リアホナ2010年8月号 若人へのメッセージ

●若人へのメッセージ

あなたはいつ,伝道に出ますか?

ステーク大会衛星放送より──七十人第一定員会デビッド・F・エバンズ長老,十二使徒定員会ラッセル・M・ネルソン長老

6月20日(日),衛星放送によるステーク大会が日本全国で同時に行われた。十二使徒定員会のラッセル・M・ネルソン長老管理の下,前アジア北地域会長で七十人第一定員会のデビッド・F・エバンズ長老が司会をした。この衛星放送による大会において,エバンズ長老は,まだ伝道に出たことのないすべての人,特に青少年とヤングシングルアダルトの会員たちに向かって語りかけた。すなわち──「あなたはいつ,伝道に出ますか?」と。

ここでは,エバンズ長老とネルソン長老による,日本の教会の若人へあてたメッセージを抜粋してお伝えする。

エバンズ長老は,日本の山下ご家族について話した。父親の山下兄弟は若いころ,山梨県の甲府で福音と出会い,当時,専任宣教師として働いていたエバンズ長老からバプテスマを受けた。山下兄弟は後に伝道に出て,同じく帰還宣教師の姉妹と神殿で結婚し,4人の男の子と2人の女の子に恵まれる。エバンズ長老がアジア北地域会長を務めていたころ,6人の子供たちのうち4人までが伝道に出ていた。三男の一生兄弟は高校生であった。

「(一生兄弟は,)忠実で幸せな教会員として成長していました。定員会やセミナリーの活動に活発に参加していました。子供のころから福音が大好きで,それが真実だと知っていました。でも高校生のときに幾つかのチャレンジに遭いました。セミナリーや教会よりも学校の活動の方がもっと大切になってきました。学校の一人の先生が人生に影響を与えるようになりました。いつも伝道に出ると言っていましたが,そのことを両親と話さなくなりました。日曜日は教会よりも学校で過ごすようになりました。お父さんは気持ちをしっかり持とうと努力しました。お母さんは彼が変わる姿を見て胸が痛みました。お母さんは毎日息子のために祈りました。」

衛星放送では言及されていないが,山下家と家族ぐるみで交流のあったエバンズ長老は,この時期の山下一生兄弟に愛と関心を伝えて見守っている。その経緯は『リアホナ』2009年7月号チャーチ・ニュース13ページに記されている。

高長老の問いかけ

当時,七十人第二定員会の高元龍長老がアジア北地域会長会の顧問であった。高長老はあるとき,山下家の集うステークを訪問するよう割り当てを受けた。

ステーク大会の土曜の夜の部会の後,山下ご夫妻はステーク会長から,高長老姉妹を車で送るよう依頼される。そして一生兄弟もそこに同乗した。エバンズ長老はこう続ける。

「車の中で話をしていると,高長老が彼にこう言いました。『一生,あなたはいつ伝道に出ますか?』── 一生は何を言ったらいいのか分かりませんでした。ただ,よく分からない,というふうに答えました。高長老はそれ以上答えを求めませんでした。でも質問は心から消えませんでした。『一生,あなたはいつ伝道に出ますか?』

その夜,高長老の質問について考えました。『一生,あなたはいつ伝道に出ますか?』眠れませんでした。そして一生はその夜,伝道に出ることを主(の前)に決意しました。一生は日曜日の朝,早く起きて,ステークセンターに行きました。そして高長老を探してこう伝えました。『高長老,少し時間はかかるかもしれませんが,伝道に出ます。そして今日から準備を始めます。』── 準備には確かに少し時間がかかりました。ビショップとステーク会長に会う必要がありました。変えなければならないことが少しありました。福音を聞く必要のある友達もいました。その中の一人はバプテスマを受けました。」

