リアホナ2011年2月号 この町に末日聖徒21 人生を歌う─賛美歌からシャンソンまで

この町に末日聖徒21 人生を歌う─賛美歌からシャンソンまで

仙台ステーク 石巻支部 渡辺正二 兄弟

「 イタリア民謡を歌ってみたい,しかも自分の結婚式で……」その漠然とした思いから,渡辺正二兄弟が歌曲の世界へ導かれたのは23歳のときだった。早速,イタリア民謡を習い,結婚式で披露。それがきっかけとなり,フランス歌曲,ドイツ歌曲も学ぶようになった。

「それ以来,毎年リサイタルを行うようになりました。」そして,30代からはオペラに挑戦。仙台のオペラ協会に所属して,49歳ぐらいまで公演を行った。

シャンソンを習い始めたのは58歳のころ。「今までにない新鮮さを感じました。いろいろとほかの歌曲を勉強していたので,シャンソンの世界へ入ることには,それほど難しさを感じませんでした」と話す。

練習を始めてから1年後,渡辺兄弟はシャンソンコンクールへ出場した。まずは東北の予選大会。出場者5 0人の中から幸運にも選ばれ,全国大会へ出場することとなった。予選大会で優勝したことは,まだシャンソンを始めたばかりの渡辺兄弟にとっては快挙だった。

2 0 0 9 年6 月2 7 日,神戸で行われた「第2 5 回日本アマチュア・シャンソン・コンクール全国大会」へ出場した渡辺兄弟は,他の35人の出場者と歌唱力を競い,堂々とした歌声を披露。「何か,努力賞や奨励賞ぐらいはもらえるだろう。」シャンソンの「初心者」の渡辺兄弟は,気楽に考えて発表を待っていた。

「入賞者の名前が順番に発表されていきました。下位の受賞者からの発表なのですが,なかなかわたしの名前が呼ばれないんです。このあたりで,そろそろ呼ばれるはずなんだがと思いながら,不思議に思っていました。」そして,予想外の発表に渡辺兄弟は驚く。なんと,最優秀歌唱賞,つまり,出場者537人の頂点である全国大会優勝者として名前が読み上げられたのだった。

「初めての挑戦ですし,わたしよりも上手だと感じる人もいました。しかし,まさか優勝するとは思いませんでした。自分の名前を呼ばれたときはほんとうに驚きました。」渡辺兄弟は,そのときの興奮を思い起こすように話す。

神聖なものへの渇望

イタリア民謡に始まり,シャンソンに魅了されるに至った渡辺兄弟だが,その精神的な原点は,石巻の小さな伝道所で賛美歌を歌ったことにある。

現在,日曜学校会長,そして,神権会教師として奉仕する渡辺兄弟が改宗したのは1974年。宗教的なことに興味を抱いたのはその10年ほど前,高校1年生のときだった。「20歳までは,別の宗教団体に通って神様の教えを学んでいました。しばらくしてから,その団体で学ぶことにも区切りを付けました。しかし,それは学ぶのを終わらせるということではなく,さらに真理を求めることでした。結局は,いつも自分の心の規範となるものをどこかで求めていたように思います。バプテスマを受けたのは26歳のときです。23歳で結婚しており,すでに子供もいました。一通り宗教について学んでから改宗したように思います。」

この26歳という年齢,実は渡辺兄弟の心の中に一つの変化が起きている時期でもあった。「ちょうど道を求めて心がさまよっていたときでした。人生に真理の道を求めると同時に,『賛美歌を歌いたい!』という強い希望が心の中にありました。」

「教会へ行ったのは英会話のポスターを見たのがきっかけでしたが,英語を学ぶことはわきに置き,もっぱら宗教談義のようなことをしていました。宣教師が語る神に対するイメージや,真理についての考え方が,自分が考えていたものにフィットする感じを受けました。彼らはわたしが持つ疑問に対して,すべてきちんと説明してくれました。そのため,バプテスマを受けるのは時間の問題だと自分でも感じていました。」

それでも渡辺兄弟は半年という時間をかけてじっくりと学び,毎日のようにレッスンを受け続けた。「自分の疑念が完全に払拭された状態でバプテスマを受けました。気持ちの整理をつけて,後悔しない決意で受けたのを覚えています。」

バプテスマを受けたのは11月23日。凍りつくような石巻の渡波海岸で強い決意を確認するように水をくぐった。

「当時は伝道所という小さな集まりでした。宣教師が管理して,多くても10人ぐらい。少ないときは自分の家族だけでした。」それでも教会の集会は「楽しくて,楽しくて,日が暮れるまで教会にいた」と懐かしく思い出す。念願かなって教会で賛美歌を歌うことは,渡辺兄弟にはかけがえのない喜びだった。

「賛美歌を歌いたいということには,単に歌を歌いたいのではなく,神様に近づきたいという願いが込められていたのだと思います。ほんとうは歌よりも,その神なるものへ近づきたい,神聖なものへ触れたいという願望が沸き上がっていたのだと思います。」

創造の豊かさ

賛美歌から始まり,シャンソンの全国大会での優勝,そして「来年は日本歌曲とイタリア歌曲をじっくりと勉強して,シャンソンの持ち歌を100曲ぐらいにしたい」と目を輝かせる渡辺兄弟。反面,「シャンソンの優勝は人生の通過点です。過去のことなので興味はありません」とさらりと話す。

シャンソンに加えて,最近,渡辺兄弟の心を捕らえているものがある。それは短歌。日記代わりにつづり,子供たちへメッセージを残すつもりで詠み続けているという。「表現方法は違いますが,長いシャンソンの歌も,三十一文字の短歌も同じです。シャンソンにはドラマがあり,男女の恋愛があり,人生観が歌われます。文字数こそ少ないのですが,短歌も同じです。」日々の出来事を詠んだ短歌はすでに500首を超えている。

短歌を詠みながら「創造するということはすばらしい」と渡辺兄弟は何度も強調する。「人生の中で,もっともっと何かを作り上げていきたいと思っています。」

仕事が終わって帰宅してから,歌の練習と創造に情熱を傾ける。しかし,毎日仕事に追われる渡辺兄弟に,そんな余裕があるのだろうか。「時間がないのでは?」と問うと,「時間はいっぱいあるじゃないですか」と力の込もった答えが返ってくる。「寝るのは12時か1時ごろですが,起きるのは4 時。早ければ3 時半。だから,時間はあります。寝る時間を少しだけ少なくすれば,時間なんてたくさんあります」と当然のように語る。「人と同じことをしていたり,口癖のように,忙しい,忙しいと言い続けていたら何もできません。この地上へ来た目的は経験をすることです。つまらないことに時間をかけているのでしたら,それをやめれば時間はいくらでも作り出せると思います。」

「年齢とともに自分はひねくれてきたような気もします」と笑う渡辺兄弟。「協調性はありますが,さらに個性を発揮し,自分の考えや信念に基づいて進みたい」と抱負を語る。

シャンソンを歌うときの笑顔,短歌を詠むときの笑顔,人生を振り返ったときの笑顔,そして,次に挑戦する何かを探すときの笑顔。「絵も描いてみたいし,そのほかに……。」気がつけば,渡辺兄弟が笑顔を絶やすことはないのだった。◆