リアホナ2009年8月号 この町に末日聖徒16 日本各地の末日聖徒のくらしの表情をお伝えするシリーズ

この町に末日聖徒16 日本各地の末日聖徒のくらしの表情をお伝えするシリーズです。

「安息日を聖く保っている店」繁盛記──地元に親しまれるまんじゅう店を経営

~旭川ステーク岩見沢支部斉藤淳兄弟~

北海道,札幌から函館本線を北東へ約1時間,岩見沢駅の駅前にその店はある。「岩見沢名物天狗まんじゅう」と白抜きで記された赤い看板。重ねられた歳月を物語るこぢんまりとした店内にほのかな甘い香りが漂う。半世紀以上続くこの店を地元で知らない人はまずいない。口コミで伝わった評判を聞いて出店の勧誘をしてくる大型店舗もあるが,店の主は首を縦に振らない。地元紙には,受け継いだ味にこだわり,あえて事業規模を広げないその堅実な経営ぶりをたたえる記事が掲載された。しかし,この店が手を広げないのには,また別の確固とした理由がある。

斉藤淳兄弟が宣教師に出会ったのは21歳のとき。家のすぐ近くに教会があるとは本人も知らなかった。「家から100メートルほどの所に教会がありました。一般の民家を借りて教会として使っていたので,そこに教会があるということは宣教師と出会うまで知りませんでした。最初は少し意地悪な質問をして宣教師を困らせてやろうと考えていました。ところが,彼らは『モルモン書』を使ってわたしのすべての質問に答えてくれました。最後には何も質問がなくなってしまいました。ほんとうにすばらしい宣教師でした。」

宣教師が斉藤兄弟に語った一つの言葉が今でも心から離れない。「もっとすばらしい人になれます。」宣教師は何げなく斉藤兄弟にそのように語った。

「彼らはほんとうのことを伝えていると思いましたし,うそはないと思いました。わたしは自分の生活は充実しているからと伝え,バプテスマを受けることを断っていました。しかし,この『もっと』という言葉に強く心が動かされました。」

「もっとすばらしくなる」ための決断

振り返ってみれば,斉藤兄弟の信仰生活は,まさに「もっとすばらしくなる」ことを追い求めるものだった。現在,まんじゅう屋の主人として,岩見沢工場(製造所)と店舗で経営手腕を発揮する斉藤兄弟だが,元々は皮工芸の職人として働いていた。「31歳のとき,親から戻って来ないかと言われたんです。以前は工場,店,自宅が一緒でしたから,子供のころはよく工場の中を走り回って遊んでいました。じゃまばかりして,手伝うことなどありませんでしたね。」

斉藤兄弟の両親が始めた創業55年の「天狗まんじゅう」。子供のころから慣れ親しんだ場所だが,仕事となるとゼロからのスタートだった。朝の5時30分から仕事を始め,9時30分から10時まで仕込みが続く。

「わたしが仕事を始めたころ,年中無休で日曜日も営業していました。日曜日も配達などしなければなりませんでしたが,自分は教会員なので,日曜日には休みをもらっていました。そんな状況を見て,思い切って両親に日曜日には工場も店舗も休むことを提案しました。しかし,日曜日の売り上げは多く,その売り上げを失うことは,店の存続にかかわることになります。パートで働く人や従業員も危機にさらしてしまいますので,かなり悩みました。しかし,祈りによって,大丈夫という不思議な確信もありました。」

結局,3年かけて両親と話し,日曜日の休業を決断した。今から8年前のことだ。

「張り紙で告知して,日曜日を完全休業にしました。お客さんが離れることを心配しましたが,日曜日に休むことで,土曜日に来るお客さんが増え,日曜日の売り上げが土曜日に移りました。知名度も高まり,メディアで扱われるようにもなり,新しいお客さんも増えていきました。有名になるにつれて物産展への誘いも増えましたが,出展すれば日曜日に働くことになりますから,断っています。」