2008年1月に山下一生長老はJMTCに入り,福岡伝道部で召しを果たし,数か月前に帰還した。

エバンズ長老は衛星放送を通じて,まだ伝道に出たことのないすべての若い兄弟と,伝道に出たいと願う姉妹たちに,高長老と同じ質問を投げかけた。──「あなたは,いつ伝道に出ますか?」そしてこう呼びかける。「わたしは皆さん一人一人が今日,伝道に出る決意をしてほしいと思っています。準備するために必要なことを行うと今日,決めてください。伝道することができるように計画を立ててください。その計画を両親やビショップ,ステーク会長に見せてください。」

「罪や間違いを解決するためにビショップと会う必要があれば,信仰と勇気をもってそうしてください。彼らを信頼してください。彼らは皆さんを愛しています。ふさわしくないと感じることがあれば,彼らはそれを乗り越えるために助けてくれます。時間はかかるかもしれませんが,清くなったと感じられることはほんとうにすばらしいことです。」

「伝道に出るために学業を先延ばしにする必要があれば,勇気をもって学校のアドバイザーに話してください。チャレンジはあるかもしれませんが,主が扉を開いてくださるのを見るでしょう。主はこう約束されました。『求めなさい。そうすれば,与えられるであろう。……たたきなさい。そうすれば,開かれるであろう。』(3ニーファイ14:7。マタイ7:7も参照)」

エバンズ長老はビショップやステーク会長や両親にも呼びかける。伝道に出るための計画を若人から見せてもらい,金銭的な問題や学業を中断することなどについて,彼らの相談に乗り,勧告を与えるように,と。「金銭的な助けがないという理由でふさわしい若者が伝道に出られないということがないようにしてください。」

MTCで経験すること

エバンズ長老は,「伝道に出ると,たくさんの新しいことやすばらしいことを経験します」と語り,米国ユタ州プロボ宣教師訓練センター(MTC)で訓練を受ける日本人宣教師たちの模様を映像で紹介した。

《MTC映像と宣教師たちのコメント》

MTCでは十二使徒をはじめ,中央幹部に直接,接して指導を受ける機会も多い。

「MTCのディボーショナルでは3,500人ぐらい宣教師が集まります。それを見るときにヒラマンの2,000人の兵士を見ている気持ちになります。わたしたちだけではなく,たくさんの人が世界で,人の救いのために働いていることを目の当たりにしてすごくうれしくなります。」

「MTCでは証をする機会がすごく多いので,同期の12人の証を聞くことによってわたしの証が増し加えられ,また,福音の知識が増し加えられることを強く感じます。」

MTCには世界中から宣教師となる若者たちが集まって,互いに交流する機会がある。

「わたしたちはこのMTCで,トンガ,サモア,イギリス,韓国,カンボジア,アメリカからの宣教師と会いました。」

日本人宣教師たちの学ぶ教室はMTCの5階にある。「わたしたちがこのユタの地で福音を日本語で学べるということはほんとうにすばらしい祝福だなあと思いました。」

「日本に行くアメリカ人の宣教師と日本語の練習,また英語の練習をします。教え合えるのが祝福だなと思います。」

「同僚が与えられてほんとうに感謝しています。彼女がいつもわたしのそばにいてくれることで,御霊をよく受けることができます。(同僚を信頼することで)安心感を得て,彼女のおかげで何をするにも心配することがありません。」

