福音とは喜びの知らせです

福音とは喜びの知らせです

十二使徒定員会会員ダリン・H・オークス長老,福岡と大阪で一般会員に語る

十二使徒が世界を巡回する,新しく導入されたエリアレビューの一環として,十二使徒定員会会員のダリン・H・オークス長老と伴侶のクリステン・M・オークス姉妹がアジアを訪れ,去る2月上旬に来日した。

かつてオークス長老が若かった時代には,使徒は2,3年に1度のペースでステークを訪問していた。今日,教会は非常に大きく発展し,全世界で2,800以上のステークを擁する。それらすべてを12人の使徒で巡回しようとすると,27年に1度しか訪問できない計算になる,とオークス長老は語る。

そこで今年から,使徒が各地を訪問する新しいパターンが決められた。今後,十二使徒定員会会員は個別に割り当てを受けてステーク大会を訪問することはない。代わりに訪問地を大きなブロックでとらえ,10から15ステーク/地方部の会長会と,ビショップ/支部会長を招いて土曜の指導者会を開く。翌日の安息日には,それらのうち一つのステーク/地方部を訪問して特別な大会を設ける。月曜から金曜にどこを訪問し何を行うかはそれぞれの使徒の裁量にゆだねられる。こうすることで,ステーク/地方部会長会とビショップ/支部会長はより定期的に十二使徒の訪問を受けられることとなる。多くの一般会員は,2年ごとのステーク大会衛星放送を通じて十二使徒と接することができる。

今回の来日では,オークス長老の希望により2月9日に福岡,2月10日に大阪を訪問し,それぞれの地で一般会員との集会に臨んだ。その後東京へ移動し,2月13日(土)に東京近郊の10ステークと軍人地方部を招いて神権指導者会を開いた。翌14日の安息日には横浜ステークでの特別大会に出席した。このようなパターンで,将来的には日本の様々な地域で神権指導者会が開かれることになるという。

ここでは,福岡ステークセンターと大阪北ステークセンターにおける会員との集会(Member meeting)でのお話から抜粋して紹介する。ちなみに福岡での集会の模様は,インターネット放送を通じて九州各地のユニットへ同時配信され,地元の集会所にて会員たちが視聴した。

日本人と福音の喜び

オークス長老はまず,日本の教会員の力強さ,従順さ,忠実さを称賛する。そのうえでオークス長老は,日本の聖徒たちについて懸念していることがある,と語る。──「わたしは皆さんが福音の中で十分な喜びを味わっていないのではないかと心配しています。」

「喜び(joy)とは何でしょうか」とオークス長老は問いかけ,聖文を引く。「……人が存在するのは喜びを得るためである。」(2ニーファイ2:25)またリーハイが見た命の木の示現を引用する。「そしてその木の実を食べると,わたしの心は非常に大きな喜びに満たされた。」(1ニーファイ8:12)

「喜びとは何でしょうか。……それは幸福であり,心に平安を感じることです。熱意を持つことです。胸を躍らせることです。」「すべては良し,と感じることです。この瞬間にすべてが良いわけではなくとも,わたしたちはそれが良くなると知っています。それが喜びです。」

「天使たちがキリストの誕生を宣言したとき,羊飼いたちに『大きな喜びを,あなたがたに伝える』と言いました。……わたしたちが創造され,この地上に置かれたのは喜びを得るためです。『福音』とは,『よい知らせ』という意味です。わたしたちは教会の奉仕の召しに喜びを感じているべきです。喜びをもって証をするべきです。そして神がわたしたちに与えられた約束を,喜びをもって信頼するべきです。これらのすべてに喜びを感じることができます。」

「皆さんは福音の中に十分な喜びを感じていらっしゃいますか?……わたしたちは時折,教会の召しに重荷を感じることがあります。……わたしが認識しているのは,世界中のどの国の人々よりも日本の皆さんは,家族や教会の召しのために取れる時間が少ないということです。」

