リアホナ2011年12月号 語り継ぐ、東日本大震災⑥ 震災8か月─被災地の今

語り継ぐ、東日本大震災⑥ 震災8か月─被災地の今

特集◉ 教会の復興支援の足跡とビジョン 

宮城県の石巻市街を車で走ると,街道沿いに真新しい店舗が立ち並ぶ一方で,商店街の一角には再建のめどが立たないのか,津波にひしゃげたシャッターを閉め,建物も傾きかけたまま放置されている店も目につく。海岸から1キロほどの地域は荒涼として,広大な遺跡のようにも見える。瓦礫はきれいに撤去され道路のアスファルトも真新しいが,わずか8か月前に生活のぬくもりがあった所とは思えない。─3月11日の震災・津波による仙台ステーク石巻支部の被災会員は,家屋全壊が20家族(そのうち2家族は石巻を去った)。家屋半壊も31家族。石巻支部の大沼覚会長はこう話す。「かなりの方々が被災されました。(今,)ほとんどの家族はどこかに移ったり,仮設住宅に入ったり新しくアパートを見つけたりして,ほぼ普通の生活に戻りつつあります。」

東日本大震災からちょうど7か月の10月11日,石巻市ではすべての避難所を閉鎖した。一時は宮城県内最大の5万人に膨れ上がった石巻市の避難所だが,仮設住宅の建設が進み,8月には必要戸数をほぼ満たしていた。大沼会長はこう続ける。「仮設住宅は十分あるそうなんですけど,やはり職場から遠いとか, そういう理由があってそこに行きたくない方々がたくさんおられる……車もなければどうやって職場まで行くのか,仕事までなくなったら今後どうしようかと。そういう中ですごく苦しんでいる方が多いのかなと思います。」

石巻市の基幹産業は,漁業と水産加工業,そして大規模な製紙工場である。大きな被害を受けた製紙工場は9月に操業を一部再開し,年内の全面復旧を目指している。しかし水産関係の復興はまだまだ遠い。支部の会員の今後の生活の基盤は?と大沼会長に尋ねてみた。

「─いちばんそこが悩んでいるところで。活発会員は,今はほとんどの方に仕事はあります,アルバイトで復興支援の仕事をしていたりするので。でもそれがなくなったらどうしよう,その方々を今後どのように助けていったらいいでしょう……まだ分からない,手探りの状況です。そういう状況で,(仕事がなくて)県外に出て行った方もあり,今でもご主人がアルバイトしかできていないご家族もあって。」

先行き不安と,求められる心のケア

石巻支部の薄井美恵子姉妹は被災直後から,教会から届く支援物資を被災者の方々に届ける橋渡し役として,喜んで奉仕を続けている。

「全国から集まってくる支援物資は,皆様の犠牲を払っての深い愛と思いやり(の結晶)と感じます。できることは限りがありますが,わたしのように家も大丈夫,津波からも被害に遭わなかった者は,被災された方々に寄り添い,つながっていくこと(が役目)だと感じています。

仮設住宅に入られた方々,やっと持ち家も修理が終わり,戻って何とか生活を始められた被災者の方々にわたしたちができることは何でしょうか。

モーサヤ18章9節にあるように,悲しむ者と悲しみ,慰めの要る者を慰めることは,神が望んでおられることであり,とても重要なことだと思います。この春の総大会を見ていて,『苦難は聖別されてわたしたちの益となります』(リアホナ2011年5月号,78)との七十人のポール・V・ジョンソン長老のメッセージが心に深く残りました。人々のために奉仕しているときに主を身近に感じられ,自分という駒を主により動かされていると感じました。(教義と聖約58:27参照)責任のあるなしに関係なく進んで善いことを行うとき,主は祝福してくださると証します。苦難の中にあって主から頂いた祝福は,必要とされているところにわたしを遣わしてくださる主が確かにおられるという証を得たことです。これはわたしにとって大きな益となりました。」

