リアホナ2009年2月号  若い兄弟姉妹へ わたしたちには「神の子としての可能性」がある

●若い兄弟姉妹へ わたしたちには「神の子としての可能性」がある──主のために,より高いものを求めて

藤田早苗   英国・イプスイッチステークコルチェスターワード

皆さんには,ちょっと難しそうだけど,できたらいいな,なれたらいいな,という夢や目標,または合格できたらいいな,という志望校などがありますか。そういう目標に関して,もし先生など周りの人に,「君には難しいね」と言われたらどう感じ,どう反応しますか。わたしは日本でもイギリスでもこれまで勉強を進めていく中で,このように言われたことは何度かあります。でも福音のメッセージが,人に「難しい」と言われたことに挑戦し,乗り越えられるように助けてきてくれました。

また,わたしの祝福文にある「悩めるときに神権の祝福を通して助言を求めるように」という勧告に従うことで与えられてきた祝福の言葉にも助けられてきました。

L・トム・ペリー長老は,競技会の高飛びの出場資格を得るための最低ラインである175センチを毎日練習していた息子を,「バーを上げなければ,自分がどこまでやれるか,どうやって分かるんだい」と励ましました。その結果,彼はバーを数センチずつ上げていき,さらに上を目指し,そしてたとえ失敗してもバーを上げ続けたいと思いました。そうすることで,潜在能力を最大限に発揮できることが分かったからです。(「バーを上げる」リアホナ2007年11月号,46参照)今振り返ると,わたしの学業生活でも神様は,わたしがバーを少しずつ上げて高く飛べるように導いてきてくださった,と感じます。

わたしは小学生のころは塾にも行かず毎日楽しく遊んでいました。でも中学生になって,家庭と学校の両方で難しいことが続き,学校をさぼることもあり,テストで赤点ぎりぎりもよく取りました。その当時の日記を見ると,行き詰まりと苦悶が読み取れます。自分が嫌いで,変わりたいと望んでおり,そのために宗教は必要だと感じていました。高校1年生のとき宣教師に会って英会話を通して福音を学び始めました。

そこで聞いた「あなたは神の子だから無限の価値と可能性があります」というメッセージは希望を与えてくれました。「自分には神の子としての可能性がある」という事実との出会いは人生で大きな転機となりました。

バー(目標)を定めて

まだ求道者だった高校3年生のとき,受験科目にある小論文の準備のためにどんな本を読んだらいいか,ある日神様にお祈りで尋ねました。するとその日,不思議なことに家の近くでそれまで一度も見たことがなかった(またそれ以後もまったく見ることのない)移動図書館を見かけ,好奇心でのぞいてみました。1冊の本が目に留まり,その本を読まねば,と感じたのでそれを借りました。それは大手新聞社の女性記者が書いたドキュメンタリーで,アジアの貧しい国の女性や子どもが過酷な労働条件で搾取を受けながら,栽培,収穫または製造したものが日本で売られ,われわれの豊かな生活を支えているということが鮮明に描かれていました。自分が日本で食べたり使ったりしているものが,途上国でそのような人権侵害の過程を経ていたことを知り,ショックで数日間十分に食べることも眠ることもできませんでした。そして「たとえ自分が食べなくても,何も変わらない,いったい自分に何ができる? いつか自分もこの本の著者のように人に影響を与えられる立場になって,多くの人にこのような事実を伝え,何か少しでも貢献できるようにもっと勉強しなければ」と思いました。

そして,大学,大学院の修士課程へと進学しましたが,大学院では周りにとても優秀な人が多く,自信を喪失し,いつも情けない思いでした。そんなある日,強い導きを受け,修士課程の途中で休学して伝道に出ました。(その経験は『聖徒の道』1996年2月号のローカルページにあります。)伝道では信仰を行使することを学び,証が強められて帰還しました。そして大学院に復学してから修士論文の締め切りまでは7か月。伝道中に急速に進歩したパソコンを学び,論文を書き上げる必要があり,友達には「そんなの無理だよ」と言われました。

