リアホナ2010年7月号 特集|末日聖徒の介護事情

特集|末日聖徒の介護事情

地域七十人/LDSファミリーサービス地域ディレクター 西原里志長老

「母は何でもこなすばりばりのスーパーウーマンでした。ですから,(母に)認知症が出て,いろいろなことが分からなくなる,できなくなる,ということに対して,わたしの父は受け入れられなかったんです。」── そう西原里志長老は回顧する。

ご両親の西原良男・キクノご夫妻は1957年に広島で改宗した開拓者である。1980年には日本人初の夫婦宣教師として仙台伝道部に赴任。帰還後,神殿宣教師として召され,1990年にふたたび夫婦宣教師として大阪伝道部に赴任したのを挟んで,1995年までに4度,東京神殿の宣教師として奉仕した。西原ご夫妻は長い召しの期間を二人で歩み,様々な経験をともに重ねた,文字通りの同僚であった。認知症の初期症状は,自然な老化現象と区別がつきにくいこともある。だからこそ良男兄弟にとって,かけがえのない同僚であり伴侶であるキクノ姉妹が認知症にかかっているとは,にわかには信じ難かった。

あるとき,散歩に出かけたキクノ姉妹が戻らず,家族総出で探しに出た。「そのときに母は,ある十字路で,どっちに行ったらいいか分からなくて,泣いていたんですね。それを父が見つけたんですよ。そのときに初めて父は,うちの母が認知症で,もう分からなくなっていっているんだということが,分かったんです。それからうちの父は変わりました。すごく優しくなったんですよ。」

これから日本は数年のうちに,国民の4人に1人が65歳以上となる超高齢社会を迎えると言われる。そうした中で,今後は高齢者が高齢者を介護する老老介護,認知症の人が介護する老認介護,場合によっては認認介護というケースも出てくるかもしれないという。そうした社会の動きをにらみつつ,市町村などの自治体では,2000年4月から施行された介護保険制度を背景に,公的な介護サービスの充実に向けた働きを続けている。

西原里志長老は,地元で20年以上にわたり,高齢者や障碍者介護のボランティアに携わってきた。「わたしと一緒に高齢者介護の勉強をしてきた,地元の医療大学の講師の方がこう言われたんです。『西原さん,今までの日本の家族介護というのは,お嫁さんとか奥さんとかが全部の介護をやって,結局疲れて倒れ,介護する側も受ける側も両方が嫌な経験をたくさんしなくちゃいけないものだった。だけど,新しい介護というのは,公共のサービスに任せられるところは全部任せて,家族はその人の心の部分をケアする,そういうのを頑張るべきだよ』と。ですからどれだけうまく公共サービスを使うか。あとは心の部分,霊的な部分── 聖典も(自分で)読めませんから,隣で一緒に読んであげたりとか,そういう部分を家族でいかにできるかだと思います。」

介護保険を受けるには,介護が必要になった段階で家族が自治体へ申請しなければならない。すると,調査員が本人の状態を調べて公的な認定(要介護認定または要支援認定)がなされ,介護保険被保険者証が発行される。7段階の認定の度合いによって,使える金額の上限や利用できる介護サービスの範囲が決まる。保険が適用されると本人負担は1割となる。

「例えば,電動で起き上がるベッドだとか,褥瘡(寝たきりの場合,接地部位の血行が悪くなり,組織が壊死してくること)を予防するための特殊なマットがあるんですね。あるいはサービスで言えば訪問入浴サービスだとか,ヘルパーさんによるおむつ換え……。わたしは市の介護保険運営協議会会長をやっていたんですけど,そこで,こういうサービスがあったらいいね,というのをどんどん作っていくんです。介護保険ができたおかげで,いろいろな公共サービスが市町村で整備されつつあるので,心の部分のケアにわたしたちが集中できるような環境は整ってきていると思います」と西原長老は語る。

末日聖徒にとっての介護の意味

「基本的には,世間の介護も教会の介護もわたしは同じだと思うんですね。ほんとうに介護を受ける人も介護をする人も負担は大きい。生活の質はお互いにぐっと下がってくるんです。それをどれだけ,お互い快適と感じるレベルに引き上げるのか,だと思うんです。介護イコールやっかいなこと,と思っている人も世の中に結構いらっしゃると思います。だから世の中にはいろいろな公共サービスというものがある。

けれど,わたしたちは福音を持っているがゆえに,考え方がちょっと違う。それは介護を一つのチャンス,機会と見るかどうかですよね。介護も,わたしたちの地上の人生の一部ですので,どれだけそれを,自分が成長するための神様からのチャンス,機会と捉えるか。そこが,もしかしたら大きな違いかもしれません。この人生そのものは確かに大変ですけれど,そのことを通して神様,イエス様のような特質を身につけるという意味では,介護は格好のチャンスだと思います。これほどすばらしい機会はないと思いますよ。」

