リアホナ2008年9月号 神殿に来て,700人の先祖が一つにつながりました

神殿に来て,700人の先祖が一つにつながりました

神殿宣教師という生活の祝福

──大山篤司長老・幸子姉妹(日本東京神殿・神殿宣教師)

大山ご夫妻は2007年4月から日本東京神殿の神殿宣教師として奉仕を続けている。夫婦伝道にはたくさんの奉仕の場がある。伝道部で働く宣教師から家族歴史宣教師,神殿宣教師,広報宣教師……大山ご夫妻も申請時には伝道部の宣教師となることを想定していたが,神権指導者との面接の際には,召されるならばどこにおいても喜んで奉仕しますと伝えた。申請の際に自分たちの事情や特質を伝え,奉仕の場の希望を述べることはできる。それがかなうこともあれば,主の御心により思いも寄らない場に召されることもある。

しかしどこで働くのであれ,「宣教師は物質的にも霊的にも特別な時です」と大山ご夫妻は言う。「伝道に出るに当たり,だれでも何らかの問題をもって出てきていまれられます。奉仕することでいっぱいで,憂いは頭にないのです。」──宣教師の生活はほんとうに楽しい,お勧めです,と大山ご夫妻は何度も繰り返す。

横浜ステーク山手ワード出身の大山ご夫妻は,以前から東京神殿の儀式執行者に召されており,定期的に神殿での奉仕を続けてきた。「そのころは,神殿宣教師について,毎日同じ儀式を繰り返してよく飽きないなあと思っていました。けれどもここへ来て初めて分かりました。受ける方(死者)が違いますので,同じ儀式でも1回1回が違います。ですから飽きないですねえ。」

「神殿に来て,家族歴史が進みました」と大山ご夫妻は特に喜ぶ。これまで謄本は取れるだけ取り寄せてあったほか,郷土史の資料や親戚から預かった系図など,情報は豊富にあったものの,日常の忙しさにまぎれ,なかなか系統立てて調べることはできなかった。「ずっと前から持ってはいたけど,年代が途中で抜けていたり,生年月日が割り出せなかったり……」神殿宣教師に召された大山ご夫妻は,この機会に家族歴史を進めようと意気込んですべての資料を持って来たのである。「神殿にいると,十分に時間が取れますから。」けれども名前だけがずっとつながっているだけの系図を前に,どうやって進めたものか,しばらく途方に暮れていたという。

ところが神殿で知り合った儀式執行者の姉妹に教えを請ううち,糸口がほぐれてきた。──大山姉妹の先祖は大分県の出身である。源氏の流れを汲む鎌倉武士が平家討伐に行き,そこから流れた子孫が大分に残ったものだという。神殿奉仕の合間に調べていくうち,東京神殿に隣接する有栖川宮記念公園内の東京都立中央図書館に地方史の文献があると耳にした。そこで見つけた大分の郷土史料には,これまで知らなかった歴史上のエピソードとともに,ずっと持っていた名前と一致する系図情報が記されていたのである。「きれいにつながってきました」と大山長老は振り返る。親戚から預かった系図も確かなものであることが裏付けられた。そして鎌倉・平安時代にまで至る700人あまりの名前を一挙に提出することができたのだった。また神殿宣教師として常に儀式の現場にいるので,参入者の助けを得て,それらの先祖の儀式を終えることもできたという。──「宣教師として神殿に来なければ,その姉妹に会うこともなかった。(彼女が)いなかったら全然できなかった。」「神殿にいるといつも助けがあります。亡くなった方の儀式にいつも携わっていますのでね。家にいては遅々として進まなかったでしょう。」助け手との出会いも図書館の資料の存在も全部が関連していて,「すごくいい環境」にあったと大山ご夫妻は振り返る。

東京神殿にいると,北海道から,沖縄から……全国から来る人々の熱意に触れることができる。それはあたかも日本の信仰の縮図を見るようだと大山ご夫妻は言う。「皆,いろいろな状況で参入しておられます。友達がいっぺんに増えました。」主の業を見聞きする機会に多く恵まれる。「あるとき,70過ぎのご婦人が団体参入で入って来られました。足が悪いので神殿に来られないかとあきらめていたところを,友達に誘われ支えられてやっと神殿に来ました。東京在住の友達と出かけ,歩きすぎ,足が痛くて翌日のセッションに入れないかも……と思っていたところ,神殿宿舎で朝起きるとまったく痛くない。忙しくセッションに参入する間も杖などつくことなく,足取りも軽く帰って行かれました。」

「80歳近いおじいさんが,自分の父親の救いの儀式のために神殿に来られました。ところが前もって神殿へ送っておいたはずのネームスリップが紛失してしまいました。(書類は神殿が休みの間に届けられ,ポストに入っていたのでした。)職員が探しているあいだ,1,2時間ほどもロビーで待っておられました。再発行し,日を改めて儀式をすることも検討されましたが,1日待ってでも父の儀式を受けて帰る,と確固として待っておられました。」

「そのほか,広尾の町を歩いていると,参入に来た青少年とすれ違うことがあります。いわゆる今風の格好をした子たちですが,彼らが神殿に入るためにここまで来たということで,ああ,この子たちは大丈夫だな,と思うんです。また,両親に付き添われて自身のエンダウメントを受けるJMTC入所直前の宣教師……。一人一人,世代も信仰の形も違います。それぞれがすばらしい信仰です。」◆