リアホナ2010年7月号 介護される高齢者には使命があります

介護される高齢者には使命があります

大阪堺ステーク泉北支部扶助協会会長 飯坂和子姉妹

「病院の匂いがとても好きでした。ちょっと変わった子供でしょ?」子供がいちばん苦手な匂い,それを好きだったと語る飯坂和子姉妹の原点は,三世代が同居していた家族にあるのかもしれない。「小さいときから家族三世代で住んでいました。祖父が入院していましたので,小学校低学年だったわたしの仕事は,祖父の付き添いをしている祖母の食事を病院まで持って行くというものでした。電車に乗って祖母に食事を届けに行くと,売店で柴漬づけを買ってくれました。それが病院へ行く楽しみにもなっていました。」

中学生だった1980年に改宗し,看護学校を経て,現在はケアマネージャーとして働く飯坂姉妹。「主な仕事は介護のコーディネートをすることです。介護を必要とする人たちに会って,どのような介護が適切かコーディネートをして,ヘルパーさんや看護士さんを探してくるのがわたしの仕事です。」また,市の委託の相談員も兼務しており,多忙な日々を送っている。「わたしの中では,相手の気持ちをほぐすのが仕事だと思っています。介護を受けたくない,人と会いたくないという人たちを訪問し,介護に対する誤解を解いていきます。長い人では2年ぐらいかけて心をほぐし,説得した人もいました。」

ケアマネージャーという仕事は,まさに飯坂姉妹の天職と言えるかもしれない。「自分が看護学校へ通っているときに,祖父が脳梗塞で倒れました。そのときは,祖母,母,わたしの3人で祖父が亡くなる1週間前まで自宅で介護を続けました。25年以上も前のことなので,当時は,介護保険もありませんでしたし,介護のサービスも充実していませんでした。家族で祖父を入浴させたことや,夜中に寂しがって泣くことがあった祖父の姿などが思い出に残っています。様々な経験があり,介護や病気に対して,自然に自分の中で積み重なる経験をさせてもらいましたので,この仕事も,自然な流れの中でしている気がします。」

孫を育てなぁ,いかん

「祖母が高齢になるに従って関わることが多くなり,ぜひとも福音を知ってもらいたいと願うようになりました。祖母は,93歳のときにバプテスマを受けました。心臓が元々弱かったので,水に沈んだ瞬間に亡くなるかもしれない,水に沈めてから1週間以内に亡くなったらどうしよう,と緊張しました。心不全などもありましたし,全身を沈めるわけですから。祖母のバプテスマについては,母や兄から強く反対されていました。しかし,最後は祖母が受けたいと言ったので受けることになりました。」

「祖母がバプテスマを受けてから,急にわたしとの関係が深くなり,さらに濃厚になったような印象を受けました。また,バプテスマを受けたことで,祖母のこの世での新たな使命が生じてきたように感じました。最初は実家の母が介護をしていましたが,母が体調を崩したので,わたしが自宅で介護することになりました。これも自然な形でした。昼間はヘルパーさんが来て,わたしがほかの時間を介護しました。心臓の弱い祖母の意識がなくなったという連絡がわたしの職場に数回ありました。『おばあちゃん,まだこの世ですることがあるよ』と呼びかけて,その度,何とか息を吹き返しました。わたしの呼びかけに対して祖母は,『孫を育てなぁ,いかん』と言いました。──『わたしを?』

わたしは介護サービスを提供する側ですし,家族という立場に立って,いっぱい学んだことはありましたが,介護されている祖母にわたしが育てられているという感覚はまったくありませんでした。しかし,その言葉を聞いたときに,目が開けた思いで,涙が止まりませんでした。」

「祖母にとっては,この世での人生を終えて神様のもとへ帰った方がよほど楽なのかもしれません。しかし,祖母が何度も息を吹き返しながら命をつないでいたのは,まさに,わたしを育てるためだったのです。寝たきりの不自由な体で,わたしを育てるのが祖母の最後の使命だったと気がついたのです。わたしにもっと霊的な物の見方ができれば,それに早く気がついたのかもしれませんが,気づいていないので,はっきり『孫を育てなぁ,いかん』と言ったのかもしれません。」

それからは飯坂姉妹の仕事のやり方や物の見方も大きく変わった。介護を必要とするテル姉妹が孫にしてくれた一つの仕事だった。

さらなる使命

「祖母が亡くなる前には,特別養護老人ホームで1年半ぐらいお世話になりました。このまま施設で亡くなるかもしれないと思っていましたが,血圧も高くなり,施設にいることが難しくなり,病院か家のどちらに移るか判断しなければなりませんでした。そんなとき,ホームティーチャーが来てくれて,祖母は神権の祝福を受けました。」

