リアホナ2011年12月号 全国大会本選を大阪で初開催

全国大会本選を大阪で初開催

──ブリガム・ヤング大学ハワイ校 全国高校生英語スピーチコンテスト

今年で13回目を迎えたブリガム・ヤング大学ハワイ校(BYUH)全国高校生英語スピーチコンテスト本選が去る2011年11月5日(土)に大阪で行われた。全国の16地区予選を勝ち抜いた18人による熱のこもったスピーチが披露された。今回は,昨年の優勝地区である沖縄からの本選出場枠2人のほか,東日本大震災復興を励ます意味で東北地区にも2人枠が設けられた。

優勝は九州地区代表,早稲田佐賀高等学校2年生の中野有紗さん。準優勝に関東第5地区代表,栃木県立栃木商業高等学校3年生の笠松友紀 姉妹(桐生ステーク小山ワード),第3位に沖縄地区代表,沖縄県立開邦高等学校2年生の砂川星来さんが選ばれた。

1999年にこのコンテストが始まって以来,本選は東京で行われてきたが,今回初めて,本選会場を大阪に移して開催された。これまで13年にわたる開催実績を積み重ね,文部科学省や米国大使館,読売新聞社などの後援と,多くの企業の協賛を受ける,日本社会に根を下ろした大会に成長した。 駐大阪・神戸米国総領事館領事のマシュー・メドーズ氏も今回,審査員の一員に加わった。会場となった大阪国際交流センター小ホールの座席はいっぱいになり,約230人の観覧者で立ち見も出るほどの盛況であった。

コンテストに先立ち,来賓から衆議院議員の末松義規氏,大阪市長の平松邦夫 氏,大阪市会議員の足高将司 氏があいさつし,本番のスピーチを控えた高校生たちを激励した。平松市長は参加者に向けて,コミュニケーション能力を広げるように,と呼びかけ,「大阪って,ええ街やで」と柔らかな関西弁を交えて場を和ませた。足高市議も,関西弁の砕けた口調で聴衆の笑いを呼びつつ,平松市長とともに,本選が大阪の地で開催されることへの歓迎の意を表した。

末松議員は内閣総理大臣補佐官として宮城県の復興を担当しており,凄惨な被災現場を見てきた経験から,家族と感謝について話した。震災・津波の被災者には,何事にも感謝できるようになった,人のきずなを大切にするようになった,などの意識の変化があったという。「(逆説のようだが)すべてを失って感謝ということがほんとうに分かった。……(どんなひどい体験であっても)感謝ができて,その体験の輪が(良いものとして)閉じるのです。」

第3位の砂川星来さんが「An Ordinary Li f e」(平凡な幸せ)と題して話したのは,両親が重い病を患ったことから,平凡な日常に感謝することの大切さを知り,感謝が生活を幸せにすることに気づいた経験だった。表情豊かで流暢なスピーチの最後を,「お母さん,お父さん,わたしを生んでくれてありがとう」と締めくくった砂川さんは,数日前にお母さんを亡くし,葬儀の翌日にこの大会へと駆けつけたのだった。砂川さんの入賞は亡き母親への何よりの手向けとなった。

準優勝の笠松友紀姉妹は,「My No.1 Priority」(わたしの優先順位)と題して語った。4人きょうだいのいちばん上である笠松姉妹は,中学時代までは多くの時間を家族と過ごし,友人もうらやむほど仲のいい家族だった。しかし高校生になり次第に忙しくなると,家の手伝いや家族との時間の優先順位が下がり,家族全体の関係もぎくしゃくし始める。そんなとき,学校の家庭科の課題で,忙しい両親のために家族の夕食を作るというプロジェクトに取り組む。これをきっかけに弟妹たちも家事を手伝うようになり,家族の雰囲気が劇的に改善した。「わがままはほとんどの社会問題の根本です。」

優勝した中野有紗さんは,修学旅行の一部をキャンセルしてこの大会に参加した。「もう少し大阪でゆっくりしたかった。でも,修学旅行先で優勝の報告ができます」と喜びのコメントを残し,列車の都合で大会終了前に会場を後にした。以下にその優勝スピーチの日本語訳を全文掲載する。

2011年度優勝者スピーチ

To Enrich Family Life(家族生活を豊かにするには)                              九州地区代表 中野有紗

あなたはお父さんと話をしますか? 問題が起きたとき,だれに相談しますか? わたしは,10代の人たちが,両親,特に父親とあまり会話をしないということを耳にすることがあります。しかしこれはわたしの場合は違います。わたしたち家族には,たくさんの共通の話題と共通の時間があります。

わたしは,すばらしい家族を持った幸せな17歳です。ただ一つ,ほかの家族と違っていることは,わたしのお父さんが家にいる一方,お母さんが仕事に行くということです。わたしが小さかったころ,わたしのお父さんは外資系の会社に勤めており,いわゆる“仕事中毒”の人でした。幼いころのわたしが覚えているお父さんは,スーツ姿だけです。わたしのお母さんはエネルギッシュで情熱的な女性であり,自分で新しいビジネスを始めました。そのころから両親はとても忙しくなり,お兄ちゃんとわたしは,よくお母さんの友達と夕食を食べて過ごすようになりました。そのころのわたしはよく泣き,周りの皆を困らせました。わたしは,時々,両親が口論をしているのを見て,悲しい思いをしました。それは今でも悲しい思い出です。

ところがある日,わたしたちの家族の状況は一変しました。お父さんは会社を辞め,お母さんのビジネスをサポートするようになりました。ある日,わたしが幼稚園から帰って来ると,お父さんがバス停の前で待ってくれていました。お父さんは手を振ってわたしを強く抱きしめてくれました。その日からいつもお父さんは家にいるようになりました。わたしとお兄ちゃんのためにご飯を作ってくれて,お風呂に入れてくれて,寝るときにはお話をしてくれました。ある日,わたしはお父さんに「パパ,なぜいつも一緒にいてくれるようになったの?」と聞きました。するとお父さんは,「有紗たちと一緒に過ごすのは,パパにとってこの上なくうれしいことなんだ。有紗たちはパパにとってほかの何よりも大切なんだよ。パパもママも今まで有紗たちに寂しい思いをさせたことを申し訳ないと思っている。だから,パパとママのどちらかが家にいることに決めたんだ。ママは長い間,お母さんであり,主婦であり,仕事もやってきたんだ。今度は,パパがママの代わりに家事をやって,有紗たちともっとたくさん一緒にいようと思うんだ。大切なのは家族みんなが幸せになることなんだから。」そのときからわたしは,次第に明るく活発な女の子になってきたと思います。そしてわたしは今日,ここに立っています。

もし父親が育児休暇を取ることができたら,父親と子供たちは忘れられない大切な時間を一緒に過ごすことができます。父親と子供たちの間に作られた強いきずなは,一生涯心に残ることになります。わたしは,母親だけではなく父親とも時間を過ごすことができる,わたしのような恵まれた子供が増えればいいなと思っています。

両親は,家事,育児という共通の土俵の上で,いっしょに楽しみ,いっしょに悩み,協力して問題を解決することで,様々な経験を共有し,相手の立場を理解するようになりました。わたしは,両親がよく楽しそうに話しているのを見るのが好きです。両親が,お互いを尊敬し信頼し,その才能を認め合うことはすばらしいことだと思います。

あなたは幸せですか? もし違うのなら,変えることができるはずです。

アルバート・アインシュタインは次のように言っています。「昨日から学び,今日のために生き,明日に希望を持て。大切なのは,疑問を持ち続けることだ。」あなたは,あなたの家族の生活を豊かにするために何ができますか? ◆