リアホナ2010年7月号 希望を見いだす3

希望を見いだす3

人生は何が起こるか分からない── 堀口(太田)章子 姉妹 福岡ステーク福岡ワード

わたしたちは心から望んでいるものをどれくらいの間待つことができるだろうか。半年? 1年? 10年?太田章子姉妹は19歳で改宗してからずっと,永遠の結婚を何よりの望みとして生活してきた。それから40年余りを経た2010年6月12日,章子姉妹は念願かなって東京神殿で11歳年上の堀口従道兄弟と永遠の結婚をした。章子姉妹,61歳。堀口兄弟,73歳であった。

主とともに歩んだ40余年

1968年4月,19歳の章子姉妹は,当時住んでいた福岡で教会に出会った。宣教師からレッスンを受けていたが,8月に就職で上京,東京でもレッスンを受け続け,同年10月に東京西支部,後の東京第3ワードでバプテスマを受けた。それから章子姉妹は伝道に出る準備をすぐに始める。「その当時,支部会長として菊地(良彦)長老がいらっしゃったんですよ。彼の話は毎週とにかく御霊にあふれていて,わたしは彼を特別な人と感じたんです。わたし自身もそのような証を得たいと思うくらい感動して,そして伝道に出たいと思うようになったんです。……1年半で資金をためて,1970年,ちょうど万博の時代なんですけれど,4月に伝道に出たんですよ。」

東京伝道部で2年間の伝道を終えた章子姉妹は一旦福岡に帰還し,1年もしないで再び上京する。「やっぱり指導者がよく来るところは東京だったから,東京に行きました。」このとき章子姉妹は東京第3ワードに戻るつもりで職場を選んだ。しかし行ってみるとエリアが違っていた。「(東京に)行った途端に伝道所の分割が始まったんですよ。新しい伝道所をどんどん開拓していく,そういう時代だったんです。万博のリフェローからたくさんバプテスマがありました。どんどん教会が発展して,わたしはできたばかりの国立支部に行くことになりました。MIA(相互発達協会)の時代なんですよ。わたしは伝道が終わったら楽しいことがしたいという希望があって,ダンスや演劇のクラスを取っていました。活動がすごく充実していたんです。」

堀口兄弟も同じようにして国立支部にやって来た。当時35歳で既婚者だった堀口兄弟は国立支部の支部会長に召された。国立で数年を過ごした後,章子姉妹は教会の地域管理本部の仕事に就き,1977年に国立支部を出る。「それから33年近く(堀口兄弟とは)会っていないんです。」

章子姉妹はしばらく独り暮らしをした後,ベビーシッターとしてアメリカ人家族の家に同居するようになる。「10年近くいたんですよ東京に。それでわたしも年齢的に30近くになったんです。結婚したくって一所懸命努力していたにもかかわらず周りがどんどん結婚していくんですよ。どういうわけかわたしは残っちゃうんです。お話もあったんですけれどなかなかうまくいかなくて。ちょうどアメリカ人の家族が帰国するということで,福岡に帰る決心をしたんです。」それが1980年のことだった。

福岡での30代は「あっという間に」過ぎた,という。1987年末,40歳を目前にした章子姉妹は将来の職業のために,単身米国ユタ州に渡りランゲージスクールで英語力を磨くことにした。留学資金にと多額のお金をためていたが,その3分の1を宣教師基金に献金し,残りのお金で3年間の勉学を賄った。帰国した翌年の1991年から10年間,福岡の子供英会話の教師として働いた。家庭では父親とともに,精神的に不安定な母親を支える生活を送った。教会ではステーク広報ディレクターに召され,日本福岡神殿の建設と奉献という得難い機会に当たり,地域社会やマスコミへの窓口となって精力的に働いた。

福岡神殿が奉献された2000年,父親が病気で亡くなった。これまで父親と二人で力を合わせてきた母親の世話を章子姉妹が独りで担うことになる。50代は「わたしにとって大変な期間でした」と回顧する。

そして章子姉妹は60代を迎える。50歳になったとき,章子姉妹は自身の子供を持つことに厳しさを感じた。そして里子を受け入れることを考え始めた。しかし60歳になったとき,里子さえ無理かもしれないと思うようになる。それでも章子姉妹は落胆することがない。