教会というコミュニティ

「さっきの老老介護,認認介護に戻りますけど,例えば,ご主人が介護が必要になって奥んが介護しますよね。1対1で。家族が協力的じゃなかったら,もうお嫁さんとか,奥さんが独りで頑張らなくちゃいけない。子供からも介護を助けてもらえない。年金生活で経済的に限られていて,公共の介護サービスも使えない。1割負担といっても結構高いですから。とにかくもう自分たちだけでやらなくちゃいけない。でも自分も腰を痛めて大変だ……それで結局,悲観して自殺したり心中したりする方もおられます。けれども彼らが,えば地域社会で見守られていたらそうはならないと思うんですね。核家族になって,地域社会との関係も薄くなっています。行政は何とか,昔のようなもっと濃い地域社会の関係を作りたいと思って頑張っていますけれど,未だにそれはない。でも,わたしたちにはそれがあるんですよ。

介護をしている人がいる,そこを初等協会の子供から青少年から神権者の皆さんまでで見守ってあげる,必要なときにすぐ手を出せる── それが教会なんですね。牛久ワードはまさにそうだったんです。

びっくりしたのは,ホームティーチャーの家の子です。父が母を介護していた当時,小学生で,毎日定期的にピンポーン,って鳴るんです。がらっと玄関を開けるとその子が居るわけです。『どうしたの?』って言うと,『こんにちは,今学校の帰りです』『ああそう。何か用事?』『いや,ただちょっと寄ってみただけです。元気ですか,何かできることありますか?』って。小学生がですよ! 子供がそう言うってことは,ご両親が家で,いつもわたしたちのことを話題にしてくださっていたんだと思うんです。行けって言われて来ているわけじゃないんですから。すごい力になりましたよ。

あと教会で,時々おじいちゃんのところに来てお話してくれませんか?って言ったら,あるご夫婦が,兄弟は目が見えない方なんですけど,一緒に来て,父といろいろ,もう何の話でもない,普通の世間話をして帰って行ってくださるとかね。ほんとうにワードをあげて,見守ってくださっていた,そんな気がしますね。」

教会に行く,というチャレンジ

「ちょっとつらいのは教会に行けなくなることですよ。家族で交代で母を見ますから。わたしは最初5回に1回は教会に行けなかった。まあそれもいい経験でした。聖典を母の側そばで読んだりして,その時間を一緒に過ごしました。母も最初は車いすで教会に行けていたんですけど,だんだん行けなくなって。

特にパートメンバーの場合は大変なんです。教会に行きたいけど,行けないという方が出てきますから。たぶんこれは神権指導者の方々もちょっと注意して見て差しあげる必要があると思います。わたしはこの言葉をあまり使いたくないですけど,『お休み会員になったんじゃない?』って言う場合がよくあるんです。でもよく話を聞いてみると,介護だった,と。やはり,教会というコミュニティがあるので,ほんとうに温かい目でいつも見守ってあげるホームティーチャーや訪問教師というのが,これからすごく大切な世の中になっていくと思います。」

リソースの利用

「まあ介護も十人十色なんですよ。いろいろな介護があっていいと思うんですね。ただ,やっぱり家族の中での協力と,教会も含めて地域社会の中での協力,そういうのが一つになったときに,ほんとうに生活の質の高い介護をしていくことができると思います。とにかく,だれかに負担が集中して家族の不和の元になる,それだけは避けたいですね。なるべく負担を少なくして,後で振り返ってみて,いい経験だったよね,って言えるような。そういう意味では教会は,介護に関しても,すごくいい要素,リソースをたくさん持っています。

専門家からいろいろな情報をもらうと,もっと介護は楽になります。ノウハウがあるんです。ちょっとしたものですけど,それを知っていると知らないとでは全然,介護のやり方が違うんですよね。

市町村で介護の無料相談をやってますから,そういうのを利用したらいいと思います。市町村もたくさんの失敗を重ねていて,そこから見えてくるノウハウも数多くありますから。それに加えて福音の中での介護について,LDSファミリーサービスの電話相談室も使っていただくといいかなあと思いますね。」

最高のエンディング

西原長老は,父親の良男兄弟が独自に工夫して母親にしていた介護のノウハウをたくさん記したノートを持っているという。寝たきりの介護には前開きの服が良いが,浴衣では上半身と下半身を同時に開くことになるので,切り込みを入れて上下別々に開ける介護服を手縫いする。電動ベッドを起こすとき枕がずり落ちないよう工夫する。おむつに排泄するのは不快なので,なるべく容器に取るようにする,その際肌に当たるところが冷たくないよう暖めておく……そのきめ細かなノウハウには,相手の立場に立って,少しでも快適に過ごしてほしいとの愛情があふれている。自分にしてほしいように相手に接するという主の教えが息づいている。

「特に教会員の高齢者の方々は,日本における末日聖徒の歴史を作って来られた方ですよね。信仰生活の祝福をいちばんたくさん受けて,最後の時期を過ごしてほしいわけですよ。わたしの父は絶対そう思っていたと思います。母が,ああ,ほんとうにいい人生だったな,と思って神様のところに帰って行けるようにしてやりたい,と。もちろん母はそうだったと思います。もう天使のような顔で天に帰っていきましたから。父もそういう介護をしましたから。後悔はなかったと思うんですね。

わたしも今そう思っています,父はもう95歳ですから。最高のエンディングを迎えてもらいたいなあと思っているんです。」◆