リアホナ2010年12月号 特集|末日聖徒のシルバーライフ

特集|末日聖徒のシルバーライフ

日本が高齢社会へと確実に突入して行く現在,子育てを終え,定年退職を迎えるシニア世代の末日聖徒はどのようなビジョンをもって第3の人生を過ごせるのか──福音の観点から考察します。

地域七十人の西原里志長老はLDSファミリーサービス日本事務局ディレクターとして,リソースクラス「50代からの実り豊かな人生設計」を,2010年夏から月1回,試験的に沖縄(那覇と宜野湾)で開講している。沖縄は長寿県として知られており,日本の教会ではいちばん高齢者比率が高いのだという。

現在,日本では総世帯数の4割以上に65歳以上の高齢者がいる。高齢者世帯のうち,独り暮らしまたは夫婦のみの世帯の比率は,1990年の37%が2007年には52%となった。日本の人口比における65歳以上の高齢者の割合は2008年で22パーセントだが,2025年には総人口の3分の1に達すると予測されている。一方,日本人の平均寿命は2009年で男性79.59歳,女性86.44歳と世界でもトップクラスである。

「人生,今や80年90年の時代ですから,実際に仕事の退職イコール教会のリタイアまた人生のリタイアではないわけです。これから第3の人生が始まる,リソースクラスでは『最盛期』と呼んでいるんですけど,神様のところに帰る直前ですから,それがいちばん充実した時期でなければ。」そう西原長老は語り始める。「でも世の中的には,実は今,高齢者の方々の生活,シルバーライフはそんなに恵まれていないんです。介護の問題が出てきますし,経済的にも,年金だけではなかなか生活できない方もいらっしゃいますので。」

リソースクラスで西原長老が定年後の生活設計について尋ねると,多くの方は考えたことがないと答えるという。

「今の50代の人たちに,あなたは退職後どうするんですか,と言ってもまだ考えていない。年金の問題にしても健康の問題,介護の問題にしてもね。年金が幾らもらえて,それでほんとうに生活ができるのか,もしできないとすればどうしたらいいのか。例えば,首都圏で生活するつもりだったけど,(物価の安い)地域に引っ越して行かなくてはいけないこともあり得ると思います。あるいは,将来あなたが寝たきりになったときに教会へどうやって行くんですか? そう尋ねても多くの方が多分,考えていない,ビショップの皆さんもそれを考えていないこともあると思います。でも,明日起こる可能性のあることなんですよ。実際,わたしの身の回りにはそういうことがあったので考える機会がたくさんありました。(前もって)考えているだけでずいぶん違うと思うのです。」

西原長老は,60歳から65歳で定年退職を迎えた後の人生,それを左右する幾つかの要素が考えられる,と語る。そして,それらの要素のバランスが取れるようになると,実り豊かな第3の人生が実現するのではないかと提言している。

1. 家族の中での子供との関係

2. 介護の問題を含む健康の問題

3. 地域社会とのつながり

4. その人の生きがい,心の部分

これらのバランスを実現するためには,高齢者自身と,周りの教会組織,この2方向からのアプローチがなければならないと西原長老は言う。「教会としては高齢者の方々の居場所を作って差し上げる必要がある(要素3,4)。同時に(高齢者側は),いつまでも元気でいる自分自身を作っていく必要がある(要素1,2)だろうと思います。」

ここでは,これら2方向のアプローチを順番に見ていこう。

〔教会から〕

失敗した親?

西原長老が教会を見ていると,高齢者の方は二つのタイプに分けられるという。教会の中で,依然として指導者として活躍されている方と,もう半ば教会活動にリタイアされていて,居場所があまりない方。

「わたしが思うに,2世3世の問題がそこには色濃く絡まっているんです。例えば,ご両親が1世として信仰生活を熱心に守りますよね。でも子供たちが教会に来ていなかったりすると,そのご両親はまず,育て方が悪かったからだ,とご自分を責めてしまうのです。教会の中では実際問題,2世3世の子供たちが教会に来ていないご両親に対して,“失敗した親”という烙印を押してしまう傾向があると思います。そういう思いを持つと教会活動に対して一歩腰が引けてしまいます。

でもそれは,イエス様の教会のほんとうの姿じゃないと思います。ある意味で失敗しても,やり直しがきく,というのがイエス様の贖いの効力です。ですからそういう方々も,この教会の中で最後までほんとうに喜々として信仰生活が送れるような,そういう状況であってほしいですね。」

