シリーズ 2 福祉のABC

シリーズ 2 福祉のABC

(地域福祉部)

バプテスマ

霊的な福祉(バプテスマを通して霊的な導きを受ける)

イエス・キリストは地上での務めを始めるために,御自身を備えられ,バプテスマのヨハネのもとを訪れバプテスマをお受けになりました。イエスが水から上がられると,「天が開け,神の御霊がはとのように自分の上に下ってくるのを,ごらんにな」りました(マタイ3:16)。

バプテスマの後で常にこのように劇的な現れがあるわけではありません。ビッキー・松森姉妹は,バプテスマの水から上がったときに感じたのは,ただずぶぬれになったという感覚だけであり,また,確認の儀式を受けたときも,幸せを感じたものの,何の変化も感じなかったと述べています。しかし,確かに証を得ることができました。彼女はこう述べています。「翌日の断食証会の最中,温かいものが全身を流れるのを感じました。それが聖霊の力によるものだということを,今は分かります。まだ8歳でしたが,これは今までと違う感覚だと分かったのです。平安な気持ちが押し寄せて来るのを感じました。そして,天の御父がわたしのことを喜んでおられるということがはっきりと分かったのです。」(ビッキー・F・松森「人が聖霊のささやきに気づくよう助ける」『リアホナ』2009年11月号,11参照)

ヘンリー・B・アイリング管長はこのような感覚について,また世界中の教会員が経験するこのような変化について,次のように説明しています。「この罪の清めは,イエス・キリストに対する十分な信仰を持ち,罪を悔い改め,バプテスマの儀式によってきれいにされ,主のすべての戒めに従うという聖約を交わして守る人にのみもたらされます。」(ヘンリー・B・アイリング「おお,神の務めに出で立とうとする人々よ」『リアホナ』2008年11月号,57-58)

物質的な福祉(バプテスマを通してほかの人を助けることに全力を尽くす)

信仰,悔い改め,バプテスマ,聖霊を受けることは,神の王国における旅路の出発点です。皆それぞれイエス・キリストの名を自分の身に受け,主の弟子になるのです。デビッド・A・ベドナー長老は次のように教えています。「救い主の弟子であるわたしたちは,知識を深めるだけでは不十分です。正しいと知っていることを一貫して行い,より善い人間になる必要があります。」(デビッド・A・ベドナー「家庭でもっと勤勉に家庭のことに携わる」『リアホナ』2009年11月号,19)

アルマはモルモンの泉に集まった信者たちに,バプテスマを受ける人は「重荷が軽くなるように,互いに重荷を負い合うことを望み,また,悲しむ者とともに悲しみ,慰めの要る者を慰めることを望」んでいると教えました(モーサヤ18:8-9)。

現代の預言者トーマス・S・モンソン大管長は,アルマの勧告に従うことについても信者の模範です。最近,大管長はすべての末日聖徒に次のようなチャレンジを与えました。「兄弟姉妹の皆さん,わたしたちの周りには,家族,友人,知人,他人を問わず,わたしたちの注目,励まし,支え,慰め,親切を必要としている人が大勢います。わたしたちは地上で主の御手に使われる器であり,わたしたちには御父の子供たちに仕え,彼らを高める責務があります。主はわたしたち一人一人を頼りにしておられるのです。」(トーマス・S・モンソン「今日われ善きことせしか」『リアホナ』2009年11月号,85)

永遠の福祉(バプテスマを通して永遠の家族を築く)

バプテスマの実際の儀式はほんの一瞬で完了します。しかし,その影響は永遠にわたってやむことがありません。救い主はバプテスマの意義についてニコデモに次のように教えられました。「だれでも,水と霊とから生れなければ,神の国にはいることはできない。」(ヨハネ3:5)

すべての人はバプテスマとそれが永遠にわたってもたらす祝福を受けることができます。バプテスマは個人個人が受けますが,この儀式を通して家族を一つに結ぶことができます。ディーター・F・ウークトドルフ管長は,ウークトドルフ姉妹とその家族の改宗について次のように述べています。「何年も過ぎた後,カーメンの母親もイエス・キリストの福音が地上に回復されたという証を得ました。ある日,彼女は娘や孫たちに『わたしもみんなと同じ天国へ行きたい』と言いました。70代半ばだった彼女も,バプテスマの水に入り,教会員になりました。」(ディーター・F・ウークトドルフ「御父の信仰」『リアホナ』2008年5月号,70)

このような祝福は生きている人に限られたものではありません。デビッド・E・ソレンセン長老は,日本で福音を受け入れた21歳の男性について語りました。この男性は家族でただ一人の教会員でした。バプテスマの後,家族歴史を完成させ,祖父の身代わりのバプテスマを受ける準備をしました。ソレンセン長老はこう述べています。「若者がバプテスマフォントから出て来ると,目は涙でうるんでいました。そしてこう言いました。『これでよく分かりました。わたしはもう家族でただ一人の教会員ではありません。そのことを感じ,証を得ました。』これらの儀式は家族との関係を強め,彼の生活に新たなきずなをもたらしたのです。」(デビッド・E・ソレンセン“Small Temples ──Large Blessings”Ensign , 1998年11月号,64)

何をしたらよいでしょうか

イエス・キリストの弟子の一人に数えられるのはすばらしい特権です。バプテスマを受けると,最も忙しく,困難なときでさえ,聖霊は困っている人のもとへわたしたちを導くことがおできになります。実際,導いてくださいます。無理をするよう駆り立てられたり,とうていできないほど多くを与えたりするようにと促されることは決してないので,安心してください。バプテスマの後で何をしたらよいか,また忠実な人にはどのような祝福が待っているかについて,ニーファイは次のように述べています。「あなたがたはこれからもキリストを確固として信じ,完全な希望の輝きを持ち,神とすべての人を愛して力強く進まなければならない。そして,キリストの言葉をよく味わいながら力強く進み,最後まで堪え忍ぶならば,見よ,御父は『あなたがたは永遠の命を受ける』と言われる」(2ニーファイ31:20)。◆