末日聖徒イエスキリスト教会(モルモン教)リアホナ2008年2月号 次世代の息吹──マスター聖句,どうやって覚えましたか?

次世代の息吹──マスター聖句,どうやって覚えましたか?

四大聖典を学ぶセミナリーにはそれぞれに25個のマスター聖句がある。暗記するよう勧られているこの100の聖句を覚えるのに苦労している青少年は多いことだろう。

福岡県の藤崎ワードに集っている相浦浩輔兄弟(18歳)は100の聖句を暗唱した一人だ。勉強は得意な方ではないし器用でもない,と自分を表現する浩輔兄弟は「家族の協力がいちばん大きかった」と言う。相浦家はご両親,浩輔兄弟と高校2年生の弟の4人家族。兄弟そろってセミナリーの生徒だ。相浦家では家庭の夕べにマスター聖句暗唱の時間を30分ほど設けている。その時間に自分のペースで覚えていく。「覚えられないと家庭の夕べのリフレッシュメントが食べられないんですね,うちはアイスクリームがよく出ますが,それがかかっているので頑張りました。ぼく,基本的に食べることが好きなので」と笑う。このルールの発案者は母親だった。「母はそういうのを考えるのが得意ですね。」弟も75の暗唱聖句をすべて覚えている。

しかしリフレッシュメントの力だけで100の聖句を長期間覚えていられるはずがない。そこには本人のたゆまぬ努力と両親の模範,ワードの協力,仲間の存在がある。

両親からは覚えるためのコツを習った。継続することの大切さも学んだ。浩輔兄弟は小さいころから,ご両親がしばしば聖典を開く姿を見て育ってきた。またワードにはマスター聖句の担当者が25人いて,一人が一つの聖句を担当している。暗記できたら該当する聖句の担当者のところに行き,その前で暗唱してみる。時々担当者から,覚えるようにとの催促も来る。催促されると覚えなければという気持ちになった。

浩輔兄弟が中学3年生になったとき,藤崎ワードには二人の熱心な先輩がいた。福岡ステークにはセミナリーが盛んなユニットが多く,「打倒 久留米」「打倒 二日市」と切磋琢磨し合える良きライバルもいた。自分のワードに同年齢の子はいないが,ステークの中にはお互いの家に泊まり合う親しい仲間がいた。

マスター聖句をすべて暗唱するということは,一言一句間違えずに25を通しでそらんじられるということだ。一つ一つを覚えても通して言うのは難しい。接続詞や助詞までしっかり覚えるのに役立ったのはご両親から教わったコツ。「その聖句を何回も書き写すと視覚的に覚えられます。いちばんいいのは時間を区切って,例えば10分とか15分とか,ひたすら集中してその聖句を覚えることです。」

100の聖句を覚えることで経験した自身の変化について浩輔兄弟はこう語る。「いちばん変わったと思うのは総大会の見方ですね。中央幹部の方々はマスター聖句を話されることが多いんです。あ,このマスター聖句だ,って思い出せるからすごく身近に聞けるようになりましたね。……100覚えるっていうのは基礎の基礎だと思うんです。覚えられれば,それについてくる前後とか背景とかお話とか,その聖句の中身自体とかが理解できます。」

霊的な変化もあった。「証が強くなったことがいちばん大きいと思います。マスター聖句や聖典を勉強すればするほどその深さというか,福音の伝えていることの正しさが分かるようになって,イエス・キリストが生きていらっしゃって,神様がいらっしゃって,この福音が真実だということが理解できるようになりました。」

浩輔兄弟は後輩へこう助言する。「難しいことだと思うんですよ,マスター聖句を覚えるっていうのは。多分地道な苦労がありますし,(受験などで)いちばん忙しい時期ですしね。(でも,)その中でマスター聖句を覚えたっていうのはすごい自信になると思うんです。だから頑張って毎年25個,4年間で100個覚えてみてください。」

選択する力を養う

神奈川県の湘南ワードに集う金子ひかり姉妹は「(マスター聖句を覚えるのに)特別に時間を割いてというのではなく,通学のバスや電車に乗りながら(聖句カードを)読んで,覚えてましたね」と話す。マスター聖句カードはずっとバッグに入れていた。あまり無理して覚えたという記憶はない。「ずっと毎日毎日読んでたら,そのフレーズが頭の中に残って。とにかくもう繰り返しです。」考えなくてもすらすら言えるほどだった姉の清香姉妹を,及ばずながら目標にしたという。「あとは,ジョセフ・スミス-歴史とか長いものだったら,その構成(フレーズの順序)を覚えれば,フレーズがもう頭の中に入っているから,言えるようになったかな……」