祝福をするホームティーチャーから意外な言葉が語られたと飯坂姉妹は話す。それは「ひ孫に対してまだ働きがある」という言葉だった。「孫を育て終わったら,次はひ孫かと驚きました」とほほえむ。「その言葉は頭から離れませんでした。ひ孫。つまり,わたしの子供たちを育てる使命がまだ残されているというのです。入院させていては,祖母がひ孫を育てる機会が失われると思い,2008年10月に家に連れ帰りました。2009年6月に亡くなるまで家でひ孫と過ごし,家で聖餐の儀式を受け,教会の兄弟姉妹の訪問を受けました。わたしの子供たちも祖母と一緒に過ごす中で,いろいろと学ぶことがありました。

祖母が亡くなったのは99歳のときです。孫とひ孫を育てることをすべてやり遂げて亡くなったと感じています。バプテスマを受けることで神様から役割を受けて,最後の最後まで使命を果たして旅立っていきました。そして,『次はあんたやで』と役割のバトンを渡された気がしてなりません。それが何であるか自分の中で明確ではありませんが,孫であるわたしに託されている使命を感じます。」

飯坂姉妹はケアマネージャーとして働くときに,様々な状況のお年寄りと出会う。中には介護を受けることを拒否したり,人を遠ざけようとする人もいる。「それでも彼らは,神様が愛している年配の方々です。この世での人生の終わりの時期を間近に控え,まさにこれから主のもとへ戻る準備が必要な方々です。最も福音が必要であり,神様や主に対する知識が必要な人たち,良い思いを携えて旅立たなければならない人たちです。世の中の考えでは,まったく生産性のない不必要な人たちと思われています。わたしはいつもお祈りをして関わることで,神様や主の愛を感じていただこうと思っています。神様が彼らを迎え入れようとしている気持ちを感じていただこうと努めています。神様のお仕事の一部を手伝っていると思いながら,年配の方々に接しています。」

介護から生まれる家族への祝福

介護に対する理想を語る飯坂姉妹だが,それでも,「介護は確かに大変です。決して簡単なことではありません」と強調する。そして,教会員として介護に対する理解が必要な時代になっている,と話す。「教会員だから家族の介護は家でやらなければならないとか,教会員だから介護に対して嫌な気持ちを感じてはいけないとかいうことは,まったくないと思います。わたしの経験では,自分の体調が悪いときには,ちょっとしたことで祖母に優しくできないこともありました。そういった義務感や,『教会員だから』という力みを取り払っていただきたいと思います。熱心な教会員であっても,介護に対してつらさを感じたり,不平不満が出たりします。そのようなとき,わいてくる自然な感情をあるがままに感じるのは悪いことではありません。その感情を,人間的な方法だけではなく,神様の方法で,神様に頼り,神様と相談しながら解決していただきたいと思います。家族が家で介護するのがベストな方法と考えがちですが,介護する人の幸せを考えたら,施設で介護してもらい,そこに通って自分も介護しつつ,自分自身の家庭を築くことも,教会に出席することも大切なことだと思います。介護があるので教会の活動から離れるとか,介護があるので結婚しないとか,それは決して正しい判断ではないと思います。」

それは,飯坂姉妹がテル姉妹から教えられたことだという。「わたしの経験から言えば,家で介護しようが,施設で介護しようが,家族だけが受けられる祝福というものがあります。介護を仕事として多くの人に接する中で良い経験もしますし,たくさん学びます。しかし,家族でなければ感じられない祝福もあるんです。わたしの場合,『孫を育てる』という祖母の言葉から目が開けました。自分の身内の介護にはそのような,家族にしか感じ取れない経験があります。それは神様からの家族へのプレゼントです。つまり,どこで介護するかは問題ではなく,どう関わるかということが重要なのです。」

「介護がきれいごとで済まされないのはよく分かっています。しかし,そのきれいごとで済まされない所に,神様が家族への祝福を準備されています。その祝福を感じてもらえるように,どのように介護したら良いのか,そのお手伝いをしたいと願っています。教会員でない人には,介護を通じて,家族関係が少しでも良くなるようにと心がけています。介護している方が教会員であれば,もっと直接的に神様の祝福を感じていただきたいと思っています。」

介護の霊的な役割

介護の重要性が叫ばれる反面,社会では介護を原因として多くの事件が起きている。虐待もあれば,殺人事件になることもある。「介護は携わっている家族にとって,苦しみと祝福が表裏一体の部分があります。教会員ではない場合,介護を祝福と考える人はほとんどいないと思います。教会員であれば,それがいかに祝福をもたらすものかを証することもできます。そんな表裏一体の中で,見極める目さえあれば,また,わたしたちがどう関わるかによって,環境はだいぶ変化します。」