「あぁもう無理だわと思いましたよ。でも神様はこの世だけではないとおっしゃっているし,姉妹が最後まで忠実であればこの世で受けられなかった祝福は次の時に用意されているよともおっしゃっています。それってすばらしい希望ですよね。『じゃあわたしは最後まで神様の戒めに忠実に従っていく,それだけを目標に生きていってその中で出会いがあればなおいいよね。』そういう気持ちで信仰生活を歩んできたんですよ。30代はそんな信仰がまだなくて,『どうして』という悲しい気持ちでずいぶん泣きました。」

ただ待つのではなく,前進する

章子姉妹は結婚をただ待っていたわけではない。「その間にいろいろな独身の人たちのイベント,福岡ではアストリア祭とかあったわけですよね。できたらわたしも早く縁があったらいいなと思って行くんですけれど,なかなか……女性が多くて兄弟はほんとうに少人数しかいなくて。『これで出会いというのは難しいね』と思って出るのをやめたんですよ。」

しかし2009年9月,全日本シングルアダルト(SA)カンファレンスが,十二使徒のダリン・H・オークス長老ご夫妻を迎えて開催されたとき,章子姉妹は奮って参加した。「今までとはちょっと違うタイプの企画だったんです。オークス姉妹が52歳で縁があって,すばらしい神権者(オークス長老)と結婚されたと聞いていましたから,ぜひ姉妹のお話を聞きたいなぁと。少しでも自分の希望となったらいいなという気持ちもあったんですね。……実は,今回の大会に臨むとき全身全霊で主に祈ったんです。わたしはもう60過ぎていますのでね。今までずっと頑張ってきているのだけれど,なかなか縁がなくて。もし万が一きっかけになればと。(またたとえそうでなくとも,)良いものを持って帰れればいいと思って出かけたんです。」

カンファレンスで章子姉妹は大きな励ましを受けた。姉妹が40年以上歩んできた道のりは,オークス長老の勧告されたとおりの道ではなかっただろうか。伝道に行った。伴侶を探し求め,テキスト『日の栄光の結婚』を何度も読み,インスティテュートに毎週通った。留学し英語力を磨いた広報の召しで才能を発揮し,家族に仕え,奉仕を喜びとして神殿結婚に備え,望みを持ち続けてきた。「オークス長老の話を聞いて心に響いたのは『人生というのは自分の思うように行かないこともある』ということです。(でも)大事なことは神様の業に携わるという選択だとおっしゃったんですよね。正しいことを正しいときに行うことが大事って。……ずっと結婚だけを待ち望むのではなく前進する,自分が今やれることをやる,続けていくということ。その人の人生においていつ出会いがあるか分からないけれど,いつも準備していく必要があるというお話でした。わたしはそのとおりだなって思ったんです。」

新たな気持ちで

章子姉妹はオークス長老の言葉を受けてさらに前進しようとする。次に参加したのは,2か月後の11月にある東京第3ワード40周年のリユニオン(同窓会)だった。集った人は40人ほどだった。「その中に彼(堀口兄弟)がいたんですよ。わたしはこっちに座って,彼は向こうで。まったく話していないんですよ。ただある姉妹から『堀口兄弟の奥さんが(最近)亡くなったみたいよ』という話をちらっと聞いていたから心配しました。孤独な,悲しい,精神的につらい思いをされているのかなという気持ちがあって,ちょうど会が終わって出られるときに『堀口兄弟お元気ですか? 大丈夫ですか?』と話しかけたんですが,彼はさっと出られたんです。後で聞いたら仕事だったそうで,話す時間も何もありませんでした。」

既婚者ばかりのこのリユニオンの席上で章子姉妹はこう快活に自己紹介した。「わたしは今でも『太田』姉妹です,独身です!」──話す機会はなかったものの,堀口兄弟の方でも,その一言が気になっていた。どうして結婚していないのか,今どのように生活されているのか,聞いてみたいという気持ちが生まれたのだという。

