リアホナ2010年7月号 シリーズ4 福祉のABC

シリーズ4 福祉のABC

    (地域福祉部) 

尊厳と自尊心

1936年に教会の福祉計画が開始されたとき,J・ルーベン・クラーク管長は計画の目標を次のように述べました。「福祉計画の真の長期目標は,与える側と受ける側双方の教会員の人格を築き,人の心の奥深くに眠っている最も優れたものをすべて解き放ち,内に秘められた豊かな精神を開花結実させることである。これは結局,この教会の使命と目的であり,また存在理由でもある。」

尊厳と自尊心についての何と詩的な表現でしょうか。

霊的な福祉

尊厳と自尊心は内側から生まれます。地位や富,教育,持ち物,そのほかのこの世的な業績からはもたらされません。逆に,このようなものに欠けていたとしても,尊厳と自尊心を持つ妨げにはならないのです。

聖文はこう教えています。「人の価値〔は〕神の目に大いなるものである。」(教義と聖約18:10)わたしたちは,生きていて思いやりのある天の御父の子供であり,「神の宮であって」(1コリント3:16),「神はそのひとり子を賜わったほどに〔わたしたちを〕愛して下さった」(ヨハネ3:16)ということを知ることは,尊厳と自尊心を築くための確かな土台です。

物質的な福祉

時々わたしたちは,この永遠の真理を忘れ,人生の物質的な面に気を取られます。この世的な欲望や願望によって,人生で真に大切なことに集中しなくなります。望むものをすべて手に入れたり,行ったりすることはできないので,自分は敗北者だと考えます。また,全力を尽くしているにもかかわらず,自分と家族の日々の必要を満たすことができないときもあります。

そのようなときに,尊厳と自尊心は低下していきます。意気消沈し,落胆し,疑いを抱くようになります。友人や家族に哀れみの目で見られるようになります。そうなるともっと気が沈みます。希望,信仰,尊厳,自尊心を失います。そして自分自身を,自分の価値を,この世界を,そして神さえをも信じなくなってしまうのです。

これは危険なサイクルであり,多くの人が犠牲になっています。しかし,このサイクルに陥る必要はありません。抜け出す道があります。主は約束されました。「あなたがたは,わたしの命令を守るかぎり栄えて,約束の地に導かれるであろう。」(1ニーファイ2:20)

努力が必要です。忍耐強くなる必要があるかもしれません。問題はすぐに解決しないかもしれません。しかし,そのような約束があり,実現させるか否かはわたしたち次第なのです。

どうしたらよいでしょうか

与える側──受ける側の人が神の子供であり大いに価値のある存在であることを覚えましょう。与えるという行為は,愛によって行わなければならず,それによって,受ける人が尊厳と自尊心を保てる,あるいは取り戻せるようでなければなりません。

ヘンリー・B・アイリング管長の勧告が指針となるでしょう。「ですから,わたしたちが神の子供たちを助ける最善の方法は,……イエス・キリストと回復された福音への信仰を築くことです。」(ヘンリー・B・アイリング管長「彼らが天の家に戻れるよう助けてください」『リアホナ』2010年5月号)与えることは主の方法によって行わなければなりません。愛をもって手を差し伸べましょう。謙遜になりましょう。主の手となる能力と機会を天の御父に感謝してください。命を維持するのに必要なものを提供してください。そして,最後に,その人が才能を用いて,自分以外の困っている人を強められるようにしてください。

受ける側──何かを(何でもよいので)行ってください。わたしたちは「各人に神の御霊によって一つの賜物が与えられる」と教えられ(教義と聖約46:11),さらに,「〔わたしたち〕は自らの内に力があり,それによって自ら選択し行動する者……である」と教えられています(教義と聖約58:28)。何をするかはそれほど大切ではありません。大きいものであろうと小さいものであろうと,わたしたちが貢献することは,だれかのためになるのです。

まず,自分を助けるために全力を尽くします。援助を求めるときには謙遜になってください。援助を受けたときには心から感謝してください。受けた援助は,必要としていたものとは少し異なることもあるかもしれませんが,それはだれかが犠牲を払ってくれた結果なのです。人々に仕える方法を探してください。

● 宣教師,あまり活発でない会員,または,教会に来なかった人のために祈る。

● ビショップの家族のために祈る。

● 握手しほほえみかける。

● 教会で青少年や子供たちにあいさつする。

● 苦しい経験をしているかもしれない人に手紙を送る。

● 地域社会が主催する活動に参加する。

● 自分の才能を個人やグループに分かち合う。

● だれかの悩みに耳を傾ける。

最後に,主は与える人と受ける人の双方にこう言っておられます。「見よ,富んでいる者を低くすることによって貧しい者を高くすること,これこそ,主なるわたしが聖徒たちに必要なものを与えるために定めた方法である。」(教義と聖約104:16)◆