でも神権の祝福では「ただ書き続けてください。そうすれば必要な助けも与えられて締切りまでに完成できます」と言われ,「7か月間,頑張って修士論文を書き上げる」というひとつのバー(目標)が設定されました。とにかく取り掛かりましたが,すべてが初めてのことで,1メートル先すら見えないような思いで恐怖を感じながら取り組みました。でも,人生のどんな局面でも,自分にできるぎりぎりのところまで努力すれば,神様は直接的または間接的に助けてくださいました。このときは,まだパソコンが十分に使えないわたしのために,教会の友達がわたしの手書きの原稿を代わりに打ってくれてぎりぎりに完成し,祝福の言葉のとおり締切日に提出できました。

しかし,その成績の判定はCでした。それでも卒業はできますが博士課程に進学したければ,1年留年してAをもらえる論文に書き直す必要があり,選択を迫られました。もうあんな大変なことを繰り返すのはいやでした。そのときの指導教官に,「こんな論文で博士課程進学を希望するのは,学問をばかにした行為だ」ということを言われました。でも,大学等で教えられるようになるには博士号を取る必要があるため,このまま卒業していいものか疑問でした。そんなとき,ヒンクレー大管長の「男女を問わず,学ぶ機会のある人はできるだけ高い教育を受けるように」という勧めがとても心に響きました。そして神権の祝福を受けたとき,「神様の目から見たら1年は短い時間です。あなたは何を選ぶべきか知っています」と言われました。そんなある夜,大学のコンピューター室で独りで作業していたとき,御霊を強く感じ,「やはり先生になりたい」という熱い思いがこみ上げて涙が出てきました。そしてC判定の論文を取り下げ,もう1年取り組む決意をしました。留年した4月に新しい先生が転任して来られ,その先生の指導に随分助けられました。そして1年後に今度はAで卒業でき,博士課程に進学し,自信もついて後輩のお世話もできるようになっていました。そのおかげもあって,同じゼミの後輩に福音を紹介して彼女がバプテスマを受けるという祝福もありました。もし伝道後「とにかく7か月で書き上げる」という目標を設定して努力していなければ,十分に力も出せず,留年してからも同じ成果は出せなかったのでは,と思います。実際,最初から1年留年する計画でやっている人は2年留年する場合が多いのです。ですから期限を決めてその日まで最大限の努力をすることは自分の潜在能力を引き出すためにも大切なことだと思います。

登るなら高い山に

わたしは大学,大学院と国際人権法という分野で国連の人権活動を学んでいましたが,日本ではあまり研究が進んでいないため,留学したいという望みがありました。そしてこの分野で歴史のあるイギリスのエセックス(Essex)大学への留学の道が開かれました。体力に自信がなかったので,最初は「留学の経験ができればいい」というつもりで,学位を取ることは期待していませんでした。しかし,授業が始まって,状況は変わりました。毎週500ページの文献を読むことが要求され,ものすごく忙しくて大変でした。ノンストップで勉強してもまったく追いつかず,悲壮な思いでしょっちゅう泣きました。そこで受けた神権の祝福で「神様はあなたに失敗してほしくありません。あなたの勉強は難しいのでしっかり勉強してください。そうすれば,必要な体力と助けが与えられます」と言われました。そこで「学位を取って,“優”で卒業する」という目標を作りました。ここでもぎりぎりまで努力したとき,主は助けを送ってくださいました。例えば,ある授業の試験の準備で,まったくどうしていいか分からなかったとき,「神様,努力はします。でもどう努力したらいいのか教えてください」と泣きながら祈っているとだれかがドアをノックしました。そこにはクラスメートがいて「あの試験の準備どうしてる? 何か助けになれるかな?」と,試験準備のための助言をくれ,結果的に試験に合格できました。

