リアホナ2009年6月号 信仰の風景 肢体不自由の身体で模範となって生きる

信仰の風景 肢体不自由の身体で模範となって生きる

福地山地方部豊岡支部に毎週集う中嶋晃大兄弟が教会に着くと,周囲の空気が一瞬にして和む。教会だけではなく,学校でもそうだ。「戒めを守るのは当たり前」「聖典を読むのは当たり前」と家族や友人に話す。「モルモン書を読んでみて」と学校では宣教師のように友達に接する。信仰と証をはぐくみながら「まっすぐに」生きている晃大兄弟が,福音と離れた道を歩むことはない。そんな時間もない。手足を自由に動かせないため,他の人よりも時間がかかってしまうことも多い。だからこそ,主の御心にかなわないものにかまっている余裕などないのだ。

壮絶な人生の荒波を乗り越えて大きな重荷を背負いながらも,信仰の中で力強く生きている晃大兄弟。「今となれば,悪夢のような絶望の日々が,主に贖われた平安と喜びに満たされた日々に変わろうとは,福音を知るまではまったく想像もしなかったことです」と母親の由美子姉妹は語る。

「思い起こせば,1歳4か月のとき。水難事故という突然の悲劇が起きました。生死の境をさまよい続け,低酸素脳障がいのため植物状態になるかもしれないと宣告されました。これから先,この子はどうなるのだろうと悩みました。まだそのころは教会も知らず,ただ,神仏に祈り続けました。見るに堪え難い処置と,苦しそうにする小さなわが子の姿に胸が押しつぶされそうな悲しみの日々でした。」

由美子姉妹の祈りが続く中,2か月が過ぎたころ,晃大兄弟の体に変化が見え始めた。「きっと,神様がわたしたちを憐れんでくださったのでしょう。奇跡が起こりました。ベビーバスでの入浴中,突然,泣き声を上げたんです。『声帯が開いた!』と看護師さんの第一声で,病棟中,歓声が響き渡りました。徐々に反応があり,感覚がよみがえり,喜怒哀楽が出始めました。」

しかし,それは長くつらい日々の最初の一歩にすぎなかった。脳の運動野に障がいが残り,意識はしっかりしているが身体を思い通りに動かすことはできない。「意識が戻ってからは,命綱のようなカテーテル(鼻からの経口栄養の管)の挿入に激しく抵抗したり,胃の中の物をもどしたり,親子の必死の闘いでした。緊張を抑える薬の投与がすぎて,肝腎機能が低下し,危篤状態に陥ったこともありました。毎日欠かせなかった点滴さえも,幼すぎたのと緊張が災いして,血管が破裂してしまい,頻繁に針の差し替えを行いました。最後には針を刺す血管が見つからないと,バケツの湯に浸つけては血管探しに苦闘しました。壮絶な闘病生活でした。」しかし晃大兄弟は,強い生命力で頑張り抜き,困難を乗り越えていった。そして,半年間の入院中に偶然にも病室のテレビでアメリカの治療法を知ることになった。そのリハビリ法に関心を持ったことが縁となり,教会員と知り会い,中嶋家族の人生が徐々に変わっていくことになる。由美子姉妹は夫婦で渡米し,講座を受けることから始めた。訓練内容は厳しく,激しいものだった。帰国後は家族の生活リズムが訓練を中心に一転した。そして,家族が一丸となり極限の奔走と努力が続いた。1年後には晃大兄弟を連れて訓練のため再び渡米した。

「あらゆる五感刺激を通して,親がしてやれることはとことんしました。研究所ではあらゆる測定を受け,晃大に合ったプログラムを頂いて,日々,必死に訓練に励みました。訓練は365日,24時間,食事中も睡眠中も行われました。治すことに必死のわたしは,鬼のようになっていました。連日,床を這い続ける訓練では,爪は逆に反り返り,ひざの毛穴からはいつも血が出ていました。訓練を助けてくださったボランティアの方々が見るに見かねて涙するほどでした。それでも,晃大はよく耐え,7年間頑張りました。とにかく,人手は要る,場所は要る,器具は要るという状況でした。」

主に頼り努力するなら不可能はない

「そのころ,社会福祉協議会のニュースレターにボランティア募集を呼びかけたところ,一人の姉妹が宣教師を連れて来てくださったのが教会との出会いでした。若い彼らの人間性には家族一同大変好感を持ちました。もともと信仰心のあったわたしは福音のすばらしさに吸い込まれ,重荷を軽くしてほしい,息子たちも宣教師のような青年に育ってほしい,家族で幸せになりたいと願って教会へ導かれていきました。主に頼らないと育てられなかった晃大のことでは,親の重荷をどれだけ軽くしていただいたかわかりません。」

肢体不自由児の養護学校に籍を置いていた晃大兄弟は,小学校3年生のときに,地元の同級生の学校の活動に誘われたことがきっかけで,普通校の活気ある世界に魅力を感じ,転校したいと言い出した。ところが教育委員会は,重度の障がい児が普通校に通うことは地元では例がないと拒否する。しかしそれは,晃大兄弟を落胆させるよりも,むしろ主へ頼る信仰を強める機会となっていった。

