってしまっている分,その(別れる)ときはかなりのショックを受けると思います。……わたしたちが手放したくないと思ってもかなわない。それはきついですね。彼女にとってうちで過ごした時間がどんな風に残るのかは分からないけれど,『親もとに帰ってもわたしはずっとママだよ』という気持ちはあります。」そう話しつつ内田姉妹は涙で声を詰まらせた。一方で内田兄弟は言う。「別れは頭にないですね。わたしは里親をしている気持ちはないんですよ。彼女はうちの子です。お母さんのところに帰った方が自然だから,その態勢が整ったら帰ってもらうことになると思いますけれど,生活の中でその思いはありません。もうね,18とか20歳(になったときの様子)まで頭に浮かびますからね。」返す里親の心にも,返される里子の心にも別れという傷がつく。それでも家庭の中で育つことは,より多くの愛情を受けるという意味で価値がある,と内田姉妹は言う。

成長の機会

また渡辺姉妹は,里子だけではなく,里子を迎えた子供(実子)たちの心にも変化があると言う。「里子が来ることによって実子たちが成長したなと思います。楽しいことばかりじゃないんですよ。実子にとってしんどいこともたくさんあって。でも今ではほんとうに兄弟です。里子という意識はないと思いますね。このまま成長していったらわたしよりもあの二人(長女と里子)が仲良くなるかなと思います。わたしとしては,18歳までいるのだったら養子に迎えたいなという気持ちがしています。」

子供を養子として迎えた中村家にも,里子として受け入れた内田家・渡辺家にも共通した思いがある。「わたしたち里親も成長する機会になるのですが,預かった子供たちが福音を聞く機会を与えられたということは大きいかなと思います。(親もとに帰っても)毎週毎週教会に行って歌を歌ってお祈りしていたという記憶はずっとあると思うんですね。」「これから成長していくときに,この状況は,神様から来た愛によってもたらされたと理解してほしいと思いますね。良い方向にとらえてほしいなと思います」と渡辺姉妹。

「すべての子供は神様の子供たちです。血のつながりはなくても神様の子供というのがあるかな。だから受け入れられる」と中村夫妻は,一星くんと日向ちゃんに温かい目を向けながら言う。「(子供たちが)大きくなって思春期とかいろいろなことを考える時期に,やはり福音が支えになるだろうなと思います。自分のルーツに対してうやむやにはできない。そういったときに祈ると思うし,福音が助けになると信じています。」

3月11日以降の行政のアンケートに対して大分ワードの里親たちは,震災で親を亡くした子供たちの受け入れを表明した(まだ実際に九州へ来た被災児童はいないという)。彼ら里親たちのまなざしは,子供たちの永遠の福利へと向かっている。◆