リアホナ2009年7月号 七十人会長会スティーブン・E・スノー長老ファイヤサイド

七十人会長会スティーブン・E・スノー長老ファイヤサイド

去る2009年3月10日から12日にかけて,七十人会長会のスティーブン・E・スノー長老ご夫妻が日本を訪れ,広島・大阪・名古屋で一般会員向けのディボーショナルを行いました。スノー長老ご夫妻のメッセージを抜粋してお伝えします。(編集室)

【2009年3月10日,広島・さくらぴあ】

感謝のもたらす祝福──フィリス・スクワイヤー・スノー姉妹 

スノー姉妹は,孫娘のケイティから学んだことを伝えたい,と切り出した。「それはとても暑い日でした。3歳のケイティが家に入り,水を飲みたいと言ったので上げました。彼女は水を飲んで『ハー』と息をつき,わたしに『ありがとう』と言いました。その日の晩,眠りに就く前に彼女が祈ってくれました。ほんとうに優しい祈りでした。『天のお父様,飲み水をありがとう』と。わたしはそのことを忘れていましたけれど,彼女はしっかり覚えていたのです。小さな子供によって教えられ,感謝すべきことがたくさんあることに気づきました。天父に感謝の気持ちを表すことの大切さを思い出しました。ほんとうにたくさんの祝福があります。日常生活で,忙しすぎて感謝を忘れることがあります。『ありがとう』という言葉を聞くのが好きです。天の御父も同じはずです。与えられているものを数えるなら,幸せを感じるはずです。」

そして教義と聖約から引用する。「あなたがたは幼い子供であり,父がどれほどの大いなる祝福を御手の中に持っていて,あなたがたのために備えておられるかをまだ理解していない。

あなたがたは,今はすべてのことに耐えることはできない。しかし,元気を出しなさい。わたしがあなたがたを導いて行くからである。王国はあなたがたのものであり,その祝福もあなたがたのものであり,また永遠の富もあなたがたのものである。

すべてのことを感謝して受け入れる者は,栄光を与えられるであろう。また,この世のものも百倍,いやそれ以上,加えられるであろう。」(教義と聖約78:17-19)

「もし,与えられている恵みを数え上げ,それを感謝するなら,より多くの祝福がもたらされると知っています。回復された福音に,家族にもたらされた平安に感謝します。祈りがかなえられることに感謝します。わたしたちが望むような早さで,望むような答えが与えられないかもしれませんが,感謝します。モンソン大管長に感謝します。今宵皆さんとともに時間を過ごせることに感謝します。皆さんの顔を見て,御霊を受けていると感じます。福音にあって,わたしたちが兄弟姉妹であることに感謝します。」

子供を育てる

──スティーブン・E・スノー長老

「子供たちは神様から与えられた嗣業です。子供を育てることは簡単ではありません。ですが,聖文や『家族──世界への宣言』を読むと,両親には子供を育てる神聖な役割があると書かれています。子供を育てるときにたくさんの助けがあります。アフリカのことわざに曰く,『一人の子供を育てるために村全体が必要である。』これは真実です。一人の子供を育てるためにワードが必要です。

長男が生まれたときのことです。天父がこの粘土のような子供を与えてくれ,自分の望む方法でその粘土を形作ることができると思いました。しかし,彼が最初に覚えた言葉は『やだ』でした。子供がいつも親の望むことをするわけではないと知りました。けれど主は選択の自由を与えられました。彼らが正しい選択をできるように助ける責任が親にはあります。『家族──世界への宣言』には,子供たちに関心を示し,愛と義をもって教え,物質的,霊的に必要なものを与え,神の戒めを守り,市民として法律を守るように教えています。ヨハネの言葉が好きです。『わたしの子供たちが真理のうちを歩いていることを聞く以上に,大きい喜びはない。』(ヨハネの第三の手紙4節)」

会員としての責任

「会員としての責任を思い起こしてほしいのですが,この責任のリストについて話すことにためらいを感じます。完璧でありたいと願うことがわたしたちにはよくありますし,ある事柄は達成できることもあります。しかし,人生を通して求め続けなければならないこともあります。

伴侶を愛すること。思いやり,愛,サポートの気持ちを伴侶に示す必要があります。現世ですべき重要な選択の一つは伴侶を選ぶことです。なぜなら伴侶とともに永遠を目指すからです。互いに,夫,妻として支えあう必要があります。互いを遮る小さなことをわきによけ,互いを一つに結びつけるものについて考えるべきです。それは喜びをもたらすものです。