オークス長老は日本人の一般的な生活パターンを振り返る。交通や通信など社会的インフラは整備されており,ほとんどの人が電話または携帯やパソコンを持っている福音とは喜びの知らせです十二使徒定員会会員ダリン・H・オークス長老,福岡と大阪で一般会員に語る一方で,多くの時間を仕事に費やし,一日に12時間から14時間働くこともある。週に6日働く人もいる。

オークス長老が訪れた中米のある国では,ステークの中で電話を持っているのはステーク会長ただ一人であった。しかし人々はゆとりのあるペースで生活しており,電話で約束を取らなくとも,週日に徒歩で家々を訪れてそのまま家庭訪問やホームティーチングをすることができる。諸外国では一日7,8時間,週に4日か5日働くので,週に2日か3日,あるいは4日にわたって,家族の事柄や教会の召しのために使う時間が取れる。日本人会員の多くは,週に1日しか,家族で教会に来たり召しを果たしたりする時間が取れない。

最も大切なこと(原則)は何か

オークス長老はある小咄を紹介する。

一人の男がパートナーと組んでビジネスを始めた。トラックを購入し,農場へ行って,トラックいっぱいのメロンを1個1ドルで仕入れた。賑やかな通りに販売所を設け,そこでメロンを売った──1個1ドルで。

最初の仕入れ分が完売すると,また農場へ取って返し,トラックいっぱいのメロンを1個1ドルで買う。そして販売所へ戻り,すべて売りさばく── 1個1ドルで。

彼らがもう一度トラックで農場へ向かっているとき,一人が相棒に言った。「この商売はあまり稼げないね。」すると相棒がこう返す。「そうだね,稼げないね。もっと大きいトラックを買った方がいいかな?」

オークス長老はこう解説する。この二人の男は,繁華街の販売所では農場での仕入れ値よりもっと高い値段で売れるという重要なことを学ぶまでは,収入を得ることができなかった。「この小咄は大切な教訓を教えています。わたしたちが時折,もっと幸せになりたい,または益を得たいと思うとき,それはすなわちもっと働けばいい,もっと大きなトラックを買えばいいということではありません。……

福音の中でわたしたちが喜びを得るには,何が最も重要かを知る必要があります。日本の皆さんの時間は限られています。わたしたちは最も大切なことのために時間を使う必要があります。」

オークス長老は,最も大切なこととは何か,と聴衆に問いかける。例えば,仮に週に1時間しか教会の集会やプログラムができないとしたら,何をするだろうか。「答えは明確です。聖餐を取ることです。それがわたしたちと救い主を繋つなげるものだからです。バプテスマの経験と効果を新たにするからです。これが最も大切なことです。」

オークス長老は,この世界規模の教会では会員たちが様々な状況下で生活しているので,2,800のステークすべての状況に当てはまる原則に焦点を当てる必要がある,と語る。わたしは教会を見守るという原則を強調してきました。それがホームティーチングや家庭訪問の目的です。それは教会員を見守り,彼らとともにいて彼らを強めることです。それが最も大切なことなのです。」

テクノロジーの活用

オークス長老は,日本社会の状況にこの原則を当てはめ,こう提案する。日本人に与えられている情報テクノロジーを使い,わたしたちが常にコンタクト(接触)して,すべての担当家族を見守るように,と。

「天の御父は,御自身の目的を達成するために与えてくださっているテクノロジーを活用することを期待されています。世界の中には高等評議員を集めることのできないステーク会長もいます。けれどもこの時代では電子メールやスカイプやその他の手段を使って評議会を開くことができます。ステーク会長には,そのテクノロジーを活用するように奨励します。それをするときに,わたしたちの持てる時間を使ってもっと多くのことを達成することができるでしょう。それが福音の中で喜びを得るための最初のステップなのです。」

最善を尽くすとき,喜びを得る

オークス長老はモーサヤ書第4章を引いて,もう一つの原則に言及する。「さらに,わたしは,富めるほどではないが,日々の生活には足りるほどの物を持っているあなたがた貧しい人々,すなわち,自分にはないからということで,物乞いに与えることを断るあなたがたに言う。あなたがたは心の中で,『わたしにはないので与えないが,もしあれば与えるであろう』と言うようにしてほしい。」(24節)

