リアホナ2011年12月号 わたしの福音を宣べ伝えなさい  会員と宣教師がともに働くことの力

●わたしの福音を宣べ伝えなさい  会員と宣教師がともに働くことの力

10人以下の支部が1年で40人に

─前日本神戸伝道部会長 ウィリアム・マッキンタイヤ

2010年1月中旬,地域会長から広島伝道部の統合計画を伝える電話を受けました。合併は7月1日ころに実施され,その結果,広島伝道部は閉鎖されてその3分の2が神戸伝道部に吸収されるということでした。

この知らせを受けるとすぐに,地図を見つけてこの変更が何をもたらすのか考え始めました。その地図を見ていると,淡路島が心に浮かんできて離れませんでした。淡路島は,日本のおもな4島のうちの2島,本州と四国の間にあります。淡路島は内海にあり,島の両側には四国と本州を結ぶ立派な橋が掛かっています。神戸ステーク洲本支部がある洲本の町は淡路の中央付近にあります。

洲本は毎週の聖餐会の出席人数が平均10人以下の小さな支部でした。宣教師は5年以上この支部に召されていませんでした。2008年にわたしが初めて伝道部に着任したとき,神戸ステークの大嶋会長は洲本について話し,もし十分な人数の宣教師がいれば支部を再開させたいと言いました。宣教師が最後に洲本にいたころからは何年もたっていて,会員は少し気落ちしているということでした。ここでのわたしたちの伝道の前半は,宣教師の人数が十分ではなく,その数が増えることはなかったので洲本に宣教師を送ることはできませんでした。支部はとても小さく,宣教師もいなかったので,最初の18か月はわたしが支部を訪れる機会もありませんでした。

統合について考え,新しい伝道部の地図を見ているうちに,洲本に宣教師が必要だという気持ちを感じました。四国の地方部と支部を訪問するために1か月に何度か島を渡るうちに,確かにそうするべきだと感じました。1か月に何度も洲本支部を通り過ぎているのに,そこで働く宣教師がいないことを想像することができませんでした。それまでわたしは力強い地域に宣教師を集中させるように努めてきました。そのような地域は通常,大きなワードや支部のある,人口の多い都市であると考えられています。しかし,時折郊外の小さな支部が活気づいているのを見ることがあります。こういった地域では何かの理由で,福音を受け入れる準備のできたたくさんの人々に会います。淡路は四国への橋となり,そして新しく再組織される神戸伝道部のほとんど真ん中に位置することになるのです。淡路島に何か特別なことが起きると考えずにはいられませんでした。そこに再び宣教師を送るのにふさわしい時期であると感じました。

実際のところ,淡路島はとても有名で,日本神話の中では重要な役割を果たしています。淡路に宣教師を送ることについて考えたとき,昔の日本創造の神話について考えていたのを覚えています。それは,日本の父神と母神であるイザナギとイザナミによって日本列島が造られたとき淡路島が最初に造られたという神話です。そして淡路からほかのすべての日本の島々が造られました。以前の広島伝道部と神戸伝道部の境界点の一つとなる淡路は新しい伝道部の強さの中心となると感じました。わたしは訪問をして,誠実な熟慮と祈りをささげようと決めました。そのときは,この島に福音を受け入れる備えが十分できており,洲本支部の会員たちにどのような偉大な奇跡が起きることになるのか知るよしもありませんでした。

2010年2月初旬,マッキンタイヤ姉妹とわたしは町を見て回り,この地域で伝道を再開することについてのわたしの気持ちを確認するために洲本を訪れました。人々は親切で景色は美しく,すぐにこの島が好きになりました。城跡に登って写真を撮りました。山からは島全体と,海の向こうに和歌山県の紀伊半島が見渡せました。山の上の小さな店に立ち寄り,年配の女性と話してパンフレットを渡しました。車まで歩いて山を下りるとき,わたしはマッキンタイヤ姉妹に,わたしたちはたった今この島で伝道を再開したこと,そして今の女性は最初に話しかけた人だったと言いました。

その月の後半に神戸ステーク大会に出席して,ある部会で話をする機会がありました。お話の中で,モンソン大管長がカナダの伝道部会長として奉仕していたときの話※をしました。モンソン大管長は伝道部に着任すると,ある小さな支部を訪問し支部会長と話をしました。その支部会長は美しい大きな礼拝堂の写真を見せて,彼の支部にこのような礼拝堂を建てたいとモンソン大管長に言いました。モンソン大管長はそのような大きな礼拝堂を建てるには約400人の会員の出席が必要になると彼に言いました。そのときその支部の出席はわずか10人前後で,そのうちの大半は支部会長の家族でした。このすばらしい支部会長はモンソン大管長の言葉に少しもがっかりすることなく,もし宣教師を6人送ってくれたら400人を集めると言いました。モンソン大管長は彼に宣教師を送ることになりました。

