リアホナ2011年8月号 先輩からの手紙

先輩からの手紙

◉高橋真理兄弟/神戸ステーク北六甲ワード

出身は福島県。中学校まで二本松市で育ち,その後,桐生ステーク熊谷ワードでセミナリー時代を送る。5人きょうだいのいちばん上で,3人の妹と1人の弟がいる。現在,通っている関西学院大学三田 キャンパスは,神戸市から六甲山系を越えた北方に位置する新興郊外都市にある。豊かな緑に囲まれ「空気がおいしいです」と高橋兄弟は笑う。要するに大都市圏から離れていて遊ぶ場所もないので,勉学に集中するには最適ということらしい。高橋兄弟の学ぶ総合政策学部では,世界中にある貧困や政情不安,治安維持などの社会的課題をどのように改善できるか,思考実験とシミュレーションを行っている。ミッション系の大学らしく,スペインの修道院のような外観の校舎には礼拝堂も併設されている。

2007年,大学2回生のとき,高橋真理兄弟は大学を通じて国連ボランティアに応募した。6か月間ベトナムに滞在し,南シナ海に面したベトナム北部のハイフォンという町で,中小企業のITセキュリティー強化,ウェブページの構築といったネットワーク環境を支援するボランティア活動に携わった。

2007年当時は,首都ハノイを中心とするベトナム北部で教会のユニットが組織され始めたばかりだった。高橋兄弟は最寄り(それでもバスで往復5時間)のハノイ支部が組織されていることを知ってそこに集うことにした。

5時間もの道のりを毎週行き来するのは大変なことのように思える。「バスで,道も整ってないので,がたがたがたがた,って感じなんです。でも,楽しかったですよ。ハノイという街も見られたし,ハノイ支部でも同世代の友達ができたんです。いろいろな所へ連れて行ってくれたり,ご飯作ってくれたり……。バスの中はずっと音楽を聞いていたらいいので,5時間くらいだったら。まだ若いし,そんなに大変だと思ったことはないんです。」ちなみにバス代は日本円にして片道500円程度。ベトナムの物価は日本の10分の1以下だった。

ベトナムで,高橋兄弟の印象にとりわけ残っているのは,ハノイ支部の支部会長だったブレント・オムダハル兄弟との出会いである。在ハノイ米国大使館に勤務する外交官だった。彼は週末ごとにハノイに通ってくる高橋兄弟に何かと親切にしてくれた。

土曜の朝9時ごろハイフォンからバスに乗り,昼前にハノイに着く。「着いたら,大使館においで,と言われてて。彼はずっと仕事をしてたんです。ぼくはマスター聖句を覚えながら待ってたんですけど,おなかがすいたので,ちょっとご飯食べて来ます,って声をかけて。そしたら彼が仕事を中断して,じゃあぼくも一緒に行くよ,って言ってくれて。忙しくないんですか?って聞いたら,I am very very busy. って言う。その忙しい中,時間を取ってくれて。」

その晩は支部会長宅に泊めてもらう。そして日曜の朝から支部会長の家族と一緒にハノイ支部に集って,午後2時か3時ごろ,ハイフォンへの帰途に就く。「バス停まで送ってくれるんですけど,『本当は,ハイフォンまで送って行ってあげたいんだけど。切符を一緒に買いに行くよ』って言ってくれるんです,彼はベトナム語がある程度できるから。そんな優しいところがあって,そういう(社会的地位の高い)方が,こんな一学生を大切にしてくれたことがほんとうにうれしくて。まったく高慢じゃなくて,謙遜で……ああ本物ってこうなんだ,彼のようになりたい,と思ったんです。彼自身は,どれだけぼくに影響を与えたか分かっていないと思うんですけど。そういう出会いに,ほんとうに感謝していますね。」

主を優先したときに……

オムダハル兄弟は「主を優先したときに祝福があるから」と語っていた。その言葉は高橋兄弟にとっても後に証の一つとなる。また,高橋兄弟が伝道に出るときは,「任地はアメリカだよ」と常々冗談まじりに言っていた。

