リアホナ2009年6月号 アルマ・O・テーラーのモルモン書翻訳日記5

アルマ・O・テーラーのモルモン書翻訳日記5

アルマ,翻訳の召しを受く

1904年(明治37年)8月に,日本初の電車営業運転が,甲武鉄道の飯田町(飯田橋)~中野(現在のJR中央線中野駅)間で開始された。畑作を中心とする近郊農業,製粉,味噌や醤油醸造などの産業で栄えた豊かな場所であった中野は,明治中期以降,都心からの転居者などにより人口が増加する地域でもあった。また,早い時期から宣教師が派遣された場所であり,テーラー長老に感銘を与える場所だった。

1904年7月1日(金)東京

「6時起床。ホテルを9時に出発し,伝道本部へ。根岸地区での長きにわたる伝道を終える。夕食後に故郷へ手紙を書いた。それから5時の汽車で信濃町駅から中野に行き,ジャービス長老と会った。ともに彼が伝道している地区へ歩いて向かった。彼は,これまでの日本の生活で見たこともないようなすばらしい環境で暮らしていた。彼が滞在していた家は,大きな農家で,周りは非常に清潔で,松の木に囲まれていた。所有者はタマノソウキチという人物だった。

おいしい夕食を食べた後,わたしたちは村長の家へ行き,集会を持った(ジャービス長老が長い間取り組んできた最後の集会である)。村長の家は大きく,人々は非常に親切だった。村長は威厳のある,教養のある楽しい人物で,65歳くらいの年配の男性であった。集っていた人々はそう多くはなかったが,興味深かった。わたしは驚くほどの言論と思想の自由を味わいながら,話すことができた。集会の後で,ある青年がわたしの話について幾つか質問をしてきた。J長老(ジャービス長老)の滞在先に戻る前に,人々からお菓子や果物を持って行くように言われた。滞在先の主人は,J長老と長い間交流を持っており,これが最後の集会となった。彼らは夏の終わりまでJ長老に非常に親切にしてくれた。この地区の状態と人々の顔を見て,彼らの心を感じたとき,わたしはとてもうれしくなり,モルモンの共同体を築くうえで理想的な場所にいると感じた。」

言論と思想の自由を感じたテーラー長老をはじめとする宣教師たちは,モルモン書の翻訳の傍ら,様々な書物の翻訳とちらしの作成に多大な労力を使っていた。各地で集会を持つ度に,印刷物の必要性を感じていたが,制作作業は簡単なものではなかった。

1904年7月15日(金)東京

「ほとんどの時間を使って,神の存在に関する日本語のちらしを作成した。ヨシダ氏は非常に親切に,文法上の間違いを訂正し,言葉の不明な点を指摘してくれた。読みやすくするため,また時間を節約するためにも,かなではなく,漢字で書くように求められた。漢字には不慣れであったため,ほとんどすべての言葉を辞書で引き,それを写すのは非常に退屈な作業だった。」

宣教師たちの翻訳作業を困難にさせている一つの理由として,各人の日本語能力の違いや,宣教師としての働きを並行して行っていることがあった。モルモン書に関しては,いろいろな宣教師が部分的に翻訳して,それを統合する手順になっていた。また,伝道活動の傍らに翻訳作業を進めていたが,集中して時間を作ることも難しい状況だった。そのような中,エンサイン伝道部会長によって,新たな指針が与えられた。それは,テーラー長老も啓示を受けて感じていたことだった。それは,モルモン書の翻訳を大きく前進させる決断だった。

1904年7月16日(土)東京

「朝食の後,伝道部のすべての長老たちが参加して評議会が開かれた。伝道部の状況について感じていることを全員が話し,その状況に適していると思う提案を挙げた後で,エンサイン会長は,わたしたちが全体として,また個人として,大きく改善できると思う方法について,長老たちを激励しながら話した。それから,翻訳の業に携わっていると思われる夏季には,すべての力と信仰をもって神に近づくように勧告した。このためにエンサイン会長は,毎週水曜日を特別な断食日とし,正午12時,宣教師全員で特別な祈りをささげるよう提案した。エンサイン会長がこの祈りについて言う前に,そのような祈りがあれば全体にとって益となることを霊感によって感じ,集会が終わる前に提案をしようと考えていた。エンサイン会長が長老たちに提案したいことがあると言ったときには,電撃が体中を走ったような気がした。どのような提案をするかが,前もって分かっていたからである。

エンサイン会長は,フェザーストーン長老,ストーカー長老,ヘッジズ長老,ジャービス長老に夏季の間,北条(現在の千葉県館山市)へ行くよう召しを与え,次の月曜の朝に出発するよう伝えた。エンサイン会長と姉妹,ケイン長老とわたしは,東京にとどまり,わたしたちは翻訳の業と翻訳用の英語のちらし作成の傍ら,日曜学校やその他の集会を取り仕切るように言われた。