自分の可能性と,主の助けと導きを信じて,目標をもって努力するなら,御心にかなうことであれば達成できる

そして,最終的に「優で卒業する」という目標も達成できました。それからエセックス大学の博士課程(PhD)に進学をしましたが,1年目の終わりに指導教官が論文の一部を読んでこう言いました。「この内容ではこのまま博士課程を続けるのは難しい。それに君の英語が心配だ。イギリスで短い論文を書いて博士号の下の学位(MPhil)をとって,日本の大学で博士号を取る方がいいのではないか。」これを聞いてわたしはかなり弱気になりました。研究の難しさに加え,留学生活の極度の孤独にそれから何年も耐えられるか,かなり不安でした。どうしていいか分からず,何度も断食して祈りました。求道者時代のビショップに電話すると「姉妹は,高校から大学,大学院,留学での修士課程,とずっと進んで来て,学業においてはもう山の8合目まで来ているんじゃないか。高い山と低い山のどちらの頂上に登りたい? サタンは,お前にはできない,とささやくことがあるけど,そんなのに負けていいの?」と励ましてもらいました。やはり高い方の山に登りたいと思い,もう一度祈って,イギリスに残ることに決めました。ホームティーチャーが来てくれたので,その決意について神権の祝福をいただき,「その選び,決定は天から来たものです。信仰をもって努力するなら,必要な助けが与えられ,英語力も伸び,体力も健康も祝福され,目標を達成できます」と言われました。先生に「論文の審査の結果,下の学位になるならあきらめますが,最初からそれを目標にはしたくないので,どうか,博士論文を書く機会を下さい」という手紙を書き,機会を与えられました。博士論文執筆はほんとうに大変でした。ほんとうにゴールにたどり着けるのだろうか,と感じることはしょっちゅうで,常に恐れとの戦いでした。でも自分には神様の子供としての可能性がある,という事実と,祝福で与えられた約束を信じて努力しました。どのように研究し,執筆を進めていけばいいのか御霊が導き励ましてくれているのが分かりました。ある指導者に,「博士課程はあなたを叩いて強めるハンマーのような道具です」と言われましたが,ほんとうにそうでした。自分の力以上のことと思われることや,まだ経験のないことにチャレンジするのは怖いことです。でもイギリスでの博士号取得までのさまざまな経験を通して,自分の可能性と,主の助けと導きを信じて,目標をもって努力するなら,御心にかなうことであれば達成できる,という証はゆるぎないものになりました。わたしたちには神の子としての可能性があります。貧しい国の人々はその日の命をつなぐだけで精いっぱいですが,日本では与えられた可能性を伸ばす環境や機会があります。その機会を大切にし,十分に生かす必要があると思います。(右コラム参照)

「すべて主のためにしなさい」

では,わたしたちはなぜ勉強し,才能を伸ばすのでしょうか。その動機は何ですか?「いい大学に行くのは就職のために必要だから。語学ができたら友達も増えて,旅行もできて楽しいから。何か人生で達成感を感じられるから……」どれもそのとおりですが,それだけで十分でしょうか。先日,まだ福音を知らないある人から手紙をもらいました。その人は有名大学を卒業したいわゆるエリートでしたが,手紙にはこうありました。「わたしはたくさんの努力をしてここまで来た。目標を達成して充実している。でも,何か足りない。何か空しい。」どうしてなのでしょう。ジョセフ・スミスは次のように言っています。「自分が神の御心にかなった道を歩んでいることを実感として味わっていない人は,心の中に疲労が蓄積して無気力な状態に陥ってしまう」(Lectures on Faith,第6章)。逆に神の御心にかなった道を歩んでいるという実感があれば,力が与えられ,つらくても前進できるのです。

才能を伸ばす動機として鍵かぎになると思われるのは「あなた方の行うことはすべて主のために行うようにしなさい」(アルマ37:36)「これらの最も小さいものの一人にしたのは,すなわちわたしにしたのである」(マタイ25:35)という聖句です。例えば,外国語の才能を伸ばせば,通訳として人の役に立てます。つまり,才能を伸ばせばそれだけ神様のより良い道具になれるのです。わたしは世界の貧困や人権問題,人道援助などを専門に勉強し,その分野で貢献したいと望んできました。そして常に追い風を感じて神様の励ましを感じてきましたが,わたしの専門に限らず,どのような分野であっても「主のために」という動機で取り組むとき,力と導きが与えられ,道が開かれると証します。◆