到着すると宣教師と支部会長は一緒にひざまずいて祈りをささげました。支部会長は祈りの中で,今日が新しい礼拝堂を建て始める最初の日だと言いました。祈り終えると本棚に手を伸ばし電話帳を取り出して,礼拝堂を建てるなら大工が必要だと言いました。そして電話帳に載っているすべての大工に電話をかけ始め,自分の家に招待しました。電気技師,塗装工などにも同じようにしました。支部会長の家に来た人は皆,宣教師を紹介されました。モンソン大管長は,伝道期間の終わりまでにその支部は新しく美しい礼拝堂を建て,数百人の会員が集っていたと言いました。神戸ステークの会員とこの話を分かち合い,会員と宣教師がともに働くときにもたらされる偉大な力と,会員が口を開いて福音を分かち合うときにもたらされる大きな祝福について証しました。

そしてわたしは宣教師を洲本に送りたいと話しました。洲本ではその年,一人の改宗者のバプテスマを目標にしていると聞いていました。会員の出席人数が少なく宣教師がいないことを考えればそれは立派な目標でした。わたしはもし,洲本支部がその年に5人のバプテスマを目標に掲げれば,宣教師を送り,淡路に教会を建てるために一緒に働くと話しました。

集会のすぐあと,洲本支部の笠井会長が,前にいたわたしのところに近寄って来ました。彼は目に涙を浮かべながらわたしを抱きしめて,洲本に宣教師を送ってくださいと言いました。そして彼はポケットから多くの名前が書いてある紙を取り出して,「福音を分かち合いたい友達がいます」と言いました。わたしは宣教師を送ることを約束しました。

2,3週間後,マッキンタイヤ姉妹とわたしは宣教師のアパートを探すために淡路を再び訪問しました。ついに教会からほんの数分の所に良い場所を見つけました。教会はとても古い小さな建物の1階部分でした。見た目の良い建物とは言えず,聖餐会に15人も入ればいっぱいになってしまうような場所でした。ここにはもっと大きくてきれいな教会が必要だ,とマッキンタイヤ姉妹に話したのを覚えています。

4月に正式にこの地域での伝道を再開して,伊藤長老とバッジ長老という二人の立派な宣教師を送りました。笠井会長の家族は,宣教師の引っ越しと必要な電化製品の購入を手伝ってくれました。引越し当日,笠井会長は宣教師と会う人々と約束を取っていました。わたしはこの地域に強い希望を抱きました。

宣教師たちは活気にあふれていました。会員から多くの人を紹介してもらい,一生懸命働いてできるだけたくさんの人々と会いました。1か月か2か月でバプテスマが一つ見られるかと期待していましたが,ありませんでした。何回かバプテスマの予定を作ったのですが,いつも実現しませんでした。そしてついに,厳しい信仰の試しがあり,わたしたちが十分に謙遜になった後,淡路島で注目すべきことが起こり始めました。

バプテスマ!

2010年9月に宣教師は秋田姉妹にバプテスマを施しました。彼女は宣教師が戸別訪問をしていたときに出会った人でした。11月には,会員に紹介された内谷兄弟がバプテスマを受けました。12月には,全員が会員ではない家族(両親は会員)の紹介でマイキー・シモンズ兄弟がバプテスマを受けました。2011年2月には細田姉妹がバプテスマを受けました。支部の会員である娘さんの紹介でした。そうして状況は急速に変わり始めました。

この時点で教会の出席人数はすでに毎週20人を超え,1年前の2倍以上になりました。新しい教会の場所を探す努力も進みました。宣教師はバプテスマを施すだけでなく,再活発化の働きも助け,支部が既存の建物では間に合わなくなってきたことは明らかでした。

2011年4月には支部はさらに二つの家族を教会に迎えました。最初,宣教師が戸別訪問で立花家族に会いました。彼らは戎家族を紹介し,両家は皆同じ日にバプテスマを受けました。(8歳以上の7人がバプテスマを受けました。3人の幼児をあわせて2家族10人です)。それから5月に,別の会員の紹介で鳥井姉妹がバプテスマを受けました。教会はいよいよそれ以上会員を収容できなくなりました。洲本支部の出席人数が毎週30人を超えたとき,やっと新しい建物が見つかりました。しかしそれで終わったわけではありません。つい先週,洲本では川上家族もバプテスマを受け,支部に新しく4人の会員が加わりました。支部の伝道を再開してわずか約1年で平均出席数は40人以上になりました。

新しい礼拝堂は4 0人が快適に集えますが,もっと人数が増えても余裕があります。宣教師は会員が新しい建物を見つけたと聞き,わたしに興奮して電話をかけてきてその喜びを伝えました。しかしまだ大きな問題があると言います。「伝道部会長,新しい建物はすばらしいのですが40人しか入れません。それでは十分ではありません。どうしたらいいでしょうか。」わたしは彼らに,今までしてきたことをそのまま続けるように,そうすれば必ずうまくいくと言いました。

近い将来,洲本は賃貸ではなく教会所有の建物を持つことになるでしょう。そうなると確信しています。宣教師と会員がともに働くとき,偉大な奇跡が起こり得るし, 実際に起こるのです。淡路の奇跡はまだ終わってはいません。数週間のうちに複数の人々のバプテスマが予定されています。

その小さな支部での経験は,わたしの伝道の中でも特別な思い出として永遠に残るでしょう。それは大きなビジョンと会員との一致,深い信仰と熱心な働きにより可能になる事柄についての証です。

わたしたちが信仰をもって働き,主に従順になるとき,奇跡を目にすることができます。わたしたちは淡路で目にした奇跡と洲本支部のすばらしい会員たちを決して忘れないでしょう。◆