リアホナ2009年3月号 新年度開始!セミナリーへ行こう

新年度開始!セミナリーへ行こう

「借り物の光」を捨ててセミナリーへ通うまで

~3世と1世がともに成長する~ 徳沢美邦姉妹(町田ステーク町田第一ワード)

「最初は全然,行く気はなかったですし,好きでもなくて。できることなら,やりたくなかったですね」と,徳沢美邦姉妹は早朝セミナリーを始めた4年前を振り返って率直に語る。それというのも朝起きるのが大の苦手だったからだ。「最初の2年は自分一人で起きられなくて行けなくて。兄は頑張って自転車で行っていたんですけど,わたしはずっと父に(車で)送ってもらっていました。もう毎日お父さんとお母さんが交代で起こしてくれて……強制されるのがすごく嫌だったんです。分かってるよ! みたいな感じで,寝起きが悪いのでひどい言葉も言っちゃったと思います。わたしが起きるまで何回も来ます。6時過ぎても起こしに来ますし,6時20分くらいになったらもうあきらめますけど,ぎりぎりまで起こしに来ました。わたしが結局行かなかったりすると,がっくりしてましたね。お父さんも帰って来てから,今日はみくがセミナリー行ったから仕事頑張ったよ,とか,今日は行けなかったからお父さん悲しかった,とか言ったり。そのときはお父さんが喜ぶからセミナリーへ行くみたいな感じで,(自分から行くという)意思は全然,なかったです。今,思えばよく耐えてくれたなと。」

6人きょうだいの2番目で長女の徳沢美邦姉妹は3世の教会員である。父親は日本町田ステーク会長の徳沢清児兄弟。祖父母には金沢の開拓者であり,前福岡神殿会長を務めた徳沢清・愛子ご夫妻がいる。兄の元気兄弟は福岡伝道部で伝道中である。──もっともこうした紹介は美邦姉妹にとって不本意なものであろう。「神殿会長のお孫さんですか,とか,ステーク会長の娘さんですか,とか。そう言われるのがくやしくて。やっぱりおまけじゃなくて単品,徳沢美邦(個人)として見てもらいたくて。」そう語る美邦姉妹は,持ち前の行動的な性格を遺憾なく発揮し,家の外で積極的に活躍の場を広げていた。高校1年からバスケ部のキャプテンを務め,体育祭では応援団長,勉強も頑張り,若い女性の責任も果たす。友達からは恋愛の相談を持ちかけられるなど,周囲に頼られる存在だった。そんな自分を「完璧主義だった」と評する。「何でもできたら格好いいなと思ってて,やっぱりあの人すごいや,って見られたくて。けっこう,人の目を気にしていたので……。」しかし美邦姉妹の場合,人の目を気にするとは周囲に迎合することではない。どうすれば自分らしさを出していけるか,ある意味で模範としての自分を意識することであった。

高校で入部したバスケ部にはいろいろと問題があった。1年生の上には,かつて非常に強いチームに属していた先輩が2人いるだけだった。1年の新入部員には「素人」が多く,プライドの高い先輩たちにとっては教えるのも大変だった。そのうち彼女たちは顧問の先生と衝突して部を辞めてしまう。残された1年生だけで部活を続けなければならなくなり,皆で泣いた。先生のせいで先輩が辞めたと愚痴を言う部員たちもいた。しかし美邦姉妹はその輪に加わらず,だれの悪口も口にしない。「普通ここは怒るだろう」というところで怒らない。

やがて美邦姉妹はキャプテンに選ばれる。当初,「見た目が,あんまりいい子(まじめ)な感じじゃなかった,悪い子なのかな,と見られていた」という美邦姉妹。けれどもやがて,「ほんとうはいい人」「実際そうは見えないのになぜそんなにいい人なんだろう」という空気が周囲に生まれる。福音に添う家庭に育った美邦姉妹自身,あまり自覚していなかったが,友達とはいろいろな面で考え方が違っていた。「日曜日の練習を休まないといけないので,何でキャプテンが休むの? と(いう疑問に),教会に行っていることを話さないといけなくなって。」そこで部員たちは初めて,美邦姉妹がクリスチャンであることを知ったのである。「教会に行っていることを友達に話すとき,『どんなことしてるの』とか聞かれてセミナリーのことも話します。『平日の朝いつも行ってるんだ?』みたいな会話で,行けていなかったときは『ああ,まあ,たまにね……』。ちゃんと行けてるって言えないのがけっこうくやしくて,『ああ毎日行ってるよ』って言えるようになりたいなあって思っていました。」