わたしは必要とされているから──才能と経験を生かすアメリカのシニア宣教師たち

「1日に5回のステージ上演を6日間できる方」,「写真撮影に興味のある方」,「ミシンで縫い物ができる方」,「キャンプ場で青少年の指導ができる方」……。教会の英語サイトには,こんな募集記事が掲載されている。これらは150近く掲載されている情報の一部だが,仕事の求人情報ではない。すべて「Missionary」(宣教師)としての募集情報だ。

福音を教えるフルタイムの宣教師に加え,教会にはパートタイムで奉仕する宣教師制度もある。若い宣教師たちの伝道地は割り当てを受けるが,教会奉仕宣教師の場合は,それぞれの職能,才能,環境に応じて希望を出すこともできる。在宅で奉仕できるものや,伝道地へ赴任するものなど形は様々だが,宣教師として主の業に携わるという意味では同じだ。

教会奉仕宣教師プログラムの目的は,会員が培ってきた才能と時間を主の業のためにささげる機会を提供することにある。教会奉仕宣教師は週に8時間以上から32時間の奉仕に携わることが期待されており,通常,6か月から24か月の期間を奉仕にささげる。

神殿,家族歴史,広報の宣教師など分野も増えてきたものの,日本でシニア世代が教会奉仕宣教師として活躍できる場はまだそれほど多くはない。英語のウェブサイトに掲載されている多種多様な奉仕の一覧は,シニア世代に期待感を与えてくれる。一覧に掲載されている情報には独身成人向けの情報も含まれているが,経験を積んだシニア世代の必要性が高まっている。

一例として,カメラマンとして奉仕する宣教師の撮影した写真は,教会の教材,インターネットサイト,会員が記事を書くブログ等で活用される。奉仕する場所(撮影場所)は自宅付近でかまわない。デジタルカメラが手軽に入手できる時代にあって,趣味の延長上としても奉仕しやすい責任かもしれない。

また,それとは逆に専門的な職業経験がなければ奉仕できない召しもある。ITテクノロジーを駆使した教会のインターネットサイト構築のアシスタントや,タバコ,薬物などの依存症カウンセリングのサポートなどはそれに該当するかもしれない。しかし,自分の才能や職業上の能力や経験が,必ずしも,教会奉仕宣教師の召しの一覧に掲載されているとは限らない。そのため,希望するものがなければ,自分でリクエストを提出して,新たな召しを検討してもらえる手続きも英語サイトには紹介されている。つまり,シニア世代の会員にまず求められることは,宣教師として奉仕する積極的な気持ちということになる。才能や経験を鑑みて,様々な奉仕の機会が準備されることだろう。

アメリカで奉仕するシニア世代の宣教師たちは,自分の興味があることに関連する分

野を見つけ,自己推薦する人も多い。また,奉仕期間が限定されてるとはいえ,解任される度に再申請を行い,継続的に奉仕活動に携わっている例も少なくない。

ソルトレーク・シティーにある家族歴史図書館では,94歳の姉妹がその高齢にもかかわらず,来館者に日々,案内をしたりコンピューターの利用方法を教えたりしている。「わたしが最年長の宣教師です」と誇らしげに語る姿からは,奉仕活動に引退はなく,生涯を通じて主や隣人のために働くことの偉大さを感じることができる。図書館で奉仕するほかの宣教師は「彼女のような模範が近くにいることはすばらしい」と賞賛する。歴史の生き証人ともいうべき人物が語るエピソードは来場者の心をとらえ,彼女自身にとっても,経験が最大限に生かされる最適な居場所となっている。

また,開拓者が旅をしたモルモン・パイオニア・トレイルのような,何もないような場所でさえ奉仕する宣教師がいる。多くのモルモンの開拓者の命が失われたマーティンズ・コーヴは,開拓者の道をたどって追体験する人たちには人気の場所だ。夏になれば,各地から教会員が訪れ,かつてのように手車を押しながら約6キロの平原の道を進むことができる。人々に道を示すために,灼熱の日差しの中,道案内をするご夫婦がいる。開拓者風の衣服を着ているが,彼らも宣教師である。「夏の間はキャンピングカーで寝泊まりして,毎日,訪れる人にアドバイスをしたり,案内をしたりします。自分の先祖もここで苦しい経験をしたので,少しでも先祖の気持ちを感じられるように,この場所で宣教師として奉仕しています」と話す。公衆電話ボックスのような小さな小屋が草原にポツリと建っている。大人一人がやっと入れるほどの小さなスペース。「ここがわたしの伝道地なの」と日焼けした顔でほほえむ。砂ぼこりと容赦のない夏の太陽の中でも,先祖とのつながりを感じながら喜んで奉仕する姿は感動的だ。