扶助協会の会長として奉仕する飯坂姉妹は,介護され,言葉を話せない一人の会員から教えてもらったことがあると語る。「ある教会員で介護が必要な方がいらっしゃいました。彼は介護が必要なので教会へ来ることができませんでした。本人は聖餐を受けなくてよいと言っているという話が漏れ伝わってきましたが,わたしの中では『それはほんとうに彼の正直な気持ちなのだろうか。介護され,口もきけないような状況の中で,聖餐を受けなくても良いと本人が言っているのだろうか』と疑問に感じました。もし,ほんとうに聖餐を受けたいのならば,口元へパンを運び,唇を水で浸すだけでもしてあげたいと思い始めました。多くの場合,わたしたちが勝手に判断し,本人の気持ちを確認していないこともあります。わたしたちは家族の許可をもらって,彼のもとへ行き,神権者が聖餐の儀式を執り行いました。パンを運ぶと,彼は口を開けました。わたしたちはそのとき,彼は聖餐を取りたかったのだと知りました。」

特に教会員にとって介護の仕事とは,「神様のところへ帰る人の手助けをすること」と飯坂姉妹は表現する。「介護を受けている人は,いちばん福音を学ばなければならない人たちなんです。神様のところへ帰る前の試験を控えた人たちなんですね。神様の勉強,祝福,教え,どんな方法であれ,帰る準備をしなくてはならない人たちだと思います。わたしたちの多くは,元気なうちは教会へ通い,弱くなったら教会や聖餐から遠ざかります。でも,それはまったくの逆じゃないでしょうか。この世での生涯を終えるときが近づいたら,もっと神様のことを感じなければなりません。もし,頭で感じることができなくても,家族が横で聖典を読んだり,一緒に祈ったり,証をしたり,肌や御霊で感じてもらうことが必要なのです。最後の関門,ラストスパートで,信仰生活から離してはいけないと思います。家族が介護をしながら,そのような意識を持って,信仰生活を助けることは重要です。そのことをわたしはいつもいつも気にしています。」

教会員が介護家庭を支える

2008年の泉北支部大会を機に,飯坂姉妹が泉北支部や近隣の教会員と協力して介護についてのDVD*が制作された。教会の中には介護に携わっている家族はそれほど多くはなく,介護家族への理解も深くないと感じていたころだった。

「助けたくても,どのようにするのが助けになるのか分からないのは,経験していないのですから当たり前です。教会員にこそ少しでも理解を深めてもらいたいと願っています。わたしたち経験者がお手伝いして,経験を分かち合うのが大切だと思います。わたしが自分の信仰生活を振り返ると,できていないこと,教会員として至らないことの方が多いんです。そんなわたしが介護について熱く語るのを不思議に思う人がいるかもしれません。それは,介護を通じて神様の祝福を受けたわたしが,これからますます教会の中で必要となるであろう介護について,できる限りのお手伝いをしなければという使命感を感じるところから来ています。これは祖母がわたしに託したバトンであり,襷だと思っているからです。」

介護する家族や介護される会員を自然に助けることのできる環境は,ちょっとした工夫で作れると飯坂姉妹は話す。「今は介護保険というものがありますが,介護保険のヘルパーさんには,できることとできないことがあります。家族は,ヘルパーさんができないことを家族として支援すればいいと思います。また,教会員は,は何を手伝っていいか分からないはずです。そのため,大事なことは『家族が教会員に何を手伝って欲しいのか言える環境を作ること』です。家族によって要望は異なりますが,介護に携わっている家族が,気兼ねなく教会員や指導者へ頼める環境は大事ですね。わたしの場合,入院している祖母に会いに行ってあげてくださいと教会員へお願いしました。家族が必要としているのは,時にはとても小さなお願いかもしれません。」

そんな小さな助けだが,それは家族を支えるだけではなく,教会員にも大きな祝福をもたらすのだという。「わたしたちは訪問することで,単に会いに行っているだけと感じてしまいます。しかし,ほんとうは学びに行っているのかもしれません。」

「経験あるすばらしい会員に介護が必要になり,何も話せなくなってしまうこともあります。わたしたちは見舞っているだけと考えますが,実はそれは何かを教えていただく貴重な時間になります。口のきけない介護されている会員から何も感じられないとしたら,わたしたちは御霊を感じることに疎くなっているのかもしれません。それぞれの人は役割を担っています。たとえ,寝たきりの体になっていても,何も話せなくても,役割があるんです。そして,わたしたちは彼らから学ぶことができ,耳にする言葉や目にする行動以外からも学べる特質を身につけることができます。まさに,御霊によって人を見ることができるようになると思います。」

そして飯坂姉妹は,話の途中でほほえみながら一言付け加えた。「いろいろ話していますが,これは全部,祖母が教えてくれたことなんです。介護されていた祖母が。」◆