美邦姉妹はキャプテンとしてリーダーシップを発揮した立場から言う。「行動を示した人の方が断然説得力があるので,そういうふうになりたい,ならなきゃ,という気持ちがあるんです。人は必ずだれかの模範になっているし,人に見られている,っていうのを知ってほしいなと思います。」

クラスメートでありバスケ部のチームメートでもあった荒井麻里江さんも,そんな美邦姉妹の行いを見ていた一人だった。

良い友達の影響力

高校1年の冬だった。友達と遊んでいて遅くなった美邦姉妹は父親に電話をかけ,迎えに来てくれるよう頼んだ。荒井さんも一緒に車に乗せて彼女の家まで送った。「そのとき父が彼女に,『お母さんお父さん心配するんじゃないの?』って聞くと,『いやもう親なんか』みたいなことを言ってました。」── やがて荒井さんを送り届け,車の中で美邦姉妹と二人になったとき,父親の清児兄弟はこう言った。「あの子には福音が必要じゃないの?」

「そうかな? と思ったんですけど。でも一応,『話したいことがあるかも……』と切り出すと,『ええ,何? 聞きたい。』── わざわざ家まで来てくれて,すごく熱心に聞いてくれました。彼女はわたしの(普段の行いの)ことをけっこう,いい目で見てくれていて,(福音のことを話すと)『ああ,だからだったんだね』と。」

すぐに荒井さんを宣教師に紹介した。放課後などにレッスンの約束を作り,美邦姉妹も一緒に行く。「彼女は行くのがすごく早いんですね。『もう間に合わない!』って……わたしは,ちょっと遅刻してもいいじゃん,って気持ちがどこかにあったんですけど。お祈りもすごく上手で,モルモン書を開くと研究していっぱい線が引いてあったり。宣教師がいろいろ質問するんですけど,『お祈りしてますか?』『してます』……ああ自分はしてないなあ,『聖典読んできましたか?』『読んできました』……ああ自分は読んでないなあ,とか思っていました。聖典は夜,家族とは読むけれど,個人で読むことを時々忘れたので,個人で読んで理解しようという気持ちでは断然,彼女の方が上でした。やっぱり1世の改宗者なので関心がいっぱいあって,すごく自分の意志を持っていて信仰があって,とても優しい子なので,けっこう,負けてるなあ,頑張ろう! と思いました。」

身近な友達が福音を学ぶ姿に,美邦姉妹の中で何かが変わり始めた。ずっとレッスンに同席し,普段の会話の中で質問を受けたりした。「答えられる部分は少しでしたけど,いちばん伝えられたのは家族の大切さでした。彼女はあまり家族としっくりいっていなかったので。わたしの家族のことを話したら,『そんな家族だったらうまくいくのになあ』……わたしは家族のことがすごく好きで,分からなかったですね最初は。家族が大切じゃない? え,何で?って感じでした。」

以前,別の友達に相談相手として頼られていた。恋愛相談のときは,持ち前の行動力を発揮し,仲を取り持ったりして解決できた。けれども家族の問題について相談されたとき……「全然分かんなくなっちゃって。こうすればいいんじゃないの,って言ったら,『美邦んちのお母さんならうまくいくかもね』と言われました。」その友達にも福音を紹介しようとしたが,「キリスト教はちょっと」と断られてしまった。

当たり前だと思っていた自分の家族が,世間では必ずしも普通ではないと分かってきた。「やっぱり状況が違うんだな,って思いました。(荒井さんに)それでも,ちゃんと愛さなきゃいけないんだよ,と言うのは(家族の状況が違うので)すごく申し訳なかったけど,でもほんとうにそうだから。そうしたら彼女もすごく頑張って自分から変わろうとしました。『(自分が)変わっても家の人が変わってくれない』って最初言ってましたけど,『それでもまた麻里江が元に戻ったら意味ない,何も変わらないよね,やるだけやってみよう』って言って。けっこう耐えていたみたいですけど,頑張ってくれました。そうしたらだんだん,ちょっとずつ家族も変わっていったそうです。