また,子供たちと一緒に時間を過ごす必要があります。家族の祈り,家庭の夕べ,そして家族として福音を研究するようにと言われています。子供たちが成年になるまで,わたしたちは楽しい時間を過ごしました。時々子供たちが教えることもありました。子供たちに直接教えることができなくても,祈りを通して彼らは教えを受けることができます。祈るように彼らに教えてください。直接教えるより,答えを受けやすくなり,祈りによって証を得ることができます。

子供たちがまだ小さかったころ,魚釣りに出かけました。子供たちはあまり忍耐強くありません。いつでも魚が釣れることを期待します。けれども糸が絡まったりして一日中魚がかかりません。この湖には魚がいないのではないかと思いました。そのうち息子の一人がいなくなり,見ると湖畔の木のそばにひざまずいて熱烈に祈っていました。『どこに行っていたの?』と聞くと『魚が釣れるように祈っていた』と言います。彼はそのまま釣りをしました。あまり大きな魚ではありませんが1匹釣れました。5歳の息子が釣った,今までで最高の魚でした。天父が息子の祈りを聞いてくださったのです。しかしもっと重要なことは,祈ればこたえてくださると息子が知ったことです。子供たちに祈るように教える必要があります。

教会の召しを,最善を尽くして果たしてください。また,互いに仕えるようにすべきです。天父とイエス・キリストは周りの人に仕えるように言われました。教会では割り当てを与えられます。周りに仕えるためです。ホームティーチャーや家庭訪問教師として,必要なときに助けの手を差し伸べることができます。日の栄えに独りで行ける人はだれもいません。天父への道のりを歩むときに周りの人を助けることはとても大切です。

毎晩,夫婦で祈ってください。少なくとも1日に1回は家族で祈ってください。また個人として,家族として聖文を研究する必要があります。今は分からないかもしれませんが,皆さんが努力を忠実に続けるならば,家族としてともに聖文を学んだ結果がいずれ現れます。特に家族としてモルモン書を学んでください。聖文を声に出して読むことで良い読み手になることができます。

会員は良い市民であり,良い大義を推し進める必要があります。機会があれば,地域社会で奉仕し,地域をより良くすることができます。わたしの祖母は,公共の奉仕の機会はこの地に住むための場所代を払っていることだと教えました。

今は,経済的に難しい時期です。地平線の向こうには大きな竜巻雲が待っています。ですが,約束します。皆さんが什分の一を正直に納めるならば,主は皆さんを祝福されます。わたしはそれが何度も成就したのを目にしました。世の人には意味のないこと,そんなことでは生き残れないと思われるかもしれませんが,マラキ書で約束されたように,主は天の窓を開かれます。

最後に,忠実な教会員は自分の家族や友人と福音を分かち合います。良き教会員は友人,知人を教会に来るように招きます。専任宣教師をどうぞ忙しくさせてください。多くの人が教会に来ます。この地域において王国は花開きます。わたしたちは時々,家の中にいて満足してしまいます。しかし,末日聖徒イエス・キリスト教会は満足しきった人たちのクラブではないと知ってください。この教会は多くの人に開かれた,罪を犯した人のための病院だと思ってください。すべての人がイエス・キリストの福音に触れる必要があります。」

「ある週,二人の宣教師が帰還しました。会員たちは彼らをとても歓迎していました。わたしたちが地上に生まれることは伝道に似ているのかもしれません。誇りをもって天父のもとに戻るとき,幕の向こうでは大きな喜びがあります。

救い主の贖いの犠牲に感謝します。主の福音が回復されたことに感謝します。預言者トーマス・S・モンソン大管長に感謝します。モンソン大管長は日本の聖徒に感謝を伝えるようにと言いました。皆さんと皆さんの忠実さに感謝します。皆さんが子供たちを義にかなって育てるとき多くの奇跡がそこに現れます。」

【2009年3月11日,大阪北ステークセンター】

とげのあるむちを蹴ける

スノー長老はかつてアフリカ南東地域の地域会長会で4年間働いた。この地域にはエチオピアが含まれている。「あるときエチオピアのアジスアベバからエブラセという所に移動していました。」スノー長老はそこで,牛によって引かれる古い鋤で土地を耕す農夫を見かける。農夫はゴード(Goad)と呼ばれる長い杖を持って牛の隣を歩いていた。この杖の先端には鉄のとげが付いており,牛をつついて進むよう刺激するのに用いられる。「それは使徒行伝の,サウロの改宗の話を思い起こさせます。後に使徒パウロとなったサウロを御存じでしょう。サウロは改心する前に聖徒たちを迫害していました。」