ひかり姉妹はこの春,4年目の「教義と聖約および教会歴史」を修了し,晴れてセミナリーを卒業する。1年目は,2歳上の姉たち清香・晴香姉妹(双子)と3人で,自宅で母親から早朝セミナリーを受けた。姉と一緒に学んだ2年間は,お互いにどんどんマスター聖句を言い合って暗唱のチェックをしたという。「マスター聖句に限らず,セミナリーの授業も,やることは全部やりたい」という気質は姉から受け継いだのかもしれない。高校に上がった2年目と3年目はお隣の藤沢ワードの早朝セミナリーに参加し,そのまま鎌倉にある高校へ登校する日々だった。

金子家の子供たちは教会員のご両親のもとに生まれ,初等協会から教会に通い続けてきた。けれども母親の恵姉妹はこう振り返る。「(3人姉妹は)小学生のある時期教会に行きたくないとごねて,やっと車に乗って(着いても)車から出て来なかったり,教室を抜ぬけ出したり……初等協会の先生やワードの方が辛抱強く呼びかけたり話をきいてくれたりして,ご苦労をかけました。あのころは毎週教会に行くこと自体が大変でした,とても。」

そんな中,ひかり姉妹が自分の意思で教会へ行くようになったのは「多分,セミナリーで学ぶようになってからかな」と言う。「(それまでは)一応,教会へは行っていたけど,日常では教会員だという自覚があまりなかった。けれどセミナリーで,日曜日以外に福音を学んでて,自分のことを教会員だと日々自覚するようになったから。」

実はひかり姉妹には中学・高校を通じて熱心に取り組んで来たことがあった。合唱部でのコーラスである。高校も,合唱部の活動が活発な所を選んで決めたほどだという。関東大会など様々な大会にも出場し,楽しく活動してきた。──ところが昨年4月,4年目を迎えたセミナリーのオープニングソーシャル(開講式)に出席していたときだった。ひかり姉妹は突然,「ああ,部活,辞めなきゃ」と思い立つ。

この年は,地元の湘南ワードで週1回レッスンを受ける家庭学習セミナリーへと切り替えた。早朝セミナリーに通うよりも,毎日自分で取り組まなければならない家庭学習セミナリーの方が大変だと感じていた。「家庭学習も初めてだったし,今年最後だし,ちゃんとセミナリーをやりたいなと思って。」ひかり姉妹の中で,コーラスの占める部分とセミナリーの占める部分の優先順位が逆転してきていたのだった。

「退部届けを,何回か渡しに行こうと思って,(でも)先生が怖くて(笑),……それで3回目に退部届けを渡すことができて。自分がけっこう大切にしていた部活を辞めるという決断ができたのは,今まで3年間のセミナリーがあって,もっと学びたいという意欲が増したおかげかな。辞めた後はまぁちょっと悲しかったけど,でも辞めてほんとうによかったと思ってます。」──退部したちょうどその日,ひかり姉妹は家庭学習セミナリーで教義と聖約第6章23節に出会い,慰めを受ける。「わたしは……あなたの心に平安を告げなかったであろうか。神からの証よりも大いなる証があるであろうか。」

「この世的なものよりも教会を選べたというのは自分にとって大きな自信になったし,(部活を辞めなければとの思いは),神様からのものだったと思うし,神様はほんとうにそうすることを望んでおられたんだな,って。それに従したがうことによって,自分が今,持ってるセミナリーの知識とか,福音に対する証とか,最後の4年で学んだこと,そんな霊的な祝福がたくさん得られたのかなあと思いますね。」

若いうちに知恵を得なさい

マスター聖句を覚えることには段階がある。どういう内容の聖句があるか覚えること,それが何書の何章何節にあるかを覚えること,そして,聖句の言葉を暗唱するまで覚えること,である。

日本のユニットの中でもかなり大きなセミナリーを擁する町田ステーク相模原ワードの青少年に,マスター聖句の覚え方を尋ねてみた。──「絵にして考えてみる。」「聖句を読んでいくと頭の中でイメージがどんどん出てくる。それを全部つなげるようにする,そして覚える。」「(暗記を)始める前にお祈りをして,それからひたすらずっとやっていく。」「これ暗記したから聞いて,って親に聞いてもらって。」「ただひたすら,口に出して言う,何も考えないでガーっと。」「ただ読むだけです,声に出して。」「気合いを入れて,根性で」……