テンプル・スクウェアで黙々と花壇に花を植える宣教師。教育を受ける機会がなかった外国人に英語を教える宣教師。農業や大工仕事の指導を行う宣教師。インスティテュートで学生に教義を教える宣教師。ユースカンファレンスで青少年の世話をする宣教師。

「わたしは必要とされているから。」

シニア世代の宣教師が誇らしげに語る表情は,自信に満ちあふれている。教会の財産リソースともいうべきシニア世代の経験が宣教師として生かされることには,主の教会にとっても,シニア世代の兄弟姉妹にとっても,計り知れない価値と可能性が秘められている。◆

必要なのは積極性です──熊本のアウトリーチセンターで奉仕する河村ご夫妻

熊本ステークのアウトリーチプログラムは3年前に専任の夫婦宣教師が召され,彼らが独身成人をサポートする形で始められた。現在は専任の夫婦宣教師はおらず,代わりに地元の年配の夫婦2組──月曜日の家庭の夕べと金曜日のスポーツナイトは小山正二朗(56歳)・逸子(56歳)ご夫妻,火曜日の結婚セミナーと伝道セミナー(多くの若者が伝道に出て現在休止中)は河村道也(67歳)・由美子(59歳)ご夫妻──が参加されている。アウトリーチそのものは独身成人が計画を立て活動し,レッスンも持ち回りで行っている。「わたしたち2夫婦の役割は彼らを支え遠くから見守ることです。中に入っていくことではありません。最後の戸締まりをし,残っている若者に家路に着くように促しています」と河村兄弟は言う。もっとも小山兄弟は得意の卓球を教えたりもしていて,最近は若者だけでなく50代60代の兄弟も習いに顔を出すそうだ。

小山兄弟は少し早い時期に小学校教員を退職され,姉妹と専任夫婦宣教師として伝道に出る計画を立てている。河村兄弟は自営業を営んでおり,今も現役として働いている。シニア世代の奉仕について河村ご夫妻にお話を伺った。

60代からの生き方の展望は? という質問に河村兄弟は答える。「わたしたちの信仰(の対象)は基本的にイエス・キリストですから,何歳になっても教会とのかかわり方は何も変わりません。神様の計画を行うに当たって,イエス・キリストの証人となる,イエス・キリストの弟子となる,イエス・キリストの道具として使っていただいて神様の計画を推し進めることがわたしたちの,特に神権者の役割だと思っています。これはずっと現役で続きますよね。形は変わりません。」

現在河村兄弟はステーク高等評議員の召しを受けている。世代が交代してステークやワードから召しが来なくなったとしたら?「責任がなくなることはありません。神様の大きな計画の中でわたしたちの責任はどこでもいい。いすを並べたり集会後に賛美歌を片付けるのもだれかがしなければならないことでしょう? どこであれ自分に与えられた責任をすることが大切です。」「教会には3つの使命があるでしょう。伝道とホームティーチング(聖徒を完全な者にする)と神殿。この3つは,やろうと思えばいくらでもすることがあります。喜びを得るためには積極的である必要があります。受け身で待っていてはだめです。何かしましょうか? という積極性があったら何歳になろうと楽しくて仕方がないですよ。自分で開拓していくので責任がなくなることはないです。」教会の中でシニアの方々が居場所を失い中心から遠のいていくのではないかとの懸念を覆すような返答が続く。

「神様はわたしたちが高齢になっても働けるようにたくさんのポジションをちゃんと用意してくださっています。ホームティーチングには『教会員を守護し助け全き者にして神様のもとに連れ戻す』という重要な役割があります。一人一人が積極的に取り組みさえすればシニアの方々の場所は手が足りないくらい用意されていますよ。神様が用意されているのですから喜びはいっぱいです。それを見出すのは自分自身です。することはどこにでもたくさんありますよ。選んでくださいと言われているんです。必要なのは積極性です。」