以下の割り当てが与えられた。エンサイン会長は教会の組織と当時の状況についての執筆,フェザーストーン長老はキリストに関するちらしの作成および翻訳,ジャービス長老はジョージ・Q・キャノンが著した若い人々向けのジョセフ・スミスの歴史の翻訳,ストーカー長老はエドワード・H・アンダーソンが著した教会歴史(簡略),ヘッジズ長老は,どのようなテーマでも御霊の導くままに,またこれまでの経験から日本の人々の必要を満たすと思われる内容のちらしの執筆,ケイン長老は,トーマス大佐が著した『英国国教会を離れ,末日聖徒イエス・キリスト教会に加わった理由』を続けて熱心に翻訳すること,わたしは,それが完成するか,正しい理由からわたしが解任されるまでモルモン書の翻訳を行うように割り当てられた。

モルモン書の翻訳に時間を割くよう召しを与えられたときの気持ちは,喜びで胸が躍った,というだけではまったく不十分である。それは,わたしの心の熱烈な望みに対する直接的な答えであり,グラント会長が日本にいたときに授けてくださった祝福の中で宣言された約束の成就であった。わたしは父なる神をほめたたえる。御父はわたしに栄えある業を託してくださった。わたしは心からへりくだり,弱さを悟ったうえで,イエス・キリストの御名によって,聖霊の助けと翻訳と通訳の賜物が与えられるよう心から願う。そして日本人のために,彼らの言語で,モルモン書に記されている偉大な真理と力強い証を実り豊かに記述することができるように。わたしの心は,自分に与えられた名誉に対して,言い尽くせない感謝の念で脈打っているが,わたしに託された仕事の大きさと大切さ,課せられている責任について深く考える度に,わたしは恐れを感じ,頭の先からつま先まで崩れてしまいそうになり,今まで知ることのなかった弱さを感じている。

それぞれの務めと伝道の割り当てが発表された後,皆は自分に割り当てられた務めに喜び,それぞれのうえに信仰と祈りがあるよう望んだ。ヘッジズ長老がすばらしい祈りをささげた。続いてエンサイン会長が話し,主がわたしたちを,聡明で頭が良く,性格の申し分ない信仰の強い日本人と出会わせてくださるよう,特に祈りの中で願い求めるように,また,そのような人物を通して,わたしたちの翻訳の業が助けられるよう,彼らを改宗する力を請うよう求めた。エンサイン会長はまた長老たちに,夏季の間の働きをどのように推し進めたらよいか勧告した。特に,単に英語を習う目的で,わたしたちと話そうとする人のために,長い時間を奪われることのないよう勧めた。わたしたちは『主のみたまは火のごと燃え』を歌って集会を閉じた。エンサイン会長が閉会の祈りをささげた。」

この決定はテーラー長老に喜びと大きな重圧を同時に与えるものだった。若きテーラー長老は,準備の段階となった様々な経験を通じて,神の助けなしにモルモン書の翻訳を成し遂げることができないことを承知していた。その思いは,日記に次のような熱烈な祈りの言葉を書きつづっていることからもうかがい知ることができる。

「神よ,この若き僕を思い起こし,その新しい召しにあって彼を大いなる者としてください。彼の思いが天から直接霊感を受け,彼の前に置かれている業が,あなた様の与えられた時間の中で成功の内に成し遂げられますように。その時間がはるか遠くでないようにしてください。全能の神よ,あなたが御自分の僕,ジョセフ・スミスをその弱さの内に支え,祝福したことをお忘れにならないでください。ジョセフ・スミスはそれにより,この世で最も栄えある,まことの神聖な記録を世にもたらすことができました。そして,今この時,その神聖な記録を,エジプト人が記録したような,金版に刻まれている言語と同様の不思議さを持つ,不思議な文字で構成された言語で記録しなければならないときに,再び天の窓を開き,お父様の若き僕であるアルマに,異言と翻訳の賜物を授け,モルモン書の純粋さが,どのような方法でも失われることがなく,明確さがどのような方法でも曇ることがなく,モルモン書に常に見いだすことのできる御霊と証が,どのような方法であっても損なわれることのないようにしてください。おお,主よ,この地にいる僕たちにお近づきになり,彼らが今までに経験したことのない方法で,お父様を知ることができますように。彼らが抱える幾つかの務めにおいて,彼らを支え,彼らの思いが満たされ,心が信仰を忍耐強さでいっぱいになりますように。わたしは祈ります。お父様がエンサイン会長を通して,御霊の現れによって,この伝道部にかかわるすべてのことを導かれますように。御名があがめられますように。誉れと力と統治のすべてが永遠にお父様のものとなりますように。キリスト・イエスの御名によって,アーメン。」◆