パウロはこう証言している。「その途中,真昼に,光が天からさして来るのを見ました。それは,太陽よりも,もっと光り輝いて,わたしと同行者たちとをめぐり照しました。

わたしたちはみな地に倒れましたが,その時ヘブル語でわたしにこう呼びかける声を聞きました,『サウロ,サウロ,なぜわたしを迫害するのか。とげのあるむちをければ,傷を負うだけである。』

そこで,わたしが『主よ,あなたはどなたですか』と尋ねると,主は言われた,『わたしは,あなたが迫害しているイエスである。』」(使徒行伝26:13-15)

「これは主がサウロに語りかけられた非常に興味深いところです。とげを蹴ることは難しいと言われています。牛は耕すときにゴードでつつかれると蹴り返してきます。主はサウロの心,可能性,そしてサウロが清く善良な人物であることを知っておられました。主は,『あなたが御霊の促しに逆らうのは容易なことではない』とおっしゃったのです。御霊のささやき,促しに反対するのは難しいことです。兄弟姉妹の皆さん,わたしたちは時折,頑固な牡牛のように,聖霊の促しに対して蹴り返してしまうことがあります。御霊によって物事を行うように促されたとき,例外を作ってしまってこたえないことがあります。御霊の促しや,御霊が語ることに耳を傾けるように,そして促された行動をするように願っています。頑固な牡牛のように,それらを蹴り返さないように願っています。」

御霊によって真理を知る

「サウロの改宗談はわたしに,息子アルマの改宗談を思い起こさせます。皆さんは息子アルマがモーサヤの息子たちとともに聖徒たちを迫害したことを御存じだと思います。父アルマは息子アルマが改心するように熱心に祈りました。そして祈りはこたえられたのです。息子アルマは天使の訪れを受け,打ち倒されて,2日2晩まるで死んだ者のようになってしまいました。そして力を取り戻し,彼は偉大な預言者となったのです(モーサヤ書第27章参照)。

わたしたちはアルマの改宗談から教訓を学べます。アルマ書第5章の中でアルマはたくさんの質問をしています。たとえば,『さて見よ,教会の同胞よ,わたしはあなたがたに尋ねる。あなたがたは霊的に神から生まれているか。あなたがたの顔に神の面影を受けているか。あなたがたは心の中に,この大きな変化を経験したか。』(アルマ5:14)わたしたちはこの大きな心の変化を経験したでしょうか。そして26節では,『さて見よ,わたしの同胞よ,わたしはあなたがたに言う。もしあなたがたが心の変化を経験しているのであれば,また,贖いをもたらす愛の歌を歌おうと感じたことがあるのであれば,今でもそのように感じられるか尋ねたい。』すなわち,あなたは忠実でい続けていますか,最後まで耐え忍ぶことができますかという質問です。

アルマ書第5章には息子アルマが尋ねた43の重要な質問があります。それらはわたしたちが教会員として自問すべきすばらしい質問ではないでしょうか。

『アルマ,あなたは天使を見たからこのようなことが言えるのです』と言うのは簡単です。『わたしたちも天使を見たらそれが分かります。すべてのことは問題なく進みます。』

でもアルマはそうではないと教えています。『あなたがたは,わたしが自分でこれらのことについて知っていることに気づかないのか。……見よ,わたしは自分でこれらのことを知ることができるように,幾日のも間,断食をして祈ってきた。……わたしは今,自分自身で知っている。主なる神が神の聖なる御霊によってこれらのことをわたしに明らかにされたからである。わたしの内にある啓示の霊によって知らされたのである。』(アルマ5:45-46)

分かりますか。天使によってではなく聖霊によって彼は知ったのです。聖霊によってわたしたちは改心をします。

兄弟姉妹の皆さん,わたしたちも御霊を通し聖霊を通して真実を知ることができます。アルマは続いてすばらしい預言者,宣教師となっていきます。アルマは荒れ野で何年もの間福音を宣べ伝えます。そして14年たった後に自分の兄弟たち(モーサヤの息子たち)と再会するのです。『モーサヤのこの息子たちは,天使が初めてアルマに現れたときにアルマとともにいた人々である。……彼らは正しい理解力を備えた人々であり,また神の言葉を知るために聖文を熱心に調べてきたので,すでに真理を深く知るようになっていた。そればかりではない。彼らはしばしば祈り,また断食もしたので,預言の霊と啓示の霊を受けていた。そして,教えるときには,神の力と権能をもって教えた。』(アルマ17:2-3)