ここでベニヤミン王は,貧しい人々に物を分け与えることを説いている。オークス長老は,この「物」を「時間」と読み替えても同じ原則が当てはまると話す。(編集室注── すなわち,わたしには「時間が」ないので「すべての訪問を行うことができ」ないが,もしあれば「行う」であろう,と心から望み,最善を尽くす精神をもって召しを果たすならば,祝福を受ける。)

「これらのことはすべて,賢明に秩序正しく行うようにしなさい。人が自分の力以上に速く走ることは要求されてはいないからである。しかしまた,賞を得るために勤勉に励むのは必要なことである。」このモーサヤ書第4章27節を引用し,オークス長老は続ける。

「ヒンクレー大管長はこの原則を教えられました。『どうぞ最善を尽くしてください』と言われました。……わたしたちは,人は自分の力以上に走る必要がないという教えを理解するときに,もっと喜びを得ることができます。」

「皆さんが重荷を感じるときであっても,皆さんが自分の召しを果たす時間がまったくないと感じるときであっても,どうぞ最善を尽くしてください。そうすれば奉仕の中に喜びを見いだすことができます。」

またオークス長老は,ステーク会長やビショップに向けて勧告する。「〔新しい手引きには〕あまりにも多くの責任を与えて,会員がただ不幸せに感じるのを避けるよう書かれています。彼らはそれ(責任)ができないと,罪の意識を感じてしまうからです。皆さんのワードや支部の中でどれくらい奉仕の時間があるかを見て,その中で最も大切なものを選んでください。そして最も大切なことをするように人々を召してください。残りのポストを埋める必要はありません。もっとたくさんの人がワードや支部に入って来て,その他の召しを果たすことができるようになるまで,空席のままにすることができます。そうすることで教会は,それぞれの強さに応じて発展成長することができます。そして人々は喜び

を得ることができるのです。」

福音が人に与える喜びと光

次いでオークス長老は,福音が自身の生活にもたらす喜びについて語り,「皆さんも同じ喜びを持ってはいませんか?」と問いかけた。

「わたしは自分が復活することができると知っているので喜びを感じています。亡くなったわたしの愛する両親,亡くなったわたしの愛する妻ジューン,またわたしの先祖たち。彼らは皆復活します。

またわたしはこの現世での試練が一時的であると知っているので喜びを得ています。そして現世に住んでいる間に神はわたしたちを,その重荷を負えるように強めてくださるのです。例えば失業しているという重荷,結婚していないという重荷,子供を望んでも与えられていないという重荷,わたしたちが求めてきた機会を失うという重荷,悪い天候,悪い住居,また悪い政府。

人生は簡単ではありません。けれどもイエス・キリストによって,それは可能になるのです。わたしたちは人生の目的を知っています。わたしはこの困難な人生に目的があるということを知っているので喜びを得ています。そして神殿で聖約を交わし,それを守るならば,家族関係が永遠に続くということを知って喜びを得ています。

そして罪を犯すときに,悔い改めることができ,赦されることができると知って喜びを得ています。イエス・キリストの贖いを通してわたしは清められ,もう一度天の御父とともに住むことができるのです。

福音は喜びの知らせです。わたしは救い主の中に喜びを見いだします。主がわたしに与えてくださった人生の中で喜びを得ます。もし皆さんが困難によって疲れ果ててしまうのであれば,福音が与えてくれる光について思い出してください。……

主は光,

夜も昼も近くませば

恐れなし

(「主は光」賛美歌47番)」

オークス長老は福岡で,クリスマスの賛美歌「もろびとこぞりて」( Joy to the

World)にあるように,喜びと平安をもたらす救い主,贖い主イエス・キリストの福音が真実であることを証して,集会を締めくくった。

また大阪では,キリストの「名」が,主の「権能」すなわち神権の鍵,また主の「業」(モーセ1:39)を意味していることを解き明かし,わたしたちが最善を尽くして召しを果たすとき,御業の一端を担うことで主の業=御名の証人となる,と説いた。また「全世界におけるキリストの名の特別な証人」(教義と聖約107:23)という十二使徒の使命について述べ,主の権能と主の業について使徒として証をし,会員たちに別れを告げた。◆