隣で静かに兄弟の話を聞かれていた河村姉妹は,「わたしは頂く責任をこつこつ頑張ろうと思っています。召しがなくなったときにも,わたしのような年齢の人がたくさんいるでしょうから助け合って。今も家にじっとしていることがないですから。それがなくなったら寂しいですから自転車をこいで(仲間のところに)出かけると思います」と笑顔で答えられた。ご夫婦ともに老後の悲哀を感じさせるところは微塵もない。

河村兄弟が言われるように教会の中での奉仕を自発的に見つけていくとき,経済面・健康面は問題にならないかと尋ねてみた。「経済的な問題については,わたしたちには什分の一の律法がありますから。正直に払って天の窓が開いてあふれる祝福を受けるかどうか試しなさいと言われている律法だから,わたしは経済的な安定はこれ以外では得られないと思っています。実はわたしにはお金はありません。でも心はブルジョワだと思っています。心が豊かであれば,また什分の一を正直に払っていれば経済的にも仕事面でも祝福してくさるという証を持っています。」河村兄弟はもう一つ持つべき証があると言う。「『神の御国と神の義を求めなさい。そうすればなくてはならないものはすべて備えて与えられる』という証が必要です。なくてはならないものがすべて与えられると知っていれば強いですよ。」健康面においても,身近にいる大病を克服した70代の兄弟や,体の一部を失っても精力的に奉仕する50代の兄弟の名前を挙げて,「彼らがいい模範ですよ。あの体で喜びがいっぱい。彼らを見ると『肉体を更新される』ではないですがこちらまで元気になります。3つの使命をバランスよく行う人は皆,体も霊も元気ですよ」と力強く言われた。そして「高齢になっても不安はない」と断言され,「だって神様が約束されたことですから。なくてはならんことをすべて備えてあげますよと。90歳になろうが幾つになろうがこれを(3つの使命・什分の一の律法)を頑張っていればこの世のことは全部備えられます。」

お二人そろって「教会は楽しい」と笑顔で元気に言われる姿に,シニア世代の底力を見たような気がした。◆

シニア世代の活躍の場

この秋の第180回半期総大会においてトーマス・S・モンソン大管長はシニア世代をこう励ました。「……熟年の兄弟姉妹の皆さん,わたしたちは熟年の夫婦をもっと大勢必要としています。現在奉仕している,また過去に奉仕した忠実な夫婦の皆さん,イエス・キリストの福音に対する皆さんの信仰と献身的な奉仕に感謝しています。皆さんは進んでよく奉仕し,非常に良い働きをしています。

夫婦宣教師として奉仕できる時期がまだ来ていない皆さんには,伴侶とともに夫婦宣教師に召される日のために今準備するよう強く勧めます。状況が許し,引退できるようになって健康的に可能であれば,家を離れて専任宣教師として奉仕してください。夫婦そろって専任で主の業に携わることで得られる,すばらしい御霊と充実感を味わう機会は,人生にそうめったにあるものではありません。」※

教会の場合,シニア世代の生きがいや心の部分をサポートする良いリソース──宣教師制度がある。日本においても豊かな奉仕の機会が開かれている。ある人々は夫婦宣教師として伝道に赴く。専任宣教師として召されるには,幾つかの条件をクリアし,ビショップとステーク会長の推薦を受けなければならない。

「けれども,」と西原長老は続ける。「大体,70歳を過ぎると(体力的・経済的に)伝道に出られなくなるんです。そうなると(イメージしやすい)選択肢は神殿での奉仕,あるいは家族歴史の奉仕(人名抄出プログラムや家族歴史アドバイザー)などです。でも実際にはもっともっといろいろなことができるだろう,と思います。」専任宣教師の条件に合わない人には,ビショップとステーク会長の推薦を受け,例えばLDSファミリーサービスや宗教教育セミナリー・インスティテュートなど様々な部門で教会奉仕宣教師(上のコラム参照)として働くという選択肢がある。

「いろいろな才能を持った方がいらっしゃいますから。そういう才能を使ってもっと,教会の中でも地域社会の中でも奉仕できるようなシステムを作っていかなくてはいけない。高齢者の方々がこれまで信仰生活を通して培ってきた教会員としてのリソース(才能や特技,能力など),それを定年退職後に使う機会をどのように提供できるかだと思うんです。」

