リアホナ2010年9月号 希望を見いだす4 人生の逆境を祝福に変えて

希望を見いだす4 人生の逆境を祝福に変えて

乳癌手術後の心と体に優しいパッドを開発

── 内田まり子姉妹 松戸ステーク水戸ワード

人生にはいろいろなことが起きる──悪いことも良いことも。内田まり子姉妹は2007年の秋に乳癌に侵された。そして同じ病を抱える多くの女性の賞賛と感謝を浴びる発明家にもなった。

乳癌の苦しみ

内田姉妹は10年ほど前から乳腺症を何度も繰り返してきた。ふたりの従姉妹いとこが乳癌を患ったこともあって検査には時々行っていた。3年前の夏の夜,内田姉妹は何気なく胸に手を当てた。「あら?」左胸の内側に柔らかいしこりがある。癌は硬いと聞いていたが,少し前から胸に水が溜まるという原因不明の症状を抱えていたことと,長年の乳腺症,従姉妹たちの癌など気になる要素が多かったので,近所の病院に行き検査を受けた。医者は「うーん,悪いです。取ったほうがいいでしょう」と言った。不安になり詳しい検査をお願いしたが,その病院では納得のいく検査ができなかった。事情を知った内田姉妹の妹が,教会にいる知り合いの医者に診てもらうようにと勧めてきた。その先生は同じステークで親しくはしているものの専門が違う。少し迷ったが連絡を取ってみると「それは大変。肺にでも転移したら大事だぞ」とすぐに,昔同僚だった専門の医師を紹介してくれた。検査の結果は進行癌だった。それでも手術は左胸の部分切除で,その後1か月で25回の放射線治療を受け,地元の病院に転院する予定だった。しかし内田姉妹は手術の直前にもう一度検査を依頼する。細胞診の結果,左胸の別の部位にも転移していることが分かり,手術は部分切除から下部を少し残す全切除に近いものとなった。幸いにも癌は完全に取れた。血液中への癌細胞の飛び散りも見られないということで経過観察となった。

手術は大成功だったものの,内田姉妹は乳癌の悲惨さを経験することになる。左胸を失ったことで起こる心身へのダメージは思いのほか大きかった。「神様は(乳房を)だてに2つ付けられたわけじゃないんですね」と内田姉妹は言う。胸の片方がなくなると,ふらついてまっすぐに歩けなかったり肩こりが起きたりする。頭痛や,姿勢のゆがみによる背中や腰の痛みに見舞われることもある。「ふらふらするし,肩はパンパンに張るし,手が上がらないんです。胸を横にがっと切ってしまっていますから。」縫合した傷口が痛むので手を上げられない。しかし痛みに耐えてリハビリをしなければその後ずっと手を上げることはできなくなるという。

傷ついた心と体のために

そうした体の変調もさることながら,心の苦痛が内田姉妹を襲った。「自分を愛するように隣人を愛しなさいっていう聖句があるでしょう? それを思い出して,手術の後がくっと落ち込みました。」

「とにかく痛いんです。そして見るも無残なんです。傷があるし腫れているし……。お風呂に入るときに見たくないんです。いくつになっても女性ですから。」傷口は体の中心から脇のすぐ下まで長く一文字にある。その姿を直視することはとてもできなかった。自己イメージを肯定的に受け入れられなければ,他人を受け入れることもできない。「やっぱり自分を愛さなければだめ。人も愛さなければだめ。まずは自分のため。次に人のため。自分を愛するようにって。それを強く感じたから(バストパッドを)作りました。」

手術後わずか2,3週間で内田姉妹は手術した胸の部分を保護するための特別な下着(バストパッド)の開発に着手する。既製品はあったが,それを見て着けたいとは思えなかった。シリコンでできた乳房は重くて硬く,痛みに敏感な傷口に当てることはできない。冬は冷たい。おまけにジャンプすれば飛び出す始末でいつも気になって仕方がない。耐久性に優れないうえ価格が高く,リアルなものになると6,7万円はする。専用の下着もあるがオーダーメードである。「(採寸のとき,)きれいな女性の前で傷口を見せなければならないんですよ。嫌でしょう? つらすぎるでしょう? しかも体に合わないんです。」「癌でショックで,商品でショックで,価格でショックで,トリプルパンチですよ。そんなのひどいじゃないですか。」──体にも心にも優しい下着を作りたい。その気持ちに突き動かされて,内田姉妹は独自の「乳房切除後に使用するバストパッド」(特許申請時の名称)を作り上げた。

神様が創造された素材

開発に当たって内田姉妹はいろいろな素材を使って試作品を作った。手術後の患部の痛みや汗のかき具合,胸の特徴を踏まえて最適な素材を探し続け,真珠と絹にたどり着いた。「真珠を入れることで(静電気が)帯電しなくなることが後から分かりました。うまくいったのは(パッドの中身の)量と重さとバランス。手術した方の胸は驚くほど汗をかくんです。温かくて肌触りがいいということで絹を選んだけれど,絹には制菌作用があったんですね。『まことに,季節に応じて地から生じるすべてのものは,人の益と利用のため,目を楽しませ,心を喜ばせるために造られている。……食物のため,また衣服のため,味のため,また香りのため,体を強くするため,また霊を活気づけるため……』(教義と聖約59:18-19)科学で作り出されたものは,もともと神様が作ったものを人間がリモデルしたものだけれど,(神様が創造された)自然にかなうものはないと思って,真珠と絹を選んだんです。」

