リアホナ2011年4月号 アドニー・Y・小松長老が逝去される

アドニー・Y・小松長老が逝去される

──名誉中央幹部。アジア人初の伝道部会長,日系人初の中央幹部,東京神殿会長を歴任

アドニー・義夫 ・小 松長老が,2011年2月23日にハワイ州ホノルルにおいて逝去された。享年87。遺族は伴侶のジュディ姉妹と4人の子供たちである。3月5日にホノルルのタバナクルで葬儀が行われた。大管長会の意を受け,教会を代表して七十人第一定員会のウィリアム・R・ワーカー長老がソルトレークから駆けつけた。ワーカー長老は元アジア北地域会長であり,若いころ,小松伝道部会長のもとで働いた専任宣教師であった。また,元七十人第二定員会のサム・K・島袋兄弟をはじめ,日本の教会の発展のために働いたハワイ在住の開拓者たちが集い,小松長老との別れを惜しんだ。

小松長老は1961年,日系人初のビショップとなり,後に,アジア人で初の伝道部会長として1965年から1968年まで北部極東伝道部にて奉仕した。1970年には日本とハワイを統括する十二使徒会地区代表に召される。その後,1975年春の総大会にて,アジア人で初の中央幹部(十二使徒評議員会補助)に召され,1976年秋の総大会における中央幹部の改組に伴い,七十人第一定員会会員となる。1982年から1985年までは日本東京神殿の第2代神殿会長を務めた。1993年秋の総大会で七十人第一定員会名誉会員に任命されるまで,18年以上にわたり中央幹部として,日本をはじめ世界各地の教会の発展に尽くした。

小松長老は1923年8月2日,小松じざえもん,みさお夫妻の息子としてハワイに生まれた。両親は広島からハワイへ移民してきた日本人であった。父親は小松少年が10歳のときに亡くなり,母親は大変な苦労をして子供たちを育てた。小松少年は17歳の高校生のとき宣教師に出会い,MI A(相互発達協会)のバスケットボールチームに誘われたことをきっかけに教会に集うようになる。1年間福音を学んで1941年に改宗した。

バプテスマの許しを乞うたとき,母親は悲しんで涙を流した。子供たちを仏教徒として立派に育てるよう亡き夫と約束していたので,息子を失うように思われたのだった。小松少年は母親に約束した。「もしバプテスマを受けた後,お母さんを困らせたり,恥ずかしい思いをさせたり,不名誉な行いをしたなら,教会に行くことを禁止してもいい,口答えはせずにお母さんの望みに従います」と。そしてこう付け加えた。「もし善い人間になって未亡人であるお母さんを大切にし,家族や弟や妹の面倒をよく見られるようになったら,ずっと続けて教会に行かせてください。教会は永遠の命を受けるために勉強できるところなのです。」

小松長老は終戦間際の1945年に合衆国陸軍第441防諜部隊に配属され,進駐軍の一員として初めて日本の土を踏んだ。同じ部隊内に,先月の小欄にて訃報を伝えたラッセル・N・堀内兄弟がいた。小松長老と堀内兄弟は同い年で,奇しくも約1か月の差で来世へ赴くこととなった。彼らをはじめとする末日聖徒の進駐軍兵士たちは,戦前からの日本人聖徒とともに,戦後,いち早く日本で安息日の礼拝を行っていたのである。

また小松青年は進駐軍時代に,後の永遠の伴侶となるジュディ・フジタニ姉妹にバプテスマを施した。二人は1950年6月2日にハワイ神殿で結婚する。結婚後の最初の安息日,それまで集ったことのなかった姉妹の支部の聖餐会に小松青年は初めて出席した。後方の席に隠れるように座っていた彼は,事前に何の連絡もなく突然,起立するように求められ,それまで面識のなかった会員たちによって支部会長に支持される。小松会長は新婚の姉妹を席に残して壇上に上がった。これは,後に様々な召しを歴任する小松ご夫妻にとって最初の「驚き」でしかなかった。

ハネムーンに出発する予定だった翌日の月曜日,小松会長は支部会長会顧問らと支部書記との会合に臨んでいた。「家内は何の不平も口にしませんでした。何という忠実さでしょう!」と小松長老はたたえた。一方ジュディ姉妹は,1972年に中央扶助協会役員に召されたとき,長老の家庭での働きぶりについて,「彼はとても辛抱強く親切で寛大で,いつでも100パーセントわたしの召しをサポートしてくれます」と賛辞を贈っている。

軍務のため専任宣教師として奉仕する機会のなかった小松長老は,伝道部会長に召されたとき,自身の伝道経験のなさと,家族でただ一人の改宗者であることを思って,自分は適任者ではないと感じた。しかしその背景は,当時の日本人聖徒の多くと共通するものであり,日本の家庭環境や家族関係への深い理解となって生かされた。それは後に地区代表となり,また(当時は小松長老を含めて二人しかいなかった)改宗者から召された中央幹部となり,責任やチャレンジが増し加えられてからも同様であった。「主が行けという道をわたしは行きます」と小松長老は謙遜に述べている。そしてその信仰と信念を次のように言い表している。「(もし)わたしたちが主の召しを第一とし,真心から奉仕するならば,万事はうまくいきます。」◆