カフェテリアでは,多彩なメニューから選んで好きなだけ食事を取ることができる。

「MTCのご飯はとてもおいしいです。」

「アメリカの食事(を味わえること)はいい経験だと思います。」

MTCには広い体育館と運動場がある。

「MTCでは健康に気をつけるために,毎日ジム(体育館)に行く時間があります。」

教科過程の合間にはスポーツプログラムがあり,サッカー,4スクウェア競技,バレー

ボールなどで体を動かす。

また歩いて行ける距離にユタ州プロボ神殿があり,参入することができる。

「世の煩い事を離れるという神殿の祝福,すごくいい気持ち,安心な気持ちがあって,わたしたちは大丈夫,という感じを受けました。」

ランドリールームにはコンピューターが備えられ,電子メールの送受信ができる。

「準備の日にメールチェックをして,家族がどういうことをわたしに期待しているのか,またどういう励ましの言葉があるのか,すごく楽しみです。」

「わたしたちが一所懸命働くとき神様はわたしたちを助けてくださいます。わたしたちが心配する必要は何もないです。」

「伝道に出る前はとても口の重い人間でしたけれど,ここに来て皆としゃべること,また人の証(を聞き)自分の証を述べることによって,自分の信仰が強まり,よりいっそう人に仕えたいという気持ちが出てきました。専任宣教師だけではなく,(ワードの会員と)協力することによって,伝道活動(の成果が得られることを)わたしは知っています。また専任宣教師として多くの犠牲を払って伝道活動をすることにも,とても意味があると思います。」── 映像の中でMTCの宣教師たちはそのように語った。

最も価値のあること

「どうですか? 伝道に出たいと思いませんか? この世界的なすばらしい宣教師の一団に加わりたいと思いませんか」とエバンズ長老はさらに問いかけ,先の総大会説教を引用する。「主は,務めを果たすことのできるすべての若い男性が,神の預言者から伝道の召しを受けるにふさわしくなるよう今晩から備え,決意を新たにするよう求めておられます。」(ロナルド・A・ラズバンド「宣教師の神聖な召し」『リアホナ』2010年5月号,51)

主にとって,「最も価値のあることは,この民に悔い改めを告げて人々をわたしのもとに導き,わたしの父の王国で彼らとともに安息を得られるようにすることである」(教義と聖約15:6)とエバンズ長老は伝道の業の大切さを強調する。

「両親や祖父母の皆さん,皆さんは預言者に聞き従って伝道活動に備えることができます。主は夫婦宣教師としての皆さんの働きも必要とされているからです。皆さんと家族,奉仕する人々に注がれる祝福は,皆さんがささげるどのような犠牲よりも大きいことを約束します。」

続いて画面は山下一生長老が証を語る録画になる。成田空港からMTCへ出発する宣教師たちの様子も映し出される。

《山下一生長老の証》

「伝道はほんとうに最高です。

わたしの人生の中にあってこれほどわたしに祝福をもたらしてくれたものはありません。すべての経験が今のわたしのためにありました。またこれからの人生の中でもほんとうに祝福となることを知っています。伝道はほんとうにすばらしいものです。すべての人に,伝道の準備をすることを勧めます。今,それを始めてください。

もちろん伝道の経験すべてがよかったというわけではありません。大変なこともできないこともありました。(けれども)伝道中に起こったすべての試練や犠牲も,今はすべてが祝福に変わっています。わたしたちが福音を知っていることには,ほんとうに喜んでいい立派な理由があります。そのことを多くの人々に伝えることができます。その特別な専任宣教師の期間はほんとうにすばらしいものでした。専任宣教師の2年間は,主から求められているものであり,主の業だということを知っています。」

「あなたは,いつ伝道に出ますか?」とエバンズ長老は三たび問いかける。

「一生やほかの多くの人が人生の中で経験した幸せと変化を皆さんも経験したいと思いませんか? 主から求められることを進んで行いたいと思っていますか?そうであれば,宣教師になってください。伝道の期間を主にささげると,今日決意してください。

それはすべてを変えます。皆さんは幸せになります。疑いはなくなります。あなたが奉仕する人々を愛するようになります。皆さんの同僚や皆さんの働きによって教会に入った人との友情は生涯,続きます。

わたしの人生から例を挙げることができます。39年前,甲府で宣教師として奉仕していたとき,わたしは一生のお父さんを教え,彼にバプテスマを施す特権を受けました。彼はわたしの兄弟であり,友人だと思っています。彼も同じです。彼はわたしの家族を愛し,助けてくれました。わたしも同じようにしようと努力しています。わたしは彼を心から愛しています。」