西原長老がかつて地元のボランティア団体で奉仕していたとき,車いすの老婦人が訪ねて来たことがあった。その方は,「何もできませんから,せめて(ボランティア団体の)会報を購読してお手伝いします」と申し出て年会費を払ってくださった。すると彼女を紹介したボランティア団体の女性はこう告げた。「でも西原さん,この人はね,聴きのプロだから。」

「そのおばあさんは人の話を聞いてあげるのがほんとうに上手なんですね。普通,車いすの必要な障がい者になってしまうと,もう何もできないと思ってしまいがちです。でもそうじゃないんですよ。ある意味で“残された”能力というのはたくさんあるんですね。確かに人と同じように歩くことはできないかもしれない,だけど,人以上にできることはたくさん持っていらっしゃる。そういう,残された能力を皆でうまく出し合えるか,使い合えるかというところなんだと思います。」

まずその人ありき

「LDSファミリーサービスでは今,電話相談室を開いています。あれは各分野の専門家が全部対応してくださっているんですけど,全国のリタイアされた方を調査すれば,もしかするともっと相談項目を増やすこともできると思うんです。例えば年金の仕事をされていた方に,年金相談という項目を作って電話相談員になっていただくとか。アイデア次第でいくらでも可能だと思いますね。

とにかく,高齢者の方がこれまで培ってこられたリソースをいろいろな形で皆さんと分かち合える機会,それを作って差し上げるのは,ビショップの責任であり,ワードの定員会や評議会の仕事だと思います。ステーク会長さんやビショップが,ただ単に教会運営を考えるだけではなくて,その中にいらっしゃる子供たち,あるいは親たち,独身者,高齢者などの方々が,どういうふうにすればこれからより充実した信仰生活を送っていけるのか,どうサポートができるのか,それをほんとうに考えていかなければと思います。」

これは高齢者ではないが,西原長老は一つの事例を語った。ある統合失調症に苦しむ会員をどう支援するか,ビショップとステーク会長からLDSファミリーサービスが相談を受ける。面接とカウンセリングを重ねるうち,彼にはパンを焼くという特技があることが分かった。そこで地元の神権指導者と相談し,彼のための作業所としてパン工房を開設した。今では週に1回,彼を助ける会員とともに,近隣の複数のワードで聖餐式に用いるためのパンを焼いている。そのことで多くの会員に感謝されている彼は今,天然酵母でのパン作りに挑戦する意欲を見せているという。

人が幸福感を感じるには,貢献感が欠かせないと言われる。貢献している実感があってこそ自尊感情も生まれる。この事例で神権指導者と教会は,まず目の前のこの人をレスキュー(救助)するという観点から動いた。先にパン工房というプログラムや施設があったのではなかった。「教会の中で,今,個人に焦点が当てられてきていますよね。その個人を助けるために何ができるのかというのを考えた結果が,いろいろなアイデアに発展していくのではないかと思うんです。

教会にはたくさんのいいリソースがある。でも残念ながらそのリソースがうまく活用されていない。それを組み立てていくのがこれからの課題です。」

高齢者のためのアウトリーチセンターを

本誌2008年12月号のニュースページでは,アウトリーチセンターについて特集した。そこでは,若い人の活動を支えるシニア世代の活躍が伝えられた。熊本ステークのアウトリーチセンターでは2年後の現在も,地元の2組のご夫妻がアウトリーチ活動を見守っている。(上のコラム参照)

西原長老は将来の展望を語る。「今,アウトリーチセンターは全部若い人たちのためのものと思っていますけれど,若い人に偏る必要はないと思うんですよ。例えば,お年寄りの方々が集まって来て,お茶を飲みながら世間話をしたり,昔のことを話したり,健康を維持するためのプログラムがあったり,そういう場があってもいいと思うんです。これからは絶対,高齢者向けのアウトリーチセンターといったプログラムは必要になってくるでしょうね。まあ世の中では介護予防支援サービスと呼んでいますけど。

高齢者だけではなく,(独身会員,心の病を抱えた方,障がいを持つ方,失業されている方など)いろいろな人たちがそこに来て,プログラムに参加したり奉仕したりする。ワードそのものが火曜日から日曜日まで,それこそライフケアセンターのような位置づけになったらすばらしいですよね。教会員だけじゃなくて地域に対しても,ここに来れば,あなたの人生,ライフに対するいろいろなリソースがありますよ,ライフケアができますよ,そういうアピールが世の中にできるようになったら,いいですよね。」