兄弟姉妹の皆さん,わたしたちは聖文を熱心に研究することを通して,祈りを通して,そして断食を通して御霊を得ることができます。わたしたちには聖霊の賜物が与えられています。それは,わたしたちがふさわしくあれば,聖霊を常に伴侶とできる権利です。研究し,祈り,そして楽しく生きることによってそれができます。皆さんがその賜物(Gift)を生かしてくださるように願っています。どうぞその包装紙を解いてそれを活用してください。それを棚にほうっておかないで,皆さんの生活の中で活用してください。聖霊はわたしたちが行うすべてのことについて導いてくださいます。わたしたちが聖霊の促しに蹴り返してしまう頑固な牡牛のようではないことを願っています。」

「どうぞわたしが神を知っているということ,神が生きておられることを知っているということを知ってください。神様は祈りにこたえてくださいます。わたしたちの時ではなく,主の時に応じてこたえてくださいます。神様はわたしたちに,御自身の聖霊を通して導きや指示を与えてくださいます。そのようにして天父のもとに戻るための生活の指針を得ることができるのです。

わたしは救い主に感謝をしています。その贖いの犠牲に感謝をしています。その福音に感謝をしています。そしてそれが完全に回復されたことを感謝しています。今は教会員であるのに絶好の時です。今月129番目の神殿が奉献されます。皆さんの中には東京神殿が奉献されたときのことを覚えている方もおられるでしょう。以来,非常に多くの神殿が奉献されてきました。ヒンクレー大管長が大管長会の一員として召されたのは1981年のことでした。当時,19の神殿が機能していました。今は世界中に神殿があります。それは奇跡です。兄弟姉妹の皆さんが神殿に入る機会を得ていただければと思います。この日本で神様の王国を建設しようとしている皆さんの偉大な働きに感謝しています。そして皆さんや皆さんの子供たち,皆さんの家族の中で起きている奇跡を感謝しています。そして主のえりすぐりの祝福が皆さんにあるように願っています。」

【2009年3月12日,名古屋東ステークセンター】

キリストに希望を抱く「皆さんはこの日本において嵐を経験することがよくあるでしょう。時折非常に大きな嵐(台風)に見舞われることがあります。

今日の経済的状況の中において,わたしたちは地平線のかなたに大きな竜巻雲を見ています。何人かの教会員の皆さんは今日のチャレンジの影響を受けていると思います。しかし希望を持てると約束いたします。わたしたちにはチャレンジや試練があります。けれどもそれは人生の一部です。嵐の雲を見るときに,わたしたちはそこから雨が降ることを感謝する必要があります。雨がなければ穀物は育ちませんし,飲む水も得ることができません。ですから希望を持ってください。がっかりしないでください。主は戒めを守る人を祝福されます。

新約聖書のペテロの言葉が好きです。『ただ,心の中でキリストを主とあがめなさい。また,あなたがたのうちにある望みについて説明を求める人には,いつでも弁明のできる用意をしていなさい。』(1ペテロ3:15)わたしたちは心の中に希望を持つ必要があります。それはわたしたちと他の人とをより分けます。それはただ単にすべての物事がうまくいくという希望ではなく,物事が時間とともによくなるという希望でもありません。それはイエス・キリストに対してわたしたちが抱いている希望──その偉大な贖い,また復活に対する希望です。わたしたちはそのような希望を抱く必要があります。

モロナイは希望についてわたしたちに教えています。『あなたがたに希望がなければ,どうして信仰が得られるであろうか。

また,あなたがたは何を望めばよいのであろうか。見よ,わたしはあなたがたに言う。あなたがたは,キリストの贖罪とキリストの復活の力によって永遠の命によみがえることを望まなければならない。あなたがたがキリストを信じることで,約束のとおりこれが果たされるのである。したがって,もし人に信仰があれば,必ず希望もあるに違いない。信仰のない希望はありえないからである。さらに見よ,あなたがたに言う。柔和で心のへりくだった人でなければ,信仰と希望を持つことはできない。』(モロナイ7:40-43)モロナイはまた48節の中でこの希望のために祈るようにわたしたちに教えています。『また,御子が御自身を現されるときに,わたしたちはありのままの御姿の御子にまみえるので,御子に似た者となれるように,またわたしたちがこの希望を持てるように,さらにわたしたちが清められて清い御子と同じようになれるよう,熱意を込めて御父に祈りなさい。』

兄弟姉妹の皆さん,末日聖徒イエス・キリスト教会の会員として,わたしたちには希望を抱く大きな理由があります。そしてこの希望は大きな困難の時にわたしたちを導き,試練の中を導いてくれます。どうぞその希望が輝くように祈ってください。そうすれば皆さんは豊かな祝福を受けます。」