エバンズ長老は心からの勧めと証をもって締めくくる。「すべての若い兄弟と,伝道に出たい姉妹たち,伝道に来てください。わたしたちに加わってください。来て,清くなってください。来て,幸せになってください。来て,人生のこの時期に主が最も価値のあることと言われたことを経験してください。これは主の業です。天のお父様は生きておられ,その御子イエス・キリストが現在この業を導いておられます。」

子供に福音を教える

続いて十二使徒定員会のラッセル・M・ネルソン長老が壇上に立った。ネルソン長老は1951年,朝鮮戦争の時代に軍医として,初めて日本の土を踏んだ。その当時日本の少年と一緒に撮った写真を示し,子供を教えるというテーマで語りかけた。

「今日わたしは両親と教師の皆さんに尋ねます。皆さんは何を子供たちに教えるべきでしょうか。」そして以下の事柄を教えるように提案する。

● 神と御子を知り,愛するように教える

● 神の業と栄光が,人の不死不滅と永遠の命をもたらすことであると教える

● また御子の贖罪によって,この二つの目的が現実のものとなったことを教える

● 聖餐にあずかることの大切さを教える。パンと水は,贖い主の体と血を記念する象徴であることを教える

● 預言者について教える。生ける預言者,教会の大管長は,確かに生ける主から導きを受けていることを教える

● 聖文を愛するように教える。子供たちに聖文を読んで聞かせてあげる

● 神権の大切さと,神権がどのように回復されたかを教える

● 両親を愛し敬うように教える。子供たちが皆さんを愛しやすくなれるようにする

● 神殿を愛するように教える

● 主の宣教師として奉仕するためにふさわしくなるように教える

● 什分の一の律法に従うよう教える

● 知恵の言葉を守るように教える

● ポルノグラフィーという疫病を避けるように強く教える

● 教育の大切さを教える

● 家庭でも,地域社会でも,国においても,神の王国においても良い民になるように教える

● 子供たちに自分が何者なのかを教える。

教義と聖約第138章の最後の数節(55-56節)に書かれてある教義を教える

そしてネルソン長老はこう締めくくった。

「皆さんが自分の子供たちに福音を教え,彼らの生活で聖霊の霊的な力と,皆さんが彼らを愛していることを感じることができるなら,子供たちもその子供たちも,時を超えて永遠に祝福されるでしょう。」

この説教の中でネルソン長老は,「子供たちに主の宣教師として奉仕するためにふさわしくなるように教えてください」と語り,以下のように続けた。

「わたしの何人かの孫たちは専任宣教師としての召しを果たしました。彼らの努力によって多くの家族が福音を学び,バプテスマを受けました。多くの世代の人々が立ち上がって,その宣教師たちの名前をほめたたえるでしょう。姉妹の皆さん,皆さんにとって伝道は機会です。神権者の兄弟の皆さんにとっては伝道は義務であり特権です。皆さんはこの末日においてイスラエルの集合の業に働くよう世の初めから予任されているのです。すべての若い男性と,まだ伝道に出ていないヤングシングルアダルトの男性,そして伝道を望むすばらしい姉妹の皆さんが,宣教師として召しを果たすなら,このすばらしい経験は,皆さんと周りの人々の生活に大きな影響を与えるでしょう。山下一生長老の場合もそうでした。皆さんは宣教師として,天の御父の計画の中できわめて重要な役割を果たすことでしょう。皆さんは福音の喜びを人々にもたらし,その経験は皆さんにとって永遠に祝福となります。エバンズ長老を見てください。ヒンクレー大管長はよく,長い人生で得られたすべての良いことをたどって行くと,伝道に出る決意をしたということに行き着くと語りました。皆さんにも同じことが起きるでしょう。」◆

