神殿も週休2日もなかった1970年代初頭の日本。新潟支部の加藤(旧姓木村)眞理子姉妹は『福千年の集合の始まり』とも言われていたソルトレーク神殿訪問に参加すべく,ウォルター・R・ビルス伝道部会長との面接に臨んだ。「21歳で会社勤めをしていましたが,10日近くも休暇をとるには,場合によっては仕事を辞めなければならないという覚悟が必要でした。」と眞理子姉妹。膨大な出費も身代わりのバプテスマしかできない若い独身の姉妹にとっては大きな犠牲だった。ビルス伝道部会長は「それほどの気持ちがあるなら伝道に出てはいかがですか」と提案。眞理子姉妹は3日間断食して祈り,伝道に出ようと決心する。
一人娘の伝道に両親は猛反対であった。それまで口答え一つしたことがなかったという眞理子姉妹だが「わたしは悪いことをするためではなく,良いことをするために伝道に行きます。何があっても正々堂々と出て行きます」と,このときばかりははっきりと主張した。「最後には黙って父がスーツケースを買ってきてくれました。」
1970年の8月に専任宣教師としての奉仕を始めた眞理子姉妹は,1年後,大橋百合子姉妹と東京・阿佐ヶ谷の駅前で出会う。百合子姉妹は美容学校を卒業し,インターンとして銀座の美容室で働いていた。「木村(眞理子)姉妹と浜田姉妹がニコニコしながら英会話か何かのちらしを配っていました。長老たちも8人くらいいたでしょうか。」子供のころから神様を求めていたという百合子姉妹。「神様は生きていると思ってはいましたがどうしたらいいか分からない。そんなとき,木村姉妹と浜田姉妹に出会いました。」百合子姉妹はそのちらしを頼りに吉祥寺の東京第3ワードを訪ねた。
「当時は1週間にレッスンが30回以上あって,『スケジュールのやりくりが大変です』と伝道部長への報告書に書いていました」と眞理子姉妹。百合子姉妹も「初めて第3ワードに行ったとき,わたしと同じように福音を聞きたくて教会に来ている人が二人くらい順番待ちをしていて部屋で待たされました」と当時を振り返る。「神様が生きていらっしゃる,イエス様が生きていらっしゃるという言葉がうれしかったです。レッスンではよく涙を流しました。」百合子姉妹は教えられたことを吸い取り紙のように吸収していったという。「宣教師の教えを全部信じて,勧めを素直に受け容れて,『気味が悪いくらい』すばらしい求道者でした。(けれども)鵜呑みにしてハイハイと受け容れたのではなく,自らの生活を変える決意をして大きな覚悟とともに改宗した人です」と眞理子姉妹は絶賛する。
1971年10月2日は大橋百合子姉妹のバプテスマの日だった。この日は銀座祭の日でもあり,百合子姉妹は勤務先の4階の「特等席」から祭の様子を見ることになっていた。「美容室の皆は朝から心躍る気持ちでいっぱいでしたが,その日の夕方,わたしは人の流れとは反対方向に歩きました。きっと,これから先,何回も同じような経験をするに違いないと思いながら歩きました。」教会に着いた百合子姉妹は,自分のバプテスマを喜んでくれる兄弟姉妹を見て,いちばん大切なことを選んだのだと悟ったという。
百合子姉妹は当初,インターンとして働いていた銀座の美容室に就職するつもりだった。ところがその美容室は翌年から日曜日にも営業することになったため,安息日の就業を避けたい百合子姉妹はインターン修了後の就職先として美容学校を選んだ。美容学校の試験,美容師の国家試験と立て続けに合格。百合子姉妹は希望どおりの道に進むことができた。
百合子姉妹は眞理子姉妹が「どこの方か分からなかったです。身の上話もしていないし,お互い出身地がどことか,そういう話は一切なかったです。姉妹たちも忙しかったので」と笑う。眞理子姉妹は1972年春に新潟に帰還。百合子姉妹は71年から72年まで第3ワードに集った後,両親の健康上の理由から栃木に帰ることになった。木村眞理子姉妹は加藤真一兄弟と,大橋百合子姉妹は三森武雄兄弟といずれも1973年6月に結婚。それぞれ,三男二女,一男二女をもうけ現在に至っている。
36年後のきずな
