リアホナ2011年8月号  福祉のABC 13

福祉のABC 13 

(教会福祉部)

仕える

75年前に,主は預言者を通して教会福祉プログラムを創設なさいました。年月が過ぎても,そのメッセージは変わりません。自分の必要を満たすためにできる限りのことを行い,人に助けの手を差し伸べてください。人を助けるということについては, 奉仕する,支援する,仕えるなど,いろいろな言い方があります。福祉の場面で,仕えると言う場合は,次の辞書的な内容を意味します。「ほかの人が求めることや必要とするものを与えること。例─ボランティアたちは洪水の後,家を失った人たちに仕える。」(The American Heritage® Dictionary of the English Language, 第4刷 ©2000 Houghton Mifflin Company.2 0 0 9 年に更新。Houghton Mifflin Companyにより出版。版権所有)

物質面で仕える

ヘンリー・B・アイリング管長は会員が人に仕える例を幾つか挙げて,なぜ助けるのか説明しています。「必死の思いで仕事を探している人に出会ったら,助けてあげたいという望みを感じます。同じような望みは,夫に先立たれた人の家に入り,そこに食べ物が一切見当たらないときにも感じます。地震や火事で家を破壊され,廃墟に座り込んで泣いている子供たちの写真を目にするときにも感じます。

主は彼らの叫びを聞き,彼らに対する皆さんの深い哀れみを感じておられます。そのようなわけで,時の初めから,主は御自身の弟子たちに人々を助ける方法を提供してこられました。主は主の子供たちに時間,財産,そして自分自身を奉献するように招いておられます。……人に仕えるためです。」(「善を行う機会」『リアホナ』2011年5月号,22)物質面で人に仕えられるようになるためには,自立する努力が必要です。

霊的な面で仕える

どのようにしたら霊的な面で人に仕えることができるかを考える前に,ディーター・F・ウークトドルフ管長の次の言葉を考えてみましょう。「わたしのこれまでの経験では,自分のためだけでなくほかの人のためになる場合の方が強い導きを受けることが多かったです。自分のことばかり考えていると,非常に力強い霊的な経験や深遠な啓示を生活の中で受ける機会を逃してしまうかもしれません。」(「ダマスコに行く途中でとどまる」『リアホナ』2011年5月号,75)物質面で人に仕えるために,わたしたちはある程度自立している必要がありますが,それと同様に,人の霊的な必要を満たすためには聖霊の導きも求める必要があります。

H・デビッド・バートンビショップの次の証を読むと,助けるとは,単に物質的な必要を満たすだけにとどまってはならないことが分かります。「世界が創造されて以来,義にかなった社会ではいつも慈愛が重要視されてきました。わたしたちは平和な世界と豊かな社会を望んでいます。悪を捨て,善意と義が広がり,思いやりがあり徳が尊重される社会を祈り求めています。わたしたちがどれほど多くの神殿を建てても,会員数がどれほど増えても,世の人々からどれほど好意的に受け入れられても,『弱い者を助け,垂れている手を上げ,弱くなったひざを強めなさい』というこの偉大な核である戒めを守っていないとしたら,あるいは苦しみ嘆く人々に心を向けないとしたら,わたしたちは罪の宣告を受け,主から喜ばれず,喜びあふれる希望が心に宿ることはないでしょう。」(「福祉という聖めの業」『リアホナ』2 011年5月号,82)

イエス・キリストはわたしたちの模範です。イエスはその生涯を通して人々に物質面でも霊的面でも仕えられました。バートンビショップはわたしたちに次のようにチャレンジしています。「互いに助け合い,『貧しい人に思いやりを示す』業は,御父から命じられている聖めの業であり,子らを祝福し,精錬し,昇栄させるために神により定められた業です。

良いサマリヤ人のたとえの中で,救い主が律法学者に告げた『あなたも行って同じようにしなさい』という勧告に,わたしたちも従うことができますように。」(同上,83)◆