リアホナ2011年1月号 この町に末日聖徒20 真実の福音とダイバーシティー(多様性)

この町に末日聖徒20 真実の福音とダイバーシティー(多様性)

─英国 ワッフォードステーク ヘイズワード 原 伸二郎ビショップ

わたしは1979年に改宗し,その後おもに東京地域のワードに属して教会員生活を送ってきました。それが,2002年に現在勤めている会社の人事異動で欧州の会社に異動となり,最初にアイルランド,その後2005年からはロンドンに居住することになりました。

当然ながら現在はロンドンのワード( Hayes Ward , Watford England Stake)に集っているのですが,一昨年ビショップに召され,ここの会員の兄弟姉妹の方々と面接やそのほかの機会を通じて,個人的に親しくなり,日本の教会と英国の教会の違いについてよく感じることがありました。

文化の多様性の中で

ここロンドンのワードでは,非常に多くの民族の方々が集っておられ,20か国以上の国籍の兄弟姉妹がワードに集っています。例えば,わたしの第一顧問は南米出身,第二顧問はアイルランド人,長老定員会会長はガーナ人,伝道主任補助はドイツ人,若い女性会長はスペイン人といった感じで,評議会だけでも7か国の人が参加することになります。出身母体,言語,習慣,人種,また基本的な考え方などについてまったく違う人々が集っていることから,日本では考えられないような問題が発生することもあります。

あるときのことです。アフリカの出身のある新会員が,わたしと道端でお話をしていた際,自分が食べていたパンの残りを突然そのまま道にポーンと捨てました。それが,わたしの目の前でいかにも自然な形で行われたことから,わたしもびっくりしたのですが,彼女に「道端にごみを捨てるのは良くないですよ」とやんわり言ってみました。すると彼女は少しびっくりした顔をして謝罪しましたが,次のようなことを説明してくれました。

「自分の国では,食べ物の残りや少しでも使えるようなものを捨てるときには道に捨てるようにしている。実は貧しい人の多くが,そういったものを拾って食べたり利用したりしているのです。でも考えてみればここは英国でしたね。」

これを聞いてわたしも非常におもしろく思いました。確かに彼女の国は(大変失礼ですが),世界最貧国の一つであり,彼女自身も経済的な理由から英国に移住して来たのです。

またあるとき,皆で賛美歌を歌っていた際に,やはりこれも新会員で南米のある国から移住された方が,南米風の歌い方でビブラートを非常に強調して,おもしろく賛美歌を歌っていらっしゃいました。また,集会中に自分が共感することを話者が述べたときにアフリカの習慣でしょうか,話の途中でも「アーメン」と叫ぶ新会員もおられました。

こんな感じですから,聖餐会のお話も一応英語で皆さん話されるのですが, ドイツなまり,スペインなまり,アフリカなまり,もちろんわたしのような日本人アクセントの下手くそな英語まで含めて,非常にバラエティーに富んだものになっています。

そこで,わがヘイズワードでは,これらの多くの文化が集まる会員のそれぞれを紹介するために,先月,ワード文化イベント(Ward Cultural Event)と称して,各々の出身国別にその文化を表すような食事,服装,楽器,その他を展示して皆で理解を深め合うというような活動を行いました。

それぞれの会員が自分の誇りに思っている自国の食事や文化についてプレゼンターとなって紹介してくれました。 わたしと原姉妹も, 日本の文化をお寿司などとともに紹介し, 多くの教会外の方もお招きして,とても楽しい時間を過ごしました。

日本人を外から見ると……

かく言うわたしもここでは外国人であり,きっと皆からおもしろがられたり,奇妙と思われていることもあるでしょう。それで,わたしのワードの皆さんに日本人であるわたしの特徴について質問してみました。すると……

「どうして原ビショップは原姉妹に『I love you(愛しています)』を言わないのか? 夫婦で日本語で話しているのを聞いていると仲が良く見えない。」(誤解です!)

「英語を話しているときは普通だが,日本語を話しているときには無表情になるのはなぜか?」

「握手をするときにお辞儀をするのはやめなさい!」(はい。つい)

「食事会にはお団子を持って来ないでください。」(あんこがダメみたいです)

「どうしてそんなに時間に正確なのか?」(これは変な話ですが,集会にはいつもわたしが最初であることがほとんどです)

「ホームティーチングに行くと,なぜお菓子を必ず出してくれるのか?」(特に何も聞かないでお菓子を出したりする習慣はほかの国にはないようです)

「仕事で働きすぎている。明らかに仕事中毒になっている。依存症克服プログラムに参加した方がよくないか?」(ほんとうにそうかもしれません。でもわたしの日本人の同僚は皆そうです)

「日本人なのになぜ冗談を言うのか?」(これは偏見ですね!)

といった感じでした。

福音という共通の文化

このようなワードにいると以上のように自分たちの文化と個性についても気がつくことが多いのですが,それとは別に文化やその他の違いを超える共通のものを感じることも多いようです。

それは言うまでもなく,皆の福音に対する考え方です。

異なる文化や出身母体だからこそ,真実の福音に出会った際の連帯感,また天父の愛にはぐくまれた,同じ家族の下としての一体感は特別なものです。わたしの前のビショップ(アルメニア人の方でした)の下でわたしは第一顧問をしていましたが,福祉委員会などで特定の会員の問題を議論する際に,彼はこう言うのが常でした。

「○○姉妹は,我々の文字どおりの家族の一員です。皆さんはもし○○姉妹が皆さんのほんとうの肉親であったらどうするか,どのように助けるかを想像してみてください。それが今我々がしなければならないことです。」そして,ほんとうにそのように思ってお祈りした際に受けた霊感に基づいて,我々は多くの助けを行ってきました。そこには日本の教会と同じような福音に基づく慈愛と,神様に従おうとする強い気持ちがあります。

エペソ人への手紙第2章19節には「そこであなたがたは,もはや異国人でも宿り人でもなく,聖徒たちと同じ国籍の者であり,神の家族なのである」という聖句がありますが,それを身をもって感じることができました。

先週もスリランカ人の方とデンマーク人の方が改宗者としてバプテスマをお受けになりました。また,来週にはフィリピン人の方がバプテスマをお受けになります。そして,国籍や人種が違うとしても,同じ神の国の国民として我々の羊の群れに入られることを楽しみにしています。

わたしはこの世のすべての人々が我々の文字どおりの「兄弟姉妹」であり,愛し愛される存在であること,また確かにこの福音が,時間も空間もまたすべての人々の間の違いも超えて,この地上に生まれてきたすべての人々にとって救いの道であることを心から証申し上げたいと思います。◆