薄井姉妹は次のような経験を分かち合う。「先日,仮設住宅に入居されている70代の女性に,何か必要なものはありませんかとお尋ねしたところ,『お金!』と言われ,次の言葉が出ませんでした。家も仕事も津波で奪われ,国からの義援金では先行きがとても不安で,この先どうしたらいいかと途方に暮れていらっしゃいました。 クリーニング店を営んでいたので,この年ではどこにも就職できない,何をするにしてもお金がないとできない,とこぼしておられました。最近配給になった2kg入りお米(教会提供の食料品キット)は有り難かった,おかずがなくても味噌,醤油で食べられるから大丈夫,苦労して育ったから平気だ,ともおっしゃっていました。近くに住んでいた娘さん家族5人のうち,娘さんは助かったが,ほかの全員は亡くなったとのこと。娘さんを思うと不憫でならない,と話されました。」

家族を亡くした悲しみを癒す心のケアを「グリーフケア」という。LDSファミリーサービス日本事務局の西原里志長老は,「(被災後)時間がたって,本来はこれからが大切なんです」と強調する。体験した震災や津波の恐怖が引き起こす心的外傷後ストレス障害(PTSD)や,肉親を失った喪失感に苦しむ人々は多い。専門家によるカウンセリングやケアが必要とされている。

石巻市に隣接する女川町でも,11月9日をもって全避難所を閉鎖した。かつて町民のいこいの場であった高台の女川運動公園では野球場のグラウンドにまで仮設住宅がびっしり立ち並ぶ。仮設住宅の完成と入居は復興への大きなステップだが,負の側面もある,と西原長老は語る。「避難所では壁があってないようなものですから,人と人とのつながりはできていたんです。それが仮設住宅に入ることによって,二つの問題が起きてきたんです。

一つは閉じこもり,外に出たがらない。もう一つは虐待です。避難所では(人の目があるので)手が上げられなかったんです。だけど,もう仕事もなくていらいらしているご主人が奥さんに,仮設に入ることによって暴力をふるう。その二つの問題を解決するために何とか外へ出て,集会所に集まってもらいたい,と。」

10月8日,東京南地方部(英語ユニット)の会員たちは国際交流イベントを開いた。アメリカ人家族70人が女川町を訪れ,運動公園で地元の方と英語でゲームに興じ,アメリカンスタイルの食事を振る舞った。

10月29日には横浜ステークの会員たちが,小学校の運動会を含む地域のイベントに参加して食べ物の屋台を出し,子供たちにプレゼントを届けるなど,被災地の方々の気持ちを盛り上げる活動をした。

2011年春の総大会で,ヘンリー・B・アイリング管長は「教会福祉プログラム75周年を記念するために,全世界の会員に『奉仕の日』に参加するようお勧めします」(「善を行う機会」リアホナ 2011年5月号,25)と呼びかけた。それにこたえ,ステーク/地方部,伝道部やワード単位の延べ120グループ(2011年末までの予定含む)が,被災地の行政などと自主的に交渉し,バスで現地へ出かけて行って奉仕している。労働ボランティアはもちろん,物資を仮設住宅に届けるかたわら独り暮らしの方の傾聴ボランティアをしたり,来春に向けてチューリップなどの球根を植えたりといったユニークな奉仕も見られる。これから冬に向かい東北は冷え込みが厳しくなるが,すべての仮設住宅に十分な断熱材が入っているわけではない。寒さは人の心を縮こまらせ,精神衛生にも良くない。現地ではこうした,心のケアにつながる活動も求められている。

復興支援段階の援助のあり方

西原長老は言う。「(東北の方のために)何をしてさしあげたらいちばんうれしいですか? とよく尋ねられるんです。いちばん簡単なのは,祈ることです。もう一つは,手紙を書いてあげるといいかもしれません。ただ,(鬱病の人への配慮と同じで)励ましの言葉は書かない方がいい。彼らはもう十分,頑張っているんです。ですから,あなたたちのことを覚えていますよ,忘れていませんよ,できることがあれば,いつでも備えをしていますよ,というメッセージを送ってくださるといいと思います。」