声に出して覚える,という子は多かった。声に出して読むことと,筆記具を使って書くことが,ともに脳を活性化することは,fMRI(機能的磁気共鳴画像法)で調べた脳画像からも分かるという。

また,「ひたすら」という言葉がよく出てくる。若さの特権であろうか,セミナリーの生徒たちの柔軟な頭は,「ひたすら読む・書く」ことを繰り返すことで(内容を考えずに)丸暗記する力を持っているようだ。その後に,丸暗記した言葉と,それがどこの何章何節であるのか,聖句の内容が何を教えているのか,を結びつけることになる。意味内容から覚えようとする大人とは記憶のプロセスが逆のようだ。

相模原ワードの服部澪姉妹はこのような手順で覚えたという。「自宅ではマスター聖句カードを,学校では教会教育システムでもらったマスター聖句一覧表を見てひたすら覚えます。1つ目の聖句から25まで,ひたすら繰り返し読んで暗記しました。」

「先に言葉を覚えて,そのあと何章何節と覚えます。」この段階に来ると紙に書き出して覚える。「最初に,1から25すべての何章何節を書き出し,そのあとに聖句の始まり(冒頭)を書き出すようにしました。」1つ1つ覚えるのではなく,25の聖句をひとまとめに連ねて覚えてしまうところがユニークである。「このとき,『マジック・スクウェア』(上写真参照)も絵に描いて覚えるようにすると,その聖句のテーマやポイントを同時に理解することができました。実は,その聖句が何を教えているのかよく理解できていなかったところもあったので。」

聖句の始まりを書き出す理由はこうである。「内容は分かっていても,言い出しが分からない。最初が『さて』とか,いろいろあって……そういうのが自分の中で難しかったので,最初を分かるようにしようと思って,書き出しました。」冒頭が出てくれば続きは連なって出てきたという。実は,聖句を暗唱するときには,暗唱聖句の最後に「何書何章何節」と言うことになっている。しかしそれも丸暗記の一部になってしまっているので,冒頭に何章何節を置いて覚えなおしたのだという。

こうして澪姉妹は,昨年秋の関東南地区セミナリーグランプリにおける聖句暗唱部門で1位になった。

澪姉妹は昨年のユースカンファレンスで実行委員を務めた。相模原ワードには,澪姉妹を含め二人の実行委員がいたのだが,もう一人はステーク全体の担当だったので,人数の多い相模原ワードの青少年は澪姉妹が一人でまとめなければならなかった。「自分は人前に立つことが得意な方じゃないので,一人でやるのも負担が大きかったし。やることも,決めることもたくさんあって,それでほんとうにつらいな,と思い悩むことがありました。」

そのとき澪姉妹は,新約聖書のマスター聖句を思い出した。コリント人への第一の手紙第10章13節。「あなたがたの会った試練で,世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試練に会わせることはないばかりか,試練と同時に,それに耐えられるように,のがれる道も備えて下さるのである。」

「じゃあこれは耐えられるんだ,逃れる道もあるからそれで頑張ろうと思って。」実際に道はあった。「家族に支えてもらったり,指導者にも助けてもらったりして,ちゃんと最後までやり遂げられました。」その経験が澪姉妹の中で今,証となっている。「とは言っても,まだまだ聖句が生きているような生活ができているとは思えません。」現在,高校2年の澪姉妹は,セミナリーの最終年,残り25のマスター聖句も「絶対にやります」と意気込んでいる。

大きな達成感がありました

大阪北ステーク花屋敷ワードの和田樹実姉妹が最初に学んだセミナリーは旧約聖書。「それほど難しいとは思いませんでした」と話す。そのため,毎朝6時から早朝セミナリーに出席していたが,「“それなり”の努力をして,“それなり”の達成感を得ることができました」と振り返る。「それなり」の態度が明確に変わったのは4年目の「教義と聖約」を学んでからだった。「マスター聖句は絶対に4年間学ぼうと思いました。自分のプライドと周囲のプレッシャーの中で最後の4年目を迎えた気がしました」と話す。真剣に取り組んだからこそ,レッスンの前に泣きたい気持ちになるほど悩んだこともあった。「そんな中でも意地でがんばりました」と樹実姉妹。そして,真剣に継続することで,「おもしろくなり,理解が深まり,興味がわき,楽しく学び続ける」ことができた。

