リアホナ2009年3月号 セミナリーは人生の大切な準備期間です

セミナリーは人生の大切な準備期間です

──福岡伝道部 藤島満長老(東京ステーク中野ワード出身)

「雨の日でも自転車で教会まで通って早朝セミナリーに出席していました。ですから,伝道中に雨の中を自転車で走ると,むしろ,早朝セミナリーに通っていたときのことを思い出して懐かしくなるくらいです。」福岡伝道部で専任宣教師として奉仕する藤島満長老は,早朝セミナリーに出席していた思い出をこのように語る。

宣教師の生活に直結するセミナリー

宣教師に召されたのが2007年2月。福岡と沖縄を往復するように,福岡,糸満,名護,福岡,那覇,福岡,那覇で伝道した。任地が変わっても,宣教師の生活は規則正しく淡々と続く。6時30分に起床。運動,朝食,3時間の勉強(個人勉強,同僚勉強,語学勉強)。11時には伝道へ出発し,午後にはレッスンと伝道。9時30分までには帰宅し,10時30分には就寝する。

「早朝セミナリーでの良い習慣があったので問題はありません。セミナリーのときには今の宣教師の生活よりも早く起きていましたから,規則正しい生活を送ることはつらくはありません」とさらりと話す。

「4年間聖典を学ぶので,聖典の知識も増えました。特にマスター聖句は宣教師のレッスンで使うので役に立ちました。セミナリーは学んでいるときは,生徒も含めてみんなで頑張ります。生徒と教師と家族が一緒に頑張って,励まし合います。伝道へ出ると同僚と一緒に働いて,同様に互いに励ますのでセミナリーのときと同じです。早朝セミナリーでみんなと一緒に学ぶことで,一致の力強さやチームワークの大切さも知りました。それも宣教師として役立っています。」

藤島長老の同僚のベイトマン長老も伝道前に4年間のセミナリーを終えている。「3年間は5時30分に起きて早朝セミナリーに出席しました。最後の1年は高校の授業の合間に,高校に隣接するセミナリーハウスで授業を受けました。9月から始まって次の年の4月ぐらいまで勉強します。わたしもマスター聖句を暗記しました。日本の場合は4月ごろからセミナリーが始まって11月ごろまでですが,アメリカの場合は9月からなので,真冬に早朝セミナリーに出席することになるんですよ」と笑う。

「わたしも100のマスター聖句を暗記しました」と藤島長老は言う。「マスター聖句は伝道中にいつも出てきますので,その聖句が引用される度にセミナリーで暗記したことを思い出します。そのため,伝道へ出てから聖句を暗記するということはほとんどありませんでした。わたしは高校1年生のときに改宗し,高校2年生からセミナリーに出席しました。高校在学中の2年間で3つのコースを終え,高校を卒業してから1年間モルモン書のコースを学びました。朝,寝坊したときに,それでも行かなければならないと奮起して出かけることもありました。あきらめないで出席したことはよかったと思います。」

また,セミナリーを学んだ宣教師は聖句によって助けられる場面が多いとも証する。「セミナリーで暗記した聖句は知識としてわたしたちの中に残りますが,宣教師の生活の中では,様々な場面でその聖句を引用して紹介することがあります。求道者や会員にその場の状況や質問に適した聖句を分かち合うとき,その聖句は,より効果的で生きたものになります。暗記していたものが,現実的に活用されてすばらしい祝福を受けます。宣教師の言葉からだけではなく,聖典からの勧めを知ることができるので,それを読んだ人は,福音の中で教えられている原則を生活に取り入れようという気持ちに導かれます。」

藤島長老もベイトマン長老も,宣教師になる準備としてのセミナリーの大切さを強調する。「早朝セミナリーで学んでいるのといないのとでは,伝道中の生活も大分違うと思います。規則正しさと精神的な強さは当然のことですが,伝道もセミナリーも毎日の積み重ねです。伝道は2年間ですが,セミナリーは4年間にわたって地道に積み上げていくものなので,むしろ大変かもしれません。そのような着実な積み重ねを経験することは,宣教師になる準備をするうえでは欠かせないと思います」と藤島長老。そして,ベイトマン長老も力を込める。「伝道に出るほとんどの人はセミナリーで学んだ経験を持ちます。宣教師になる前に,伝道に必要な知識や聖句を覚えて訓練されてきます。そのため,一緒に求道者を教えるときも,概念を理解していれば,お互いに信頼し合って,そのときに必要な聖句を紹介しながらレッスンを進めることができます。もし,準備が十分ではなければ,どちらかの宣教師だけが教えることになってしまい,力を発揮することはできません。」

あらゆる人生経験は準備のために

藤島長老は家庭の事情で,中学時代から次兄との二人暮らしで生活してきた。未成年の二人が力を合わせて生活するのは簡単なことではなかったはずだが,それもすべて,人生の経験を積むために必要な準備の期間だったと藤島長老は感じている。やがてまず,遠方に住む長兄が福音に改宗し,二人も長兄に福音を紹介されて改宗に至った。