「今すぐ,伝道に出ろ!」

主の答えに完全に従う──山口地方部宇部支部渡壁正明兄弟

2008年5月から東京伝道部で宣教師として奉仕した渡壁正明兄弟は,2年間の伝道生活を終えて,家族の待つ山口県宇部市へ戻った。「父親と一緒に福岡神殿へ参入しました。エンダウメントを終えた後に,父が,座っているいすの隣へ座るように手招きしていました。わたしが父の隣に座ると,父はわたしの耳に小声で話しました。『ありがとよ。また,これからも頼むね。』」

その言葉を「人生の中でいちばんうれしい一言だった」と渡壁兄弟は表現する。「心に残る言葉でした。安心感を感じました。伝道へ出てほんとうによかったと思いました。」── 渡壁兄弟と家族の信仰生活を振り返れば,その言葉がいかに重みがあり,奇跡的な一言だったかを知ることができるだろう。

渡壁正明兄弟は教会員の家庭に生まれ育った。「両親は結婚してから改宗しました。改宗したときには,兄と姉がいましたが,わたしはまだ生まれていませんでした。」

教会員の家庭に育ってはいたが,それほど熱心な会員ではなかったと振り返る。「高校を卒業するころから,あまり教会へ行かなくなりました。だんだんと教会の友達が少なくなり,楽しさがなくなり,寂しさだけを感じていました。教会には自分の居場所がないと感じていました。同じ世代の友達がいなくなり, 友達と話すことも少なくなりました。」

高校を卒業して北九州の専門学校へ入学した渡壁兄弟。しかし,卒業するまでの2年間は,ほとんど教会へ行くことはなかった。「卒業してから宇部に戻りましたが,日曜日に仕事が入ることもありましたから,活発に教会へ集うこともありませんでした。自動車の整備士として働いていましたが,それは楽しい仕事でした。自分が欲しいものや楽しいことだけに集中できる時間でした。安息日に仕事が入っているのは,教会へ行かない都合のよい理由になっていました。生活のため,仕事のためと言い訳することは,ベストな考えだと思っていました。支部会長から伝道へ出ることを勧められていましたが,断る理由ができたと心から喜んでいました。家族の会話も減り,祈りもなくなり,聖典を学ぶこともなくなり,両親も教会を休むようになりました。」

「しかし,支部会長は何度も宣教師になることを勧めてきました。そのときは,ほんとうに嫌でした。25歳になるまで,何度も何度も宣教師の申請書を渡してくるんです。それは,当時のわたしにいちばん必要のないものでした。」

宇部支部の三浦会長は定期的に宣教師の申請書を渡壁兄弟へ渡して尋ねた。

「伝道へ行くのどう?」

「ないですね」と渡壁兄弟。

「よく考えて」と支部会長。

「家に帰って少し目を通してから,丸めて捨てましたし,シュレッダーにかけることもありました。自分は伝道へ出たくありませんでしたので,見えるところにその書類を置きたくありませんでした。伝道へ行くことへのプレッシャーも感じていたのかもしれません。」

そんなとき,ちょっとした事件が起きる。

姉の模範のパワー

「茨城の大学で学んでいた姉が,卒業して伝道へ行くことになりました。驚きました。なんでそんなことをするのだろうと。そして,1年半後に姉が東京南伝道部から帰って来ると,もっと驚くことがありました。

それは,家族で祈ろうって言い始めたことです。」

「姉は家族の中でも伝道していました。家の中で祈り,モルモン書を読んで模範を示していました。わたしはその行動を見ると,正直なところ『うざい』と感じていました。だれも興味はなく,むしろ,やりたくありませんでした。」それでも姉の敬子姉妹はやめなかった。2年ほど続けると,家族の中にも少し変化が出てきた。

「いわゆる帰還宣教師パワーですね。姉の模範が続くわけです。全員が集まることは難しかったのですが,姉は家族での祈りを続けました。家族のだれかが姉と一緒の祈りに加わるのが,1週間に1回,2回と増えてきました。それを続けることによって小さな奇跡が見え始めてきました。家庭の夕べも12,3年まったくしていなかったのですが,少しずつ変化が起こり,できた喜びを感じたとき,もう一度家族の大切さについて考えるようになりました。もう一度家族が一致して,強い家族関係が必要だと感じ始めていました。家の中に笑顔が増え,笑いがあり,平安と御霊を感じ,幸せな気分になりました。」

