リアホナ2010年1月号 このためにわたしはインドネシアに来たのです

このためにわたしはインドネシアに来たのです

── 西ジャワ地方部ジャカルタ・セラタン支部に集う山本芳栄姉妹 

12月7日から10日まで,東京と大阪で「新興国知的財産制度シンポジウム」が特許庁の主催により開催された。その中で「インドネシアの知的財産制度について」というテーマで,インドネシア知的財産庁長官の代理として山本芳栄姉妹が講演を行った。シンポジウムのためにインドネシアから来日した山本姉妹に,インドネシアでの信仰生活をベースに,証や信仰観を伺った。

山本芳栄姉妹が改宗したのは,1989年。当時,特許庁で審査官として働いていたころ,通勤途中に宣教師に声をかけられたのがきっかけだった。特許庁に在職中,東南アジアの特許制度の改善のためタイやインドネシアに派遣され,「1995年の末からインドネシアに居ついてしまった」のだという。そして,1999年に会社を立ち上げ,現在に至っている。

山本姉妹は,最初は英語でプログラムが行われるイングリッシュ・スピーキング支部に集い,プライマリー,若い女性,扶助協会の会長会,地方部扶助協会顧問等の責任を受けていた。しかし,約3年前からは地元の支部に集うようになり,現在は,西ジャワ地方部ジャカルタ・セラタン支部に所属し,インドネシアの教会員たちと親しく信仰生活を送っている。「地元のインドネシア人会員が集う支部へ出席するきっかけになったのは,家族歴史のCSM(Church Service Missionary:教会奉仕宣教師)に召されたことでした」と山本姉妹は言う。

「ある日,地方部会長に呼ばれて家族歴史センタースタッフの責任に召されました。日本人のわたしは当然インドネシアの家族歴史センターには足を踏み入れたこともなく,またそうする必要もないと思っていました。地方部会長がわたしに何を期待しているのかを理解できないまま責任を受けました。」

当時の家族歴史センターでは,会員に代わってPAF(Personal Ancestral File:個人の先祖ファイル──家族歴史作成のためのソフトウェア)にデータを入力することがおもな仕事だった。しかし,「会員がPAFを使えるように助けるのならば,喜んで行うのですが,代わりに行うということには納得がいかなかった」という山本姉妹は,その作業はほかのスタッフに任せ,本人はセンターの利便性を上げるため,マイクロフィルムの目録を作る作業に集中していた。「そんなある日,香港ホンコンからジャカルタを訪問していた家族歴史コーディネーターに,CSMになるように勧められました。教会は家族歴史のための新しいシステムを始めるので,そのための宣教師が必要なのだということでした。わたしはその責任についてよく分からないまま,CSMとして初めてネームタグを付けて奉仕することとなりました。」

家族歴史センターでは,ある一人の熱心な姉妹が10年以上にわたって奉仕していて,会員のデータはほとんど彼女が一人で入力していた。「その姉妹はPAF2しか使えないので,多くの教会員のデータがPAF2のままでした。CSMとしてわたしが行った最初の仕事は,その情報を全部PAF5に変換し,それ以降は,だれもPAF2を使うことがないようにすることでした。」

「金版」を見つけました!

CSMとして働きを始めたころ,山本姉妹のもとへ地域七十人の長老から1通のメールが届く。「それは,10年前にインドネシアで奉仕した元夫婦宣教師からのメールを転送したものでした。その元宣教師は,インドネシアで奉仕していたとき,2万人分のデータを集めマニラ神殿に提出しました。ところが,帰還後に儀式がなかなか進まないのでマニラ神殿に問い合わせたところ,提出したデータのほとんどが失われてしまったことを知らされたというのです。ジャカルタの家族歴史センターにはバックアップのディスクが保存されているので,そこからデータを回復して神殿に提出し直してほしい。これがその元宣教師からのメールの主旨でした。」

さっそく,家族歴史センターの戸棚をひっくり返し,元宣教師が指摘していた古いディスクを山本姉妹は見つけ出した。「まるで『金版』を掘り返したかのような気持ちがしました。そして,そのとき納得したのです。この2万人のためにわたしはインドネシアに来たのだと。」

山本姉妹は,家族歴史センターから掘り起こした「金版」に含まれた情報をPAF5に変換し,データを神殿へ送った。現在も,インドネシアからアメリカに帰還した宣教師たちの協力で,何千人という死者の贖いの儀式が進行しつつある。

「インドネシアには神殿がありませんので,マニラや香港に儀式を受けに行きますが,滞在期間が短く,とても何千人もの死者の儀式を終わらせることはできません。インドネシアからの帰還宣教師たちにはほんとうに感謝しています。」

帰還宣教師の働きに感謝しつつ,山本姉妹はいつの日かインドネシアに神殿が建つ日を願っている。「インドネシアの会員が,忠実に信仰生活を送らない限り,いつまでたっても神殿は建たないと思います。日本では,今度札幌に3つめの神殿が建設されるそうですが,小さな日本に3つもの神殿が建てられるのは,やはり日本の聖徒がまじめに戒めを守り,信仰生活を送っている結果なのだと思います。」