その1週間後の安息日,章子姉妹が福岡ワードに集っていたとき,教会の公衆電話が鳴る。「太田姉妹,堀口兄弟という方から電話です」──「なんだろうって思って電話に出たんです。そうしたらいきなり電話番号を教えてくださいって言うんですよ。ぼく,電話するからって。その夜に電話が入ったんですね。」堀口兄弟はその日以降,毎日章子姉妹に電話をかけてくるようになった。章子姉妹と同じ電話会社の携帯に替え,二人の間で様々な話が重ねられた。そうした中で章子姉妹が口にした言葉,「神様のところへ連れて行ってくれる神権者がいないと昇栄もできない……」が,堀口兄弟の,結婚しようという決意につながったという。堀口兄弟は言う。「必ず神様のもとに行かなくちゃという希望と信仰,その教義は頭にあったけれども,それまでのぼくの日頃の生活の中で,その信仰を実際に生かす,そこまでは考えていなかった。だからこそ,彼女が言った言葉が新鮮に受け取れたわけ。」章子姉妹の信仰と希望が,堀口兄弟の中に眠っていた希望に,新たに灯をともした形になった。

「わたしは言ったんです。今までずっと信仰を守ってきて,結婚する人はほんとうに昇栄を目標に持っていて神殿で結婚する,そのような人としか結婚する気持ちはないって。」そのとき堀口兄弟は神殿推薦状を持っていなかった。しかし堀口兄弟は,神殿推薦状をもらえるようにビショップと面接の約束を取ると即答する。実際,12月にそう言った後,1月に推薦状を受け,2月には神殿参入を果たした。電話を重ねるうちに章子姉妹は次第に堀口兄弟に好感を持ち始める。「兄弟と話していて,素直に神殿の推薦状をもらうとか,よく読んでいなかった聖典も読むようにするよとか,彼が変わっていく姿を見て,『この人,もしかするといいかな』と思ったんです。そうしたら話しているうちにだんだんいい気持ちが出てくるわけですよ。」

あるとき章子姉妹は堀口兄弟に,結婚には欠かせないと思っていた『日の光栄の結婚』を読むことを提案した。堀口兄弟はすぐに手に入れ読み始めた。「彼はテキストを読みながら自分の生活を振り返って目覚めて悔い改めて,今度結婚するとしたらこういう生活がしたいと望むようになりました。わたしも『そういう人だったら』ということで結婚についての考えとか,人生の考えとか,お互いに成長しようと話をしたんですよ。これでやっとほんとうの神権者に巡り合えたんだなと,40年間待ってよかったと思いました。」

初めての電話から半年後,章子姉妹の姓は太田から堀口に変わった。章子姉妹には母親の世話があるので,堀口兄弟が福岡にやって来た。「ぼくはね,今度は伝道に出るつもりで来るんだよ,と兄弟はおっしゃったんです。あぁすごいなぁ,偉いなぁと思いました。73歳ですべてを捨ててみんなを置いてこっちに来るのはすごいですよね。普通はわたしが行くんですよね。」章子姉妹は笑いながら言った。

主の用意されているもの

「天が下のすべての事には季節があり,すべてのわざには時がある。」(伝道の書3:1)二人の結婚式の招待状に引用された聖句だ。「時が来ないと縁にならないんだなぁと思いました。いくらわたしが頑張ったとしてもなかなか実らなかったのがこれで分かりました。」

「去年のカンファレンスでは,オークス姉妹のお話も同じような立場の経験ですから希望を与えてくださったけれど,どこかで,オークス姉妹は特別よね,それってごく一部の人の話だからねっていう葛藤がありました。でも,わたしにも奇跡が起こったんです。」

「わたしは主のことを第一にすることを思って今までやってきたので,(今回)それによって祝福を頂けたのかなと思っています。わたしはあまり過去を振り返らないで,今やれることを一所懸命頑張って続けて歩んできたんです。この結婚がなかったとしても,わたしは多分次の目標をまた立てて頑張ると思うんです。」

「だれにでも奇跡は起こるんです。ずっと自分が望んでいる希望を持ち続け,神様に対する信仰を育んで,どんなことがあろうと教会を離れないで,戒めに従い,神様の業に喜んで携わり,自分のやれることは全部,喜んでやる。そうすれば神様が助けてくださるから。」

堀口兄弟はしみじみと述懐する。「人生は分からないことが起こるということですね,神様がどう計画されているか分からない。」姉妹もうなずく,「確かに何が起こるか分からないねぇほんとうに。」◆