リアホナ2008年12月号 ヤーニス君の旅

ヤーニス君の旅

ラトビアの青年,成田空港から大阪まで600キロ以上を徒歩で旅する 

ヤーニス・ツィエラウス(Yaanis Tsielavs)兄弟は,東欧バルト海に面するラトビア共和国の公立大学に通う23歳。首都リガの近郊にあるイマンタ支部で今年の2月9日にバプテスマを受けた。彼はこの夏,日本を旅した。ラトビアで子供のころから日本文化に触れ,忍者が大好きだった。「日本に来ることはいちばん大きな夢でした」と語るヤーニス兄弟が選択した旅の方法は,徒歩であった。

8月3日,ラトビアから成田国際空港へ降り立ったヤーニス兄弟がまず目指したのは成田ワード。平日だったので,教会にはだれもいなかった。佐倉に泊り,次の目標は稲毛ワードである。地図上ではわずかな距離に見えたが,実際に歩いてみると丸1日かかった。……このように教会から教会を辿って,ついには徒歩で大阪にまで行き着くことができたのだった。

東京近郊は見所も多く,1か月近くをかけて滞在しつつ歩いた。大阪までの旅でヤーニス兄弟が自分に課したルールは,徒歩で教会から教会を目指して歩き,ある地点から電車などの交通機関に乗って行動したら,その地点に戻ってまたそこから歩き始める,というものである。9月から東海道をたどり,10月初旬に大阪へ到達する。そこからは鉄道で西へ向かい,広島の教会では衛星放送の総大会に出席する。さらに福岡から長崎に至り,長崎からは高速バスで名古屋へ戻り,長野,日光を回って東京へ帰り着いたのは10月末であった。

ヤーニス兄弟は約90枚もの地図を持っている。それはラトビアを発たつ数週間前に,インターネットで教会公式ホームページwww.lds.orgにアクセスし,Find Places of Worship(礼拝の場所を探す)で日本各地の教会の場所を調べてプリントアウトしたものであった。地図の一枚一枚には,そこで出会った宣教師や教会員の名前,現地でのメモがたくさん書き込まれ,そのまま彼の旅の記録になっている。「もし教会がなければ旅をすることは不可能でした」とヤーニス兄弟は振り返る。初めての日本で土地勘もなく右も左も分からないヤーニス兄弟にとって,中間目標となったそれぞれの教会はまさしく灯台のようなものだった。「教会が見えるとほっとします。良い気持ちを感じます」とヤーニス兄弟は語る。日曜の度に行く先々の教会に出席し,安息日は一日教会で過ごす。「聖餐を受けることでまた1週間,歩く力をもらいました。聖餐は力です。」

旅行社の企画するツアーでは見ることのできない日本を見たかった。「電車で(旅するの)は早いけれど,早いと忘れると思います。(費用も)高いし,すべての日本は見えません。」彼が見たものは自然の風景,路傍の蜘蛛,波を成す稲穂,そして憧れの忍者村も……首から名札を下げて歩き続け,出会った人に話しかけ,日本人の人情に触れる。

各地の教会で宣教師や会員たちと出会うことができた。ビジネスホテルやカプセルホテルに泊りながら旅を続けたが,時に教会員の家に泊めてもらい,お土産や食べ物を持たせてもらうこともあった。何度か襲来する台風の中も歩き続け,軒先で何時間も雨宿りした。見ず知らずの日本人から2度,傘をもらった。ヤーニス兄弟は受けるだけではなく,与えることも続けた。ホームレスの人と出会うと,話して,食物を分かち合った。母国のラトビア語にロシア語,ドイツ語,英語を話すヤーニス兄弟だったが,旅の間にずいぶん日本語も上達した。

ラトビアは2004年,EU(欧州連合)に加盟し,特に経済成長が著しい。都市部ではインターネット接続環境が整備されている。ヤーニス兄弟のように,日本を遠く離れた地からでも簡単に教会の所在地を知ることができる。この機能により,わたしたちは世界中のどこを旅しても教会に出席することができ,嵐あらしの避けどころであるシオン,大きな家族としての教会員のもとに集うことができる。得られるものは地図情報だけではない。最近リニューアルされた求道者向けのサイトwww. mormon.org では教会員が証するのを動画で見ることができる(英語サイトのみ)。近年のIT技術の進歩は,福音を求め,教会に集おうとする人が求める情報への敷居を画期的に低くしたのである。◆