薄井姉妹も被災者の方々の気持ちを代弁する。「東北の方々は遠慮深く,何が必要かと尋ねても,もう大丈夫と答える人が多いです。けれども具体的にはやはり食べるもの,例えば前回頂いた食料品キットや,生活用品(洗剤,シャンプー,ティッシュ,トイレットペーパー),下着や靴下などありがたいと思います。心のこもったメッセージ,ほのぼの系の絵などもうれしいと思います。」

教会福祉部では,冬の到来を控えたここ1か月の間に,毛布1,200枚,布団600セット,暖房器具500〜600個などを送っている。食料品キットの支援も継続している。

けれども,生活物資を直接送るという支援は,現在の復興支援段階としては主流ではない,と教会福祉部のダーウィン・W・ハルヴォーソン部長は言う。緊急支援段階で教会は数多くの生活物資を提供した。そうした援助は,不公平感が生じないよう,教会員一人にではなく,その避難所全体に対して行われてきた。仮設住宅に移行してもそれは同様で,一つの仮設住宅ブロック全体を単位に援助が行われる。

「物資が必要との話が上がれば,できるところについては教会福祉部でピンポイントに行わせてもらっているんですけれども,結局,被災した500キロの沿岸に何百もの仮設村があって,そこに提供し切るのはわたしたちの力では無理です。

あるいは仮設住宅だけじゃなく,自宅をまだ修理できないまま2階で暮らしている方もたくさんいらっしゃいます。そこを直して住み続けていいかどうかも分からない在宅避難者,これもけっこう大きな問題ですね。わたしたちの力で全部を助けるのは難しい……。基本的には,今後のそういうニーズは行政あるいはご家族が助ける。教会は,ご本人が自立するのを助けるというのが現在の支援の形ですね。」

今では(手紙などは別にして)緊急支援段階のように全国から生活物資を送られても,物資を組織的に管理する災害対策本部や倉庫はもうない。困窮する会員があれば,通常どおりビショップや支部会長またはステーク会長が断食献金から支援することになる。

2011年6月中旬,管理ビショップリックのH・デビッド・バートンビショップが来日し,東北の被災地を視察した。ハルヴォーソン部長はこう振り返る。「そのときバートンビショップから,教会はこの災害に対して何をいちばん効果的に行えますか? と鋭い質問をされました。」そうして,教会の復興支援の3つの柱が明確になってきた。すなわち─

1,会員や宣教師の奉仕を促すためのボランティア活動 

2,漁業,林業,農業支援

3,雇用,教育,心のケアの支援である。

労働ボランティアを送り続ける

現在,仙台ステーク上杉ワードから歩いて10分ほどのところに,モルモン・ヘルピングハンズ仙台事務局がある。ビルの1階と2階を教会が借り,1階部分が支援物資倉庫,2階部分が事務所となっている。震災後,3月から5月にかけての緊急支援段階では,上杉ワードに教会の現地対策本部が置かれ,全国からの支援物資が集積された。自らも被災者である地元仙台ステークの会員たちは,物資を分類整理し,必要な場所へ的確に送り出すべく献身的に働いた。しかし,地元の会員たちもやがて日常を取り戻し,教会の活動を再開しなければならない。そこで,教会に集積された支援物資を移す受け皿として5月にこの倉庫を借り,同時にヘルピングハンズ事務局が開設されたのであった。

モルモン・ヘルピングハンズ事務局は,教会の復興支援の3つの柱のうち,労働ボランティア活動のコーディネートを担うことになった。そして7月18日,教会が催行するモルモン・ヘルピングハンズ ボランティアツアーが始まる。深夜,東京をバスで出発し,翌朝に被災地の行政ボランティアセンターに到着,ボランティア登録と仕事の割り当て,道具の貸し出しを受けて作業現場へと向かう。「基本的に,その市町村に言われたことを,はいと言って行います。畑の瓦礫撤去,花壇造り,田んぼの清掃活動,あるいはお家の片付け……,ほんとうに様々なことを行っていますね。」(ハルヴォーソン部長)

この,ボランティア参加者で満席のバスが週3便,9月いっぱいまで岩手県と宮城県の被災地へと送り出された。10月以降も週1便が運行されており,冬を越えて,少なくとも来年の春までは継続されるという。