インドネシア社会への思い

長年インドネシアの支部に集う山本姉妹だが,時には,その生活に難しさを感じることもあるらしい。「様々な機会に難しいと感じることはあります。規則と,その運用が食い違うのは日常茶飯事のお国柄ですから……。しかし,支部の雰囲気は総じてみなフレンドリーです。インドネシア人はよく知らない人にもあいさつをするのがとても上手です。その点は,日本人も見習うべきだと思います」と話す。

「西ジャワ地方部には外国人支部も含め,全部で9つの支部があります。この数からもわかるように会員数は徐々に増えています。わたしの行っているジャカルタ・セラタン支部は,ジャカルタの中心部にあり,地方から出てきた独身者がそこで結婚相手を見つけて,郊外の支部に移って行くという風潮もあります。現在インドネシア全土で約100人の宣教師が働いています。アメリカから来る宣教師がほとんどですが,地元から召された宣教師もいます。」

イスラム教徒が人口の90%を占めるインドネシアでは,街頭伝道や戸別訪問は許されていない。宣教師は会員からの紹介や英会話を通して求道者と知り合う。実際には,イスラム教から改宗する人も決して少なくはない。

「わたしたちの教会の教えに対して,ほかのキリスト教の宗派よりもイスラム教に近いと感じる人もいるようです。例えば,純潔の律法や服装の標準を守ること,食物忌避があること,男女の役割について教えていること,断食をすること,メッカ巡礼のように神殿参入すること,家族を大切にすることなど,信仰上での共通点も見受けられます。もちろん,信仰深いイスラム教徒の中には,キリストの名を聞くだけで拒絶反応を示す人もおり,宗教の違いは家庭生活にとって大きなチャレンジです。しかしながら,インドネシアでは身分証明書に宗教を書く欄があるほど,宗教を持っていることが前提とされていますので,教会員であることで奇異と思われることはありません。そのような意味で日本よりも信仰に対する自由度は高いと思われます。」

CSMの責任を契機に地元の支部に移った山本姉妹は,CSMの任期が終わった後も引き続き地元の支部に集い続けている。現在は,ブライマリー会長会の顧問と支部音楽委員の召しを果たしている。

「外国人支部と地元支部では,それぞれ良いところがあります。外国人支部の良いところは,生活レベルや教育レベルが日本人と近いので,同じような感覚で(欧米人とのカルチャーギャップはもちろんありますが)話ができます。共感できる話や証も聞けます。インドネシアの地元の支部の良いところは,奉仕の機会がたくさんあるという点です。わたしは音楽委員の責任を受けていますが,インドネシアの会員が知らない賛美歌を教えています。以前は聖餐会でも同じ賛美歌ばかり歌っていました。今はかなりバリエーションが増え,賛美歌集の7割ぐらい歌えるようになりました。来年は賛美歌集にある全曲をマスターすることを目指しています。」

選択の自由,そして自立の原則

地元の会員たちと信仰生活を楽しむ山本姉妹は,「インドネシアに来て,日々,イエス様の教えはほんとうに奥が深いと感じています」と語る。

「わたしもまだまだ発展の途上なので偉そうなことは言えないのですが,人を助けるのはほんとうに難しいことだと感じています。インドネシアには助けが必要な人が大勢いますが,その人自身が自分の責任を果たせるように助けなければ意味がないのだということを学びました。厳しい表現になりますが,インドネシアで貧しい人々を見て思うのは,彼らの多くは,往々にしてその原因を自分で作り出しているということです。重要なキーワードは,選択の自由と教育です。わたしたちにできることは,選択の機会を提示して,それぞれを選んだ結果どのようになるか教えること,そして本人が正しい選択をできるように助けることではないでしょうか。」

「わたしは自分の会社で正しいことをするように社員に教えてきました。なぜその選択をする必要があるのか,それを選ばないとどのようになり,選べばどうなるのか説明することによって,そのことが単にわたしの好みの押し付けでなく,会社が安定し成長するために必要なことなのだという理解を得たような気がしています。そして,小さなことを継続して行うことによって,それが習慣となり,人格となり,その人の人生を変え,さらには,その人の子孫の人生をも変えていく。会社を通してそんな影響をインドネシアの人たちに与えられたらと思いながら毎日指導しています。」

日本とインドネシアの二つの愛する国を結びつける仕事に携わる山本姉妹には,少しばかり気がかりなことがある。「それは,最近日本に帰る度に,日本がインドネシア化(あまり良くないと感じている点について)していると感じることです。礼儀正しさ,従順さ,謙遜さ,思いやりや譲り合いの精神,誠実さ,勤勉さ,そのような日本人の美徳と言われた特質が最近少なくなってきているように感じるのはわたしだけでしょうか。」

インドネシアというまったく文化の違う国で生活することで,山本姉妹の日本に対する思いはさらに強まっている。「インドネシアの人々を教えるのもよいのですが,自分の国を何とかしないと大変なことになってしまうのではないか」と案じる山本姉妹。いつの日か,インドネシアで実践している社員指導が日本でも生かされる日が訪れるかもしれないと思いながら,二つの国のビジネス,信仰の架け橋となっている。◆