「伝道へ出る前は兄と二人で生活していました。そのため,家事を分担したり,互いに助け合うことは,宣教師になって同僚と生活する中で自然に行えました。高校生のときは,兄と二人で生計を立てなければならなかったので,早朝セミナリーに出席した後,学校へ行き,その後アルバイトをしなければなりませんでした。そのような生活を続けましたので,遊ぶ時間も余裕もありませんでした。現在はゾーンリーダーとして責任を受け,福岡では伝道部会長補佐としても責任を果たしました。そのような責任を受けていると,他の宣教師のように伝道時間を確保できないのではないかと思われることがあります。もちろん,そのような責任を受けることで,やるべきことは増えます。そのため,伝道時間も少し減りますが,準備をして計画をし,時間を管理すれば,十分に伝道することができます。

本部にいたときにそれを強く感じました。優先順位を決めれば必ずできます。伝道前に早朝セミナリー,学校生活,アルバイトの時間を管理して生活していたことが,宣教師の生活の助けになりました。」

忙しい生活の中で,最後までセミナリーをやり遂げられた理由を藤島長老に尋ねてみた。「福音は正しいと証を持っていたので,あきらめることはできませんでした。努力して続けることは,自分の賜物の一つだと信じていました。だから,どんなに大変でも最後までやり遂げようと思いましたし,周囲の助けもあったので引き下がれないと思いました。セミナリーの先生の助け,友達や指導者の励ましも大きかったと思います。早朝セミナリーではなく個人学習として学んでいたら,恐らくこれほどの祝福は受けられなかったと思いますし,続けることも難しかったと思います。」

兄弟二人だけの生活には苦労も多かったが,その生活からも準備の大切さを学ぶことができた。「準備」という言葉は藤島長老の人生の中で大切なキーワードになっているようだ。「宣教師としての自分の経験から言えるのは,準備が十分でなければ,わたしたちは主が期待されているような働きを行えないということです。何度レッスンをしても準備は欠かせません。わたしは今でもレッスンの前には,その日のレッスンで教えるべき原則は何かを確認しています。自分は高校生のときに改宗したので,旧約聖書をあまり読んだことがなく,その知識に欠けていました。もし,十分な準備ができていれば,教える相手によっても方法やレベルも変えることができます。しかし,そのような知識がないと方法も限られてしまい,働き方も限られてしまいます。伝道に出たいという気持ちは大切ですが,その気持ちだけでは十分に宣教師として働くことはできません。伝道へ出る前に,セミナリーで十分な準備をすることは大切だと思います。」

若いうちに知恵を得よ

沖縄である家族にレッスンをしているときの経験は,藤島長老に「若いうちに知恵を得(て),神の戒めを守ることを若いうちに習慣と(する)」(アルマ37:35)大切さを実感させてくれたという。「その家族の中には中学3年生の少年がいました。とてもまじめで熱心でした。自分が改宗した年齢に近かったので,自分が学んだときのことを思い浮かべながら教えました。その少年に対してわたしの思い入れも強かったと思います。きちんと教えたいと思いました。自分がその年齢のときにこれを知っていればよかったと思うようなことで思いつくものがあれば,全部その少年に教えたいと思いました。神様の戒めや祈りの方法,従うべきことを自分に置き換えて丁寧に教えました。」

「セミナリーでは福音に対する知識や証を深めることもできましたが,福音はとてもシンプルなのだということにも気づきました。」2年間の宣教師生活で藤島長老が得た証の一つだ。「神様のもとに帰るための方法は,戒めを含めて,シンプルで明瞭だと思いました。今は宣教師として,聖典を繰り返し集中して学ぶ時間も与えられています。セミナリーで学んだことを深く掘り下げて学べますが,それによってさらに,神様の教えはとてもシンプルだと再確認しています。」

「青少年にとってセミナリーは祝福です。自分の周りで多くの誘惑があると思います。セミナリーで規則正しく学ぶ習慣を持つことは,将来,信仰を持って歩む助けになると思います。伝道中もたくさんの青少年と出会います。セミナリーは青少年が自分自身で学んで成長できる場所だと思います。もっともっとセミナリーに励んで頑張ってほしいと思います。」

早朝セミナリーで学んだことは宣教師になる大切な準備だった。そして,宣教師の生活は,人生の次のステップへの大きな準備にもなった。伝道期間を走り抜けた藤島長老の最初の一歩は,雨の降る早朝に,教会へ向かって踏み込んだ自転車のペダルから始まったのかもしれない。

この早春,福岡から帰還する藤島満長老と入れ替わるように,次兄の藤島裕長老も名古屋伝道部へと旅立って行った。◆