樹実姉妹は,マスター聖句を学ぶために,先生から渡されたノートに聖句を書きながら暗唱した。さらに,それぞれの聖句に自分で考えた「題名」をつけて覚えていった。地道な努力を続けることが,聖句を暗唱するもっとも近い道だった。

樹実姉妹は,マスター聖句賞と皆勤賞に加え,人格形成賞を受賞した。人格形成賞とは,さらに良い人格を築くために,自分で目標を立て,1年間自分で実行していくというものだ。「今年は預言者の言葉に聞き従うという目標を立て,自分が出席すべきすべての衛星放送に参加すること。そして,リアホナをすべて読むという目標を立てました。」最後の年を終えたときには,「大きな達成感がありました」と話す。衛星放送で総大会に出席するとことはこれからも続けていきたいという樹実姉妹にとって,セミナリーの人格形成賞を通じて身に付いた習慣は喜びとなり,「それなり」という言葉は消えていった。

聴覚に障害を持つ人のサポートを行う言語聴覚士しを目指している樹実姉妹は,宣教師として奉仕することも計画している。「伝道に行かない選択肢は自分の中にはありません」ときっぱりと話す。

「早朝セミナリーだから頑張ったと思うかもしれませんが,実はそんなに難しいことではありません。むしろ,夕方とか夜の方がいろいろと用事があって難しいように思います。朝はただ起きればいいだけです。早朝がつらいとは思ったことはありません。」そして,モロナイ書の聖句を引用しながら,「『長く耐え忍ぶ』ことの大切さ,根気強く教えてくれた教師への感謝の気持ちは忘れていない」と言う。

さらにこれからセミナリーを学ぶ青少年や両親へのアドバイスとして「セミナリーがあるから毎日聖典を読みます。なければ甘えも出てしまいます。また,学校の試験の期間であっても,そのときこそ,セミナリーに出席することで祝福があると自分は証を持っています」と語ってくれた。

次の一手先を覚える

御器所ワードの鈴木千愛姉妹は4年間のセミナリーを「楽しかった」とシンプルに表現する。早朝セミナリーを自宅で行い,教師は両親が務めた。自宅で行っていると馴れ合いになって難しい場合もあるが,千愛姉妹は「最後まで充実感をもってやり遂げることができた」と振り返る。

聖句を暗唱するときに千愛姉妹が考えた方法は,「先を読み取りながら覚える」という方法だった。「たいては1節ずつ覚えていきますが,その1節を覚えると,そこで途切れてしまい,次の1節との関係がうまくつながらないんです。そこで,次の節の最初に登場する接続詞や言葉までをセットで覚えるようにしました。そのように覚えると聖句を流れるように覚えていくことができます。」高校では囲碁将棋部に所属する千愛姉妹は,次の一手先を読むように聖句を暗唱していった。

「教義と聖約」の最難関である「ジョセフ・スミス─歴史1:15-20」は長く,覚えるのに苦労の多い聖句だけに,いちばん思い入れの強い聖句になったという。「当時,少年だったジョセフが,長老派の教えが真実ではないことが分かりましたと語っている部分を読むと,そこまで教義を研究していたのかと,自分と比較してあらためてジョセフ・スミスの偉大さを感じました。」

セミナリーのレッスンでは,時間を決めて1分間でどこまで暗唱できるか訓練を繰り返してきた。また,生活の中で何かと理由をつけて暗唱することを心掛けてきた。お菓子一つ食べるにしても,聖句を一つ暗唱してから食べるとか,様々な動機付けを行いながら聖句の暗唱に取り組んできた。

「毎日聖典に触れているので,教会でお話を頼まれても,『このようなことを話そう』とすぐに自分の中でイメージをつかんで,組み立てられるようになりました。それは祝福だったと思います。セミナリーを学ぶことで学校の勉強も暗記課目にも自信がつきました。世界史の授業でも,中世ヨーロッパあたりは簡単に理解することができました」とほほえむ。

「早朝セミナリーを楽しく行うためには,やはり早く起きなければなりません。早く起きるには,当たり前のことですが早く寝ることです。それが基本です。いろんなことが犠牲に思われるかもしれませんが,セミナリーはそれらのことを犠牲にしてでも学ぶ価値があります。」

「セミナリーの4年間は振り返ると短かったように思います。初年度に勉強した旧約聖書はもう一度学びたい気持ちがあります。生徒用テキストはとてもおもしろく興味深い内容で,たくさんのことを知ることができます。学ぶことはとても楽しかったのですが,足りなかった部分は,もう少し深く勉強してみたいと感じています。」

将来はプログラマーを目指している千愛姉妹は自分のことをよく分析し,評価する。伝道へ行くことも希望する千愛姉妹は,人生の中でどのタイミングで宣教師になるか,自分の中で目下,プログラム中のようだ。

セミナリーが大好きです!

