リアホナ2009年10月号 「愛と信仰の記念碑」

「愛と信仰の記念碑」

── 大阪北ステーク岡町ワード礼拝堂奉献40周年を祝う

1967年暮れに建築が始まった大阪府豊中市岡町の教会堂は,石井英一支部会長とエバン・A・ラーセン監督の指導の下,1年以上の歳月を費やし完成する。1969年4月21日,当時十二使徒だったエズラ・タフト・ベンソン長老の祈りで献堂された教会堂は,今年2009年に40周年を迎えた。

礼拝堂に集う岡町・千里ワードの会員は40周年記念集会を催し,建築に携わった関西の教会開拓者と全国から集まった建築宣教師に敬意を表すとともに,この神聖な礼拝堂をベンソン長老の献堂の祈りのとおり「愛と信仰の記念碑」として未来に受け継ぐ決意を新たにした。

2009年7月

11日(土),190人を超える教会員・求道者が集まった。当日は気温30度を超える暑い日であったにもかかわらず,文字どおり立錐の余地がないほどの出席者で礼拝堂はいっぱいとなった。当初は,米国ラスベガス在住のラーセン監督にも出席していただく計画であったが,今年の4月23日,岡町奉献40周年を迎えた翌々日に75歳で惜しくも逝去された。天国からご覧になっているラーセン監督を偲んで,記念集会当日,礼拝堂玄関には作業着姿で微笑む若いラーセン監督の写真が掲示され参加者を迎えた。出席者のほとんどは,建築当時を知らない世代だった。

語り継がれる歴史

記念集会の前半では,当時の建築の実際を知る開拓者からの貴重な経験談と証が,この教会堂を受け継ぐ世代へと伝えられた。不慮の事故で亡くなった石井兄弟の後任の支部会長であり,最初の日本人宣教師の一人であった安芸宏兄弟(岡町ワード)は,「建築と教会員の幸福についての証」を語り,石井支部会長夫人の石井順子姉妹(所沢ワード)は,当時の支部会長夫人としての生活を伝えた。扶助協会会長だった長野昌子姉妹(千里ワード)からは,「洗濯機が壊れるほどセメントが付着した作業着を洗い,食事を朝5時から用意しました」との思い出が語られた。若いころ岡町で改宗した平川友正兄弟(堺ワード)からは,毎日建築現場まで2時間かけて通い,たった30分奉仕して,また2時間かけて帰った,との逸話と,建築中の安息日に3畳の部屋で10人ほどの兄弟たちがひざを抱えて福音の話をした,といった当時の様子が伝えられた。北海道から建築宣教師として赴任し奉仕した赤間洋兄弟(花屋敷ワード)は,「建築宣教師として,危険で過酷な工事を喜んで行いました」と振り返った。原岡桂子(旧姓長谷川はせがわ)姉妹(高松支部)は,「17歳で改宗し,当時幼稚園に勤務していて,仕事を終えてすぐに建築の奉仕をしました」と満面の笑顔で語った。

また,亡くなったラーセン監督の遺族からのメッセージが代読され,ラーセン監督の言葉が紹介された。「リーダーとしていちばん重要な資質は〈人の先頭に立つこと!〉である。」その言葉は,親しみを込めて「鬼のラーセン」と呼ばれた監督の,全員の先頭に立って働く当時の姿を彷彿とさせるものだった。また,ラーセンご夫妻との交流を,建築宣教師だった西尾一(旧姓若林わかばやし)兄弟(小松ワード)が語った。「建築現場で生活されていたラーセンご夫妻の部屋に行き,信仰についての話をしました。」建築士の守谷歓二兄弟(岡町ワード)は,晩年のラーセンご家族との温かい交流について話した。

建築宣教師だった落合勝美兄弟(所沢ワード)は,「若いときに両親を亡くし,青年時代には演劇を志していたが,福音に感動し改宗しました。建築宣教師に召され日本各地の礼拝堂の建設に従事しました。そのとき,この岡町のMIA(相互発達協会)に参加し,演劇活動を立ち上げて若い会員を集め,建築の合間に楽しんだことも大きな思い出の一つです」という青春の1ページを紹介して最後を締めくくった。

休憩時間には,ホールの壁全面に掲示された100枚にも及ぶ当時の写真,4つの教室にあふれるほど展示された歴史資料を参加者全員が興味を持って見学した。

次世代への受け継ぎ

記念集会の後半は「次の世代への受け継ぎ」をテーマとし,建築を知らない世代に対して岡町礼拝堂を受け継ぐセレモニーで始まった。年代ごとに着席した参加者は「次世代に伝えたい事」をディスカッションし,文章化して賞状に書き込み,各自がサインをして全体に発表した。20代の平尾聡兄弟(岡町ワード)により教会開拓者の皆さんに「感謝と決意」が伝えられ,長年岡町で奉仕された中川宗幸・美和子ご夫妻(関目ワード)から,昨年2月に誕生した西穂高兄弟(岡町ワード)に「受け継ぎの鍵」が授与された。

久しぶりに顔を合わせる会員同士の懐かしい語らいや年代ごとの記念写真の撮影,若い会員と開拓者の交流は閉会後も長く続き,中学生の上田あけの姉妹(岡町ワード)から「建築宣教師ってどんな人たちだったの?」との質問に,丁寧に答える開拓者,坂本好子姉妹(関目ワード)の姿があった。

記念集会からわずか12日後の7月23日,盲目のピアニストとして知られ,この記念集会でもオルガン伴奏をされた伊藤清兄弟の突然の訃報に接した。建築時代はもちろん,彼の長年のオルガニストの責任に対する献身と,盲目というハンディキャップを持ちながらも強い信仰を持ち続けた模範から,教会員たちは多くの勇気と証を受けてきた。

現在,何不自由なく当たり前のようにして使っている礼拝堂は,その建築を夢見て献身的に奉仕された先輩たちの長年の努力と犠牲の結晶であり,今でもこの目で見ることができる生きた証にほかならない。敷地,柱,梁,壁,レンガ,タイルの一つ一つに至るまで,開拓者の証はこの岡町礼拝堂に染み込んでいる。それは岡町・千里ワードを中心とした会員たちによって,永く大切に語り継がれていくことだろう。

(レポート:平尾ひらお二三夫ふみお岡町ワード伝道主任)◆