リアホナ2008年9月号 News Box 吉沢敏郎兄弟が逝去─九州の開拓者として教会の発展を支える

News Box 吉沢敏郎兄弟が逝去──九州の開拓者として教会の発展を支える

2008年7月11日午後10時57分,九州の教会の発展とともに歩んだ開拓者として知られる吉沢敏郎兄弟が逝去された。享年86であった。

戦時中,海軍の技術将校であった吉沢兄弟は,敗戦とともに「日本の根幹がたたき潰された気分を味わった」という。技術者として旧国鉄や九州電力で働きながらも,人生に確かな真理を求め続けた吉沢兄弟。伴侶のみどり姉妹と結婚してほどなく,戦後の混乱がいまだ収まらぬ街頭でアメリカ人宣教師に出会って深く心を動かされ,1953年に改宗する。福岡で最初の夫婦でのバプテスマであったという。吉沢ご夫妻は二男一女に恵まれ,子育てをしながらの福音生活を送るとともに,教会では情熱的に語る指導者として多くの会員に親しまれた。

1957年にメルキゼデク神権を受けた吉沢兄弟は,その後,当時九州で唯一の支部であった福岡支部の初代支部会長に召される。九州地方部が設立されると最初の地方部会長に召される。1970年,全九州と沖縄を含む広島以西を管轄する日本西部伝道部が誕生。伝道本部が福岡に置かれ,初代伝道部会長として渡辺驩会長が赴任すると,吉沢兄弟は第一顧問に召される。3代目までの伝道部会長の第一顧問を務めた後,1979年に設立された日本福岡ステークの初代会長に召される。

1982年には日本岡山伝道部の伝道部会長に召され,3年間奉仕する。帰還後は福岡ステークの祝福師に召される。日本福岡神殿が2000年に奉献されてからは儀式執行者・結び固め執行者としても召され,今年の6月まで神殿で奉仕を続けてきた。「長い間一所懸命に神様の業を忠実に行われた兄弟でした。体が悪くなるほんとうに直前,出られる最後の日まで淡々と神殿の奉仕をしてくださいました」と,福岡ステークの恩田豊会長は吉沢兄弟を偲ぶ。亡くなる約1週間前に入院して癌と判明するまでは,体調が悪いながらも車を運転するなど日常生活を続けていたという。「亡くなる2日前,意識のなくなる前日に病院へ行くと,『ありがとう,ありがとう……』と感謝だけを述べられていました。吉沢兄弟の葬儀は救いの計画を思い起こさせるすばらしいものでした。最後の最後まで感謝しています。」(恩田会長)◆