なによりも「姉は根性があったと思います」と渡壁兄弟は語る。そして,姉の敬子姉妹は渡壁兄弟に伝道のすばらしさを話し,「神権者であれば伝道へ行った方がよい」と励ますようになった。

「わたしが宣教師になる価値を感じ始めたのは25歳のときでした。深く考えました。今までであれば,そのような決断をするときに,祈ることはなかったと思います。しかし,姉が家族の祈りを続けていたので,その影響もあり,祈ってみようと思いました。また,ジョセフ・スミスも森の中で神様に祈り求めたので,自分も一人静かになれる中で祈ってみることにしました。」

そのとき頭に浮かんだ場所は,渡壁兄弟の家から車で30分ほど離れた霜降山だった。「子供のころに家族で行ったことのある山でした。山頂は木々に囲まれ,ジョセフ・スミスが祈ったのと同じように森に囲まれているような所でした。」

山頂にて

11月の休みの日に霜降山の山頂近くまで車で向かった渡壁兄弟。しかし,天候は荒れ,風が吹きすさび,山が震えるかのように周囲の木は激しく揺れていた。

「わたしは車から降り,頂上まで歩き始めました。風が強すぎて前に進むことが難しい状況でした。車に戻った方が安全だと思いましたが,わたしの体が車に戻ることを拒否していました。ジョセフ・スミスと同じようなことをすれば,間違いのない選択ができると思いましたが,だれもいない山の中で恐ろしさも感じました。それでも,自分の中で確信に満ちた答えが欲しかったのです。自分はこれでいいのか,年齢的にも伝道へ出てもいいのか答えが欲しかったんです。その思いが強かったので,天候が荒れていても山頂に向かいました。山頂へ着くと,周囲を見渡し,だれもいないことを確認してひざまずき,主に祈りました。祈るとき,時間によって風が弱まり祈りに集中することができました。そして,不思議なことに,風が突然やみ,鳥の鳴き声だけが響き渡っていました。」

渡壁兄弟が心に決めていたことは一つだけ──それは「主の答えに完全に従う」ということだった。祈り始めた渡壁兄弟は大胆に主に尋ねた。「わたしは伝道より結婚相手を探すことに集中しようと思います。わたしは5年も仕事をしています。伝道が終わったら28歳になってしまいます。仕事を続けます。伝道には出ません。」

5分ほど沈黙すると,主の答えが心の中に響いた。その答えも大胆なものだった。「今すぐ伝道に出ろ。」── その後,数回,渡壁兄弟は主に同じ祈りをささげた。そして,答えはすべて同じだった。「今すぐ伝道に出ろ。」

「むしろ伝道へは行きたくない気持ちの方が強かったと思います。神様からの答えは『伝道に出ろ!』という強いものでした。もし『出た方がよい』という優しい言葉だったら,わたしは伝道へ出ることを選ばなかったと思います。神様はわたしの性格を知っているので,ゆるい答えや,優しい答えではありませんでした。『出ろ!』と言われたのだと思います。」

神様が「今すぐに」と言われたので,渡壁兄弟はすぐに支部会長に話した。「支部会長は,よく決意しましたねと言っていました。一つの奇跡だったように思います。翌週には伝道部会長と面接して伝道の申請をしました。今すぐにと祈りの答えを受けたので,ゆっくり進めることはできませんでした。今回は申請書をシュレッダーにかけることはありませんでした」と笑う。

試練を越えて

しかし,伝道へ出るためには大きな問題も残っていた。それは仕事を辞めることだった。「仕事を辞めるのは大変でした。整備士の世界では10年ぐらい務めて,やっと一人前になれるぐらいです。自分は先輩たちにも教えられ,育てられていたので,会社の人たちには強く反対されました。伝道へ出ることを自分はどのように説明したらよいか分かりませんでした。説明する方法が分からないので,宣教師の申請書を持って行き,それを上司に見せました。」