現在,大学1年生の喜名佳奈子姉妹(岐阜ワード)は,中学3年生のときまで教会から足が遠のいていた。バプテスマを受けたのは11歳のとき。「父方の叔母の家族が教会員だったんです。沖縄で教会へ出席した楽しい思い出を両親へ話すと,電話帳から岐阜ワードの住所を調べて連れて行ってくれました。」そして改宗へ至った。

ユースカンファレンスを機会に教会へ戻り,セミナリーを受講した。「3年目が終わった時点で,どうしても4年間やりたいと思いました。」その思いはくじけることなく,大学に入学してからも早朝セミナリーを続け,残っていた1年分を終えることができた。「家族の中でわたしだけが教会員ですが,教会まで車で30分の道程を父や兄が運転して送ってくれました。高校3年生のときには母が送迎してくれ,セミナリーのレッスンにも一緒に出席しました。母は感謝の祈りをささげることはとてもいいことだと話していました。」

「わたしって,ほんとうにセミナリーが大好きなんだと思います。毎朝一緒に学ぶって,とっても楽しいことですよね!」セミナリーについて語るとき,佳奈子姉妹の目は輝き,気持ちが高揚する。

時間を効果的に集中して使えば,聖句を暗唱することはそれほど難しいことではないと言う。「セミナリーのクラスで10分間暗唱の時間があります。その時間に集中して行えば,2か月で十分に全部の聖句を覚えることができると思います。聖句を速く見つけることもいいのですが,わたしにとっては,それよりも25の聖句を暗唱することの方がもっと価値があると思います。」

「『教義と聖約』を終えてから,100番目の締めくくりとして,イザヤ53:3-5のイエス・キリストについての聖句を最後に覚え直すことにしました。──『彼は侮られて人に捨てられ,……みずから懲らしめをうけて,われわれに平安を与え,その打たれた傷によって,われわれはいやされたのだ。』──涙があふれて大変でした。」

セミナリーを学び続けるうちに,学校でも大きな変化があったと語る。「マスター聖句を暗唱するようになってから,不思議なことに学校の成績も上がってきました。恥ずかしい話なのですが,最初はクラスで38人中32番でした。マスター聖句を覚えるようになって翌年には16番,3年目に『モルモン書』の聖句を暗唱するころにはクラスで2番になっていました。最終的には校内で1番になりました。関係は分かりませんが」と笑みが絶えない。

「聖句を暗唱し,セミナリーを学ぶに従って,自分で選択して安息日に学校の勉強をすることをやめました。安息日を聖く保つことを心がけ,現在に至るまで,安息日には神様にかかわることだけを勉強するようにしています。やはり,神様のことを優先させて,神様にかかわることに心を向けるので,必ずその祝福が与えられるのだと思います。」

栄養士を目指して勉強している佳奈子姉妹は,世の中に蔓延する食の偽装問題を憂慮するように,「将来は給食を作る仕事に携わりたい」と話す。また,「ふさわしければ,伝道へ出て,宣教師として働きたいとも思っています。聖句を暗唱していると実は自分の言葉で自然に福音を人に伝えることができます。それも大きな祝福だったと思います」と再び目を輝かす。

正月に家族5人がそろったときに,両親からしみじみと言われた,「娘が教会員でよかった」という言葉が,4年間のセミナリーを総括しているように思え,うれしかったと話す佳奈子姉妹。「セミナリーってほんとうにすばらしいんですよ!」と何度も繰くり返す。「早朝セミナリーのすばらしさは,朝焼けや朝日によって,神様の愛を体で感じられることです。一日の最初を神様のことを学ぶことで始められることは,ほんとうにすばらしく,楽しいことです。覚えた聖句も時間がたてば一時的には忘れてしまうかもしれませんが,伝道する機会などに学ぶとき,再び蘇ってきます。備えていれば恐れはありません。その気持ちをセミナリーが育ててくれます!」──かつて教会から遠ざかっていたと話す佳奈子姉妹の,今のいきいきとした笑顔そのものが,セミナリーのすばらしさを雄弁に「証」しているようだった。◆