リアホナ2011年2月号 福祉のABC 9

福祉のABC 9

  (教会福祉部)

勤勉

辞書にある「勤勉」(industrious)の意味は「精励してよく働くこと」(diligent and hard-working)です(New Oxford American Dictionary,第2版,2005年, “industrious”の項)。「精励する」(diligent)について辞書では,「自分の務めに対して責任感と良心を持ち,それを示すこと」(同上“diligent”の項)とあります。ジェームズ・E・ファウスト管長は勤勉について次のように説明しました。「勤勉であるとは,その時その場の状況を有利になるように精力的に処理することです。また,進取の精神があり,好機を利用することでもあります。勤勉であるにはやり繰り上手でなければなりません。良いアイデア一つで長年の苦闘が解決されることもあるのです。」(「福祉の責任は個人とその家族に」『聖徒の道』1986年7月号)

勤労の原則

教会の会員として,わたしたちは「熱心に善いことに携わり,多くのことをその自由意志によって行い,義にかなう多くのことを成し遂げ」るように奨励されています(教義と聖約58:27)。その模範は聖典のあらゆるところに,また世界中の末日聖徒の生活に見られます。

兄たちと別れてから,ニーファイは「民を勤勉に働かせ,また手を使って働くようにさせ」ました(2ニーファイ5:17)。 ノア王から逃れた後,アルマとその民は「地を耕し,建物を建て始めた。まことに, 彼らは勤勉であり,非常によく働いた。」(モーサヤ23:5)レーマン人でさえもイエス・キリストに帰依していた者は「非常に勤勉な民になった」(アルマ23:18)のです。どの事例においても民は増え,繁栄しました。これらの模範は,わたしたちがどのような民になりたいかを示す手本となっています。

大管長会は,193 6年に現代の福祉計画を発表した際にこの偉大な原則の大切さを強調し,こう述べました。「わたしたちの第一の目的は……いまわしい怠惰を打破し,施しのもたらす悪弊を除去し,独立心,勤勉,倹約,自尊心を再びわたしたちの間に確立する体制を築くことである。 教会の目的は,人々が自助努力をするよう助けることにある。勤労が再び教会員の生活を貫く原則にならなければならない。」(大管長会,Conference Report,1936年10月)

勤勉を家庭で教える

勤勉を学ぶのに最も適した場所は家庭です。ケネス・ジョンソン長老は自分の家族が示してくれた模範について述べました。「自身の人生を振り返ると,健全な人格を形作るうえで欠かせない価値観をどのように身に付けてきたかが分かります。……わたしが賢明な生活と勤労の尊さという原則を学んだのは家庭でした。……父は賢くて勤勉な人でした。わたしは父から,手引きのこぎりで木材を切る方法,家電製品のプラグを替えたり取り付けたりする方法など,たくさんの役に立つ技術を教わりました。こうして教わったことにはどれも,最善の努力を払わずに得たもので満足してはならないという共通のテーマがありました。」(「家族の中に信仰を回復する」『リアホナ』2008年5月号)

何を「勤勉に」するべきか選ぶ

今日,わたしたちはたくさんのことを求められる世の中で生活しています。教会の会員たちはたいてい,家族,仕事,教会,そして自分自身の責任を負っています。ディーター・F・ウークトドルフ管長は次のように教えました。「正直に言って,忙しくするのはむしろ簡単です。わたしたちは皆,スケジュール表に書き切れないほどの仕事を思いつきます。また,自分の価値はなすべきことの多さで決まると考えている人さえいます。」(「最も大切な事柄について」『リアホナ』2010年11月号)そしてウークトドルフ管長は,何をするか選ぶことについての教会の基本的な原則をおさらいするよう教会員に勧告しました。「天の御父がその子供たちに与えられた基本的な教えを心に留めましょう。それは,この世では豊かで実り多い生活の基盤を築き,さらには約束された永遠の幸福をもたらすのです。わたしたちはこう教えられています。『これらのことはすべて,賢明に秩序正しく行うようにしなさい。〔わたしたち〕が自分の力以上に速く走ることは要求されてはいないからである。しかしまた,〔わたしたちが〕賞を得るために勤勉に励むのは必要なことである。』」(同上)

わたしたちはこの地上に存在するというすばらしい機会にあずかってきました。わたしたちが今ここに存在する目的を覚え,「自分の救いを達成する」(アルマ34 :37)に当たって勤勉でいられますように。◆