リアホナ2010年6月号 シリーズ 3福祉のABC

シリーズ 3福祉のABC

(地域福祉部)

助けを必要とする人の世話をする

イエス・キリストは御自分の民に,貧しい人と助けの必要な人の世話をするよう言葉と模範によって教えられました。今日,「自分には与えるものがない」あるいは「忙しくて他人のことなどかまってはいられない」と言う人がいます。次のような言い訳をする人もいます。「これまで何年もたくさんの人を助けてきました。もう休んでもいいでしょう。」

ある人は,人生の特に忙しく苦しい時期に次のような質問をしました。「あとどれくらいでしょうか。いつになったら終わるのでしょうか。」ある神権指導者が次のように聞き返しました。「主は十字架の上で何とおっしゃいましたか。」

わたしたちには,「なぜ」や「どれだけ長く」「人生のどの時期に」かは分かりません。わたしたちに分かるのは,「弱い者を助け,垂れている手を上げ,弱くなったひざを強め」るよう,救い主がわたしたちに望んでおられるということだけです(教義と聖約81:5)。

霊的な福祉(霊的に助けを必要とする人の世話をする)

末日聖徒イエス・キリスト教会の会員として,わたしたちは霊的に強くあるようにといつも教えられ,勧められています。わたしたちは,イエス・キリストを信じる信仰を持つこと,福音の儀式を受けること,毎日個人や家族で祈り聖文を学ぶこと,教会の集会に出席すること,戒めに従順に従うことなどを勧められています。世界中には,これらの勧めを受け入れ日々実践することによって祝福を受けている会員が何百万人といます。

しかし,わたしたちは次のようにも告げられています。「また,すべてが信仰を持っているわけではないので,あなたがたは知恵の言葉を熱心に求め,互いに教え合いなさい。……」(教義と聖約88:118)

4月に行われた総大会における開会の言葉の中でトーマス・S・モンソン大管長は,このことについて次のように語っています。「兄弟姉妹の皆さん,わたしたちは教えと霊感を受けるために集まりました。教会に入って間もない皆さんを歓迎します。試練,困難,失意と闘い,大切なものを失って悲しんでいる教会員もいます。皆さんを愛し,皆さんのために祈っています。」(「大会へようこそ」『リアホナ』2010年5月号,6)

周りの人はわたしたちと同じくらい多くを(より多くをとは言わないまでも)必要としていると認識すること,彼らを愛しその愛を言葉と行いで伝えること,彼らのために祈ることは,霊的に助けを必要とする人の世話をするための第一の,そして恐らく最も大切なステップかもしれません。それから先は聖霊が導いてくださいます。

物質的な福祉(物質的に助けの必要な人の世話をする)

乏しい人の世話をすることは神がその子供たち一人一人に下された命令であり,それを理解するのは大切なことです。ビショップだけに対する命令ではないのです。ビショップの役割は,勤勉で思いやりのあるホームティーチャーや訪問教師やワード指導者の助けを受けて貧しい人と乏しい人を探し出すこと,彼らを世話する業を神権組織や補助組織に務めを委任することによって行うこと,適切なときに主が定められた原則に従って断食献金を用いることです。ベニヤミン王は手を差し伸べることの大切さについて次のように語っています。「神の御前を罪なく歩めるよう,日々罪の赦しを続けて受けるために,自分の持っている分に応じて,それぞれ持ち物を貧しい人に分け与えるようにしてほしい。例えば,飢えている人に食べさせ,着る物のない人に着せ,病人を見舞い,各々の入り用に応じて霊的にも物質的にも助けを与えることである。」(モーサヤ4:26)

持っている分に応じて与えるよう命じられているのに気づくのは賢明なことです。他人を助けようとするときに,自分自身や自分の家族を破壊するように期待されている人はだれもいません。

永遠の福祉(互いの永遠の福利に心を配る)

地上での生活は永遠に比べればほんの一瞬ですが,前世を思い出すことも,将来を十分に理解することもできないわたしたちは,現在のこと,特に自分のことにばかりとらわれてしまいます。

神の民の歴史上えり抜きの時代には,狭量な考えを超越できた民がいました。紀元前83年と紀元400年前後に,民はしばしば集まって,断食し,祈り,自らの幸いと神を知らない人たちの幸いについて語り合ったと記録されています(アルマ6:6;モロナイ6:5参照)。そのようにすれば,地上の生活は天国のようなものとなるでしょう。

わたしは何をしたらよいでしょうか?

ヘンリー・B・アイリング管長は,自分の息子が迷子になり見つかった話を通して,だれにでもできることを教えました。アイリング管長はその話を次のように締めくくっています。「主は王国における救助と救助者のパターンを定めておられます。」(「彼らが天の家に戻れるよう助けてください」『リアホナ』2010年5月号,24)わたしたち一人一人が主の王国における救助者となることができますし,そうなるために努力するべきです。

このことについて,ディーター・F・ウークトドルフ管長は,次のような見方で述べています。「この話には深遠な教訓があります。救い主のことを考えるとき,わたしは御手を広げておられる主を思い描くことが多いのです。慰め,癒し,祝福し,愛するために手を差し伸べておられる御姿です。救い主は常に人々の立場に立って語られ,決して見下したような話し方はなさいませんでした。謙遜な者,柔和な者を愛して人々の中を歩まれ,教え導き,希望と救いをお与えになりました。

これが,救い主が現世の生涯で行われたことです。現代に生きたとしても,同じことをなさっていたでしょう。そしてこれは,救い主の弟子であり末日聖徒イエス・キリスト教会の会員として,わたしたちが行うべきことなのです。」(「あなたは,わたしの手である」『リアホナ』2010年5月号,68)◆