リアホナ2011年8月号 労働ボランティア体験記 被災地で働けたことは人生の宝です

◉労働ボランティア体験記  被災地で働けたことは人生の宝です

現在,教会では週に3便のバスを東京から東北の被災地へ運行し,ボランティアとして働くことに興味を持つ多くの兄弟姉妹を送り出している。

3月の被災直後,その先駆けとも言えるボランティアが数名ずつ被災地へ赴いた。藤沢ステーク鎌倉ワードの浦田直也兄弟は,その最初のグループの一人として活躍し,約1か月間にわたって奉仕活動に従事した。

「3月21日から4月16日まで,一関と古川を拠点として,気仙沼と石巻を中心に働きました。一関を拠点としたときは,気仙沼。古川を拠点としたときは,石巻で働きました。それぞれの拠点からは,片道1時間から1時間半かけて車で移動していました。寝泊まりはいつも一関支部と古川支部でした。」時には原付バイクで移動したこともあるという。「あれは大変でしたね。ゆっくりと走るので時間ばかりかかって疲れました。働く時間がなくなってしまいますからやめました」と笑う。

労働ボランティアとしておもに行った作業は,会員の安否確認,瓦礫撤去,そして,ヘドロの除去。「最初は会員の安否確認と会員に必要な物資を届ける仕事でした。登録されている住所へ行って探したり,避難所へ行って探しました。これは数日で終わりましたので,その後は,教会員であろうとなかろうと関係なく,ヘドロ除去の作業をしていました。」

なぜボランティアへ申し込んだのか?浦田兄弟はこう話す。「昨年の11月に札幌伝道部から伝道を終えて帰還しました。コールセンターで仕事をしていたのですが,被災の関係で計画停電が実施されるようになりました。仕事がいつ再開できるか分からない状況になってしまったんです。そのときに,タイミングよく,東北被災地でのボランティア募集を知りました。家で待機して無駄な時間を過ごしているよりは,困っている人たちを助けに行く方が価値があるのではないかと思いました。」

地震と津波が発生してわずか10日後のこと。被災地では被害の全容も把握されないまま混沌とした状況が続いている時期であった。「現地の情報があまり入っていない時期でしたので,母親は少し心配していました。父親は行きたいならば行ってくればいいと話していました。」

何も分からないまま被災地へ向かったが,少しだけ安心を感じるものがあった。それは「同僚」の存在だった。「ルールで決められていましたので,いつも二人一組で同僚と行動していました。同僚の山下昇真兄弟とは始めから終わりまでずっと一緒でした。二人で考え,二人で計画し,二人で調整しなければなりません。それはまったく宣教師のときと同じ気分でした。被災地でボランティアをしている間,二人で奉仕することの大切さを確認し合ったり,食事をする度に一緒に祈ったり……もっと人のために働こうという気持ちを互いに持ち続け,互いに良い刺激を受けていましたので,ともに働くには最高の同僚でした。とても幸せでした。」

「伝道が終わったときには仕事や学業に専念しなければなりませんから,当然のことながら奉仕する時間は,伝道中と比べれば圧倒的に少なくなります。それが心の中でひっかかっていました。それが今回の被災地でのボランティアで,毎日同僚と一緒に奉仕する生活に戻り,宣教師のときの生活を思い出しました。」

また,出会う人々から神様の導きを感じることも多々あるという。「被災地でのボランティアでは,人々を助けるときにすごく感謝されるんです。ある老夫婦が苦労して自分の家の整理や瓦礫撤去をしていました。同僚とわたしが『お手伝いできることがありますか』と尋ねると,おじいさんが手招きするんです。そこには驚くほどのヘドロがありました。おばあさんはとても感謝し, 『ありがとうございます。ほんとうに神様っているんだね』と涙ぐんで話されていました。宣教師として,御言葉を伝えたわけではありませんが,奉仕を通じて御霊を感じてもらうことで,その生活は宣教師に似ていました。」

「ヘドロをかき出す仕事をしているときは,いろんな人から声をかけられます。つまり,助けを求められるんです。そのため,わたしたちも次から次へと助けをします。宣教師のときはあいさつしても返事が返って来ないときもありましたが,モルモン・ヘルピングハンズの黄色いベストやTシャツを来ていると相手からあいさつしてきます。被災地ではわたしたちの黄色いベストやTシャツはとても目立ちます。そのため,地元の人への信頼感はかなり浸透しているのではないかと感じています。」

被災地で何度か安息日の集会に出席した浦田兄弟は,そのときの経験を振り返りながら主の深い御心について学んだという。「聖餐会に何回か出席しましたが,不思議なことに,被災した会員の方々が元気に見えました。あらゆるものを失ったにもかかわらず,神様に対する証と希望を語っていたので驚きました。主は様々な方法や試練を通して,神様の子供たちを訓練されるのだと感じました。どんな試練の中にあっても,神様はその子供たちを愛されているのだと知ることができました。」

「被災された方々には大変申し訳ないのですが」と前置きしながら,浦田兄弟は「被災地で働けたことは人生の宝になった」と話す。「多くの方々はこの世での財産を失いました。わたしはそのような方々のお手伝いをさせていただき,毎日,泥だらけになって働きました。その経験はわたしの宝となりました。不謹慎に聞こえるかもしれませんが,毎日すごく楽しく働きました。ヘドロを取り除く作業をしていても,腐った臭いに包まれていても,水に浸った重たい畳を運んでいても,とても幸せでした。人のために働くというのはとても不思議な感覚です。自分一人のために頑張っているときは,自分一人分だけの幸せし

か感じることができませんが,ヘルピングハンズのボランティアを通して多くの方々のお手伝いをしていると,改めてほんとうの幸福感を感じることができました。それは,宣教師のときに伝道していた気持ちと同じでした。」

そして,1か月の奉仕期間を終えて帰るときの気持ちも宣教師のときと同じだった。「帰るときには,伝道が終わったときと同じような気持ちを感じました。もっとここに長くとどまりたいという思い。そして,自分の家族や友人が待つ所へ帰りたいという思い。その二つの思いを感じながら,改めて自分がどれだけ恵まれているか認識することができました。」

「またいつか被災地へ戻って奉仕する機会があるはずですし,ぜひとも,お手伝いをしたいと思います。」これから被災地のボランティアへ向かう人たちも,おそらく,浦田兄弟と同じような気持ちを感じ,主の深い御心に思いを向ける機会に恵まれるのではないだろうか。◆