「冬の間も,仕事は向こう(各自治体ボランティアセンター)で用意してくれます。場所によってはそんなに雪が降らないのと,室内作業とか,漁師のお手伝いだとかいろいろありますのでね。実は幾つかの行政から,『来年1年間,継続的に来ていただけないだろうか,必ず作業はありますから』というお話は来ているんです。教会員は基本的に勤勉でとてもよく働くし,割り当てられた作業内容に文句を言うこともなく,指示すれば黙々と動いてくれるので,とても喜ばれます。」そう語るハルヴォーソン部長は最近,こんな経験をした。

「ある漁協を初めて訪問したんですけど,名刺を渡したら,モルモン・ヘルピングハンズのロゴを見て, 『ああ,あなたの教会の人たちが(この前)来たよ』と言うんですね。ヘルピングハンズのグループの一つがそこへ来て,瓦礫撤去や牡蠣の種の植え付けなどを一日手伝ってくれた,『すごくよく頑張ってくれましたよ』と感謝をされたんです。ほんとうに彼らは喜んでいました。わたしはそこに教会員が行っていたことをまったく知らなかったんですけれど,すごくうれしかったですね。」

アジア北地域会長会のゲーリー・E・スティーブンソン会長は,「教会は復興作業が終わるまで被災地にボランティアを送り続けるでしょう」と述べた。11月11日現在,個人参加の定期ツアーと団体参加ツアーの合計で,延べ4, 141人が現地入りした。

漁業・農業支援

6月15日,バートンビショップと地域会長会は宮城県漁協亘理支部を訪問し,製氷機と5坪の冷蔵冷凍設備,業務用車両を寄贈した。これを皮切りに,教会の復興支援が本格的に始動していった。

これまで岩手県と宮城県の漁業協同組合15か所※に,再び操業を始めるために必須の物資を提供してきた。タンクやかごなど市場のための備品。漁網や竿,筏を作るためのロープ。フォークリフト,軽トラック,タンクローリー,保冷車,冷凍車,ユニック(クレーンを搭載した4トントラック,これは漁船を海から引き揚げ,移動して保管するのに使われる)などの車両。漁船1隻。船の航路標識となる浮標や灯浮標……。「今回,いろいろな漁協を訪問していて一つ分かったことは,例えば網だとか灯浮標,あるいは浮き球とか筏とか全部,津波で陸に打ち上げられて何もなくなってしまっているんです。今まで20年30年50年かけて少しずつ各家族が用意したものが,全部もうない,網でさえない。そういう状況からの再出発です。教会のこういう援助を通して,だいぶ早めに仕事に戻れる人が増えていると聞いています」とハルヴォーソン部長は語る。

農業支援についてはまだ試験段階だという。「国が塩害対策の方針として,田んぼについては5年間いじるな,という指示を出しているようですね。今,1か所の農家で8月にレタスを植えたんです。」微生物と肥料により土壌改良を施した試験区と,何も施さない区画(対照実験のため)とに作付けしている。対照区では予想どおり,最初はよく伸びたが,塩分過多でだめになった。「試験区は取りあえずものにはなっているんですけど,実際切って,中を見てみないと。」中が腐っている可能性もあり,商品として流通できる可能性はまだ半々だ。「試験区の結果が良ければ,その農家でもう1回,大々的にやっていく予定です。」その土地に合った微生物と肥料のさじ加減を見つけることが重要だという。

ちなみに福島県では,行政の指示により農業・漁業支援ができない。教会は現段階で,地元神権指導者の指示と提案を受け,ガイガーカウンターや高圧洗浄機の提供を行っている。「今,福島市では降下した放射性物質の洗浄活動を始めています。これは14年計画です。学校,通学路,公園,病院などの公共施設や高線量の重点除染区域から始まって,最後の住宅まで終わるのには14年間。それではだれも住みたくありませんので,ご自宅に関して言えば,本人が作業さえすれば,県あるいは市が金銭負担をするという方針が出されたんですね。ワードあるいは支部としては,一刻も早く家を除染したい。福島県では,どうやって洗浄すれば効果的に放射線量を下げることができるかのマニュアルを作っています。それに基づいて,教会が提供した高圧洗浄機やガイガーカウンターを使い,ワード/支部の会員たちが転々と会員の家,あるいは近所の家を回って除染するのを支援します。」放射線量測定器と高圧洗浄機は行政からも貸与されるが,数が限定される。そのネックの部分を教会が支援している。