「みんな胸は丸いと思っているけれど実はL字型。(内田姉妹のパッドは)重さと大きさと面積のバランスがちょうど取れています。作っていて自然とそうなったんです。これも導きというんでしょうね。」

大きな共感の声

独身時代の内田姉妹はグラフィックデザイナーとして働いていた。小さいときからひらめきがあり,そのひらめきに従って作品を自由に作ってきた内田姉妹は「同じことを繰り返すのは苦手なんです。思いつくままに自由に作るのが好き」と語る。なるほど彼女のアトリエには彫刻,人形,フラワーアレンジメント,ポプリ,写真,絵画と幅広いジャンルのものが飾ってある。彫刻は結婚後,子育て真っ最中の時期に,一人の作家との出会いがきっかけで基礎から学んだ。自由な発想と確かな基礎,それが今回の下着製作にも生かされている。

作った下着を世に出すための努力もした。大手企業に直接電話をし売り込んだ。マスメディアを通して共同開発する企業を募った。インターネットに情報を流した。それがある女性記者の目に留まり,取材を受け,地方ニュースとして採り上げられ,さらには全国ニュースとなった。「ぜひ欲しい,待っていた」という人々の声が集まった。それを知った企業が真剣に取り組み始め,とんとん拍子にことが運んだ。内田姉妹の発明したバストパッドは,彼女自身の想像をはるかに超えて世に広まり始める。

「この数年の出来事はわたしがしたこととは思えません。御心以外にありえないでしょう?」と内田姉妹は言う。新聞やニュースで採り上げられてからたくさんの電話や手紙,訪問が相次いだ。「電話が鳴り続けるんです。『うれしい,待っていた。欲しい。心配をかけるから家族にも言えなかった……』と言う人の声がたくさん。『待っていましたよ,(こんな商品が)いつ来るか,いつ出るかって。うれしい,生きる希望がわいてきた』って皆さん泣くんですよ。そして『内田さんが乳癌になったのは,神様がこれを作らせるためだったんだ』と皆さん口を揃えて言われるんです。確かにそうかもしれない。子宮癌だったら作りませんでしたから。」──内田姉妹が乳癌の経験者として,当事者の立場に立って開発したパッドは,同じ境遇にある世の多くの女性の心を癒したのである。

逆境も神様からのプレゼント

内田姉妹に乳癌が見つかった当時は,夫の経営する会社が傾いて,内田家は経済的危機に瀕していた。倒産と病気。子供たちは皆独立していたものの,内田姉妹の置かれた環境は厳しいものだった。その中で内田姉妹は手術をし,それが癒える間もなくバストパッドの発明をした。「人生って何でもあり。昔からわたしは,ピンチをチャンスにしてきました。それは神様からのプレゼントでしょうね。この世に生まれてきたのはいろいろな経験をするためだって教会でも教わっていました。つらいとか苦しいとかいう気持ちを自分の中に閉じ込めちゃうんじゃなくて,それは神様がその人を強めるために与えられたものだと思えば,そんなに怒りも覚えないですよね。」

「わたしがちょうど病気になったときに,自分を強くしてくださいという祈りの話(モーサヤ24:14-15参照)を(デビッド・A・)ベトナー長老がされました。試練を取り除いてくださいと祈るんじゃなくて,乗り切れるだけの力を(求めるようにと)。(『リアホナ』2007年10月号チャーチ・ニュース,17参照)そりゃもっともだと思いました。必要だからそういうこと(病気や倒産)になるので。苦しんでいるのはわたしだけじゃありませんし。」病気も倒産も回避することはできなかったが,指導者の勧告とそれに従順に従う心によって,内田姉妹は「弱きを強き」に変えていった。

「体は大変でしたよ。結構な手術ですから。起き上がっているのがつらかった時期に(開発)できたのは,わたしが作ったんじゃないからだと思います。作らされたと言ったほうがいいのかもしれません。ひらめいたときにやらなきゃだめですね,変な常識にとらわれてもだめです。不安にかられてやってもだめなんです。不安や恐れはサタンから来るものでしょう? 今回の場合は不安も何もありませんでした。ひたすら作りたかった,作らなきゃと思ったんです。」

病気になったことも,生き延びたことも,商品の開発も,すべて主が用意されたと内田姉妹は言う。「わたしは自分の意思で生きているわけではないですし,生かされているわけでしょう? 生き返って何をする? って言ったら,人のために生きようって思って。ちょっとは人様のお役に立てたら神様が喜んでくださるかなって。」そう言って笑う内田姉妹の顔は喜びに輝いていた。◆