リアホナ2008年1月号 イスラエル通信1

イスラエル通信1

 森哲也兄弟● イスラエル地方部テルアビブ支部

在イスラエル日本大使館に出向中の森哲也兄弟は,奥様の一江姉妹とイスラエルのテルアビブに在住しています。教会員にとってよく知られた国でありながら,実情が理解されていない国イスラエル。森ご夫妻の経験する日常のイスラエルの姿は,主が歩まれた土地を知るうえで,わたしたちに新しい視点を与えてくれることでしょう。第1回は現在の一般的なイスラエル・パレスチナ情勢から入ります。今後のシリーズでは,さらに森ご家族の個人的な視点を通した今日のイスラエルの姿を報告していただきます。(編集室)

シャローム!

皆さん,こんにちは。現在,わたしは仕事の都合でイスラエルに住んでいます。

メディアや聖書を通じてわたしたちはイスラエルについて知ることができます。しかし,日本ではなかなか現在のイスラエルの状況を知ることは難しいと思います。

イスラエルは旧約聖書以来の悠久の歴史を有していますが,現在は,IT,ライフサイエンスを中心としたハイテク分野,農業技術,ダイヤモンド産業等により経済が支えられている国であり,古代の歴史と最先端分野の技術が並存する魅力ある国です。

イスラエルの歴史は創世記まで遡りますが,ユダヤ民族の国としての歴史は,紀元前10世紀ごろのダビデ/ソロモン王の王国と,その後の分裂と滅亡を経たものです。バビロンに捕らわれたユダの王族や臣民は,アケメネス朝ペルシャにより故郷への帰還が許されます。独立国としての地位は失われ,ペルシャ,ギリシャ,ローマの勢力下での属州となりました。アウグストゥスの時代にローマに対し反乱を起こしますが,鎮圧されて古代ユダヤ史は幕を閉じます。この時,神殿の丘の上にあったユダヤ教の神殿(第二神殿)が破壊されました(紀元70年)。その後,ユダヤ軍が立てこもって最後まで死闘を演じた舞台が,死海を見下ろす要塞のマサダです。以後2,000年近くにわたりユダヤ民族は世界各地に離散(ディアスポラ)することになります。

現代のイスラエルは,シオニズム運動(ユダヤ人の祖国建設のための運動)によりパレスチナ地方にユダヤ人が大量に移民してきたことから始まり,1948年に悲願であったイスラエル国が建国されて現在に至っています。

一方,ユダヤ人が移民してきたこのパレスチナ地方は,だれも住んでいなかった土地だったわけではなく,1,000年以上も生活してきたアラブ人がいました。そのためアラブ人とユダヤ人の間で度々衝突が発生するようになり,第1次中東戦争から第4次中東戦争に至り,その結果,パレスチナ自治区内及びヨルダン・シリア・レバノン等の周辺アラブ諸国に多数のパレスチナ難民を生み出し,現在までも続く中東和平問題になっています。

ユダヤ人が「この地」(ハアレツ)に移民してくる根拠は,創世記にあるとおり神がアブラハムを通して与えられた「約束の地」であるからだとされています。ユダヤ民族の聖地で神の律法を守り,いつの日か救世主(メシヤ)が来臨して,自分たちを苦難から救い出してくれるようにと,第二神殿崩壊後から現在まで約2,000年間絶えることなく祈り続けています。ユダヤ教では神殿は,メシヤが来臨しないと再建されないとされており,メシヤはダビデの子孫から現れるとされています。

第二神殿跡をめぐる確執

エルサレム旧市街にある第二神殿跡の西側の壁(通称:嘆きの壁)。ヘロデ時代の第二神殿建築時の壁が,現在も一部残っており,そこに向かって人々は祈りをささげます。下から6段目までがヘロデ時代の第二神殿跡。周りに縁のあるのがヘロデ石と呼ばれています。6段目から上は,その後,十字軍時代,オスマントルコ朝時代に増し加えられたもの。第二神殿が破壊されて以来,ずっと嘆いてきたので「嘆きの壁」と言われているのです。また,壁の岩の間に生えるヒソプの草を伝って落ちる夜露が,ユダヤ人の嘆いている姿を象徴しているからだとも言われています。

一方,嘆きの壁のすぐ上は神殿の丘になっており,第二神殿跡には,岩のドーム(モスク)が建っています。638年に預言者ムハマンドがエルサレムを征服した記念として,691年に建立されました。ムハマンドがここから昇天したといわれており,イスラム教にとってメッカ,メディナに次ぐ,第三の聖地として世界から巡礼者が訪れています。]

しかし,第二神殿は同神殿の丘のどの部分に建てられていたのか正確には分かっておらず,神殿内の聖所や至聖所もどこにあるのか分からないので,ユダヤ教徒は神殿跡地付近には近寄りません(旧約聖書で,聖所や至聖所は入ってはいけないとされているため)。

2000年9月に,当時野党リクードの党首であったシャロン前首相が,イスラムの聖地でもあるこの神殿の丘に上がったため,パレスチナ人の反感を買い,第二次インティファーダ(反乱蜂起)が発生しました。そのため今日までにパレスチナ側4,000人以上,イスラエル側で1,000人以上の犠牲者を出しています。2007年11月27日にはアナポリスで7年ぶりの中東和平国際会議が開催され,今後和平交渉を再開することで合意しましたが,国境問題,難民の帰還,エルサレムの帰属という,和平合意に不可欠な問題については依然として双方の主張に大きな隔たりがあります。互いに聖地であるエルサレム,特に核心である旧市街の神殿の丘の帰属問題が解決しないかぎり,和平は来ないだろうと思われます。

超正統派ユダヤ教徒

超正統派ユダヤ教徒は,イスラエル国内に約50万人おり(ニューヨーク,アントワープなどにも大きなコミュニティーがある),税金免除,国からの給与支給,兵役免除という特権が与えられています。現在のイスラエルの独立は,2000年以上離散していた間もユダヤ教を守ってきた彼らの業績だとされているからです。彼らが黒い服を着ているのは,第二神殿が崩壊した喪に服しているからであり,寝るときと入浴するとき以外は着用していなければならないとされています。現在も厳格にコシェルを守り(豚・タコ・イカ・貝類等を食さない,牛肉も血をしっかり抜いてから適格と認定を受けたものだけを食べるなどの様々な食事制限。申命記12:23,14:3-21参照),もみ上げも剃りません(申命記14:1)。

ユダヤ人は長年の迫害,現在も続く紛争がありながらも,民族のアイデンティティーを決して忘れることなく生活しているところにたくましさを感じます。その反面,ユダヤ人が嘆きの壁で祈っているほぼ真上から,一日に数回アザーン(イスラムの祈りを呼びかける放送)が大音量で聞こえてくる光景を眺めていると,これから先もエルサレムには苦難が続くのだろうと感じずにはいられません(教義と聖約45:51-53)。しかしながら,ユダヤ人がこの地に帰還して来ることは主の御心だと思いますので(教義と聖約109章),将来どのように推移していくかを見守り続けることができたらと思います。それでは,レヒトラオート(また会いましょう)!◆