教育支援

また,教育支援についてハルヴォーソン部長は説明する。「奨学金制度を,バートンビショップと相談して実施しました。今は早稲田大学と慶応義塾大学に対して,何人かの生徒を支援するという形ですね。東京に出て来ていて,実家が被災で全壊,半壊,片親または両親が亡くなった,あるいは仕事ができなくなった,そういう形で今,経済的に困窮している学生さんに対しての支援です。」文部科学省は私立大学に,被災学生の学費の50パーセントを免除するよう通達している(国立大学では全額免除)。しかし残り半分を本人が出せなければ退学するしかない。その部分を教会が支援する。「今,2つの大学,そして今後あと3,4大学を探して支援をさせていただこうと考えています。」

雇用支援

雇用については,かつて倉庫だったヘルピングハンズ仙台事務局の1階部分に,専任の職員が常駐する職業支援センターを,2012年から3年にわたって設置する計画だという。来年早々の開設を目指して準備中である。「東北は,震災以前から経済的に苦しい地域で,会員の中で仕事に悩む方もおられます。まずは会員たちと会って,大きな意味でのキャリアカウンセリングを実施します。そこから教育を必要としているのか,仕事に就くための技術を必要としているのか,あるいは仕事を一緒に探す,自営業をする……いろいろな話し合いをしたうえでハローワークに紹介したり。しかしハローワークでは残念ながら,来る100人に対して仕事が30から40しかない状況です。その職を得る一人になれるよう,トレーニングによって支援します。

教会員でない人に対してももちろん開かれています。通常,職業支援センターは会員が中心ですけれど,今回は人道支援活動ですので。もちろん会員も支援しますが,教会員でない方々も大歓迎ですね。

今,もう一つ問題なのは,車が流されたのでハローワークに行くことができない人もいることです。あるいは仮設住宅にいる方々が,インターネット環境がないために求人情報を調べることができない。そういう方のために,まずは会員がいる仮設住宅に5台10台のノートパソコンを持って行って,信頼関係を築き,求人情報の検索をしながらキャリアカウンセリングをするというサービスも考えられます。」(ハルヴォーソン部長)

そうした活動を入り口にして,会員であるなしを問わず,求職者の持つリソースを調査し,企業を回って調査した求人情報とのマッチングを行っていく。

心のケア

教会(LDSファミリーサービス)は9つのNPO団体やカウンセリング学会,行政などと連携して,心のケアにつながる様々な活動を行っている。例えば,地域社会の祭りの復興を支援する,PTSDについての講演会とカウンセリングを行う,被災者を主体にした活動を企画して仮設住宅から外に出て来る場を作る……。

また,教会の緊急支援時に独自の手法(アロマオイルによるハンドマッサージと傾聴を組み合わせて被災者の心をほぐし負担を軽くする)を確立した傾聴ボランティアチームは,その後も仮設住宅を回って活動を続けている。来年にはNPO法人格を取得して,さらに活動の幅を広げる構想である。

自立につながる効果的・永続的支援を

教会の復興支援に対するビジョンをハルヴォーソン部長はこう語る。

「今回の漁業に対する支援も,南三陸での林業に対する伐採機械の支援も,それらは全部仕事に結びつくであろうという確認のうえでの援助なんですね。例えば亘理漁協の製氷機,一日3.5トンの製氷能力があります。この氷を漁船に積むことで初めて漁に出られるようになるのです。林業に支援した機械も,それがあれば木を倒せて,その木があれば各製材工場に上げて,工場でそれが木材になれば今度は家を建てることができる。家を建てれば人手が必要になり,雇用が生まれる。ですから,単なる寄付ではなくて,生活の自立に結びつく支援をずっとしてきているつもりです。