ベトナムから帰国後,新聞配達のアルバイトをして伝道資金をため,3回生進級を前に休学して伝道に出た。主を優先する選択をした。召されたのはカリフォルニア州サクラメント伝道部だった。伝道地にもまた,様々な出会いがあった。

ある姉妹はたばこをやめられなかった。「結果が見えないのがつらい……宣教師にはほんとうにどうしようもないんです。主のタイミングと,求道者の自由意志もあります。無力さを感じるんです。でも,最善を尽くすときに主は祝福してくださると感じます。」高橋長老と同僚は,彼女のために何かしたいと願って断食と祈りをする。彼女は後にたばこを克服し,バプテスマに至った。「……イエス様の御霊,それしか考えられないですね,これだけ劇的に人の人生が変わるというのは。」そう語る高橋長老がそのとき知ったのは,「だれかの人生の一部に,福音を通してなれた,主の業の一部になれた」という心底からの喜びだった。かつてオムダハル兄弟との出会いが高橋兄弟の人生の一部となったように。

人との出会いこそ祝福

振り返れば高校1年のとき,父親とけんかをしたことがあった。売り言葉に買い言葉で思わず「もう教会になんか行かない!」と言ってしまう。けれども……「よく考えたら,父のために教会での友達をなくすことはないなと(笑)自分が楽しいので教会へ行っているのであって,父のために行っているのではないと気づきました。」セミナリーは,出席して眠くなることもあったけれど,4年間通い続けて卒業した。なぜ続けられたんだろう,と振り返る高橋兄弟はしばし考えて─「一緒に頑張れる友人や良い先輩がいたからだ」と思い至る。極論するとセミナリーそのものよりも,人との出会い,その影響の方が大きかった。

高橋兄弟の2学年上に,医学部を目指している兄弟がいた。彼は受験勉強でいっぱいいっぱいのはずなのに,さらにマスター聖句を一所懸命に暗記していた。「受験には役に立たないことなのにやっている先輩を見て,そうか,受験と教会は二者択一じゃないんだ,両方やればいいんだ,と分かりました。」

「主を選ぶときに,ほんとうに自分が想像できない祝福があることを知っているので,何よりも主を第一に置くことが大切だと思いますね。」その祝福とは何か,と問うと,「教会に,すばらしい人との出会いがあることです」と明快に答える。「こんな人になりたい」と思える人との出会いこそが祝福で─その延長線上にイエス・キリストがおられるという。

大学を卒業したらアメリカのロースクール(法科大学院)留学を目指している高橋兄弟。大学院課程で求められる高い英語能力にプレッシャーを感じながらもチャレンジ精神を持ち続けている。それというのも高橋兄弟の二人の伝道部会長がともにロイヤー(弁護士)で,「こんな人になりたい!」と思わせてくれたからだ。これまでの人生における出会いの集大成が今の高橋兄弟なのだ。

efy京都セッションには1,000人以上が集う。「必ずそこには出会いがあります。青少年も,この人に会ってよかった,っていうのが絶対にあると思うんです。よく聞く話では,(ef y の)何がほんとうによかったかっていうと,カウンセラーとの出会いがよかったとか,友達との出会いがよかったとか。結局,プログラムも大切なんですけど,青少年が何を覚えているかというと,あの子と友達になったとか,あのカウンセラーがよかったとか,要するに人間の部分だと思うんです。これだけの,1,000人規模の人が集まれば,絶対にそういう出会いがあると知っていますし,カウンセラー一人一人,ほんとうに尊敬できるすばらしい兄弟姉妹たちなんです。」

efy開催に向けて待ったなしの現在,だれもが寝る間も惜しんで懸命に準備している。「それは青少年に対する愛ですよね。それを感じるときに,ほんとうに彼らは変わると思うんです。こういう人になりたい,っていう出会いが必ずあって,残りの人生が変わると思うんですよ。efyで青少年が変わるっていうのは,そこだと思うんですけどね。」◆