またソルトレーク・シティーにはウェルフェアスクエアやデゼレト産業といった福祉のための物資を生産・流通する施設が数多くあり,その運営には大勢の教会奉仕宣教師がかかわっている。奉仕宣教師は週に8時間から働けるので,高齢の宣教師でも例えば1日2時間といった,自分のできる範囲で奉仕をすることができる。

「夢ですけど,デゼレト産業のようなものが日本にもあったらいいですよね。フルタイムでないと働けない,それが普通の世の中の考え方です。でも,教会の中ではそうではないと思うんです。例えば,わたしは1日2時間だったら働けるよ,という高齢者や,あるいは心の悩みや鬱の,あるいは統合失調症の方がおられると思うんですね。自分のできることを,できるときに,できるだけする,それで一つのものを作り出していく,というのがわたしは教会の,シオンの姿だと思うんですよ。」

〔高齢者から〕

健康の問題と子供との関係

ここで視点を変えて,高齢者自身の側から健康の問題を見てみよう。夫婦宣教師や教会奉仕宣教師に限らずとも,元気に教会の召しを果たしているシニア世代の方々はたくさんおられる。しかし一方,身体が衰え,自分独りで外出することが難しくなったとき,子供が教会に集っていて連れて来てくれるのでなければ,教会に集い続けることは現実的にできなくなる。「もちろんそれをカバーするためにワードの人たちが助けてくれるというのはありますけど,実際問題,教会に来られなくなっている場合が多いです。あるいは施設に入ると,毎週教会に集うのはまず無理だと思いますね。」(西原長老)

教会が霊的な糧や奉仕の場や生きがいを提供できるとしても,その教会や神殿への足(交通手段)がなくなったとき,どのように教会とのつながりを保ち,信仰生活を続けていくかはシニア世代の末日聖徒にとって切実な問題である。

また介護が必要になったとき,介護保険制度に基づく公的な介護も充実してきたとはいえ,日本の場合はまだまだ家族介護が主流である。それは2世3世の人生に大きな影響を与えてしまう。「2世3世の子供たちが自分たちの夢を実現できないような介護の現実に強制的に取り込まれてしまうケース(親の介護のために仕事を辞めるといった)もあると思うんです。そうではなくて,子供たちと良い関係を築きつつ,お互いに2世3世に負担をかけないような第3の人生の送り方のシステム,そういうものも作っていかなくては。」

第3の人生を輝かせる心得

──デイケアセンター所長,吉澤常子姉妹

那覇ステーク糸満支部の吉澤常子姉妹は,沖縄の医療法人おもと会で長く働いてきた。おもと会は,複合的な施設を持ち,高齢者が介護を受けることなく健康な生活を長く送るための介護予防(保健)から,疾病の発病による急性期の治療(医療),回復期のリハビリテーション,そして退院後の維持期における在宅支援(福祉),さらに終末期に至るまで,あらゆる健康レベル(前ページ下段のチャート参照)における高齢者支援に,グループ内で連携して対応することを理念とした,沖縄でも有数の医療法人である。このおもと会グループにおいて吉澤姉妹は,2000年の介護保険制度スタート以来,次々に事業所を立ち上げてきた。デイサービス事業所,ヘルパーステーション,ケアマネージャーによる居宅支援事業所,訪問看護ステーション,その他の在宅サービス──現在は7つ目の事業所である,大きな病院に併設されたデイケアセンターの所長を務める。

施設の立ち上げとは,その事業所が,利用者にとってもリーズナブルな費用で,経済的に持続可能なように経営の道筋を付けることである。その過程で吉澤姉妹は,行政との調整,認可のあり方,利用者の流れ方,運用の仕方,予算の立て方,そうしたことを実地に学んできた。

例えば,要介護高齢者の居宅支援のために,在宅総合ケアセンターでは配食弁当を作り,月に1,500食ほどを那覇一円にある高齢者の自宅に届けている。一食500円だが,個人の病状に配慮した治療食も作るし,広範な配送をこなす車両と運転手の経費も必要で,なかなか採算が取れない。だからといって,おもと会の理念上,やめるわけにはいかない。そこで,利益率のいい他の事業と組み合わせて運営することで,トータルで経営が持続可能なようにする。── そうしたチャレンジに10年にわたってこたえ続けてきた吉澤姉妹には,福祉施設運営のノウハウが身に付いている。