もう一つは永続性のある援助,行った援助の効果が長続きすること。例えば製氷機だけだと雨ざらしになって太陽が当たって1,2年で壊れてしまう。そうではなくて屋根を付けて,もっと長持ちするようにしようと。灯浮標も,漁協からのリクエストで,ソーラーバッテリーとLEDランプがついたものにしました。漁協の方は『これは30年は使えるぞ』と話していました。組合員の皆さんの思いによって,灯浮標の横に『末日聖徒イエス・キリスト教会』と記された大きなラベルをはることになりました。組合長さんはあいさつで,『この港に入るすべての船は,イエス・キリストの側を通ってここへ入って来ます』というお話をされたんですね。

現段階では来年の6月まで,ボランティアあるいは人道支援の活動を続けることになっています。来年の春が来て,全体の復興を見ながら,教会がさらにいろいろとかかわっていくのか,6月で終わりにするかという判断をします。ただし職業支援センターは3年間続きます。ですからこの援助は,今日と同時に,明日も明後日も継続していく,という気持ちがありますね。」

個人の自立のためには,まず生計を立てられることが基盤となる。仕事や雇用が生まれるよう,最も効果的なポイントを見極めて支援をする。あるいは個人が職に就けるように助ける。生活の安定は心の安定につながる。それと並行して,家族を失った悲しみや心の傷を抱えた人に癒しの手を差し伸べていく。イエス・キリストの福音に基づく教会の福祉プログラムは,永遠の視点と隣人への慈愛に支えられている。◆

★教会の復興支援の主要な働き,時系列レポート─

4/1 ブリガム・ヤング大学ハワイ校で千羽鶴を折る,2000羽の折鶴と募金が被災地へ送られる

4/1 日本在住の教会員の働きかけにより,メラルカジャパンが800セットの栄養食品を寄付

4/8 オレゴン州の8つのステークの会員たちが,毛布5,000枚と衣服を集めて日本に送る

4/11〜13 千葉ステークと石巻支部の会員たちが支援物資の提供とおしるこ2000食の炊き出しを,10か所の避難所で行う 

4/16 横浜ステーク川崎ワード扶助協会が,約100人の避難所となっている川崎市とどろきアリーナで食事の炊き出し

4/17 ユタ州在住の末日聖徒の教師の提案により,その学校の生徒たちが石巻市の避難所にいる子供たちに手紙を書く

4/17 横浜ステーク山手ワードの初等協会の子供たち22人がイースターエッグを作り,被災地へ送る

4/21 石巻市立雄お 勝がつ中学校の入学式にて80セットの文房具キットを贈呈

5/5 運動会と文化祭用に,石巻市の北上中学校に大型テント2張りを寄付

5/8 東京在住の英語を母国語とする青少年のその指導者140人による東松山市での泥のかき出し

5月 宮城県宮城郡七ヶ浜町でフリーマーケットボランティア開催(上杉ワードに集積された支援物資を展示し,基本的に無料で持ち帰ってもらう)