「断食して祈り続けた交渉は1年もかかりました。偏見と差別の中,何度も交渉しました。おかしいと分かっていても,組織を動かすことの大変さに親の方が疲れてしまい,不安を感じていました。それでも,晃大だけは『大丈夫,神様が助けてくださる!』と一点の迷いもありませんでした。何を言われても,どんな対応をされても,晃大には通じないのです。晃大が頑張ると不思議と助けの輪が広がって,応援してくださる方や参考になるアドバイスが集まってきたのです。すべて主のお導きだと感謝しました。結局,確固とした信仰を持ち続けた晃大の願いはかなえられ,地域の方々にも支援され,最高の小学校生活を送ることができました。主の力に頼って,制度の壁を破ることができたのです。」

「中学校生活も大変な試練の連続でした。このころには,教会の原則や教えに従って生活するのが当たり前と,戒めにはとても忠実でした。学校からは『障がいに応じた配慮をしてほしければ,身体不自由児の学級を作りますよ。先生には研修にも行って勉強もしてもらいます』と別学級を促されました。『それが嫌ならば,すべて皆と同じようにしてください』というのが原則でした。能力以上のことが求められ,並外れた努力を強いられました。それでも,『みんなと一緒がいいから』と一度も心をぐらつかせることなく,3年間,朝晩の訓練を続けながら,部活もこなし,遊び時間もほとんどない中,ひたすら勉学に励みました。」

「高校進学も同じことの繰り返しでした。先生方の受け入れ態勢ができていないからと養護学校へ行くことを勧められました。不安な状況の中でも,普通学校に進むこと,一般社会で強く生きていくことを望み,とにかく,主の助けを信じてひたすら受験勉強に励みました。試験の詳細も知らされず,特別な受験とだけ言われていました。受験の前夜にホームティーチャーに神権の祝福を頼み,その中で語られた第一ニーファイ3章7節の聖句を胸に受験に臨みました。受験では晃大一人が別室で試験を受け,その日に初めて会う代筆,代読役の先生3人が付きました。その3人が不正をしないように監視する先生がさらに3人,そして,緊急時の介助のために1人。合計7人の先生の中で試験が行われました。通常の試験とは違うため,時間の延長が認められましたが,試験が終了したときには,夕方になっていました。見送ってくださった校長先生からは『すごい忍耐力のある子ですね』と言葉をかけていただいたほどでした。」

どのような大きな試練も,主に心を向け,努力するならば,不可能はないとの確信は強まるばかりだった。中学の校長先生からは,夜間に通うこと,遠方であること,雪の多い季節もあることを理由に,たとえ高校へ入学できたとしても4年間は続かないのではと懸念されたこともあった。しかし,晃大兄弟は健康にも恵まれ,卒業式では努力が実り,表彰まで受けて卒業することができた。

周りの人に仕える模範

「晃大は高校1年のときに父親から許可を受け,バプテスマを受けました。信仰心の篤い晃大はすぐにアロン神権を受けました。この祝福は神権者としての自覚と喜びを倍増させ,常に『神権者だから』と義にかなった模範的な振る舞いを見せるようになりました。学校でもどこでもまったく誘惑に染まることはありませんでした。晃大は幼いときから,お小遣いは好きなものに使うためではなく,もらうと「什分の一が払える」と喜ぶ子供でした。病気やけがで休んだ友達がいると「心配だ。電話して」と言ったり,見舞いに連れて行ってほしいという子でした。セミナリーを休むこともなく,自分から進んで学び,聖典の知識を増やし,信仰を育ててきました。」

教会ではホームティーチャーの責任をとても喜んで受け,積極的に同僚と責任を果たしている。聖典を読むことも,リアホナも読むことも大好きだと言う。晃大兄弟を愛する豊岡支部の会員は,「晃大兄弟が熱心に奉仕する姿はわたしたちの模範です。彼が行うならば,わたしたちが行わない理由がありませんから」と話す。

家族の中でも「ぜいたくは言わない」「感謝の心が足りない」と忠告することがある。それは,家族が一致し,平安の中で幸せを感じる模範になっている。

模範となる姿は教会と家庭だけではない。現在通っている大学でも同じだ。朝5時30分に起き,片道130キロの道程を通う。向学心も旺盛で,ノートをとってくれる学生たちからは「中嶋君は,教会の話をしているときがいちばん楽しそうだね」と言われることが多い。モルモン書を友達にプレゼントし,読むことも勧めている。友人から慕われる姿はすでに宣教師のようだ。周囲の理解が深いことや,福祉大学ならではの理解ある環境が整っていることに感謝して「自分にはもったいない」と話す。

「親の力は小さなものでした。主の愛と導きなくしてはここまで来ることはできませんでした。晃大を育てるために支え,助けてくださった兄弟姉妹や支援してくださった方々に心から感謝しています」と由美子姉妹は語る。

神殿に参入し,自身のエンダウメントを受け,晃大兄弟はますます信仰と証を強めている。「今の夢は?」の問いに晃大兄弟は答える。

「神殿へ行きたい・・・。」

「アメリカへ行きたい・・・。」

「NPOの仕事をしたい・・・。」

遮らなければいくつでも夢を語ってくれそうな晃大兄弟。今までと同じように主に頼りながら,一つ一つの夢を実現させていくことだろう。周囲の心配をよそに,晃大兄弟の視線はずっと先まで届いている。◆