リアホナ2009年4月号 人に優しい,開かれた神殿を

人に優しい,開かれた神殿を

──日本東京神殿中野正之神殿会長 

東京神殿の中野神殿会長は,神殿の意義とビジョンを以下のように語られる。「新約聖書に,やもめが二つのレプタをさい銭箱に入れたのを見たイエス・キリストが,この人こそ生活費のすべてをささげた,あなたたちは余っている中からささげたとおっしゃったという話があります。神殿は,二つのレプタを稼ぐだけでも大変な人たち,心の貧しい人乏しい人,そういう人たちが来てほんとうに癒される場所じゃないかと思います。さい銭箱は神殿にあって,その二つのレプタのうち一つは,神殿推薦状を頂くための努力であり,もう一つは,自分の先祖の記録を持って来ることです。それによって自分の清さを主にささげます。

長血を12年間患った女性は,信仰を示すことによってキリストの衣のふさに触って癒された。またルカ伝で,らい病を患った10人をイエス・キリストは癒したけれど,主のもと(神殿)に戻って来たのは1人だけだった。ほかの9人はどこへ行ったのでしょうかと。そんなふうに,神殿は個人が主とお会いする場所です。

ここでは初等協会の子供たちが来たら,特別に神殿のツアーをしてあげるんです。子供たちが来て,いろんなことを学んで帰って,そして聖餐会の子供の発表で発表したりしています。青少年の人たちもよく来ます。(それに加えて)やはり高齢の方,極端に言えば,おむつをしなければならない年になった方でも,神殿に来て,そして主と交わることが必要ではないかとわたしは思います。

ある程度高齢化したらやっぱり独りで神殿に来られない方はたくさんおられるでしょう。どうしても遠のいていくんですね。人にお世話にならなきゃいけないとか,セッションの1時間半はちょっと長いので,途中で儀式を止めて用を足さなきゃならないとか,いろいろ理由はあると思うんです。でも,こうやってその人,そのグループのために特別セッションをしますから,時間がどれだけ長くなっても迷惑じゃない。また今回,ひばりヶ丘ワードの大祭司グループの人たちはいろいろとお世話をしていましたけれど,彼らは喜んで100歳の稲垣兄弟のために,着替えをさせたり体をふいたりしていましたから。そういうこと自体がわたしは,これからの神権定員会のとても大切な役割となるのではないかと思います。神殿に足を運ぶ人のために手を貸してあげて,来られるようになればすばらしいんじゃないか。だれでも,ある程度の年齢になれば独りで来られなくなるのは当たり前だし,億劫になるのも当たり前です。でも,みんなが一緒に行ってあげることによって,いつまでも信仰を忘れることなく保つことができて,主の愛を感じることができるんじゃないかと思います。

そういう面ではもっと優しい神殿にして,もっと間口を広げなければならないと思います。この神殿には宣教師が求道者を連れて来るようになりました。ロビーで少し時間を過ごして神殿のことを説明しています。新会員も来るようになったし,教会から足の遠のいている人も,もちろん年配の方も来られるような環境になってきたと思います。

だから神殿は,限られた人が来る所から,だんだんと……例えば,完全に近くなければ入れない,そういう人以外は来られない場所というのではなく,その人の(信仰の)度合いに応じて主は,ロビーから日の栄えの部屋までそれぞれの場所を用意してくださっているんです,実際にね。」

自分の目的をもって神殿に来る

「神殿はある意味では神権を使う場所です。神殿にただ来るのではなくて,自分が特定の死者のために身代わりの儀式を受けに来たんだと,最初から準備して来てくれたらすばらしいと思います。ホームティーチング担当家族やワードの会員に,わたしはアロン神権者としてあなたの家族の死者のために身代わりの儀式を受けたいので,わたしに神権を行使させてください,と言ってカードを預かって,自分の空いた時間にそのカードを持って神殿で儀式を受ける。聖餐会で聖餐のパスや祝福を頼まれるのと同じように,死者の贖いのために身代わりの儀式を受けていただきたいと思います。その神権行使の機会を与えるのは執事,教師,祭司,長老,大祭司の各定員会会長会です。姉妹だったら若い女性のクラス会長会の中高生や扶助協会の会長会がそういう機会をどんどん与えてあげなければ,神権の祝福を受けて,信仰を強められないと思うんです。

また,神殿は聖徒を管理する場所ではなく,聖徒たちがそこで信仰を強める場所です。イエス・キリストの衣のふさに触りたいと思っている人が,主のところにやって来るのが目的ですから。時間といった物理的なことで制約をする場所ではないと思うんですよ。参入者の状況に応じて──例えば朝6時からセッションをしたいと言えば,6時から団体セッションをします。自分の息子さんが,自分の姪御さんが12歳になったからバプテスマを受けさせたい,と言えば,本人のほかだれも来なくても儀式をします。今の時間はやってませんから,ということではなく。必要な人が訪ねてきたら,どうぞ,あなたの神殿ですから,あなたが準備したようにその時間を過ごしてください,というふうになっています。

例えば駐車場はこの2月から,予約しなくていいんですよ。開放したんです。わざわざ神殿に来ようとしているのに,わたしは車で来るので停めさせてください──そんな許可がどうして必要なんですか。手続きを経なかったら神殿に入れないのではなく,まっすぐ来られるように。神殿はいつでも来られるところですから。

100歳の人が神殿を求めて来る姿を見て,この間(稲垣兄弟と)参入した人はみんな,感激したんじゃないかと思いますよ。教会の年齢層がだんだん上がっていっているから,そういう高齢者の方々こそが,神殿から遠のくのではなくて,神殿に来て彼らの信仰を示すことによって,若い人たちにも,大きなビジョンを見せてあげられるのではないかなと思いますね。」◆