5/9 七十人会長会のクラウディオ・R・M・コスタ長老とスティーブンソン会長らが宮城県女川町を訪問,ワゴン車5台を寄贈

5/27 仙台伝道部の宣教師たちが宮城県塩竈市と東松島市で瓦礫・ヘドロ撤去の労働ボランティア

5/28 東京南地方部(英語ユニット)の140人(うち青少年61人)が東松島市で瓦礫撤去,側溝のヘドロ掻き出し労働ボランティア

5/29 岩手県野田村に4WD車2台と薬剤冷蔵庫1台を寄贈

6/1 アリゾナ州の教会員たちが,仙台の孤児院に送るため150人分の乳児用毛布を作る

6/3 東京伝道部の宣教師たちが宮城県多賀城市と東松島市で,神社,住宅,公園の瓦礫・泥撤去などの労働ボランティア

6月〜 NPO法人「仙台グリーフケア研究会」,「ヘルスカウンセリング学会」等と協働し,被災地での専門的な「心のケア」支援を開始

6/15 ボーイスカウトの最高位であるイーグルスカウトに達した末日聖徒の少年がユタ州から来日し,サッカーボール,ユニフォーム,その他の備品を山元町の学校に寄贈

6/15 H・デビッド・バートンビショップが亘理町荒浜港の宮城県漁協亘理支所へ大型冷凍・冷蔵・製氷施設,保冷車,冷凍車,タンクローリー各1台を寄贈

6/16〜 岩手県宮古市にて「礼服プロジェクト」で全国のユニットから集められた礼服を頒布開始,合同慰霊祭やお盆に活用

6/25 宮城県東松島市役所に公用車4台を寄贈

6/30 福島県南相馬市の避難所に清涼敷きマット400枚,いす用クッション400個,扇風機30台を寄贈

7/9 武蔵野ステーク福生 ワードにて,在日米軍のジョンソン兄弟,フロスト兄弟による米軍の被災地支援「トモダチ作戦」報告会を開催

7/14 宮城県亘理町教育委員会(小中学校)に放射線測定器10台および放射線に関する本280冊を寄贈

7/14 福島県新地町教育委員会(小中学校)に放射線測定器5台および放射線に関する本160冊を寄贈

7/17 ユタ州サンディーの若い女性が,東北の生徒たちのためにブレスレットを250個作り,手紙を書く

7/18〜 モルモン・ヘルピングハンズ ボランティアバスツアーの第1グループが出発,以後継続中(9月まで週3便,10月以降週1便)

7/29 関東独身成人カンファレンス(KDC)の奉仕活動として約60人の独身会員が1500セット(トラック7台分)の食料品キットを作製

7月 仙台市立南吉成小学校にてヘルピングハンズ仙台事務局スタッフがボランティア・傾聴ボランティア活動について子供たちに語る

8/24 宮城県岩沼市にて,農業支援の先駆けとして,塩害に土壌改良を施した畑と施さない畑に試験的にレタスを作付け

8/25 仙台市のみやぎ災害救援ボランティアセンターの倉庫修繕を支援

8/26 宮城県南三陸町の全壊した材木加工業者に木材加工機械等を寄贈

9/1 宮城県亘理町荒浜の宮城県漁協亘理支所にて製氷施設の落成式を行う(施設は8月上旬から稼働)

9/2 セルビア・ベオグラードの末日聖徒の母親と多くの国の友人が,石巻市の学校ために千羽鶴を作る

9/20 岩手県野田村に石油ストーブ110台を寄贈

9/29 岩手県陸前高田市のきのこ生産業者へ,きのこの乾燥機と異物検知器,各1台を寄贈

10/3 宮城県漁協女川支所竹浦支部にホヤ養殖等に使うロープ一式を寄贈

10/11 岩手県陸前高田市,広田湾漁協米崎支所に,ホタテ,ホヤ養殖復興のため綱撚 り機と吸水ポンプを各1台寄贈

10/11 教会が準備した10台のバスで,被災した仙台市内の3つの小学校の児童が東京で見学旅行をする

9月〜10月 宮城県石巻市(9/5)と亘理町(10/23)で,心のケアについての講演会とカウンセリング個別相談会を支援

10/25 岩手県陸前高田市,広田湾漁協に魚等を入れる万丈篭500個,タンクローリー,クレーン付トラック等車両4台,吸水ポンプ10台等を寄贈

10/28 岩手県野田村漁協に,魚市場荷受用機材,フォークリフト,冷凍車を含むトラック2台,魚保管用タンク70個を寄贈

10/28 宮城県漁協大谷本吉支所に,漁船1隻,軽トラック3台を寄贈

11/4 岩手県大船渡市漁協に,LED太陽電池式浮漂灯4基,漁網洗浄用の吸水ポンプ1台を寄贈

11/7 早稲田大学,慶応大学に,被災者のための奨学金を提供

11/9 宮城県気仙沼漁協に,市場用ベルトコンベアー1台,魚保管用タンク50個,防寒着55着を寄贈

11/9 宮城県漁協,志津川支所(南三陸町)に,LED太陽電池式浮漂灯4基を寄贈するとともに,三陸杉を利用した仮設事務所の設置に協力

11/10 岩手県久慈市漁協に,漁網4,500反,アワビ竿50本,タンクローリーを含む車両3台,事務用機器等を寄贈