神殿の祝福を大切にする

「世界中に神殿があることはどれほどすばらしいことでしょうか。神殿はわたしたちが平安を味わうことのできる,避け所となる場所です。それは確かに文字どおり主の宮なのです。

何年か前にスノー姉妹の両親のスクワイヤーご夫妻がセントジョージ神殿で奉仕をしました。セントジョージ神殿には訪問者センターがあり,たくさんの訪問者や旅行者が訪れます。あるとき彼らはセンターにいて,ツアーのお客さんを待っていました。だれかがセンターに入るときはベルが鳴るようになっています。そのベルが突然,『リンリンリン』と鳴り始めました。彼らはツアー客を乗せたバスが到着したのだと思いました。出て行くと,5歳の男の子が門を何度も出たり入ったりしていました。スクワイヤー長老は男の子に尋ねました。『何をしているの?』

するとその少年は長老の方を見て言いました。『このセンターから出るときと入るときとで気持ちが違うのが分からない?』

小さな男の子でさえその違いをよく理解していました。神殿では平安を感じることができます。神殿の敷地内でもそうです。(東京)神殿は少し距離があることを理解しています。そして皆さんの多くは4時間かけて神殿に行かなければならないということも知っています。でも皆さんができる限り何度も神殿に足を運ぶように願っています。神殿推薦状を持つことのできない理由がもし何かあるのであれば,皆さんがビショップと会ってその問題を解決するように願っています。神殿にふさわしくあるように,そして神殿の大きな祝福にあずかることができるように願っています。

2001年,わたしたちが(地域会長会として)アフリカに行ったとき,アフリカ全体に神殿は一つしかありませんでした。南アフリカのヨハネスバーグ神殿です。わたしたちがいたときにガーナにも神殿が奉献されました。ナイジェリアにも奉献されました。それはアフリカの聖徒たちにとって大きな祝福となっています。それでもアフリカは広大なところです。会員たちは長い距離を移動して神殿にやって来ます。」

スノー長老は,ヨハネスバーグ神殿に参入したタンザニアの聖徒たちについて話した。彼らは1年がかりで参入費用をため,古いバスに乗り,5つの国境,税関と移民局を越え68時間かけて神殿に到達した。彼らはそこで,先祖から口承で伝えられて来た先祖の儀式を行ったのである。1週間の滞在の後,タンザニアまでの帰途は84時間かかった。ザンビアでヤギの群れに遭遇しバスが進めなかったからだ。

またスノー長老が2003年にコンゴ共和国で最初のステークを組織したとき,神権指導者64人のうち神殿推薦状を保持していたのは61人,神殿に参入したことのある人はそのうちのわずか3人であった。「わたしたちが神殿の祝福を当たり前のものととらないように願っています。わたしたちには先に亡くなった人たちに儀式を施す責任があります。」

スノー長老は,わたしたちが毎週,聖餐を受けて主を思い起こし,バプテスマの聖約を新たにするように,神殿に参入することで神殿で交わした聖約を新たにするようにと勧める。「しばしば神殿に参入することは大切です。神殿に行くときにわたしたちは神殿で天父と交わしたすばらしい聖約を思い起こすことができます。そして,聖約の重要性を理解し,聖約を守るべくさらによく務められるようにするのです。

神殿に参入することは大きな特権です。わたしたちがこの美しい国に神殿を頂いていることに感謝します。もう一つ神殿が必要であると思えるくらい神殿を忙しくさせてください。そうできればどれだけすばらしいでしょうか。兄弟姉妹の皆さん,神殿の祝福を大切にしてください。」

閉会に当たりスノー長老は,会場にいる人々へ愛を伝え,またモンソン大管長のあいさつと愛を伝えた。

「天父はたくさんの祝福を下さいました。天父はわたしたちがみもとに戻るようにと望んでおられます。そこがわたしたちの家です。天父はわたしたちがたくさんの試練,チャレンジを受けると知っておられ,安全に戻れる道を備えてくださいました。聖霊を与えてくださいました。天父が最も愛される御子を送り,贖いの賜物を与えてくださいました。救い主に感謝しています。神権を与えてくださいました。神殿を与えてくださいました。使徒を与えてくださいました。預言者を与えてくださいました。聖典を与えてくださいました。

わたしと同じように白髪になった兄弟姉妹に申し上げます。子供の中に教会に来ていない子がいるかもしれません。彼らのことをあきらめないでください。愛を示し,模範を示し続けてください。彼らはいつの日か帰って来ます。」◆