リアホナ2010年9月号 先祖の心を子らへ,子らの心を先祖へ

先祖の心を子らへ,子らの心を先祖へ

「将来,お前がわしたちを救うことになる」

甦った幼児期の記憶

──大阪北ステーク千里ワード掘井紀久夫兄弟

「お前たちがこの世に命を受けているのは,お前たちのお父さんが1回おぼれたけど,助かったからなんだよ。」

堀井紀久夫兄弟が家族を連れて実家へ帰ったとき,次兄が子供たちへ話しているのを耳にした。石川県鹿島郡鳥屋町(現中能登町)良川が生まれ故郷の堀井兄弟。兄の言葉に少し驚いた。「えっ? 自分がおぼれていた?」──突然何かが堀井兄弟の中でつながるように視界が開けてきた。「そうだ! 思い出した! 確かに自分は幼いときに川でおぼれたことがある!」

そのことに思いを向けると幼かったときの記憶が鮮明に浮かび上がってきた。「そんな体験をしたことはすっかり忘れていました。5歳のころの出来事なので,日常生活で思い出すことなどありませんでした。」堀井兄弟には,そのちょっとした記憶が,家族歴史の探究に思いを向ける自分の信仰生活に密接に関係してくるとは思いもよらなかった。

「戦争が終わった次の年の1946年(昭和21年)の5月か6月か定かではありませんが,当時5歳だったわたしは不思議な体験をしました。この体験は33歳でこの教会に改宗し35歳で先祖の儀式を行うまで,まったく忘れていたものでした。」

「それは,大雨が続いて川が増水していたころでした。少し晴れ間ができた昼下がりに,近所の子供たちと出かけ,水であふれた田んぼを眺めて歓声を上げていました。近くに川があり,渦を巻いているのを興味深く見つめていました。」

堀井姉妹はこう言って笑う。「川って言いますけど,実際には,そんなに大きなものではありません。農業用の水路みたいなものです。家族で見に行ったことがあるのですが,あまりにも小さいのでイメージしたのとまったく違っていました。」

その小さな用水路が記憶の舞台。堀井兄弟がおぼれた場所だった。「用水路が十字に交差している部分に渦ができていました。木くずや木の葉を投げ込むと,その中に吸い込まれるように消えていってしまいます。子供なので,好奇心が強く,確かめたくなったんですね。」

そして,5歳の堀井兄弟はその渦の中に足を踏み入れてみることにした。底には届かなかったが,浅いものと思って両足を入れてみる。すると,あっという間に体が深みにはまり,背丈以上に深かった用水路に引き込まれ,体が一回転すると頭から渦の中心へと吸い込まれてしまった。

「泳げなかったわたしは兄たちの言葉を思い出していました。『じっとしていれば体は浮く。』その言葉を信じて,流されるままに,息を止めていました。用水路は道路の下を横断して反対側へ続いていました。その途中の所に体が詰まってしまったのです。泥が堆積し,土管が細くなっていたからです。息苦しくなり,どうしたらよいか分からなくなったとき,深いトンネルの中から聞こえるような声が耳に届きました。『紀久夫,頑張れ!』という声が聞こえてきたんです。」

その声はフィリピンで戦死した父親の声だと5歳の堀井兄弟は理解することができた。そして,その声に励まされるように無心に足を動かして蹴りあげた。詰まっていた体が動き始め,少し流されると,閉じていた目に光の明るさが差し込んでくるのが分かった。

「右手を伸ばすと土手の草が手に触れました。水から体が胸まで持ち上がり息継ぎはできましたが,草がちぎれて再び水へ引き戻されました。何度もつかんではちぎれ,それを繰り返しているうちに,ようやく土手に這い上がることができました。」

道路下の土管の直径は50~60センチ。管内には泥が堆積していたので,半分以上はふさがっている状態だった。そのわずかな細い部分を通り抜けての生還だった。

「そうだ! 確かに自分はおぼれていた。父の声にも励まされた。」実家を訪れているときに,そんな遠い日の記憶が鮮明に浮かび上がってきたのだった。そして,堀井兄弟の兄は続けた。「そういえば,家に帰ったときに,じいちゃんが囲炉裏の前に座っていたとか言っていたな。」

「囲炉裏……。じいちゃん……。」

さらに記憶がつながり始めた。

「おぼれてずぶ濡れになったわたしは,家に帰ることにしました。履物を流されて裸足で帰ったわたしは,畑仕事をしていた母に事情を話そうとしたのですが,泣いていたわたしは言葉になりませんでした。母は囲炉裏に火が残っているので,そこで服を乾かすようにと言って畑仕事へ戻りました。単に水遊びで服がぬれたのだと思っていたようです。母に慰めてもらいたいのに突き放されたようで,惨めな思いと寒さで体が震えていました。」

そして,家に入り囲炉裏の前に行くと,そこで意外な体験をした。「じい様(祖父)が着物姿で座っていました。その前年に亡くなっていた祖父ですが,幼いわたしは疑問にも思わず,自然に祖父と言葉を交わしました。」

