リアホナ2011年2月号 信仰の風景 確かに主の召しでした

信仰の風景  確かに主の召しでした

 京都ステーク城陽ワード 高良ご夫妻 

高良愼清・暁子ご夫妻が家族歴史宣教師として召され,ユタ州ソルトレーク空港に到着したのは2008年1月30日のことであった。「外は雪で真っ白に覆われており,外気は相当な寒さのようで,わたしの体でこの冬の期間持つだろうか,一瞬不安が頭をよぎりました。わたしは30年前に心筋梗塞を起こし入退院を繰り返しましたので,寒さに自信が持てませんでした。しかし,主がわたしたち夫婦を召したのですから,主に従って生活しようと心に決めました」と高良兄弟は振り返る。

ご夫妻は宣教師アパートに落ち着き, 先に赴任していた日本人宣教師たちの温かい歓迎を受けた。「毎朝8時に出勤し, 2週間のコンピューターの訓練期間を終えると,それぞれの部門へ配属されました。 わたしたち夫婦は日本部門へと配属されました。勤務時間は午後4時までです。4時以降は神殿参入したり,系図図書館で系図を調べたりして過ごしました。わたしたちの伝道期間は1年半でした。」高良ご夫妻はこの伝道を通して受けた祝福を指折り数え上げる。第1に,夫婦で健康になり無事に任期をまっとうできたこと。第2に,高良兄弟に福音を伝え,沖縄の海でバプテスマを施してくれたサマース長老と50年ぶりに感激の対面をしたこと。第3に,38人の同期の宣教師とともに過ごし,末永く続く友情を培ったこと。第4に, 中央幹部のお話に身近に接する機会を得たこと。─そして5つ目に挙げるのが,4,759人の先祖の系図を見つけたこと,である。

「なぜ先祖の系図がソルトレーク・シティーで見つかったのでしょうか。これこそ神様の導きでした。わたしの故郷は沖縄でした。第二次世界大戦で沖縄の那覇市は焼け野原になりました。戸籍謄本や個人に関する資料も全部焼けてなくなりました。今ある戸籍謄本は終戦後,生きている人たちから聞き取って作られたものです。したがって,わたしは先祖の神殿の儀式を4代目までしか施しておらず,それ以上は無理だとあきらめておりました。

しかし,わたしの義兄は系図をたくさん持っておりました。義兄はわたしの大学卒業まで資金を援助してくれたり,精神面で助けてくれたりしましたから,彼には特別な思いがありました。義兄の系図は,戦争のさなかを彼の父親が懐に入れて逃げ延び,保管してきたものでした。終戦後,ぼろぼろになった系図を義兄が清書し,わたしは彼から系図探求と神殿儀式の許可を得てそのコピーをもらい受けていました。仕事を終えた4時以降,わたしは系図図書館へ毎日通いました。その結果,義兄の先祖1,200人の系図が出来上がりました。

義兄の先祖は中国から来た人でした。琉球王朝の察度王は中国の明の太祖(明の初代皇帝)に手紙を書き,『詩書禮楽』に通じるお方を派遣してほしい旨を懇願しました。その要請に太祖王は丁寧におこたえになり, 明から『梁嵩』(紀元1403年)という人物が派遣されて来ました。この梁嵩が義兄の沖縄での初代先祖になります。琉球王は梁嵩を王の教育係として丁重にもてなしたと記録にあります。その子孫たちは代々,琉球王に仕え,子孫も沖縄の地で繁栄しました。梁嵩の先祖は中国の梁克家であると記録されています。」

高良兄弟は系図図書館で,中国系カナダ人のチェン姉妹と親しくなり,彼女に梁克家の系図を調べてくれるようお願いした。2週間後,チェン姉妹から見つかったと連絡が入り,高良兄弟は喜び勇んで系図作りに取りかかった。「朝4時に起きて奮闘しました。そのかいあって,3,559人の系図─中国初代の『梁都』(紀元前104年)から59代目の『居安』(紀元1881年)までが完成しました。沖縄の系図と合計すると4,759人の先祖です。

ソルトレーク・シティーの系図図書館には中国系図のマイクロフィルムがたくさん保管されています。中国の系図は台湾から来ました。梁一族のマイクロフィルムも6巻あり,わたしはそれを基にして『梁家』の系図を作りました。わたしは多くの会員たちに証します。系図をアダムまで調べることは不可能ではありません。あなたの熱意と祈りが神に聞き届けられます。」

梁嵩以降の沖縄の先祖1,200人ほどには,高良姉妹が中心となりソルトレーク神殿で儀式が施された。そして20 0 9年8月1日,6割ほどの儀式を終えたところで高良ご夫妻は任期を終えて帰国,儀式は東京神殿で引き続き行われている。

高良兄弟は伝道の1年ほど前にミャンマーを旅して,現地の人々の純朴な心に触れた。昔の日本人の心がこの地にある,ここで伝道したい,と心に決めた。「伝道を申請するとき,伝道希望地を『ミャンマーの地』と書きました。しかし,神様はソルトレーク・シティーにわたしを召しました。ニーファイが神の命に従ったようにわたしも神の命に従いました。神様はわたしに多くの祝福を準備されていました。わたしが神の命令を拒否していたなら,多くの祝福を失っていたことでしょう。それにたくさんの先祖たちの救いにあずかる祝福を逃すことになったかもしれません。この伝道の召しは確かに主の召しでありました。」そして2010年7月,高良ご夫妻は再び伝道に召された。任地は日本人宣教師が初めて赴任するタイ・バンコク伝道部。高良兄弟の願ったミャンマーのすぐ隣である。

─「天が下のすべての事には季節があり,すべてのわざには時がある。」(伝道の書3:1)◆