教会にそれほど活発ではなかった渡壁兄弟は,会社では自分がクリスチャンだということをだれにも伝えていなかった。それが突然,宣教師になるというのだから,上司も同僚も驚いたのは当然のことだろう。

「会社に残ってほしいと何度も言われました。社名も世間的には有名でしたから,その名前を捨ててまで行く価値があるのかと詰問されました。職場の人たちは突然の行動にとにかく驚いたと思います。しかし,神様が『今すぐに出ろ』と言われたので,その言葉を信じて突き進むしかありませんでした。社内では,上司だけではなく先輩たちからも何度も説得されました。上司はわたしに対する失望感や悔しさから目に涙をためていました。先輩たちの態度も厳しくなり,辞めるまでの間,職場へ行くのはとてもつらいものでした。周囲の態度が激変したので,職場へ行くのが恐くなるほどでした。」

そして,退職する前の送別会。「職場の人たちの気持ちを考えると出るのをためらうほどでした。送別会の最後に宣教師らしく,5年間お世話になった感謝を一人一人,名前を挙げながら,メッセージを伝えていきました。一人一人に呼びかけながら感謝を伝えたときに,涙があふれてきました。会社の同僚も泣いていました。」

幾つもの変化と奇跡

会社の人たちの気持ちを裏切ったように感じていた渡壁兄弟は,2年間の伝道を終えて,すぐに会社へあいさつと報告に向かった。「職場へ行くとうれしいことに大歓迎されました。2年間よく頑張ったと口々に言われました。そのときはほんとうにうれしくなりました。また,この会社で働かないかと誘われました。」それはとてもありがたい申し出だった。しかし「うれしいことだったのですが,自分は断りました。なぜならば,安息日に仕事へ行かなければならないからです。もし,安息日に働かなくてもよければ,もう一度戻りたい職場だったのですが。伝道へ行く前には,安息日はそれほど気にしていませんでしたが,帰還後は,その気持ちは変わりました。それも自分の中で起きた小さな奇跡のように思います。」

「自分は2年間で大きく変わったように思います。それと同時に,わたしの周囲の方々に自分がクリスチャンであることを理解してもらえたことも大きく変わったことでした。すべての変化が奇跡のようでした。伝道中にはわたしだけではなく家族にも変化がありました。わたしのことを心配して祈ってくれたようです。その祈りによって家族にも変化が起きました。姉から手紙が来たときに,両親が聖餐会で証をしたとか書かれていると,『ほんとうに!? 何が起きたんだ! 家で何が起きているんだ』と不思議に思っていました。」

「自分が伝道へ出ることは自分だけではなく,家族にも祝福をもたらすのだと思いました。それは,10年後,20年後に振り返ったときに,もう少しはっきりと分かるかもしれません。わたしは山頂で祈ったときに与えられた主の言葉に従いましたが,主の言葉に従うことは間違いがありません。わたしはすべてを捨てて伝道へ出ました。残されているのは命しかありませんでした。主を信頼して捨てたので,多くのものを得ることができましたし,会員の皆さんや家族の愛によって救われました。」

伝道を終える数か月前,渡壁長老のもとに家族から手紙が届いた。両親が神殿推薦状の面接を受け,再び神殿へ行くことになったという知らせだった。渡壁長老と一緒に神殿参入して,一緒にエンダウメントを受けられるように準備しているとのことだった。「15年前にはこのような結果を得るとはだれも想像していませんでした。最後まで望みに対してあきらめないこと。そして,それはイエス・キリストの贖いがあるからこそあきらめてはいけないものだと知りました」と話す。

「ありがとよ。また,これからも頼むね。」

福岡神殿で渡壁兄弟が父親から語りかけられた一言。「一生忘れない言葉です。奇跡が凝縮された一言です。」◆