眞理子姉妹と百合子姉妹が出会って36年後,2007年4月のとある安息日。百合子姉妹の長男である大橋武兄弟は婚約者の加藤愛美姉妹とともに,大橋家の両親が集う宇都宮支部に里帰りした。「友達でいた期間が長かったです」という二人は,2月から結婚を意識して付き合うようになったばかり。それぞれハワイと広島で伝道した帰還宣教師同士のほほえましいカップルだ。
大橋百合子姉妹は「武を選んでくれた人がいたということはありがたい,その一言です」と長男,武兄弟と加藤愛美姉妹との結婚を「普通に」喜んでいた。
百合子姉妹は,加藤愛美姉妹と二人でいろいろと話すうちに,百合子姉妹の改宗当時,東京第3ワードのビショップを務めていた井上龍一兄弟のことに話が及んだ。
「うちの母も吉祥寺で伝道したことがあって井上兄弟には大変お世話になりました。母とどこかでお会いになっているかも知れませんね」と愛美姉妹。百合子姉妹は「そうよね,もしかしたらすれ違っているかも知れないわね」と何気なく言葉を返した。
新潟の加藤眞理子姉妹は,自らが改宗してから40年,「あまりに試練が多くて主の愛を疑うわけではないけれど,最近神様を感じられなくなりました。わたしにも主の愛を再び感じさせてください」と祈っていた。
そんな中,娘の結婚相手が見つかったことは気持ちを明るくする材料だった。愛美姉妹から「気になる人がいる」と打ち明けられたときも,「ご両親に会ったこともないし息子さんに会ったこともないのに,何の違和感もなく,よかったね,おめでとう,だったんです。」先方に対する心配や不安は一切なかったという眞理子姉妹。「周りの人に『え,あなた,向こうの家に会いに行かなくていいの』と言われました。大橋武兄弟の友人であるわたしの長男からも『会わなくていいの』と言われたので,『あなたもお勧めでしょ』と切り返しました」と苦笑する。
やがて娘の愛美姉妹から眞理子姉妹に1本の電話が入る。「武君のお母さんは井上監督(ビショップ)のとき吉祥寺にいたって。」「お母さんの旧姓は?」「変わってないから大橋姉妹だよ。」聞いたときには半信半疑だったという加藤姉妹。娘の婚約者の母親は自分が宣教師時代の求道者だった……?「当時のことをはっきり思い出しますように」と祈って宣教師時代の日記を手に取る。厚い日記全部を探さなければ,と思いつつ最初に開いたところに目をやると,そこには『10月2日,今日は大橋姉妹のバプテスマ会だった』との記述があった。36年越しの“主の巡り合わせ”を悟った瞬間だった。
息子の婚約者の母親が自分を導いた宣教師ではないか,という百合子姉妹の思いはかすかなものだった。「家でお茶碗を洗っていたときに眞理子姉妹の顔がフワーッと浮かんだのですが,『でもまさかね,そんなことはない』と思っていました。」そんな百合子姉妹に息子の武兄弟から電話が入る。「愛美ちゃんのお母さんは(旧姓)木村姉妹だよ。バプテスマに導いた姉妹宣教師だよ。」こんな不思議なことがあるのだろうかと思いを巡らした。「神様の御心や御業は想像をはるかに超えたところにあって,圧倒されました。」
伝道に出るという眞理子姉妹の選択。そして福音を受け容れるという百合子姉妹の選択から36年後──2007年6月9日,大橋武兄弟,加藤愛美姉妹はそれぞれの両親に見守られ東京神殿で永遠に結ばれた。神殿での「両家の顔合わせ」は宣教師と求道者の36年ぶりの再会ともなった。加藤眞理子姉妹は語る。「地方の,ひっそりと生きるわたしたちにこんなことが起こるなんて……これからの励みになります。こういう形で主がわたしに,あなたを愛していると教えてもらったように思います。……二人の結び固めのとき,少し早くこの地上に来た愛美に,天から武君が『待っていてね。もうすぐ行くから』と声をかけていたように感じました。わたしが大橋姉妹と出会ったのはこのためだった,と納得しました。」
日本に伝道の種がまかれて百年余。成熟の度を深める日本の末日聖徒は今後ますます,神が綾なす巡り会わせの奇跡と祝福を目の当たりにすることだろう。◆