吉澤姉妹自身も,今や60代を迎え,子育ても一段落し,第3の人生を迎えようとしている。その吉澤姉妹がこの人生のステージで心がけている幾つかのことがある。

60代を迎えた吉澤姉妹は,それを機に持ち物の大半を処分したという。「何が必要かな,と思ったら聖典と家族の記録と写真と。服など,開けて見たら捨てられないから,最低限使うものだけ取って,それ以外は目をつぶって全部捨てました。自分の老後の備えというのはスリムになることだから。あまりものがなくても暮らせるものです。何か心が軽くなるのね。」

もう一つは,60代を迎えた両親の務めとして,月に1度,6人の子供たち(1人は伝道中)とその伴侶,そして10人の孫たちを一同に集め,食事を振る舞うことである。「親がそこに存在しているっていうだけで子供は集まれますよね。その辺に,子育ては終わったけどまだ大事な仕事が残っている。これはずっと続けていこうと思います。」いわば家族がつながる要かなめとしての務めである。また家族が集まる度に,子供たちの各世帯と両親とで2,000円ずつ出し合い,積み立てている。それは子供や孫たちの人生の節目節目を祝ったり,困ったときに援助したりするときの基金となるという。一族全体のつながりが強く,いざというときのセーフティネットとして機能する。それは沖縄という地域の良き伝統であり,「子供たちに伝えていかなければならないことです」と吉澤姉妹は語る。

また一つは,常に学び続けること。吉澤姉妹は月に1万円分の書籍を買って読むことにしている。読み終わった本はデイケアセンターの書棚に収め,施設の利用者の方が自由に手に取れるようにする。「自分の心がしっかりして,いろいろなことを考えて頭がぐるぐる回っていたら,豊かな黄金の時間だと思いますね。そういう材料を60歳までに自分の中に培う,第3の人生ならぬ第3の勉強というのをやっておかないと。」

それは,老後の生きがいを子供などに依存せず,独りで幸せを感じられる,心の自立を図ることだという。「自分に残されていて世の中に還元できるものは何かって,役割を見いだしてね。お世話してもらうというより,もっと自分に自信を持って,自分が世の中に返せるのは何かって探すと,それは必ず見つかりますよ。親がにこにこして元気に過ごしているだけで,子供たちは元気をもらってほんとうに癒いやされますからね。介護の現場でもそうですよ。触るな!とか言われたら影響を受けて悲しくなるよね。ありがとう,ありがとうと言われたら介護者はみんな元気が出る。それを生きがいに,けっこう仕事を続けていますし。受ける立場与える立場じゃない,フィフティ─フィフティですよね。」

そして最後に,吉澤姉妹には夢がある。それは,これまで実績を重ねて培ってきた福祉施設運営のノウハウをすべて投入して,末日聖徒のための高齢者住宅を作ることである。「だってほんとうに困っている人がいるんです,ニーズがあるんです。」──介護や居住の質の高い老人ホームはなかなか空きが出ず入居できない。高齢者が安心して暮らせる終の住処 を見つけるのは簡単ではない。「わたしは今まで,現場の声とか実例をたくさん見て経験を積み重ねているから,それを自分の強みとして考えて,今度は教会の人たちの老後の備えのためにそれを使おうと思うんです。」

吉澤姉妹は福祉施設立ち上げのプロとして,きわめて緻密ちみつな構想を持っている。まず100床の高齢者住宅を作る。入居者は末日聖徒が中心だが,そうでない人も受け入れる。そこにケアマネージャー居宅支援事業所,デイサービスセンター,ヘルパーステーションを併設する。高齢者住宅の入居者がそれらのサービスの顧客母体となる。「年々人は弱って行くから,入居者の中から30~40パーセント,介護保険対象者が出てきますよね。高齢者住宅は入居費をある程度高く設定しないといけないけど,それを少しの家族の援助と年金とで賄える程度にセーブするために,デイサービスほかを作って,そこからの利益で入居費のマイナスを補っていったら採算が合って,事業全体が成り立つのね。」

そこでは,まだまだ元気な入居者が,介護の必要な入居者がデイケアや教会に行く際の送迎サービスを務めたり,デイサービスで清掃をしたり調理をしたりミニ講座を開いたりといった,雇用やボランティアの場も生まれる。「人は受けるだけではなくて,自分の優しさを表現したいんです。」もちろん,看護師やヘルパー,ケアマネージャー,事務スタッフといった若い世代の雇用も創出される。そうして高齢者住宅を中心に居宅支援事業所,デイサービスセンター,ヘルパーステーションから成る一つの地域コミュニティが形成されることになる。その中でホームティーチングや家庭訪問もなされる。