分からないことも,わたしも分かんないね,と話しながら,解決していったりしました。信仰のうえで,いいライバルであっていい友達です。彼女と一緒に成長していったっていう感じですね。」

自分から行動するとき人は変わる

荒井さんに福音を紹介してほどなく3年目のセミナリーが始まり,妹も一緒に行くようになって,さらに周囲への影響力を意識するようになった美邦姉妹。一気に変わったわけではないが,次第に自分で起きられるようになり,毎朝自分でバイクに乗って通うようになった。「下の子にもやっぱり行動で示したいなと思ったんですね。兄も熱心に(セミナリーへ)行っていたので,下の子にはそれを受け継いでいってもらいたいなと思ったのもあります。美邦は行かなかったから自分も行かないよ,ってなったら大変だし。でもまだやっぱり(出席率)80パーセント*以上行くことができなくて。最後の年は,もう,負けない! という感じでした。」休まず出席し,セミナリーの後輩にも自分から話しかけるようになった美邦姉妹は周囲に「変わったね」と言われた。

「セミナリー自体も楽しかったですけれど,自分が変わっていくのがよく分かったし,自分の悪い所改善すべき所もよく分かったし。いい場所でしたね。知識も付いたし,関心もすごく向くようになりました。

セミナリーから一日が始まるので一日が長くて,今日も行ったぞ! と毎朝いい気分で学校に行けました。遅刻もなかったし,余裕が全然違います。

やっぱり(続けて)行くことに意味があると思います。(1,2年目までは)行っても途中からだったり,終わったらすぐ帰ったりしていたので,楽しいと思えなくて。ちょくちょく行ってもあまり面白くないんですよ。(レッスンの内容が)分からなかったり置いて行かれたり,自信がなくなったりしたので。

高3になると授業がなくて3時間目からとかの登校が多くなるので,セミナリーの後,残って話したりして,それがやっぱり楽しかった。セミナリーの友達というのは週1回じゃなく毎日会うので,けっこう仲も良くなるし,多分それはセミナリーでしか得られないものなんじゃないかなと。」

荒井さんを誘うと何度か早朝セミナリーに来てくれた。徳沢家の家庭の夕べにも招待した。彼女を家族みんなで支えてくれた。ワードの会員や宣教師たちも優しく接してくれた。そんな中で荒井さんはじっくりと成長する。「(彼女は)宗教というのは簡単に決めていいものじゃないのかなとも思っていたらしいです。」いつしか荒井さんが毎週教会に来るのは普通のことになっていた。一緒にユースカンファレンスにも若い女性キャンプにも参加した。

そうしてほぼ2年を経た昨年の暮れ,彼女の大学推薦入試合格を機に親御さんからバプテスマの許可が下りた。

美邦姉妹には,セミナリーを卒業する今にして思うところもある。「だんだん分かってきたのは,お父さんお母さんが毎日毎日言ってくれたおかげでセミナリーに行くようになったし,そこで見放されていたら多分,行けなかったなあということです。(家族に)恵まれたことは,それは素直にすごく感謝しています。」

「でも自分で築いてきた証っていうのはやっぱりあります。お父さんからいつも,借り物の光じゃだめだよ,って言われていて。彼女(荒井姉妹)の尊敬できるところは,自分で確立していった信仰があることです。借り物の光はもう捨てたいな,自分の信仰,証が欲しいなと思いました。」

学校や部活,友達といった自分のフィールドで美邦姉妹は光を輝かそうと努めた。また荒井麻里江姉妹の改宗を祈り続けてきた。それは美邦姉妹自身の成長の軌跡でもあった。「『彼女がよく神様のことを理解できますように』とか,『宣教師たちが,今彼女に必要な言葉を上げてくれますように』とか,『今わたしができることがあれば何でもします』とか祈りました。時間がかかりましたけど,その祈りがやっぱり届いて願いがかなったことが,今のわたしのいちばんうれしいことですし,証です。」

2008年12月28日。荒井麻里江姉妹はバプテスマの水をくぐった。「ほんとうにうれしかった。わたしは彼女の紹介をしたんですけど,すごく泣いてしまって。……彼女も泣いてました。すごくよかった,水の感覚が残ってる,って言ってくれました。一緒に神殿に行こうね,って約束しました。そんな御霊みたまに満たされたバプテスマ会でしたね。」◆