祖父「どうした? ぬれているではないか。」

紀久夫「じいさまは,どうやって帰って来たのだろう……?」

祖父「そんなことより,わしが見えるのか?」

紀久夫「見える。」

祖父「わしはどんなものを着ているように見えるか?」

「祖父はわたしに対して,ほんとうに見えるのかと念を押すように,そして試すような質問をしてきました。幼いわたしは語彙が乏しかったので,着物について細かく説明することができず苦労したのを覚えています。とにかく,着物や帯の柄とか細かく説明しました。」

懐かしさから,堀井兄弟はいつもしていたように祖父のひざに座りに行こうとした。

しかし──「『わしに触れてはいかんぞ』と厳しい声で言うんです。さらに『じきに,帰らなければならなくなる。神様にこちらへ行って来るように言われた』と話してきました。」

それは,堀井兄弟にとっては不思議な言葉だった。「神様って何?」と幼い堀井兄弟は思った。「祖父は仏壇の前で家族を従えて,お経を上げることはあっても,神様という言葉を使ったことは一度もありませんでした。」

祖父は続けて堀井兄弟へ語った。「神が許さなければここに来ることはできなんだ,今は分からんだろうが,大きくなったら分かる。」

「祖父はその後,ぬれているわたしの姿を見て,囲炉裏に火をおこすように言うんです。そして,祖父は『わしが教えるから,やってみろ』と言って,教えてくれました。」

最初は小さな火種だったが,やり方を知らない堀井兄弟は,言われるままに徐々に火を大きくし始めた。やがて,服を乾かせるほどの火にして,祖父と囲炉裏で暖を取った。囲炉裏に暖まりながら,堀井兄弟は再び尋ねた。

紀久夫「今どこに行っているの?」

祖父「とても暗い所にいる。お前はそこに来てはいけない。いつか将来,お前がわしたちを救うことになる。」

「しばらくして服が乾いたころ,祖父は奥の部屋の方へ去って行きました。祖父はぬれて心細かったわたしを助け,後年の役割まで言い残していったのです。」

しかし,この幼いときの経験は堀井兄弟の記憶から徐々に消し去られてしまった。そして,約30年ほどたった後に,宣教師が堀井兄弟姉妹の家を訪れる。「モルモン書を読んだら,これは真実だという確信を持ちました」と堀井兄弟。「実はわたしが小学校4,5年のころに,長兄が聖書を読み,『キリストの御名によるほかに人に救いを得させる名も方法もないと書いてある』とわたしに教えてくれました。その言葉も,後年の改宗に大きな影響を与えてくれたと思います。」

宣教師からキリストの教えを聞いた堀井兄弟は,自ら教会を訪れ,バプテスマを施してほしいと頼んだ。そして,その4年後には,伴侶の政子姉妹がバプテスマを受けた。

「改宗した当時に支部会長から強く勧められて,家族歴史に取り組みました。今となれば,ほんとうに導きだったと思います」と堀井兄弟。最初に受けた責任は系図の検査員だった。「謄本がこれから取りにくくなるので,急ぎなさいと言われました。あまり系図には気乗りしませんでしたが一応直系を7枚ほど出せました。東京神殿が出来る前で,日本人の先祖の儀式はアメリカの神殿で行われているころでした。」

「しばらくして,系図を提出したことなど忘れてしまったころの,ある日の明け方,寝ているわたしは夢を見ました。」

賛美歌を歌う一団の見知らぬ人々がいた。しかし,一人だけ見覚えのある顔が。それは,堀井兄弟が幼いときに囲炉端で出会った祖父だったという。

「その夢を見た2週間ほど後,ソルトレーク神殿から先祖の儀式完了の通知が届きました。わたしにとって,それはとても大切なことでした。なぜなら幼いときに祖父が『いつか将来,お前がわしたちを救うことになる』と言った約束が果たされたことを意味していたからです。」

様々なきっかけで幼いころの記憶がよみがえったのは,「御霊の助けだと思います」と堀井兄弟は語る。「多くの先祖は霊界の暗黒の中で過ごしており,わたしたち子孫に大きな期待を持っていることが漠然と分かってきました。彼らの中には待っている人々がたくさんいると思います。そのためには子孫に働きかけをすることもあります。彼らを助けることがこの回復された教会の大きな特権です。」

堀井兄弟はためらいながら経験を分かち合う。「こんな経験は特異なものと感じられるかもしれません。きわめて個人的なものだと思いますし,理由は説明できません。しかし,わたしの心の奥底に残る記憶と感覚を否定することはできません。」

堀井兄弟は「多くの人は同じような経験をしているはずです」と話す。しかし,日常の生活の忙しさに追われ,遠い日の記憶が薄れてしまっているのかもしれない。時には将来を見つめる前に,過去を見つめ直し,そして自分に望みを託した先祖の気持ちへと思いをはせるのも大切かもしれない。◆