吉澤姉妹の中にはさらにきめ細かなノウハウに基づく施設のイメージもすでにある。「1階は体育館みたいにあんまり設備がなくていいの。平行棒を作って,畳を敷いたコーナーも作ってね。寝たきり予防の健康体操や歩行訓練,健康講座をして。ちょっと外に出たいと思ったらやっぱり沖縄の光線はすごいから,屋根だけの回廊がそこにあって,両サイドには囲いを作って鶏を放して,小さな畑をするとかね。土と,自然と接点のある所が,お年寄りの元気になる源なんです。」…… 生き生きとビジョンを語る吉澤姉妹にとっては,この構想自体が元気の源になっているのかもしれない。◆ 

生涯の終わりまで福音とともにある施設

吉澤常子姉妹(上コラム参照)は,看護師とケアマネージャーの有資格者として長年,医療と介護の現場を見てきた経験から,末日聖徒の高齢者の晩年のあり方を懸念する。「たくさん苦労して施設を回り回って,最後は認知症になって,教会音楽や祈りと何も関係ない世界で(来世に)旅立つというのはちょっと寂しいなあと思うんですね。」

かつて西原長老はアメリカで人口3万人ほどの都市を訪れた。市長いわく,「都市計画とは市民の生活の質(QOL)を上げることである」──この都市には大規模な福祉施設がある。それは健康な高齢者がともに暮らすグループリビングから,介護が必要になってからの特別養護老人ホーム,認知症グループホーム,そして最後のターミナルケアまですべてが一施設内にそろう,文字どおりの終の住処であった。

「そこには教会があるわけです。中心は教会なんですね。だからもちろん日曜日には礼拝に行く。」(西原長老)

ホームの中に教会があれば,介護を受けるようになっても礼拝や奉仕に参加ができ,教会への足がないという問題は解決する。「そういうものの末日聖徒版があれば,と思います。家族も自由にそこに入って来られて,教会員じゃない人が入って来ても一緒に暮らせる雰囲気があればベストだと思います。」(西原長老)

かつて特養やグループホームへ親を入れると,子供の側に親を捨てたかのような自責の念があった。しかしそれはすでに過去のイメージだと吉澤姉妹は言う。「今の施設は,尿の臭いなどもさせないよう,ホテル並みの快適な空間,アメニティを備えるようにと,それがもう一般的な考え方になっていますね。だから今,『へえ,老人ホームに親を入れてるの?』なんて言ったらだめですよ。(笑)時代に即した親の見方というものがあります。認知症が多いというのは,認知症が出るまで長生きする時代になったからです。そのために国が用意した介護制度を使って,社会で見ましょうと言っているのに,自分だけで抱え込もうとしたら……介護を抱えてノイローゼになる人はいっぱいいますからね。親世代と子世代の私生活を守りながら,面会に行って,穏やかな感じでサポートした方がお互いにとって幸せですよね。」

また昨今は孤独死の問題にも社会的関心が高まっている。それもまだ介護の対象でない60代の孤独死が多いという。西原長老はこう話す。「多分,深刻なのは,独り住まいの方々だと思います。40代50代60代と,もうご両親もきょうだいもおられなくて独りぼっちという方は,将来こういう問題が出てくるんですね。ですからある人たちは施設に入ることを考えています。でも施設に入ると,もう教会員としての生活はできなくなりますから。そういう意味では,同じような境遇にある会員たちが,グループリビングから始めて,グループホーム,そして最後まで安心して福音の下に暮らせるような環境を作っていくのは,これから教会の中でも必要だと思います。」

西原長老は,リソースクラス「実り豊かな人生設計」の最初のセッションでいきなりこう問いかけるという。──「皆さんは何歳まで生きたいですか?」

世の中には「エンディングノート」というものがある。生きたいと望む歳までどのように生きるかを考え,そして自分が意思表示できなくなったときのために,自分の意向や感謝のメッセージを周りの人に残すノートである。「主がわたしたちに与えてくださった人生を,より充実したものとして送るためには,やはりいつも生涯の終わりというものを意識して計画し,そして定期的にそれを更新する必要があると思うんですね。わたしはこのリソースクラスで,皆さんとともに末日聖徒版のエンディングノートを作ろうと思っています。」◆