お店では「自分が良いものを提供する」という信念から,お茶やコーヒーは出さない。麦茶とオレンジジュースをお客さんに出している。それも一つの決断だった。幸いにもお客さんには「意外と怒られることなくやっています」と笑う。

メディアやインターネットで扱われる頻度が高まるにつれて「素朴なものが,なぜ,50年以上も続いているのか?」と尋ねられる。

「新しいものが増える時代で,懐かしい昔の味,昔ながらの味が人気なのでしょうか。それほど評価されているとは思っていませんでしたが。今は,思い出作りの役に立っていると思い,それを絶やしてはならないと感じています。」

世の中に逆行する祝福

仕事を通じて斉藤兄弟は,安息日を守ることについて強い証を持つことができた,と語る。「商売を大きくすることは望んでいませんでした。最初は工場の周りには何もありませんでした。ところが,不思議なことに安息日の戒めを守るようになると,工場の前に大きなスーパーマーケットができ,車が集まり,人が集まるようになりました。当時,店舗は岩見沢の駅前だけだったのですが,製造所(工場)にも店を出しました。すると,売り上げは2倍になり,パートで働く人も2倍になりました。」

斉藤兄弟は商売をする中で,安息日に仕事を休むことは「世の中に逆行する祝福」と話す。「わたしたちは世の中で行われていることと逆のことをしたのかもしれません。少しでも商売する時間を増やし,日曜日も営業する傾向にある世の中で,自分たちは努力して商売する時間を減らし,安息日を守ることに努めました。それは,商売としては新しい試みだったかもしれません。考えてみれば,人の道ではなく神の道を進むことを選択したように感じます。」

「安息日を守ることで祝福がある」と証する斉藤兄弟は,1998年秋の総大会で話されたH・デビッド・バートンビショップの説教を引用する。

「わたし(バートンビショップ)と妻は結婚当初,ソルトレーク盆地の南東部に住んでいました。近所の小さな食料品店で買い物をしていると,ジョセフ・フィールディング・スミス大管長夫妻が買い物をしている姿をよく見かけました。何度かその姿を見るうちに,わたしはなぜスミス大管長が町の中心部からわざわざ何軒もの食料品店を通り過ぎ,あえてこの店に来るのか不思議に思うようになりました。そしてついに勇気を奮い起こして尋ねました。すると大管長は眼鏡越しにわたしを見ると,力を込めてこう答えたのです。

『兄弟!〔わたしは思わず姿勢を正しました。〕妻とわたしは,安息日を聖く保っている店をひいきにしているんですよ。』」(「機会が与えられる時代」『リアホナ』1999年1月号,10)

「安息日を守れば,神様だけではなく,いろいろな人が助けてくれるんです。わたしたちも多くの人に助けられながら商売を続けることができました。神様は戒めを守る人を守ってくださって,後押ししてくださると確信しています。」

4年前に父親が亡くなり,現在は斉藤兄弟が代表となって経営の先頭に立っている。「最初は苦しいかもしれませんが,それを乗り越えることで証を得ることができます。預言者の勧告や主の戒めに従った生活はチャレンジに満ちていますが,必ず喜びが伴います。現在,20種類のまんじゅうを中心に販売し,まんじゅうだけで一日に2,000から3,000個の売り上げがあります。」

思えば,斉藤兄弟の人生を変えた宣教師との出会いは小さな出来事だったかもしれない。その宣教師が語ったほんの一言──「もっとすばらしい人になれます」という言葉。その「もっと」を目指すうちに,斉藤兄弟の仕事も信仰も結果としては大きく成長し,変化してきた。商売をする中で安息日には働かないという決断をすることは,まさに主に頼ることだった。

天狗まんじゅうの知名度はさらに上がり,仕事も好調だが,「天狗にならないように」との自戒を込めて生前の父親が命名した屋号と精神を受け継いだ斉藤兄弟は,自らを律するように語ってくれた。◆