リアホナ2010年7月号 介護詩「自負Ⅱ」によせて

介護詩「自負Ⅱ」によせて

前福岡神殿メイトロンの徳沢愛子姉妹は,詩人として知られ,数多くの詩集を出版している。その作品の多くは日常に取材し,なにげない生活の一場面をいきいきと描き出す。姑の介護をうたったこの作品にも,率直な観察眼の中に著者独特のユーモアの感覚が光る。お姑さんはいわゆる「まだら」の認知症であった。自宅で気丈に生活するお姑さんのもとに徳沢姉妹は毎日通って介護をした。「一緒に同居したわけじゃないですから,肉体的にはあまり苦労はありませんでしたけど。ただ,もう最後の方になりますと,おむつを換えているわたしの頭を叩いたり,罵声を浴びせられたり,そういうこともありました。腹を立てて帰って来たときに,イエス様ならどうされる,わたしは何のために教会に行ってる,って自問自答をしました。『なんちゅう聞かんこと言う人やろう』(笑)とは思いましたけど,やっぱり主人を生み育ててくれた母親ですから,平常心のときはほんとうに愛しさもありました。

『まだら』でしたから,正常な状態のとき,一度だけわたしに手を合わせて,『いじめて堪忍してくれ』って言ってね。わたしはほんとうにずーっといじめられてきましたけど(笑)晩年のその一言で,もう全部流れて……ほんとうにいい思いで見送ったという。」

「やっぱり詩を書くということは,客観的に観察しながら,距離を置いて見ることですので,そういう修羅場みたいな日々もありましたけれども,詩を書くことで,福音に添った見方ができたんじゃないかなあと。神の娘,淋しい娘,(嫁のわたしに)息子を取られて淋しい親の心情,そういうものも分かりましたから,ゆとりをもっておばあちゃんを眺めることができた,そんな感じでしたねえ。」(談)◆

自負Ⅱ                                                                                                                                              徳沢 愛子

子 四人

孫 十五人

ひ孫 二十七人

九十一年を取つかえ 突っかえ 踏んばってきた

今朝も食卓にすっきりつかまり立ち

臭気立ち昇るものを

取っかえ突っかえ一枚一枚脱がされる

はずされた紙おむつには どっしりと威張ったものが

湯気をあげている

命を支える白い二本の柱

細く頼りなげな股間から

時に にわか雨を降らせては

右往左往させるのだが

「あらら ちょっと ちょっと あらら」のリズムにあわせて

老人は 天気晴朗になっていく

(裸になると幼子が解放の喜びで走りまわるように)

独り暮らし十三年

「私の城からは一歩も退かぬ」と貼り紙してある

その貼り紙は色褪せたが

吸着力は磐石だ

毎日 ヘルパーさんと交互に

息子夫婦が通ってくる

(忙しい娘は滅多に顔を出さぬと老人はいう)

「あの娘はデパートで 夜中 宝石類をごっそりぬすんでねえ

でっかい車で逃げたんやけど 捕まってしもて 今 暗えとこに

入っとるわね アハハハ 私しゃなんべんも堪忍してやってと

頼むんやけど でかいこと盗んだちゅうて なっかなか出してあたらん

アハハハハ」

二度童子の耳に届く豪快な音の空音

淋しさをユーモアにまぶして

きょうは 日なたの顔だ

古雑巾のようになったかつらを二十四時間

身だしなみのしるしのように愛着こめて

まばらな白髪頭にチョンと乗せている

ベッドの下に落として気づかない時は

「私の頭はどこいったア」

帰って行った息子夫婦に

三分刻みの電話攻勢

真っ赤に口紅つける

手掴みで冷奴をたべる

五秒で すりおろしりんごを飲みこむ

やがておもむろに合掌して

「ごっつおさん」するお人に

冥界は ずりずりあとずさってゆく

「構うまいぞ構うまいぞ当分そこにおじゃれ」

人よ

二度童子の人よ

顎上げて笑うその顔に

あなたは神の面影を宿している

淋しい娘を庇うその魂に

あなたは母親の慈愛を満たしている

かつら冠り唇に紅さす女心

あなたは神の娘

誇りの旗をなびかせている

白ゆりの匂う部屋

新しい朝の光だ

『みんみん日日 徳沢愛子詩集』所収 2003年 書肆 青樹社 刊,26